話によると、彼女達は旅の途中らしかった。旅費が足りなくなったので、オーリエイトが数日ここで踊り子をして稼いでいるらしい。
二人ともリオの事情を知りたそうだったが、リオは何も言わなかった。教えられるほど信用していないし、気持ちの整理もついていないし、余裕もない。
しかし、この旅のご一行、二十歳にも届かない女の子二人と小さな男の子。……なんて変な一行だろう。危なくないのだろうか? うっかり、また自分のせいで炎を見ないようにしなければ、とリオは一人で警戒を強めた。助けてくれた彼女たちが一番弱者らしいのは確かなのだ。
買い出しに行くと言ってリディアとノアは出かけて、オーリエイトもまた仕事に行き、リオは一人で部屋にいた。気がつくとお守りを握ってしまうのは、やはり不安だからだろう。リオは彼女たちと距離を保ちつつも彼女たちを観察した。一緒にいた時間は少しだったが、瞳の色が同じなのと、ノアがいつもリディアにくっついていることで、二人は姉弟なのだろうなと分かった。
食事をする時間以外は部屋から出ようともせず、警戒心丸出しでちっともオーリエイトたちに関わろうとしないリオを、リディアは心配そうに、オーリエイトは無関心そうに見ていた。しかし、ついに翌日の夕方になって、オーリエイトがリオに言った。
「部屋に閉じこもってて退屈じゃないの? リディアとノアと一緒に外へ行ってきたら?」
リオが断る前に、リディアがリオの手を取っていた。
「ね、一緒に行きましょう? 夕日が綺麗に見える所を見つけたの。丁度良い時間だし、ね?」
……ね、とまで言われれば断る手段もない。リオは付いていくことになってしまった。
リディアはいつも、おっとり、フワリと笑う。清楚な白い服を着ているせいで、尚のこと天使のようで、そしておとなしく控え目なので、どうしても儚なげな印象があった。そのリディアが、息を弾ませて坂を登っている。どこにそんな体力を隠していたのかと不思議になった。しかも、時折ノアに手を貸してもいる。そこまでして行きたい場所なのだろうか。
ノアはというと、息は切らしていたが、相変わらず声は出さなかった。丘の頂上まで来て、ようやく息をつくと、丁度太陽が地平線の向こうに落ちかけているところだった。
赤い光に包まれて、遠くの森も、町も、まるで燃えているよう。けれど、リオの恐れている風景とは違って悲鳴は無く、安穏とした静寂が代わりに町を包んでいた。家々や店にはぽつぽつと灯が点り始めていた。その灯と、家々のガラスに反射する陽光がとても美しい。我が家への帰り道を急ぐ人々の表情には、安堵が溢れていた。全てが静かに賑やかに美しかった。
「綺麗でしょう?」
リディアぽつんと言う。リオは反射的に頷いた。彼女は微笑む。
「あなたに見せてあげたかったの」
森の向こうに海が見えないことに、いささか心細いものを感じた。故郷の夕日は、もっと美しかった気がする。大陸の東端《ひがしはし》の故郷を離れて、幾月が過ぎたのだろう。何人、自分のせいで――してしまったのだろう。気がつくと、リディアが自分をじっと見つめていた。零《こぼ》れそうになっていた涙を大急ぎで拭き取って、リオはなんでもない風を装ったが、遅すぎることが分かった。
「……あなたが見ていたの、ふるさと?」
聞かれて、リオは答えられずに俯く。
「とても、愛していたのね」
リオは、また答えなかった。
「私とノアもね、故郷を追われた身なのよ」
リオは顔をあげて、リディアをみつめた。彼女は微笑んでいた。悲しそうなその微笑みが、今までよりいっそう儚い。
「私たちね、両親を亡くして、兄と一緒に、今住んでいる所に引き取られたの」
兄がいたのか、とリオは少し驚いた。やはり二人と同じ目の色をしているのだろうか、と思う。
「お母さんは生きているはずなんだけど、私たちを迎えに来られないの。今はオーリィと一緒に暮らしてるわ。お兄ちゃんは仕事にいってるから。もう一度でいい、故郷を見てみたいわ」
リディアの話を聞いて、リオは思わず言った。
「あたしの故郷は滅んだの」
リディアが口を噤んで、驚いたようにリオを見つめた。
「滅んだの。もう一度見たくても、存在すらしてないんだよ」
リディアは慌てた。
「ごめんなさい。何も知らないのに、喋り過ぎたわ、私」
リオは首を横に振った。
「あたし、行くあてなんか無い。ただ、ずっと大陸の真ん中を目指してた」
「そうなの……」
リオは少し息を吸ってから呟く。これは伝えておくべきことだった。
「それと、あたしといない方が良いと思うよ」
え、とリディアは声を漏らす。
「あたし、疫病神だから」
沈黙が降りた。
すると、それまで存在しないかのように振る舞っていたノアが、リディアを離れてリオにしがみついた。少なくとも、ノアがリディアから離れたのを、リオは初めて見た。ぎゅう、とリオの胸に抱き付いて、しばらくそうした後、不意に顔を上げて、リオの目を覗き込む。ノアの目は、本当に真っ直ぐで綺麗だった。リオは突然のことに驚いて、ただ、されるがままになった。何を伝えたいのか分からなかった。
リディアが言う。
「その子はね、人を見分ける能力があるの」
何を言い出すのかと、リオはリディアを見つめた。
「何があったのかは知らないけど、あなたは悪くないわ。ノアがそうやって甘えるのは、良い人だけだから。これは事実よ」
リオは言葉を無くして、今やリオの手をしっかりと握っている少年に目を向けた。事情を根掘り葉掘り聞かれると思っていた。答えれば彼女たちが距離をとってくれると思っていた。けれど、リディアは聞かなかった。そういえばオーリエイトも聞いてこなかった。ただ、静かに見守っていた。
「何も、聞かないんだね」
ぽつんと言うと、リディアは不思議そうに首を傾げる。
「だって、聞かれたくないんでしょう?」
リオは頷いた。聞かれたくない。距離をとって欲しい。けれど、とって欲しくない。近付きたい。
「だったら聞かないわ」
言って、リディアは笑った。警戒心が解けていくのが分かった。
「あたしのこと、得体が知れないと思わないの?」
「思うわよ」
真っ直ぐに正直な言葉に、リオの心が動く。
「でも、辛いことがあったんだなって、それは分かるから」
リオはリディアに振り向いた。
「そんなに辛そう?」
くすり、とリディアが笑った。
「リオって、結構感情が顔に出るタイプでしょ」
初めて、リディアがリオの名を呼んだ。名前を呼ばれるのでさえ久しぶりで、長いこと聞かなかった響きに、リオの肩が震えた。と同時に、頬が赤く染まる。夕日がその色を隠してくれることを祈ったが、リディアは気付いているだろうと思った。
……この人達は、信じて良いのかもしれない。大丈夫なのかもしれない。
「オーリエイトと暮らしてるって言ったね。あなたと、オーリエイトの関係は?」
自分のことは何も話さないくせに、他人には聞くのか、と咎められるかと思ったが、リディアはそんなことも無く、あっさり答えた。
「友達かしら。ううん、家族ね。オーリィって冷たそうに見えるけど、すごく優しいのよ。とてもしっかりしてて、頼り甲斐があるし」
熱心に話す様子に、リオは思わず笑った。強張った笑い方になったが、それでも久々に、自然に漏れた笑みだった。
「あなたって、警戒心のかけらもないみたい」
言うと、リディアは溜め息をついて頬を押さえた。
「そうらしいのよね。よくオーリィに叱られるわ」
そして、彼女はリオを見つめ、笑った。リオも笑い返した。さっきよりはだいぶマシな笑い方ができたと思う。
ねえ、神様。
今ならきっと引き返せるから。
だから、もうすこしだけ、
――この温もりに、触れていてもいいでしょう?
夕日は、もう地平線の向こうに消えようとしていた。
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