EVER...
chapter:1-story:3
仲間
 

 


 宿に帰ってからオーリエイトも交えて四人で夕食を取った。話しかけた言葉にためらい無く返事するようになったリオを見て、オーリエイトはぽつんと呟いた。
「やっと私たちと話す気になったのね」
 リオはオーリエイトを見た。
「よかったわ」
 淡々とした口調の中に、安心と心配がちらついていた。金色の瞳には、温かな色が見て取れる。一足先に食べ終わったノアが、早速リオの側に駆けてきて、リオの腕を掴むとにぱっと笑った。まさに天使の笑顔。まるで光が散ったようだった。オーリエイトが、それを見てリオに微笑んだ。初めて見るオーリエイトの笑顔だった。リオも、心を込めて笑い返した。


 夕食の後、翌日の出発までにもうひと稼ぎするというオーリエイトを残し、リオはリディアとノアと一緒に街の見物にいった。人込みははっきり言ってまだ怖いが、久々にゆったりした気持ちで周りを見ることができた。

 買うお金はなかったが、露店に並ぶアクセサリーなどを、同じ年頃の少女と楽しく会話をしながら見て歩くなんて、今までに無い経験だった。二人で呪符を興味津津で見物したり、ノアにお菓子を買ってあげて、食べる度に鼻にクリームがつくのに苦戦するノアを見て笑いあったりした。信じられないくらい、穏やかで楽しい時間だった。
「ねえ、リディア」
 呼び掛けると、リディアが振り向いた。長い闇色の髪が翻る。
「うん?」
「あの、ありがとう」
 リディアはきょとんとした。
「なにが?」
「助けてくれたこと」
 あら、とリディアは笑う。
「お礼はオーリィに言ってあげて。私一人だったら癒しの術をかけるしかできなかったわ。店のご主人と話をつけて一番静かな部屋をもらったのも、癒しの術だけじゃ治らないところを治すための、薬を買うお金を工面したのもオーリィだから」
「うん。オーリエイトにも後でお礼を言う。明日、お別れなんでしょ?」
 リディアは複雑な面持ちになった。
「寂しいわ」
 その一言だけで、リオはじんと胸が痺れた。
「あたしもよ」
 本心だった。この数日の思い出を抱えていれば、頑張れそうな気がした。
「あたしね、故郷を出てから色々なことがあって、誰も信じられなくなってたの。人に近付くのが怖くてたまらなかった」
 リディアは頷いた。
「でも、リディアやオーリエイトのことは信じたよ。近づけて嬉しかった。あ、もちろんノアもね」
 自分の名が出なかったことで、ぱっと目を上げて縋るような顔をしたノアは、それを聞いて安心したように笑った。リオはそれに思わず微笑んで、それからリディアを見上げる。
「あの、前から聞きたかったんだけど」
「何?」
「ノアって……その、喋れないの?」
 リディアは悲しそうに微笑んだ。
「ええ。ただ話さないだけなのか、話せないのかは分からないけど」
「そうなんだ……」
 少し、同情心がわいた。親をなくして、言葉を持てない幼い弟と一緒に、この少女はどれだけ苦労したのだろう。自分の辛さに引けは取らないんじゃないかな、とリオは思った。比べても意味の無いことだろうけれど。
 しかし、でもねとリディアは言った。
「そのかわり、体でいっぱいに愛情表現をしてくれるの。この子を守れるのは、お兄ちゃんが側にいない今は、私だけだから……私のたった一人の弟だから、私が守るの」
 リオは微笑んだ。
「……いいね、ノア。こんないいお姉さんが持てて」
 そんな、と姉が頬を染めた横で、ノアは誇らしげに、嬉しそうに笑った。


 その時、喧騒が一段と大きくなった。爆発音のようなものが聞こえて、煙が上がった。聞き覚えのある音に、リオは反射的に振り向いた。今まで毎回、地獄が来たことを告げてきた音だ。黒いマントを着た何者かが、目に見そうなほどの意圧感を放ちながら、何かを探すように辺りを見回している。手に持っているのは呪符か何かだろう。いくら呪符があるとはいえ、ここまでの大爆発を引き起こせたなら、それは彼が魔力を持っているからだ。
 ――魔法使いだ。
 来てしまった、とリオは血が凍るような思いだった。
「な、なんなの……?」
 事情が分からないリディアは、ノアを守るように抱きしめて、リオを連れて逃げようとする。リオはその手を振り払った。
「先に逃げて」
「リオ!?」
「あたしが目的だから」
 リディアがえ、と目を見開いたその時、相手がリオに気付いた。遠目にも、にやり、と笑ったのが分かった。何の迷いもなく、リオの方へ歩いてくる。町のはずれの一角を一瞬で吹き飛ばした人物を恐れて、町の人たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、道を空ける。相手は何の障害もなく進んできた。リオは焦る。
「お願い、リディア、逃げてよ! あたし、あなた達には無事でいて欲しいの!」
「だめ! いかないわ!」
「お願いだから!!」
 リディアは激しく首を横に振った。
「リオが一緒じゃなきゃ、逃げない!」
 す、と影が降りて、リオは体を強張らせた。振り返れば、忘れようのない冷たい瞳がある。
「どうした、逃げないのか」
 わざとらしい抑揚がつけられた声は、静かな残酷さを含んでいた。低さからして、男だということが分かる。
「事情が事情なの」
 リオは低く呻き返した。男はそれには反応せず、リオの後ろで固まっている少女と幼子を見つけた。
「こいつらは誰だ? お前に協力者がいたとは驚いたな」
「協力者じゃないわ。行き倒れになってたところを助けてもらっただけ。手を出さないで」
「ほう……」
 相手の目が、面白そうに細まる。
「そうは行かないな。お前がこいつらに事情を話さなかった保障はどこにもないだろう?」
「事情って何、事情って? 何でこんなに付け回されて、命を狙われなきゃいけないのか、あたしは知らないんだよ!」
 震えそうになる声で、精一杯怒鳴った。虚勢でも張っていないと、この場を放り出して逃げ出しそうだ。
「もう関係ない人を巻き込まないで! あたしが目的なら、あたし一人を殺せばいいじゃない!」
「残念ながら、火種は一つでも残しておくと、いつまた燃え上がるかわからないのでね。これがクローゼラ様の方針だ」
「……クローゼラ……」
 呟いたのは、リオ一人ではなかった。リディアも愕然とした様子で、その名を呟いた。
 男が呪符を掲げる。幾何学的に配置された模様が、月明かりに浮かんだ。
「そういうわけだ。さらばだ、リオ・ラッセン……」

 リオは必死に、リディアの手を引いて逃げようとした。無駄でもいい、まったく希望がないわけではないなら、今ここで行動しなければ。もう人が死ぬのはこりごりだし、もう何も壊したくない。
 刹那、真紅の風が起こった。ふわりと音もなく舞って、リオには分からない言葉を、少女の声が紡いだ。呪符が男の手から弾き飛ばされた。
「オーリィ!!」
 リディアが嬉しそうに叫んだ。黒い服に身を包んだ彼女が手にしているのは、紛れもない魔法使いの杖。杖の先には不思議な色をした珠が取り付けられていて、オーリエイトはすばやくその珠を男に突きつける。
「この子たちに手出ししないで」
 怖いほど冷静で静かな声が、鋭く響いた。
「この杖、私の力がどれほどのものか、分かるはずよ」
 男は目の前に突きつけられている杖を見て、息を呑んだ。
「お前……こんな小娘が……」
「呪符がないと爆破魔法も使えない下っ端とは、訳が違うのよ」
 決定打だったようで、男は歯噛みして、その場で別の呪符を出し、呪文詠唱をすると姿を消した。
「移動の呪符……まあ、あれが正しく使えるなら、それほど侮った相手でもなかったみたいね」
 オーリエイトは人事の様に呟いて、三人を振り返った。
「オーリィっ……!」
 リディアは安堵のあまりオーリエイトに駆け寄って、抱きつく。その頭をひとつなでて、オーリエイトはまっすぐリオに視線を向けた。リオは受け止めきれずにうつむいた。
「説明、してくれるわね?」
 オーリエイトの厳しい声が、胸に刺さる。
「一度店に戻りましょう。こんなことになったんだから、説明してもらわなきゃいけないわよ。あなた一人の問題ではなくなってしまったんだから」
「するよ……」



 やはり、こんな風に星の綺麗な夜だった。両親を幼くして亡くしたリオは、教会に引き取られていた。小さくて、村人も数えるほどの村だったが、みんな親切だった。可愛がられ、大切にされ、幸せにくるまれていた日々。それが突然終わりを告げた。……前触れもなくやってきた、一人の魔法使いによって。

「みんな、殺されたの……」
 リオはうつむいたまま、淡々と話した。感情を抑えていないと、すぐにでも喉から何かが溢れそうになる。
「一人も、残らなかった。神父様はあたしを地下の秘密の通路に逃がしてくれたわ。だから、村を焼き尽くされてもあたしだけは助かったの」
 誰も、何も言わなかった。
「何が狙いなのかは分からない。あいつは、村の全員を殺さなきゃいけないんだって言ってた。それで、ずっと唯一の生き残りのあたしを追ってきているの」
 どうして、こんなことになってしまったんだろう。
「逃げた後、あたしは助けを求めたわ。助けてくれた人はみんなあいつに殺された。いつもいつも、あたしのせいだったの。だから、皆あたしを忌んでた……皆は悪くない。あたしが悪いのよ」
 リディアが肩に手を添えてくる。そのぬくもりが痛かった。いたたまれずに、その手を振り払う。
「あたしに触らないで、死んじゃうよ!」
「リオ……大丈夫よ、私たちはここにいるじゃない。誰も死んでないわ。オーリィがいる限りは、誰も傷つかないから」
「あたしっ……」
 涙が、零れた。
「だってあたし……!」
 リオはバッと顔を上げた。滴がポロポロと頬を伝う。
「あたしと関わった人はみんな死んじゃう! 守ってくれようとすると、死んじゃうの! 大好きだよ、って言ったら、死んじゃった……もうあたしに言わせないで。あたしに近付かないで!」
 こんなに思いのたけをぶつけたのは、本当に久々だ。感情が高ぶっているリオを、オーリエイトはただ静かに見つめた。
「辛かったのね」
 リオは俯いた。自分が零した滴が、足下の床の色を変えている。
「大丈夫よ。リオのせいじゃない」
 オーリエイトが言って、リオを抱きしめた。
「事情は分かったわ。あなた、行くあてはあるの?」
「無いに決まってるじゃない……ひたすら逃げるのみだよ。あたしの居場所なんてない。どこにもないんだから……ないほうが、いいんだよ……ずっと、誰にも近付かないで」
「馬鹿なことを言わないで。人は一人では生きていけないわ。あなたは死ねないのでしょう? だったら誰にも近付かないことなんてできやしないのよ」
 リオを抱きしめたままで、オーリエイトが言った。
「私は魔法使いの中でも力が強い方よ。あなたを狙うあの人たちの正体も気になるから、一緒に来て欲しいの。何日後までと言わずに、これからもね」
 リオは驚いて、オーリエイトの腕の中で眼を見開いた。その間にも、涙はぽろぽろこぼれていく。
「いいの……?」
「私のほうから、頼んでるのよ」
 リオは目を閉じて、オーリエイトを抱きしめ返した。

「あたし、自分のためには泣かないって決めたのにな……」

 呟くと、リディアが言った。
「それでも、泣くといろんなものが流せるのよ」
 リオは頷いた。こんなことは、故郷を離れて初めてだ。
「一緒に、行っていいんだね」
 リディアもオーリエイトも頷いた。
「もちろんよ、リオ」




最終改訂 2005.10.05