EVER...
chapter:1-story:6
悪魔
 

 



「ずいぶん所帯が増えちゃったわね」
 人事のように呟くリディアの言葉に、オーリエイトはため息をつきながら頷いた。
「出るときは三人だったのに」
 いまや、その倍の六人だ。まあ、少年少女だけの集まりなのだから、人数が多いのは悪くないのだが。

「ところでオーリィ、ハーベルドに行って何をするの? だって今あそこにはウィルがいるじゃない?」
 リオは離れた所で、二人の話し声に聞き耳を立てていた。
「そうね、いるわね」
 オーリエイトの返事は、相変わらず簡潔過ぎて的を射ていなかった。
「ねぇ、オーリィ。ウィルにはあまり関わらないほうがいいってお兄ちゃんが……」
「鍵を握っているのは彼なのよ」
 リディアは俯いた。
「でも……」
「それに、私はもう関わりすぎるほど関わっているわ。彼がグラティアを離れている今こそ、彼に会うべきだわ」
 リディアは顔をあげた。
「何かつかんだの?」
 オーリエイトは肩をすくめた。
「そういうわけじゃないわ」
 オーリエイトはそれ以上話す気はなさそうだった。元々こちらから聞かない限りはあまり自分から話さない人だから、聞けば答えてくれるかも知れなかったが、リディアはそれ以上詮索しようとしなかった。

「おーぅいっ」
 爽やかな朝に相応しい、元気な声が響いた。アーウィンが満面の笑みを浮かべて手を振っていた。
「準備できてるかー?」
「ええ、いつでも出発できるわよ」
 オーリエイトがそれに答える。

 二人と合流し、一行は村を出た。

 リオはつい、気になっていたことをライリスに尋ねた。
「ライリス……あの、夕べはアーウィンと同じ部屋に、と、泊まったの?」
 随分と大胆な発言だ。ライリスはさすがに苦笑した。
「そうだよ。大丈夫、彼、女っ気のかけらもないから」
「そ、そう……」
 リオはちらりとアーウィンを見やって、確かに、と思った。純真無垢に無邪気が加わって、さらに単純を足したものの塊が歩いているようなものだ。何もないのに鼻歌を歌って楽しそうなので、見ているこっちが和んでしまう。
「リディアよりも緊張感なさそう」
「そうだなあ、緊張をぶち壊すのは大得意なんだけどね」
「昨日みたいに?」
 ライリスはくすくすと笑った。女と分かった今でも、心乱れるしぐさだ。
「そんなとこだね」


 その後数日は何ごともなく過ぎ、三日後にはついに街道をそれて、山道に入った。
「辺鄙だとは聞いてたけど」
 息を切らしながら、リオが愚痴った。
「一体どんなところにあるの、そのハーベルドってのは」
 オーリエイトもリディアもさすがに息を切らしていて、とてもリオの愚痴に言葉を返す余裕はなかった。
「ほいよ」
「ほら、掴まって」
 ずんずん進んでいる護衛二人が、急な坂道で手を差し出してくれた。二人とも見た目によらず、力が強い。その手に引き上げられた先に大きな切り株があったので、そこで休憩した。

「この分だと今夜は野宿じゃねぇ?」
 アーウィンが腰に手をあてて、来た道を振り返って言った。
「この先にロッジがあるのよ。今晩はそこで泊まれるわ」
 ちょっぴり久しぶりに、オーリエイトから詳しくて親切な返事が返ってきた。しかし、やはり彼女も息を切らしている。ノアに至っては、胸を押さえて足を投げ出していた。
「まだ小さいのに、随分と過酷な旅に連れてきたね」
 ライリスが指摘する。オーリエイトはちらりとライリスを見た。
「ノアのためでもあるのよ」
 また主語を省かれた。
「何が?」
 リオが聞く。こうしないと、彼女の言いたいことの主旨が分からない。
「この寄り道よ。ノアを喋れるようにしてあげられるかもしれないの」
 さすがにこの寄り道理由だけははリディアも知っていたらしく、うん、と頷いてノアを抱き寄せた。リオが聞くに聞けなかった謎が一つ解け、一行はさらに進んで夕方になった。


 オーリエイトがロッジはもうすぐだと言ったときに、ノアが突然何かに怯えたようにリディアにしがみついた。その反応に魔法使い三人がそれぞれの武器を構えた瞬間、脇の茂みから魔物が飛び出した。明らかに普通の動物でも、幻獣でもなかった。禍々しい口を開け、唸り声をあげて突進してくる。
 ライリスがすかさず、二本の矢を同時に放って、魔物の両目を潰した。魔物はたまらず悲鳴をあげ、ずぶずぶと地の中に潜っていった。一同はほっと一息をつく。
「変だ」
 ライリスが眉をひそめて、燻る地面を見つめた。アーウィンも腑に落ちない様子で腕を組む。
「ホントだぜ。魔物が出るのは日没後って決まってんのに」
「例外もあるでしょう」
 オーリエイトが呟いた。

 しかし、安心する間もなく、続けて群れが来た。オーリエイトが杖を構える。呪文を唱えると、半分が吹っ飛んだ。
だが、相手が速すぎる。
 すると、アーウィンが飛び出して右手を空に掲げた。
 普通は呪文を使うものだが、彼は何も唱えずに火をおこした。業火が巻き起こって、一気に魔物を襲った。獣の断末魔が、森に満ちる。そろそろかな、とアーウィンは呟いて手を下ろした。
すると炎は跡形もなく消えた。先程までそこに炎が燃え盛っていたことを示すのは、地面に転がる魔物の死骸だけだった。魔物とはいえ残酷な光景に、リオとリディアはうっと呻いて口を押さえた。

「あら、魔法使いが二人もいるの?」

 からからと鳴るような声がして、女が一人姿を現す。黒い翼に、真紅の瞳を有していて、それに気付いたリディアがひっと息を呑んだ。
「……悪魔!」
「こいつら、あんたの差し金か」
 ライリスが声を張り上げた。
「用があるのはそちらのお嬢ちゃんだけよ」
 悪魔が言って指差したのはリオだった。事情を知らないライリスとアーウィンは、驚いたようにリオを振り返る。
「あ、あなたもあの魔法使いの仲間?」
 リオは震え声で聞いた。
「あんなのと一緒にして欲しくないわね。わたくしはもっと格が上よ」
 悪魔はそういってくすくすと笑った。
「ね、そちらのお嬢ちゃんをこっちによこしなさいな。別に殺しはしないわよ、連れて帰って主人に差し出すだけ」
「クローゼラに?」
 聞いたのはオーリエイトだった。悪魔はびっくりしたようにオーリエイトを見つめる。
「あら、知り合い?」
「教える筋合いはないわ」
 悪魔を目の前にして、なんとも強気で冷静な発言だ。
「知り合いよね。この先はハーベルドだもの。今あそこにはウィリアム様がいるんだし」
 くすくす、と悪魔は笑う。
 彼女の言葉にリオは固まった。リディアとオーリエイトといっていたのと同じだ。
「もしかして、その子をウィリアム様に届ける途中なの? だったらわたくしが案内するけど? それとも、手柄を独り占めしたい?」
 リオは血が凍る想いだった。
 オーリエイトとリディアに……騙されていたのだろうか。仲間だと信じさせて、リオをそのクローゼラとやらに売るつもりだったのだろうか。何もかも辻褄があっている気がする。悪魔が様付けで呼ぶような相手のところへ、連れて行かれそうになっている。
 リオは無意識に逃げ出そうと、一歩下がった。すると、オーリエイトがリオの腕をつかんだ。
「リオ、動かないほうがいいわ」
「放して」
 リオは静かに言った。
「慣れてるの。騙されるとか、そういうの。恨まないから、放して」
 オーリエイトは悪魔に向けていた目をリオに移す。意味が分からない、というように呟いた。
「リオ?」
「放してっ!!」
 リオは手を振り解くと、身を翻して道を駆け戻った。後ろでアーウィンが「おい!」と叫んだが、それでも振り返らなかった。
 彼は事情を知らない。分かるはずがない。

 ポツリと水滴が落ちてきた。雨が降り始めたのだ。リオは坂を駆け下りる。どうしよう。人里には降りられない。このまま道を外れて山に入ろうか。
「リオ……リオっ!」
 息を切らすリディアの声がした。
「リオ、待って。誤解だわ!」
 リオは初めて振り返って立ち止まった。ようやくリディアが追いついて、彼女は胸を押さえて息を切らした。長い漆黒の髪が肩から落ちて揺れている。そこに一粒一粒と、雫が落ちて銀の珠のように光った。
「誤解?」
 リオは聞き返した。
「私たちは、悪魔の仲間なんかじゃないわ」
「本当に? あたしを騙してるわけじゃなく?」
 リディアは目を見開き、愕然とした。
「リオ……」
「あたしを追ってるクローゼラって人を知ってた。悪魔が様付けで呼ぶ人のところに連れて行こうとした。なのに?」
「ち、違うわ……」
「ねぇ、リディア」
 リオは言って、笑った。責めるつもりはなかった。誰にだって事情はあると知っていたし、世界はこんなものだとも知っていた。
「あなたはとても優しかった。オーリエイトも。助けてくれたこと、感謝してる。でも、あなたたちが分からないの」
 それでも、触れた温もりは本物だったから――。
 雨粒が二人の少女を濡らす。

「だから、もう一緒に行かない。あたしを行かせて」

 リディアはリオを凝視した。そして、何の前触れもなくぽろぽろと涙をこぼし始めた。リオはさすがに驚いた。
「リディア……?」
「どうして? それならどうしてそんな顔をするの? だめよ、行かないで」
 リオの体は強張った。
「行かないで……お願い。リオ、そんなんじゃあなた、壊れちゃうわ」
 リオは目を瞬いた。思わず胸を押さえる。そこでぐつぐつと、闇がくすぶっている。だから、リオが壊れてしまう、とリディアは言った。リオは気付かれたことに動揺した。そして、リディアが泣いて自分にすがっていることにも。
「壊れちゃう……嫌よ、私はこんなに……」
 リディアは顔を上げた。悲痛とも恨みとも取れる表情で、リディアはリオを呪ったのだった。
 愛、と言う名の呪いを。

「こんなに、あなたが好きなのに」

 リディアに呼ばれた時に、立ち止まらなければよかったとリオは思った。
 ――分かっていたのに。あそこで後ろを向いたら、もう後戻りできないということに。

 リオは瞑目した。
 雨が頬を打った――。




最終改訂 2005.10.19