EVER...
chapter:2-story:11
王女と女王

 

そういうわけで、リオとリディア・ノア姉弟は、
かなり慌ただしく、数少ない荷物をまとめにかかった。
もともと身一つで放浪していたリオはほとんど持ち出すものがなく、オーリエイトたちと旅をしていた頃に使っていた小さな鞄だけで十分だった。
リディアとノアも荷物は少なかった。
まだ悪魔たちが転がっているうちに、
三人は皆と別れの挨拶を済ませてライリスに従った。

ライリスは人気のない所まで来ると、空を見上げた。
「うん、ここなら大丈夫そう」
呟くと、ライリスは天に向かって違う音程で二回、呼笛を吹いた。
少し待っていると、空に影が過ぎった。
嘶きが聞こえて、リオとリディアは顔を見合わせた。
「……馬かしら?」
「でも、空から聞こえるよ」
次の瞬間、音もなくフワリと、二頭の翼のついた馬が舞い降りてきた。
「……ペガサス!」
リディアが口許を押さえた。
「王族もこういう時は悪くないかなって思うよ。
高価で人に馴れにくいペガサスまで買える」
ライリスは微笑んで二頭を撫でた。
「やあ、レミエル、ケムエル。いい子だ」
白と黒のいかにも対なペガサス達は、嬉しそうにライリスに頬を擦りつけた。
額の角が危ないので、ライリスは慎重にかわしている。
リディアは少々怖がっていたが、動物好きのノアは顔を輝かせていた。
「このペガサス達に乗るの?」
息を弾ませてノアが問う。ライリスが答えた。
「それは彼ら次第だよ。気紛れな生き物だから。でも、ノアなら大丈夫でしょう?」
なるほど、とリオは思った。
そこまで気が回っていたとは、さすがライリスだ。
ノアはこっくり頷いて、心配そうなリディアをよそに、二頭に触れた。
彼らの間で彼らにしか分からない会話がなされたようだ。
少しするとノアは喜色を浮かべて振り返った。
「皆乗せてくれるって!」
ライリスは満足そうに頷いた。

ペガサスの背は比較的快適だった。
移動手段が徒歩のみという超級ド田舎に住んでいた少女のリオにとっては、こんな乗り物は驚異と言っていい。
あっと言う間に王宮の中庭に降り立ってからも、
高揚した気分は抑えられなかった。
王宮の荘厳さにも呆然とした。
白と金で整えられた建物、細かく彫り物のしてある壁。
装飾は凝っていて、一つ一つがリアルだ。
恍惚となっていた三人を正気に戻すのに、ライリスは少し骨を折った。
「誰かに見られたらまた厄介だから、早く中に入って」
内装は意外と質素だった。
どうやら裏通路らしい。
あまり中央の人々に関わらないように、ライリスはいつも使用人達の使う通路を通っているらしい。
「まずは母さんに会ってもらわないと。
形骸化してても女王は女王だから、有力な後ろ盾になる」
ライリスがそう言ったので、リオは色々な意味でドキリとした。
女王はどう考えても国の最高権力者で、それに会うのが怖いこともある。
しかし何より、実の母親をこんなに淡々と、
客観的にとらえているライリスが恐ろしかった。

ライリスはとある部屋に入ると、部屋にかかっていたカーテンを払いのけた。
奥に女性がいた。
とても十代半ばの娘がいるとは思えないほど若々しく、
ライリスにも負けないほどの美貌だ。
目はライリスと同じ緑色だったが、髪は赤みを帯びた茶色だった。
おや、あまり似てないな、とリオが思っていると、女性は顔を上げてライリスに目を留め、嬉しそうに笑った。
「あら、帰って来たの」
「ただいま」
ライリスも微笑んで返す。
洞察力に長けたリオは、そのぎこちなさに気付いた。
「あら、お友達?」
女王が後ろの三人に目を留めたので、リオ達は慌てて頭を下げた。
ライリスが説明する。
「しばらく置いてあげてもいい?諸々の采配はぼくがやるから」
「あら、それくらいわたくしがやるわ」
女王はライリスに歩み寄って、ライリスの頬を撫でた。
「2、3人増えたところで痛くも痒くもないもの。
……あなたは昔から友達とわいわいするのが好きだったものね」
ライリスの瞳が曇った。
昔、というのがライリスの過去を指しているのではないのだと、
その瞳が語っていた。
彼女はするりと母親の手を抜けて、穏やかに言った。
「ありがとう。でも、部屋は先に決めちゃうね。この子達が困るから」
女王は何の疑いもなしに頷いた。
「夕飯の時にまたね、ライリス……クライド?」
決定的なものを耳にして、リディアもさすがに気が付き、青ざめた。
ライリスは表情一つ崩さずに礼をとってまたカーテンをめくって部屋を出た。
ライリスは父親似なのだろう、とリオは思い当たった。

部屋までかなり距離があったが、誰も喋らなかった。
女王は……女王は一体。
そういえばライリスは以前、母が自分を通して父を見ていると言っていた。
しかし、あれではライリスを通してとは言えない。
彼女はほとんど娘を恋人と同一視している。
「ここだよ」
言われた時、めいめいに考え事をしていたリオとリディアはハッと我に返った。
それを見てライリスが苦笑する。
「やだなぁ、しけた顔しちゃって。君達の気にすることじゃないのに」
とにかく入ったら、とライリスが言うので、三人は部屋に入った。
四部屋続きの大きな一室で、そのうち一部屋はリビングのような広間に、もう一部屋には本棚や机が置いてあった。
使用人の宿舎よりはずっと格上だろう。
比較的質素だったがそれでも豪勢で、
さすが大陸一の大国の王宮だと思わせた。
だが、心からそれらに心酔することはもうできなくて、リオとリディアは顔を見合わせ、ライリスに向かって曖昧に微笑んだ。
ライリスは肩をすくめた。
「……聞きたいことがあったらどうぞ」
いざそう言われると言葉に詰まって、リオとリディアはまた顔を見合わせた。
リディアが決心したように聞いた。
「あの、クライドって……」
「うん、ぼくの父だよ」
ライリスはさらりと言った。
「あまり顔も覚えてないけど」
「ライリス……」
ライリスは手近な椅子に腰掛けると、片膝を抱えて顎を乗せた。
「小さい頃はあんなことなかった。ぼくをちゃんと“ライリス”として見てた。
……父さんと引き離されて半狂乱ではあったけど」
母親のことを言っているのだろう。
「大きくなるにつれて、母さんは正気に戻っていった。
落ち着いたし、多少は政務もやってる。
でも、ぼくを父さんとして見るようになった」
ライリスの告白に、リオ達は呆然としていた。
「だから、恨めない。心からは恨めない。
父さんはきっと母さんの救いだったんだ。蝶の刻印の束縛を忘れさせてくれる」
「そう……」
慰め方が見つからない。
「リオは前、ぼくにどうして男みたいに振る舞うのかって聞いたね?」
ライリスがリオを見つめた。
伏せ目の時も綺麗だけど、やはり彼女は正面がよく映える。
鮮やかな緑の瞳は深い森の色、
生来彼女が纏う、人を惹き付けずにはいられない空気。
「自由がきくって言うのも、元々の性格も多分に関係あるけど……同じくらい大きな理由に、母さんに見てもらいたかったっていうのもあるんだ」
その物言いは、憂いを含みながらどこか無邪気だった。
「ぼくが父さんでいるのをやめたら、
母さんはぼくを見てくれないんじゃないかって、怖いんだ。
母さんは父さんしか見てない。
だからぼくは父さんに―――男になろうと思ったんだ」
ライリスは言い終えると、じっとリオとリディアを見つめた。
それは、すごく傷付き易い繊細さを秘めていて。
「……でも、ずっとそんなことはしてられないでしょう。
あなたも蝶の刻印を受けているのに」
リディアがそっと言うと、ライリスは立上がり、「まあね」と言って伸びをした。
「ごくまれに、母さんには見切りをつけてぼくを女王に、って声もあるよ。
どうしたって王位継承権があるのはぼくだけだから。
まあ、ほとんどの人は未婚の女王の私生児なんて、とんでもないって言ってるけど」
「……王位、継ぐの?」
「わからない。でもあまり継ぎたくない」
ライリスは即答した。
これだけ邪魔者と見なされれば当然だった。
「もちろん、今のままじゃいけないと思うよ。
ぼくは父さんじゃないし、正当な王女とも認められてない。何の立場もない」
「ライリス次第で王女の位なんて戻るんじゃない?」
「それはそうなんだけど。今更女の格好はできないよ。母さんが壊れちゃう」
リオとリディアが黙った。
ノアには難しい話のようで、彼はずっときょとんとしている。
ライリスは肩をすくめた。
「現状打開には相当骨が折れそうなんだ」
ライリスはこの王宮において、一人だ。
本当に孤独なのだと知って、リオは哀しい思いで目の前の麗人を見つめていた。




最終改訂 2006.05.03