EVER...
chapter:2-story:12
姉と弟

 

全体的には、女王はリオたちに優しかった。
食事も手配してもらえたし、逃げて来た身を配慮して、王宮の本当に奥の、めったに人の入らない場所の部屋を貰った。
快適ではあったが、やはりやるべき事が何もないのは寂しいことだった。

ノアはレミエルとケムエルが気に入ったらしく、一日中厩につめていた。
他にも3、40頭くらいのペガサスがいたよ、とノアは嬉しそうに話していた。
そしてノアはライリスに「ペガサスたち、もっと広い厩が欲しいんだって」とペガサスの要求を伝えだしたので、ライリスは目を丸くした。
リオも退屈しのぎに、リディアと共にノアについていったことがあった。
真っ黒いケムエルは、前に一度乗せただけのリオのことを覚えていた。
リオはそれが嬉しくて、故郷で家畜の世話をしていた時の要領で、ぴかぴかにブラッシングしてあげた。
ノアが、ケムエルが喜んでいると教えてくれたのでリオはさらに嬉しくなった。


数日が過ぎて、グラティアから連絡があった。
早急に会いたい、とのことだった。
何かあったのだと分かって、リオは不安になった。
「私たちがグラティアに戻ることはできないわけでしょう?どこで会うのかしら」
リディアが聞くと、ライリスはうーんと唸った。
「プライバシーが確保できる場所って、正直ほとんどないんだよね。
王室と教会はあまり仲が良くないから、
守護者が集まるなんて知れたらお終いだし。
でも、女神に干渉されないで済む所って言ったらここぐらいだし……。
またレミエルたちに世話になろうか」
そういう次第で、相変わらずクローゼラが側に置きたがって離さないウィルを除いて、皆が王宮に集まることになった。

リオは少し驚いた。
久々に会うエルトが顔面蒼白かつ生気が失せた顔をしていた。
アーウィンとレインは彼を心配そうに見やっていて、オーリエイトは考え事をしているようだ。
四人はペガサスから降りると、陰気な声で「久しぶり」と言った。
ライリスがペガサス達を厩に戻そうとすると、ノアが「ぼくがやる!」と名乗り出た。
ライリスはノアの頭を軽く撫でて言った。
「ノアはここに残っていなさい。君の話だから」
どうやら迎えに行った道でライリスは既に事情を聞いたらしい。
え、とノアはびっくりしたように目を瞬いた。
リディアはその言葉に敏感に反応した。
「ノアの話って、一体どういうこと?」
レインが、ちらりとエルトを見てから言った。
「クローゼラからノアに、召集命令がかかった」
リディアが目を見開いた。
青のグラデーションを有する、天使特有の瞳。
「……召集って……」
「簡単に言えば、おいでませ教会ってコト」
アーウィンが言うと、オーリエイトが彼を睨んだので彼は口を閉じて肩をすくめた。
リディアはというと、放心状態だ。
ノア本人も呆然としている。
今までリディアの影でくっついていたマスコットのようなものだったのに、急にスポットライトに照らされて戸惑っているようだった。
「だ、だって、ぼくは特別なものは何も……」
「動物を操る力」
レインがゆっくりと言った。
「天使特有の力だ。
悪魔にも似たような力はあるけど、地下に巣食う魔物達で精一杯だろうね」
レインはリディアとノアを交互に見る。
「神々の力が弱い今、地上に降りてくる天使も稀、ましてや天使の子なんて希少だ。
そして天使の力を受け継いでいる人はもっと希少、その中でも動物を操る力を受け継ぐのはさらに希少なんだ」
オーリエイトが後を受けた。
「クローゼラがノアを欲しがるのも無理ないわ。
これから戦争って時に大きな戦力になるもの」
「戦力……?」
厩に行っていたライリスが戻って来て言った。
「竜だよ」
「竜……」
事情を知らないリオは呆然とした。
「地上の生き物を操る力は悪魔にはない。
神々に離反した時点で、その力も自分たちで切り離したからね。
その代わりに魔物を従えるようになったわけだけど。
でも、ノアなら竜を従わせられる。一騎当千の兵器になるだろうね」
オーリエイトが頷いた。
リディアはまだ納得できない。
「でも……でも、どうしてクローゼラがノアのことを知っているの?」
レインがちらりとエルトを見た。
さっきから黙ったまま青い顔をしている彼は、
リディアを見つめて掠れた声で言った。
「僕のせいだ」
「これ以上責めないでやってくれ、もう自責で潰れかけてるから」
リディアが口を開く前にレインが先回りした。
「そもそも、エルトは君達の安全のために教会に入った。
契約内容も、エルトからの条件はそれだったと思う。そうだろう、エルト?」
レインがきくと、エルトは頷いた。
「だから、妹弟がいることはクローゼラは始めから知ってたし、
興味も持ってたと思う。
クローゼラは他人から情報を引きだすのが上手い。
教会に入って間もない、まだエルトが無防備な頃にさっさと君達が天使の血を引いていることは聞き出したんだろう。ね、エルト?」
エルトはただ頷いた。
乏しすぎる反応にレインは知らん振りをして続けた。
「ほら、そもそもエルトが遠くから呼び戻されたのはノアのことのためだったし」
そういえば、エルトはどうして呼び戻されたんだろうと首を傾げていた。
「ねぇ、召集って事は、あなた達みたいに契約を交わすの?」
リオが聞くと、レインは曖昧に首を傾げた。
「僕たちの程強固ではないにしろ、クローゼラがノアを使いたがってるとすれば、
忠誠を取り付けるために交わすだろうね」
「だめ!!」
リディアが悲鳴をあげた。
「そんな所にノアをやったりしないわ!」
「直々の宣下だぜ、逆らったらどうなるか。黒魔術の生け贄にされるぞ」
アーウィンが遠慮がちにいったが、
リディアはノアをひったくるようにして抱き締めた。
「行かせない!行かせないわ、誰にもこの子は取らせない!」
ウィルが言っていた依存という言葉を、リオは思い出した。
リディアはノアに依存しているのだ。自分の存在を弟に依存しているのだ。
姉弟愛と言えば聞こえはいいが、これはそれを超えている。
「契約なんてさせない!誰にもこの子を私から奪わせはしないわ!」
「リディア、落ち着いて―――
「いやよ!落ち着いたらあなた達は私にノアを手放すよう説得するもの!」
オーリエイトですら彼女をなだめられなかった。
リディアはヒステリックに叫んだ。
「何がなんでもこの子を連れていくと言うなら、私、ノアを連れて逃げるわ!
遠くへ――― 国の外へ!」
「君にその力はない。
まともにお金も稼げない女と子供でどうやって国境まで辿り着くんだ」
レインが辛辣に言った。
「少し頭を冷やしなさい。聖者に加えて守護者が三人もついてる。
ノアを危ない目に合わせたりはしない。
今はクローゼラが自分から動く前に、
自分達から投降したほうが遥かに安全なんだよ」
「契約すると言うだけで十分危険だわ!他に何か方法があるなら聞くわよ」
後方でライリスが溜め息をついた。
ちらりと彼女は悪戯めいた光を目に点し、次の瞬間とんでもない爆弾発言をした。

「なんなら、ぼくと結婚しようか、ノア?」
突拍子もない提案に、
オーリエイトですら無表情を崩して、目を白黒させて固まった。
「……は?」
きょとんとしていたノアは三秒ほど経ってから、
やっと意味を知って真っ赤になった。
「えっ……けっ、結婚って……え、ライリス姉ちゃんと?」
「王家は教会より立場が上なんだよ、一応大抵の場所では。
次期国王……まあ今のところ、他にしかるべき人がいないから、一応ぼくということになってるだけだけど……そうともともなれば、女神といえども手出しはできないよ」
さらりと論理展開していくライリスの前でノアは口をパクパクさせていた。
「ぼくも年上の下心ありありな男よりは純真なほうが安心できるし……」
「ち、ちょっとライリス」
やっとのことでリオが声を搾り出して彼女を遮った。
ノアはまだ真っ赤だ。
「待って、ライリス姉ちゃん。よく考えてからにする」
「おいおい、ノア、年上好みにも程があるだろ!」
アーウィンが仰天して叫んだところで、ライリスは楽しそうに笑い出した。
「やだな、冗談だって」
皆一瞬崩れそうになった。
「冗談言ってるような状況じゃねぇだろが!」
アーウィンが怒ったが、ライリスは全く悪びれずに笑っていた。
しかしこの爆弾発言のおかけでリディアの気がすっかり反れていることにリオは気が付いた。
ライリスは始めからそれを狙っていたようだ。

一通りみんなが立ち直ると、オーリエイトは改めて慎重に話題を戻した。
「この件は、当事者のノアの意見を尊重したいの。
リディアでもなく私でもなく、皆でもなくね。ノア、どうする?」
全員の目が、八歳の幼い少年に向けられた。
ノアはしばらく下を向いていたが、やがて顔を上げた。
「ぼく、行くよ」
「ノア!」
リディアが愕然として叫ぶ。
ノアは姉を見上げて、微笑む余裕を見せた。
「ぼくは大丈夫だよ、お姉ちゃん。
まだうまく喋れないふりでもしてれば、
油断して何か大切なことを話してくれるかもしれないし」
「そんな、スパイみたいなこと……!」
「大丈夫だよ」
ノアは落ち着いていた。
さんざん周りから聞かされたであろう、女神の住家という檻の中へ放り込まれそうになっていながら、驚くほど落ち着いていた。
ライリスに爆弾発言をされた時の方がよっぽど取り乱していた。
エルトがはじめて口をきいた。
「お前の幼さじゃ、とても女神様には太刀打ちできないよ。
あの力に呑み込まれるのがオチなんだ。
……僕のせいなんだから、リディアと逃げなさい」
それでもノアは怯まない。
「今、大変なんでしょ。ぼく、役に立ちたいよ。皆の足を引っ張りたくないよ」
リディアは縋るように言った。
「ね、お姉ちゃんが守ってあげるから。ノアは何もしなくていいのよ」
「ぼく、守られてばかりは嫌だよ」
リディアは驚愕で瞠目した。
ノアは一言一言はっきりと言った。
「ぼくはいつでも守られてた。今度はぼくがお姉ちゃんたちを守るんだ。
お姉ちゃんを、ぼくが守るから。ね?」
「ノ、ノア……」
リディアは青ざめて首を振った。
ノアは、とリオも驚いて小さな男の子を見つめた。
姉がまだ弟に依存している一方で、
ノアはいつの間にか、姉から自立を始めていたのだ。

天使の血を引く幼い少年は、回りの年長者を見上げて毅然と立っていた。




最終改訂 2006.06.02