EVER...
chapter:2-story:15
ペガサス騒動
 

 

去っていく影を、リオは呆然と見つめていた。
レミエルとケムエルも仲間たちに続きたそうに空を見上げていたが、リオが手綱をつかんでいるので控えておいてくれた。

「ほんとにやったんだ……」
声がして振り返ると、ライリスが額に手をあてて空を見ていた。
その途端リオは悟った。
レインの含みたっぷりな発言、ライリスの「ノアは動物に異常に愛されているのでは」という推理。
リオは憤然としてライリスの前に立ち、腰に手をあてた。
「ライリス、リディアに何を吹き込んだの?」
ライリスは肩をすくめて空惚けてみせた。
「別に何も。ぼくはただ、ペガサス達もノアに戻ってきてほしいだろうねって言っただけだよ」
リオはじとーっとライリスを見つめた。
ライリスは降参だと言うように両手を上げた。
「分かった、分かった。ぼくのせいです、ぼくが入れ知恵しました」
リオは口を尖らせながら聞いた。
「またレインの差し金?」
「協力って言ってよ」
「いつからそんな連携プレー始めたの?」
「さあね」
ライリスと言い争うのは時間の無駄だ、とリオは思い知った。
全く、ちょっと白状して、それからは本当にうまくかわしてくれるんだから。

リオは握っていた手綱のうち、レミエルの方をライリスに投げてよこした。
ライリスは少し目をみはってリオを見た。
「追いかけるつもり?」
「当たり前でしょ」
リオは大きなケムエルの背中に必死でよじ登った。
「ペガサスがあんな数で押しかけたら、グラティアはめちゃくちゃよ。助っ人に行くの」
「でも、リオって魔力は……」
「ないよ」
リオはムキになって言った。
「精神安定剤になりに行くの!それくらい良いでしょ!」
やれやれ、とライリスは首を振ると、鮮やかな身のこなしでレミエルの背に飛び乗ると、力強くあぶみを蹴った。
「グラティアへ!」
飛翔の刹那の大きな揺れに、リオはかろうじてケムエルの背にしがみついた。


空から見ても、グラティアの喧騒ははっきりしていた。
樹海の中、一か所だけ靄もかかっておらずに開かれた場所だけに、見つけるのは簡単だった。
ペガサスたちは好き勝手に暴れているようだった。
もともと魔力を持つ動物なだけに、明らかに城の者たちも手間取っているのが見えた。
「派手にやってるなあ」
ライリスがリオの前方を飛びながら言う。
「リオ、この辺で降りよう。あまり近付き過ぎると、ぼくらが集中攻撃を受けるよ」


木の葉を抜けて懐かしい樹海に下り立つと、レミエルとケムエルは待っていましたとばかりに仲間たちの加勢に駆け出していった。
リオとライリスも後に続こうとした時だった。
「リオ!ライリス!」
声のした方を見ると、オーリエイトが杖を片手に駆けてくるところだった。
「オーリィ」
二人は足を止めて彼女を待った。
「あなたたち、どうしてここに?それに、あの騒ぎは何?」
「リディアがノアを取り戻そうとして、ペガサスたちをけしかけたの。あたしたちは追いかけてきただけ」
「リディアが?」
リオの説明を聞いて、オーリエイトは目を丸くした。
「あの子ったら……」
「とにかく、君も助っ人を頼むよ」
ライリスが言うと、オーリエイトが苛立たしげに溜め息をついた。
「やるにしても日を選びなさいよ。クローゼラが城にいるのに」
「リディアの立ち直りがこんなに早いとは思わなくて」
ライリスはおどけるように言ったが、リオとオーリエイト双方に睨まれて肩をすくめた。
「とにかく行きましょう。運が味方についてくれるのを祈るのみだわ」

三人は遠目に見える門の方へと走り出した。
一番先に裏門に辿り着いたのはリオだった。
門に飛び付いたはいいが、これがびくともしない。
「呪文がかかってるんじゃない?」
ライリスが言ったが、リオは指先に糸か何かが絡み付くような感触を感じて、それを力一杯引き千切った。
その瞬間、鍵ががちゃんと音を立てて外れた。
「あれ」
ライリスが意外そうに声を上げる。
「随分ずさんな警備だなぁ」
リオは構わずに門を開けた。
「急ごう」

城内はとても広かった。
建物の壁は一面真っ白で、いかにも神聖な感じがする。
花壇には花が咲き乱れていて美しかったが、それに見とれている時間はない。
近くでペガサスが嘶く声がするが、リオたちはそれとは逆方向に走り出した。

「ノアはどこにいると思う?」
リオが聞くと、ライリスが言った。
「エルトと一緒にいるんじゃない?」
「守護者の部屋はあっちよ」
オーリエイトがすかさず、リオとライリスを案内した。

屋敷は広かったが、走り回って、リディアを見つけるまでにそんなに時間はかからなかった。
やっぱり尋常でない執着をしているからだろうか、こんな短時間で既にノアを見つけたらしく、手を引いて走ってくるところだった。
ノアはどうやら混乱しているようだ。
自分からここに来たのに、連れ戻されるのは理解できないに違いない。

リディアはこちらの呼び掛けに気付いて、急いでやってきた。
頬は真っ赤に上気している。
「この子、庭で動物と遊んでいたの。女神はいなかったわ」
ノアは乱れた息の下から必死に言葉を紡いだ。
「ぼく、帰っていいの?女神さまが怒らないの?」
これに対し、オーリエイトはぼそりと言った。
「クローゼラから逃げだすのは、誘いを断るのより悪いでしょうね」
「オーリィ!」
「オーリエイト!」
リディアとライリスが同時にたしなめる。
案の定、ノアは不安そうな顔になった。
「……ぼく、やっぱり残った方が」
「気にしなくて良いんだよ。帰ろう、ノア」
「お兄ちゃんたちが怒られちゃうよ」
「エルトたちが君を逃がしたわけじゃないし」
ライリスがノアの説得に力を入れていたその時。

「まあ、騒ぎの原因はあなただったの、グロリア?」
全員がぎょっとした。
一番出会いたくなかったクローゼラが、花壇一つ挟んだ向こう側にいた。
思った以上の至近距離に背筋に寒気が走る。
いつの間に来たの、などと悠長なことを聞いている暇はなかった。
オーリエイトが杖を掲げてみんなを後ろに庇い、ライリスが急いで呼び笛を吹く。
クローゼラもオーリエイトと同時に杖を出したが、向けたのはオーリエイトに対してではなく、ノアだった。
「グロリアったら、貴重な武器を横取りしないでくださる?」
オーリエイトが慌てて杖を構え直す前に、クローゼラは呪文を唱えた。
光がほとばしる。
捕獲呪文、という言葉がリオの頭に浮かんだ。
捕獲とはいっても一種の高度な移動呪文で、あれにつかまったら、呪文を放った人物の好きなところに送り込まれてしまう。
突然知りもしないはずの情報が頭に雪崩込んで来たせいでリオは一瞬混乱し、出遅れたが、リディアがとっさにノアの腕を引いたので呪文は外れた。
オーリエイトも魔法を放つが、クローゼラの二度目の光線に弾き返された。
ライリスが加勢しようとしたとき、クローゼラが別の呪文を唱えた。

歪みの魔法。

空気がねじれ、引き裂かれるような感覚と押し潰されそうな圧力を一気に浴びせられた。リオは悲鳴をあげた。
味わったことのない苦痛だ。

――― いやだ。やめて。……消えて!!

必死にもがくと、自分を捕らえていた呪文が弾き飛ばされていくのを感じた。
肩で息をしながら顔を上げると、同じように崩れていた仲間たちが、突然の開放に、同じように「何が起きたの?」という顔でクローゼラを見た。
当の本人は、どうやら予期せず突然魔法が効かなくなったらしく、「え?」とすっ頓狂な声を上げる。

だが、状況を把握する前に、上空に二つの影がよぎった。
ライリスがハッと天を仰ぐ。
「レミエル、ケムエル!」
まさに、その二頭のペガサスだった。
ケムエルがクローゼラ目掛けて急降下する。クローゼラは襲撃に驚き、シールドを張る余裕もなかった。
少女のように悲鳴をあげると、その場にしゃがんだのだ。
女神にも意外と普通なところがある、とリオが驚嘆していると、何してるんだ、とライリスに叱り飛ばされた。
「早く乗って!」
リオは慌てて、ふらつく足を鞭打って立上がり、降りてきたケムエルの背に飛び乗った。
ノアを引き上げ、もう飛び立とうとするケムエルに慌てて手をかけたリディアに手を貸す。
なんとか三人とも黒いペガサスの背におさまり、ケムエルは、既にライリスとオーリエイトが乗ったレミエルを追いかけた。
一気に高度が上がり、視界が花壇から窓、屋根、そして森へと一瞬で移り変わった。

リオは一瞬ハッとした。窓にウィルの姿が見えたような気がしたのだ。
それが気のせいかどうか、さっきのは彼が助けてくれたのか、そんなことを考える間もなく、聖者の城は遠ざかる。
クローゼラがどんな表情で自分たちを見ていたか、確かめる暇すらなかった。
そしてリオたちがとの方向に向かったのかを隠すかのように、煙幕よろしく他のペガサスたちがざっと下方を覆う。

リディアがそれを見下ろして、少し心配そうに言った。
「王家のペガサスだってばれたりしないかしら」
「……けしかけた時には何も考えなかったの?」
リオが突っ込むと、リディアは恥じ入って赤くなり、バツが悪そうな顔をした。
「夢中だったんだもの」
リオは溜め息をついた。
「王家の紋章のついた馬具とかは付けてないから、大丈夫じゃないかな。クローゼラがライリスと認識がないのを祈るばかりだよ」

下の風景は早くも森を抜けようとしていた。
アーカデルフィアの白い町並みが広がる。
まあとりあえず、レインが思い付き、ライリスが具体的な方法を考え、リディアが実行したこの奇妙なペガサス騒動は成功したと言っていいのだろう。
あとは他のペガサスたちが無事に戻ってきてくれればいいな、とリオは思った。


そしてその期待通り、ペガサスたちは四方八方に散らばり、たっぷり迂回し、空の散歩を楽しむことと追っ手を撒くことの両立を見事にやってのけてから、全頭無事に王宮の厩に戻って来たのだった。




最終改訂 2006/11/11