EVER...
chapter:2-story:17
入ったひびを

 

てっきり喜ぶかと思ったら、ライリスは頑な態度を取った。
肝腎なことには一切触れず、
無言で王宮までヘイヴン氏を連れていき、裏口から入れた。
そこでヘイヴン氏はライリスを呼び止めた。
今度こそ肝腎な所に触れるのかと思いきや、彼が言った言葉はリオたちを驚かせた。
「できれば――― 女王とは会いたくない」
ライリスの表情が一瞬険しくなったが、「わかりました」とだけ言って向かう方向を変えた。

いつも皆がたむろしている部屋を通ったとき、リディアとノアがその部屋にいた。
リディアはノアを膝に乗せて本を読んであげていたが、見知らぬ男が入ってきたのを見てギョッとした表情になった。
ウィルが先回りして言った。
「リディア、ノア、こちらはクライド・ヘイヴンさんだそうです」
すぐに気付いたリディアはハッと口許をおさえた。
「あっ、ライリスのお父……」
だが、リオとウィルの顔色を見て口をつぐんだ。
ライリスはかまわずにすたすたと廊下を通っていき、空き部屋の一つにヘイヴン氏を通した。
「休むならここでお願いします。ぼくは誰か外交官を呼びに行きますので」
しかしヘイヴン氏は首を振った。
「急ぎの用なのです。
身元を明かせない身のため、できれば聖者さまと隠密に話がしたい」
ライリスは眉をひそめた。
「急ぎの用?」
「先に言っておくと、お前と母さんに会いに来たわけじゃない。世界一の大国だから、ここに来た」
ヘイヴン氏は言葉遣いを崩して淡々と言った。
リオは、親子らしからぬ会話に眉をひそめると同時に、彼の言葉にわずかに訛りがあるのは国が違うからなのだと理解した。
ライリスは特に表情は変えず、感情を押し殺した声で言った。
「用件はなんですか」
ヘイヴン氏はうむ、と言った。
「カートラルトが悪魔の軍勢の襲撃を受けた」
リオの隣にいたウィルがはっとして身を乗り出した。
「カートラルト?北西のですか?」
ヘイヴン氏はライリスとウィルに向かって頭を下げた。
「国の中央は混乱状態。悪魔たちが真っ先に国境を封じたため、諸国に援助を頼むことも叶いませんでした。既に数ヶ所の拠点が敵の手に落ち、カートラルト陥落は時間の問題です。次はどこが狙われることか。どうか援軍を、とお願いに参りました」
あまりに急な知らせに、リオは言葉を失った。

「……とうとう」
ウィルがぽつんと呟いた。
「始まってしまったのですね、戦争が」




これは国だけでなく、本来悪魔を抑えるはずの教会にも大いに関係のあることだったので、女神の許可していないごく私的な守護者会議が開かれることになった。
「クローゼラが動いたのはこのせいか……
オーリエイトもカートラルトに行ったのかな」
エルトがひっそりと言う。
戦争の連絡を受けてショックだと言う表情をしていた。
「だろうね」レインがぽつりと返事をした。
遠くに視線をさまよわせている彼を見て、エルトはおずおずと言った。
「……会いに行くとか言わないでね」
レインは苦笑した。

アーウィンが身を乗り出し、のんきな声で言う。
「まあでも、戦争は始まったけどサタンはまだ復活してないんだろ?」
「それはそうですよ。そうなっていたら事はこの程度では済みませんから」
ウィルが答え、睫を伏せた。
「どちらにしろ私たちにできることは僅かです。契約を破る方法は見つかっていませんし、特にレインがクローゼラに逆らうことは避けなければいけません。オーリエイトは私たちに必要です――― 彼女に危害が及ぶのはまずいですから」
レインが否定しないところを見ると、やっぱり彼の契約対象はオーリエイトのようだ。
当たり前か、とリオはぼんやりと思った。
あれだけ執着しているんだから。自分自身すらどうでも良いほどに。

エルトがふと顔を上げた。
「それにしてもさ、あの知らせを持ってきた男の人……」
少し緊張し空気が走る。
エルトは本人がこの場にいないのを確認して、慎重に言葉を発した。
「……ライリスの、お父さんだろう?」
ウィルが溜め息をつく。
「あれだけ瓜二つでは否定する方が難しそうですね」
リディアは首を傾げた。
「どうして女王様とお会いになろうとしないのかしら」
「一緒になれる希望がないからじゃないですか。彼は少なくとも女王と結ばれることを望んでいないようですから、会うことは女王に、喜びの後にどん底に突き落とすことを意味します。それはしたくないのでしょう」
「でもウィル、彼はライリスには顔を見せたし名乗ったわ」
アーウィンがソファの上であぐらをかいてそれに答えた。
「ダメージの点ではライリスの方が軽いからな。ほら、小さい頃に別れてて親父さんのことはあんまり覚えてないから」
リディアは途方にくれた顔をした。
「でも……ライリス怒ってたわ」
アーウィンは肩をすくめた。
「さあな。親子のすれ違いってやつだろ。本人に聞いてくれ」


結局会議の成果と言ったら、改めて危機的状況であることを再認識した上で、問題が山ほど見つかったことだけだった。
女神の統括の下にある上、政治には不介入の教会にはどうすることもできないから、ライリスがどうにか王女の立場を固めて動いてくれないとどうにもならない。

そのライリスは、ライリスの王位継承権問題において中立派である人達のところへ、カートラルト襲撃の報を伝えに奔走していた。
だが、リオは、彼女が相当不安定になっているのではないかと予想していた。
父親を見て、あんなに堅い表情になっていた。
いつもなら笑ってごまかしそうなライリスが。
かなり無理をしているはずだ。精神安定剤の出番があるなら今だ。

そういうわけでリオは一人でライリスの部屋に向かったのだが、彼女はまだ帰って来ていなかった。
そこで、部屋の中で待つことにした。

しばらくしてから、ライリスは戻ってきた。
リオがいるのを見ても驚いた様子はない。
「ああ……」
ちょっぴり強がった微笑みを見せて。
「君がいるんじゃないかなって思ってた」
リオは頷いた。

ライリスはリオの近くに腰を下ろす。
「……ずっと待ってた?」
「平気。そんなに待ってない」
ライリスはふう、と息を吐く。
思い詰めたような横顔をしているのに、形の良い唇を閉ざして何も言おうとしなかった。
リオは自分から声をかけることにした。
「あの男の人―――
「うん、父さんだよ」
「お父さんのこと、嫌い?」
ライリスは黙り込み、自分の指先をいじくった。
硬い表情はその気持ちを表すようで。
「嫌いというよりは、恨んでる」
「恨む?」
「だって、今更」
ライリスは吐き捨てるようにいった。
「今更、現れるなんて」
「でも、お父さんでしょ……?」
「父親?」
ライリスが立ち上がった。
「あの人は父親としての責任なんて、何一つ果たしてない!ぼくと母さんが王宮に連れ返された日に、何をしてたと思う?説明してくれとも、一緒に行かせてくれとも何も言わなかった。戸口に立ってぼくと母さんを見送るだけで!見捨てたも同然なのに。見捨てたくせに、何を今更!」
リオは呆気にとられて口を開けた。
こんな感情的なライリスは、グラティアでレインと衝突した時以来だ。
「ぼくと母さんが一番辛かった時、傍にいなかったくせに。母さんが壊れたのはあの人のせいなのに!」
前髪をかきむしって、ライリスはその場にしゃがんだ。
乱れた息の音が部屋の静寂を崩している。
「今更っ……今更現れてどうするの……?ぼくと母さんをさらって逃げてくれるわけでもないくせに。娘を認めておいて、それなのに関わる気はないなんて。守ってもくれなかったくせに。ぼくを……ぼくをこの世に生まれて来させたくせに!」

リオは途方に暮れた。
今のライリスを刺激するのは自殺行為だ。
ライリスはいつだって、必死に自分の闇を溢れさせまいと必死になっていた。
彼女が持つのは傷を付ける類の闇だ。
どうしたらそれを、共存できるものにすることができるのだろう。

あたしは、とリオは気付いた。
本当に、ただの安定剤だ。光みたいに、闇を中和させて消すことなんてできない。
ただ、包んで隠すだけ。

リオは手を伸ばして、しゃがんだままのライリスを抱き締めた。
「ライリス」
包んで。
「ライリス……顔を上げて。自分で自分を傷つけちゃダメだよ」
隠して。
「ね、ライリス。あなたのお母さんと同じ道をたどらないで」
ライリスは答えず、少し甘えるようにリオの肩に腕を回した。
「……ライリス?」
ふふ、とライリスは笑った。
「父さんだってさ。同じ屋根の下に父親がいるんだ。……母さんは喜ぶだろうなぁ」
リオは必死にライリスに話しかけた。
やめて。ひびを割らないで。
「ダメだよ。ライリス、あなたはいつだって前を見ていたのに」
ぎゅう、とライリスの腕に力がこもる。
リオは囁いた。
「向かい合うって決めたんでしょう……?」

ライリスは沈黙と不動を守っていたが、やがてゆっくりと体を離した。
「……わかった。そうだね」
ぽつりとそう呟く。
「向かい合うって決めたのは自分なのにね」
ライリスは微笑む。
木の葉色の瞳は限り無い哀しみと強さを湛えて。
それでもひどく脆くて、壊れそうに繊細で。
「ごめん、リオ……ありがとう。おかげで保ち直せたよ」
「ううん」
リオは首を横に振った。
「これしかできないから……本当に」




リオはライリスの部屋を出て、重いものを引きずりながら廊下を歩いていた。
くすぶっているのは自分の闇だった。
ライリスに触れたことで、なんだか思い出さずにはいられなかった。

レオリア、と懐かしい声が呼ぶ。
リオ、と言って抱き締めてくれた腕がある。

「あたしが一番、行ってしまいたいのに」
光も闇も届かぬ世界へ。

それでもここにとどまり続けるのは、何のため?
「そんなことをしても、過去は戻ってこないと知ってるから?」

違う。

――― 彼らがここにいたから。
皆がここにいるからだ。

そう考え、目を閉じて、リオは自分自身のひびを塞いだ。






最終改訂 2007/01/26