EVER...
chapter:2-story:19
風の守護者

 

翌日には、リオたちのいる王宮の最奥の一角から見える中庭は、雪で真っ白になった。

ショルセン王国の王宮は、グラティアの森の一部に隣接している。
グラティアの聖城から王宮へ行くには王都アーカデルフィアをつっきった方が早いのだが、地形的には森の一部と王宮が呑み合うような形になっているのだ。
教会の本拠地でもあり、神聖とされる森の中に入って行こうとする人などまずいないので、この一角に人が来ないというのはそのためだった。
この前のウィルは、逆にそこを突いて入ってきたと言える。

とにもかくにも、雪が降った日、アーウィンはノアを連れ出して、一緒に真っ白になった芝生の上で大はしゃぎをした。
こんなに騒いで大丈夫かと、リオなどはビクビクしていたが、本当にこの辺りは王族しか入れない場所のようなので、皆は申し訳ないほどはしゃぎ回っていた。
リオも久々に、思い切り体を動かした。
始めは雪合戦の外でおろおろしていたエルトもついに誘惑に勝てなくなり、アーウィンが外した玉を顔面に受けた後、仕返しと称して、これ幸いと参戦した。
リオから見れば立派な大人である歳のはずのウィルまでが、ハンデですからと言って、ノアの味方になるのを理由に参戦。
いつもは遠巻きに眺めているはずのレインまでもがアーウィンに引っ張り込まれ、力が弱くて転んでばかりいるくせに、リディアも気がついたら輪の中にいた。

最初に彼の姿に気が付いたのはリオだった。
木立ちの下、白い服をまとっている上、金の髪も色が薄くてすこぶる目立たなくて、リオも自分の目の良さに感心したくらいだった。
気を取られていると、続け様に二つもの雪球を当てられた。
一つはかなり強くライリスから、もう一つは今まで誰にも当てられなかったリディアから。
「やった!」
ライリスとリディアはそろって声を上げた。
二人とも上気して頬が赤い。
「リオはちょこまかしてるから当てづらくて!」
ライリスが嬉しそうに笑っている。
リディアはリオに雪球を当てたはいいものの、自分のバランスは保てなかったのか、雪の中に尻餅をついていた。長い黒髪が雪にまみれている。
リオはちらりとさっきの人影を見やり、少し考えて、意を決した。
「ねぇ、あたし疲れちゃった。先に戻ってるね」
「そう?」
二人とも残念そうな顔をした。
「それに寒いんだもの。少し暖を取りたいの」
リオがもっともらしく言うと、二人とも頷いた。
「まあ、リオは小柄だし……きっと寒さが身に染みるのね」

そういうわけで、リオはいそいそとその場を離れてその人物に近付いた。
リオが近付いても彼は気にしなかった。
ライリスにそっくりなのに、娘の繊細さはなくて、むしろ“男前”とか“渋い”と形容できる類のハンサムだった。
「……あの子は笑えるんだな、君達といれば」
深みのある通った声で、彼は言った。
それから、リオに目を向ける。
寸分違わぬ木の葉色の目に、リオは思わず息を呑んだ。
「寒くないか?」
聞かれて、リオは思わず「あ、はい」と答えてしまった。
彼はひょいと手を上げ、何かを呟く。
ほんのりと暖かな風が周りを包んだ。
リオは思わず彼を見上げて言った。
「あなたは魔法使いなんですね」
「まあね」
リオはその、ライリスとそっくりの笑顔を見つめて、そっと探るように聞いてみた。
「ライリスに声をかけないんですか」
ヘイヴン氏は自嘲気味にふっと笑った。
「向こうにその気がなさそうだからな。ならば、巻き込まぬように、なるべく目の前に現れないようにするだけだ」
思考回路もどこかライリスに似ていて、リオはつくづく遺伝を感じた。
「でもクライドさん、ライリスはとても傷ついていました。都合の悪いことは笑ってごまかすようなライリスが、あなたに捨てられたんだと言って泣いていたんですよ」
ヘイヴン氏は溜め息をついた。
「否定はできないな、確かに捨てた」
「……なぜですか。なぜ今更、ライリスの前に現れるんですか。あなたはライリスの傷口を開いて、ひびを入れたんですよ」
「人には誰にでも義務がある」
彼はゆったりと言った。
「大通りで聖者の彼に道を聞いた時、君達が私の名を聞いてあの子を振り返って、私は実はかなり動揺したんだよ。まさかライリスと一緒だなんて、有り得ないと思った。できるなら会わないつもりだったのに」
リオには理解できなかった。しかし問う前に、逆に聞かれた。
「それより、君達は一体何者なんだ?あの青い髪の女……いや、男か。魔法使いなのは間違いないと思うが」
リオはぎくりとし、事情を打ち明けて良いものかと悩んだ。
それにしてもエルトの髪色は分かり易すぎだ。
彼は髪を染めるべきだ、とリオは真剣に思った。
「それにあの茶髪の。目は藤色だった。彼もだろう。もう一人の一番元気なやつも、いつも白い服を着ているあの姉弟らしい二人も王室関係者には見えないが?年若い君達が、王宮のこんな奥で何をしている?」
「……言えません」
「なら当ててみせよう。魔法使いの二人は守護者だろう?よく聖者と一緒にいるのを見る」
ライリスの父親だと言うことは、あの思考能力も彼からの遺伝であっても不思議はなかったのだと、今更気付いた。
隠し通せる自信がなくなって、リオは無言の肯定をしてしまった。
ヘイヴン氏はさらに聞いた。
「もしかして、全員が教会関係者なのか?なぜ教会の者が王室とつながりをもっているんだ」
「あたしたちは……教会と関係があるけど、教会の者ではありません」
リオは差し障りないように、オブラートに包んだ言い方をした。
「クライドさんこそ、気にしてどうするんですか。教会関係者がいるのがそんなに大ごとなんですか」
「場合によってはな」
ヘイヴン氏は意味深にそう言った。
「そうやって、警戒心丸出しにしないでくれないか。……ライリスには本当に悪いことをしたと思っている。……ライリスはどんな子になった?君達の前ではどんな子だ」
リオは俯き、答えた。
「あなたによく似ていると思います」
「私にか」
「はい。飄々としていて、さっぱりしていて。でもライリスはすごく脆そうなんです。……見捨てておいてそんなことを聞くなんて、少し厚かましいですよ」
二十歳以上年下の少女の、生意気かつ失礼な発言にも、彼はそうか、と呟いただけだった。

そして何気なく王宮の建物を見上げて、顔を強張らせた。
リオもつられて見上げると、なんとローズ女王が窓から下を覗いていたのだ。
こちらには気付いていないようだが、雪遊びをしているライリスを眺めて――― 微笑んで、いた。
それは娘を必死に恋人の面影に重ねようとする狂気はなくて、立派な母の顔だった。
まだ手遅れになったわけじゃなかったんだ、とリオは思わず心を熱くした。
ヘイヴン氏はかすれた声で、リオに聞いた。
――― 君は、 ローズには……いや、女王にはもう会ったか?」
彼は自分の声が震えたことに気付いたのか、一度つばを飲んでから、小さな声で聞いた。
「気が触れたか?」
リオは迷い、口をもごもごさせた。
「……はい。あの、でも、穏やかに。ライリスを――― ライリスを、あなただと思おうとしているみたいです」
ヘイヴン氏は悲しそうな顔をして、溜め息をついた。
「まあ、思っていたよりは軽症だな」
それを聞いて、リオはむっとした。
勝手に言葉が転がり出た。
「軽症?かわいそうなのはライリスですよ!お母さんがあんなになってしまって、もう彼女を顧みてくれる人は誰もいないのに。認められることも認められないこともできないで、どっちでもなくて、それでとても辛そうで……。女王様だってかわいそうだわ。あなたを狂うほどに愛しているのに、どうして傍にいてあげないんですか。愛していないわけじゃないんでしょう!?」
ヘイヴン氏は沈黙の後に、ポツリと小さく言った。
「愛してる、もちろん。ローズも……ライリスも」
「なら……!」
彼はふっと笑った。爽やかとも言える笑みだった。
「だからこそ、傍にはいられないんだ。人間は自己中心で自分勝手だけれどね、義務で自分を縛ることもできるんだ。お嬢ちゃんには分からないよ」
ヘイヴン氏がやっぱり頑なである上、子供扱いされたことで、リオは少々腹を立てた。
「分からない。分かりたくもないです。大人になるというのがそういうことなら、なりたくなんてないです。ヘイヴンさん、あなたは二人の心を壊したんですよ」
ヘイヴン氏は女王から目をそらし、リオを見つめた。
「そんなにいうなら、考えてくれ。世界と大切な人とが秤にかけられたとき、君はどちらを選ぶつもりなんだ?」
「…………」
リオは突然の質問に驚いたが、少し考えたあと、すぐに答えた。
「たぶん、大切な人を選びます」
ヘイヴン氏はふっと笑った。
「“人間らしい”答えだな」
「醜いことだと言いたいならかまいません。体裁なんかより、あたしは自分のわがままをとります。世界を守りたいと言うなら、あなたはどうして守りたいんですか。大切な人が生きた世界だからじゃないんですか。大切なものがない世界なら、どうしてそんな義務を感じるの?」
ヘイヴン氏はリオの言葉に閉口する。
「お嬢ちゃん、時には自分の大切なものより、その他大勢の他人を助けなきゃいけないことがあるんだ」
「それはあなたが、“その他大勢”の誰かを、大切に思う人がいる、ということを知っているからじゃないですか。誰かが誰かを想うことを、誰かに教えてもらったからじゃないんですか」
「君は……」
ヘイヴン氏は俯いた。
「君の言葉は、とても正しいね。自己中心的なのに、正論で、とても綺麗な言い分だ」
彼は額を抑えて、溜め息をついた。
「……さっきのは私の完全な言い訳に過ぎなかったわけだな。……私だって会いたい。会って二人を抱きしめたいんだ。けれど、それは二人に対する裏切りなんだ」
「どうして」
「二度目の別れが、確実に待っているからさ」
リオは驚いて口をつぐんだ。
「あなたは……」
何者なの、と言おうとした時、向こうでの雪合戦が急に止まって、リオは思わずそちらを向いた。

みんなが歓声を上げて、突然建物の角へ集まった。
そこから、赤い髪の少女が出てきたのだ。真っ先に駆けつけたのは、言うまでもなくレインだった。
「オーリエイト!」
リオもあっと叫んで、彼女の元へ駆けつけようとしたが、突然ヘイヴン氏に肩を掴まれた。
「赤い髪の女……君たちはあの子の知り合いなのか?あの子はオーリエイトという名前なのか?」
ヘイヴン氏は驚いたような目をしていた。
その様子を訝りながら、リオは答える。
「本名はグロリアだって言ってましたけど。色々な名前を持ってるみたいですよ」
ヘイヴン氏は今ひとつ腑に落ちない顔をしながらも、リオを放した。

オーリエイトは一目で魔法使いと分かる格好をしていた。
黒マントに黒いとんがり帽子。
彼女は帽子を脱いで、マフラーに絡まった髪を解きながら言った。
「クローゼラはしばらく向こうにいるみたいよ。サタンの封印場所にめどがついたみたい」
ずいぶんと大切な情報だろうに、やっぱり淡々と無表情で言うのが、嬉しいくらいに懐かしい姿だった。
「あなたたち、しばらくはグラティアに帰らなくて大丈夫よ。とても忙しそうで、あなたたちのお忍びを取り締まる余裕もないみたいだったから」
やったぁ、とエルトとアーウィンは手を叩きあい、ウィルもニコニコ笑っていた。
レインはと言うと、早速オーリエイトにキスの奇襲を仕掛けようとして、また口をふさがれていた。
「オーリエイト、久しぶりなんだから」
「やめなさいよ。そういう時じゃないでしょう」
ウィルが前に進み出て、オーリエイトに聞いた。
「カートラルトが襲撃を受けたそうですが、本当でしょうか」
オーリエイトは不審そうに眉をひそめた。
「ええ。なぜ?私ですら、カートラルトから出てくるのに苦労したのに、どうやって情報を?」

そのとき、ヘイヴン氏も人だかりの方に近づいてきた。
ライリスがそれに気が付いて、目を逸らして脇に逃げた。
オーリエイトも気が付いたようで、さっと硬い表情になった。
「あれは?」
オーリエイトの質問に、ヘイヴン氏は自ら名乗った。
「クライド・ヘイヴンです。カートラルトの情報を運んできた張本人です」
そして彼はオーリエイトを見つめ、確信したように聞いた。
「深紅の髪に金の瞳……赤の風に舞う金の花びら。あなたはアメリアという別名を持っていませんか?」
オーリエイトは目を瞬いた。これは一応、彼女にとっての驚いた表情らしい。
「……ええ」
「では、あなただ。賢者マーリンの一番弟子、導く者ですね」
全員が絶句した。なぜ、知っているのだろう。
「ここで見つかるとは思いませんでした。これで探す手間が省けました。父からあなたのことは聞いています」
そして、ヘイヴン氏はにっこり笑い、一同を見回した。
「どうやら、明かしても大丈夫そうですね。私は皆さんの同僚なのですよ」
それは、思いもよらない答えだった。

「導くお方、それに聖者様。守護者の一人の風として、世界に助力申し上げたい」





最終改訂 2007/02/15