EVER...
chapter:2-story:20
魔性

 

これでクライド・ヘイヴン氏のもたらした驚きは三つ目になった、とリオはドタバタと駆け回る友人たちを横目に思っていた。
一つ、カートラルト襲撃のニュース。
一つ、ライリスのお父さんであること。
揚げ句の果てに、実は風の守護者ときた。
ヘイヴン氏は聖神殿まで引っ張られて行き、ウィルの前で魔法を使ってもらい、確かに守護者だと判明した。
その報告が届くと、ライリスはますます、父親を避けるようになっていった。

彼に、自分が守護者だという自覚があったのは驚きだった。
ウィルでさえ、捕らえられて初めて自分の役目を知ったというのに。
「どうも、あの人のお父さん……ライリスのおじいさんって事になるけど、その人は神学者だったらしいんだよね」
エルトは疲れでぼんやりと窓の外を見ながらそう教えてくれた。
「だから教会のことも、女神のことも、降魔戦争のこともその人に教えてもらったんだって」
「神学者?それって異端じゃないの?」
「異端も異端、ランクは最高レベルだね。まあ、おかげでクローゼラには近付かないのが賢明だって事も知ってたらしいけど」
エリオットはむすっとして言った。
「幸運だよね。僕だって前もって知ってたら絶対契約なんてのまなかったのに」
「そうだね」
リオは相づちを打った。
エルトは話し続ける。
「あの人がローズ女王とライリスを引き止めなかったのも、自分が守護者だと知ってたからなんだって。公の場に出ることになったら、必ずクローゼラに見つかる。そしたらきっと、何らかの形で捕まることになるだろうからって」
「そう……」
世界か、愛する人か。その選択の重さを背負う彼。
「オーリエイトのことも、その神学者の父親から聞いたらしいよ。賢者の弟子は真紅の髪に金の瞳の乙女だと教わってたんだって」
「それで髪と目の色を確認してたんだね」
リオは言い、エルトに聞いた。
「オーリィは何て?教会にはもう送り込まないって?」
エルトは頷いた。
「状況探査役ならもうアーウィンがいるしね。それに、一人ぐらいは自分の手元で動けるような守護者を置いておいた方がいいだろうからって」
時々垣間見る、ひどく打算的なオーリエイトだ。
「ありがとう、エルト。わざわざ状況を教えてくれて」
リオが言うと、エルトは少しぎょっとした顔をしたが、照れ隠しなのか、顔を背けた。
「別に。こっちも愚痴を聞いてもらったし」
忙しいだろうに、わざわざリオが心配しているだろうと考えて状況報告に来てくれるなんて、本当に人の好い少年だ。

しかし残念ながら、魔力も立場も特別な血筋も持たないリオは甚だ無力で、なにもできない。
ふらふらと王宮付属の小さな神殿に足を運んで、祭壇上の壁画を眺めていた。
教会とは交わらない王家も、神と関係無いわけではないのだから神殿を造るのはオッケーらしい。
壁画は大主神と、数人の副神たち、後にサタンとなるはずのルシファーを始めとする熾天使から順に、階級が下の天使たちが描かれていた。
リオは遠い昔の物語に思いをはせた。

神々はこの世を創った。
なぜ?
なぜもっと、完璧な世界を創らなかったのだろう。
こんなにも醜い生き物のはびこる、不完全で矛盾した世界。
そして同時に、その不完全さこそが理想なのだと分かっている自分がいる。
―――神々は完璧すぎた。
曲がらなすぎた、整然としすぎた。
きっとその歪んだ完璧さと理想の結果、生まれたのがこの矛盾した世界なのだ。
「キライ」
リオは呟いた。
「神様なんてキライ」
「それは、教会関係者の前で言わない方が良い台詞だね」
誰もいないと思っていたリオは飛び上がった。
「レイン?」
薔薇窓から差す光の影に、彼はいた。
逆光で全然気付かなかった。
レインはゆっくりと祭壇横まで歩み出て、冷ややかな笑みを浮かべた。
「久しぶりに面と向かって話すね、リオ。それも二人きりで」
「そうだね」
リオは返事をしたが、警戒せざるを得なかった。
普段封じられているはずの、レインの冷徹で冷酷な部分が露わになっている。
「君とは常々、二人で話したいと思ってたよ。……嫌いと言ったね。神々を」
「あたしはただ……」
「前から思っていたんだけど」
レインは祭壇に寄り掛かった。
「君は一体誰なんだろうって。普通の、ごくありふれた女の子に見える。でも、僕には君がはっきりと異質に見えるんだよ。さっきの台詞で確信した」
何を言い出すんだ、とリオは黙ってレインを見つめた。
レインは穏やかで、しかし突き刺すような冷たさを宿した声で続ける。
「君はたくさんの人をひきつける。動転したオーリエイトの気を鎮めたとか、壊れそうなライリスをなだめたとか、そういう話をたくさん聞いた」
「……だから?」
「そして君は闇に強い。人の醜さ、負の気持ち、そういうのに強い。同じ性質をもった者を知っているかい?」
リオは黙っていた。
今のレインは危険だ。
水の守護者の名の通り、言葉は氷の洪水として雪崩てくる。

「悪魔だよ」

彼は言って微笑んだ。
「彼らは人を取り込もうとするとき、そうやって闇で包むんだ。負の感情にも強い。そして人を極端な理想と秩序に導くんだ」
「あたしはそんなことしてない」
「そうだね。だからリオがしているのは前段階だけだ」
レインはぐっとリオに顔を近付けた。
「だから、余計に危険」
リオは彼の意図を知った。
だが、言いたいことは見えない。
殺されようとしているのに何で殺されるのか分からない、そんな感覚だった。
「君のその魔性は皆を乱す。その場しのぎの隠蔽は、後でより大きな傷を負うことに繋がるんだよ」
「何が言いたいの」
リオは必死に言ったが、殺気とも憎悪ともとれるようなレインの放つオーラに萎縮して、声が震えた。
――― 怖い。
「できれば自主的に去ってもらいたいんだよね」
レインは冷ややかだった。
「君自身も気付いてるだろう。皆が君を守ろうとする。魔力も持たず、何もできないのに、魔性だけは大層なものを持っていて、そんな人物にオーリエイトの傍にいてもらいたくない」
「あたしはっ!」
「皆を助けてるつもりなの?最低だね。自分の傷は自分で見つめるものだよ。本人から隠して君が代わりに受け止めていたって何にもならない」
リオはレインの瞳を睨んでいて、はっと気が付いた。
「レイン……どうしてそんなに必死な顔をするの」
レインは目を見開き、ガッとリオの腕を掴んで押し倒した。
石造りの床にしこたま頭をぶつけた痛みと、そして恐怖にリオは悲鳴をあげた。
レインはリオの肩を床に押しつけて息荒く言った。
「ほら……そうやって相手を動転させる。そうさ、僕は必死だよ。全身全霊で君を追い出したい」
「だからって、どうしてこんな急に!」
「急?なんでずっと君を避けてきたと思うんだい?その魔性に二度と触れたくなかったからだよ」
「あたしは悪魔なんかと同じじゃないっ!」
「同じだね。自分は正義をやっていると信じているところがなおさらそっくりだ」
「そんなこと思ってない!」
――― レオリア。
呼んでくれた温かな声はもう存在しない。
「だって、ほうっておけというの!?その場しのぎでもなんでもいいから、二度と誰か大切な人が崩壊するところなんてみたくなかった!それだけなのにっ!」
「そうやっているうちに、君自身が崩壊の理由になるんだよ」
「……っ!」
頭上のレインは、無感情な顔で答えた。
降り注ぐ陽光が彼の薄茶色の髪を透かして金色になっていて、とても綺麗だ。

「君なんかいらない」
彼はゆっくりとリオの存在意義を否定した。
「君のせいだ」
何が、というのは言われなくても分かった。
リオは脱力し、真っ白な頭をただ床に横たえた。

その時、突然声がした。
「レイン・オースティン。今のをオーリエイトに言いつけましょうか」
ウィルだった。陥りかけた絶望から一気に引き上げられたリオは思わず叫んだ。
「……ウィルっ、ウィル!」
「リオを放しなさい、レイン」
いつもよりずっと冷たく、有無を言わせない声だった。
こんなに凄める人だとは思わなくて、リオは呆然と見入ってしまった。
ウィルの怒りはあらわで、色違いの視線が刃のようで、リオが儚いとさえ思ったことがあったのに、今は残忍とも呼べるものを漂わせている。
レインはウィルの方を無表情で睨みながら、ゆっくりとリオを放して下がった。
リオは体を起こし、這うようにしてレインから離れ、手近ないすに這い上がった。
「……いつからいたんだい、ウィル」
レインの言葉にウィルは彼の方を一瞥する。
「ついさっきですよ。まあ、リオが叫んでいた内容が聞こえましたら、あなたの意図を勘違いせずにすみましたが。それでも女性を床に押し倒すなんて、常識はずれにもほどがありますよ」
「常識ね。そんなくだらないものをかざして何になるんだか」
「レイン。このことは後でオーリエイトに言いますから」
レインは一瞬口をつぐんだが、言い返した。
「彼女に恥じることは何もしていない」
「彼女のためだったとでも言うのですか。それこそ最低ですね」
ウィルは言ってリオの傍まで歩いてきた。
「大丈夫ですか、リオ」
「……平気」
言ったが声がかすれた。
他の誰でもなくて、レインに否定されたのがショックだった。
仲間内でもいつも皆から遠巻きにしていて、なんだか近寄りがたくて、それでも彼は守護者で、志は同じであるはずなのに。
「外に行きましょうか、リオ」
ウィルが言ってくれたので、リオは頷いた。
差し出してくれた手に必死にしがみついて、立ち上がってウィルに寄り添う。
出て行こうとする二人に向かって、レインが言った。
「君が一番の犠牲者のようだね、ウィル」
ウィルは何も言わなかった。


黙ってとぼとぼ歩きながら、リオは外に出た。
先日作った雪だるまが、崩れかけながらもまだ残っている。
ちょうど傍を通りかかった時、木から雪が滑り落ちて、驚いたリオは跳ね上がった。
ウィルが少し笑って言った。
「大丈夫ですよ」
包むように言葉をくれる。
「大丈夫、私がいますから」
リオは頷いた。
ウィルと一緒にいるだけで、光が闇を浄化してくれる。
とても心地よくて、どんどん落ち着くことができた。
ウィルになら聞けると思って、リオは口を開いた。
「……ウィルはどう思う?」
「何がですか?」
「あたしの正体」
「ただのレオリアでしょう」
あまりとさらりと答えられて拍子抜けしてしまった。
「……そうじゃなくて」
ざくざくと踏む雪が音を立てる。
「誰かを大切だと思って、その人も自分を大切に思ってくれて、それって嬉しいことのはずなのに、あたしがやると呪いになるのはどうしてなのかなって」
母も神父様も、自分の責任だ。
神父様は自分を守るためにおとりになった。
……母もだ。
母が見つかったのは遠く離れた山の麓で、普段行かないような場所だった。
きっと娘を追っている者から引き離し、居場所を知られないようしたのではないだろうか。
リオは、二人とも生きていてほしかったのに。
「……あたし、愛したいのに。どうして行き過ぎちゃうんだろう。どうして殺してしまうの」
ウィルは穏やかな表情をしながら、うーんと言った。
「それがあなたの特性なのでしょう。でもレインの言ったことなんて信じないでくださいね。たしかに危険と紙一重の性質ですが、それはあなたの責任ではありません」
ウィルはリオに微笑みかけた。
「あなたがあまりに見返りを求めない愛し方をするから、逆に返したくなってしまうんですよ」
そしてウィルはリオの手を取った。
思ったほど大きくはなくて、柔らかで、少し華奢とも言えるような手。
でも、温かかった。春の光のまろやかな温かさだった。
「それは相手の意思であってあなたのではありません。そもそもあなたは相手が求めるから与えているんですよ。求めたほうがいけない。あなたが責任を感じて、全部背負わなくて良いんです」
つないだ手から光が注ぐ。
心が温かくなって、ウィルから離れたくなくなる。
誰にもとられたくないような気持ちになる。
自分だけのにできたら、どんなに幸せだろう。
どんなに自分が魔性だったとしても、この人の魔性には敵わないだろうとリオは思った。
「……ウィル、知ってる?あたしって皆の精神安定剤だけど、あたし自身の精神安定剤っていなかったの。だからいつも自身が不安定になったと思ったら、治るまでやり過ごすしかなかった。……あなたが最初の人なんだよ。あたしの精神安定剤になった人」
ウィルは嬉しそうに笑った。
「光栄です。他の誰でもなく、それが私だったこと」
そして彼はさらに、握る手に力を込めていった。
「それを言うなら、あなたは私を精神安定剤にしてくれた初めての人ですよ」
ああ、とリオは感嘆し、握り返す手に力を込めた。
一方で、依存が始まっている、と頭の中に響く警鐘からは目を逸らしていた。





最終改訂 2007/04/05