EVER...
chapter:2-story:23
リリスの日記

 

本を読むという行為はとても時間がかかる行為だった。
何日か書庫に通いつめたのだが、未だに良さそうな文献が見つからない。
しかしそれでも神話に関する知識は随分増えた。
だが肝心の創世記や降魔戦争に関するものは全然で、どこぞの神様が手下の天使と仲違いをして他の神様がとばっちりをくらったとか、そんな関係無いものばっかりだった。
まあ、収穫がなくても物語を読んでいるようで楽しいことは楽しいのだが。

2、3日リオ達は本を漁り続け、その熱心さは妹と弟がどうかしてしまったのではないかとエルトは心配をし始めるほどだった。
情報集めをしているだけだと言ったら安心してくれたのだが。

「ショルセン建国史……つまんなそうだね」
自分がその国の王位継承権を持っているくせに、ライリスはそう言って無造作に本を棚に押し込んだ。
「なんか収穫あった?」
彼女の問いに、リオとリディアとノアは声を合わせて「ない」と答えた。
「天使・悪魔名簿にも大した情報は載ってないわ。別に裏切った悪魔は一人だけじゃないみたいだし」
リディアがほうっとため息をつきながら言う。
ノアが身を乗り出して、本を指差した。
「お姉ちゃん、ケムエルの名前が載ってるよ」
嬉しそうだ。
「あ、レミエルも。ケムエルは……ええと、破れる天使?」
「破壊って読むのよ、ノア。破壊の天使」
リディアが優しくノアに教え、それからライリスに向かって眉を寄せた。
「ちょっと名付け方が縁起悪くないかしら?」
「そう?ぼくはかっこいいと思ったけど」
リディアは本を閉じてノアに渡しながら言った。
「なんだか、悪魔の乗りそうな名前よ」
ライリスは笑って何も言わなかった。
リオはパラパラと「悪魔たちとその性質」という本を見ていた。
悪魔というのは個々より集団の利益を追求する者たちのようだ。
そして外見も特殊だ。特徴は真紅の瞳ととがった耳。
リオは余計に不安になった。
小さい頃、母とじゃれていて、お母さんの耳はどうして尖っているのと聞いたことがあった気がする。
気がするだけなら良いけど、と思いながら母の事に思いを馳せた。
最近はよく母のことを考えるので、断片的に思い出す。
いつも一場面が一瞬脳裏に浮かぶだけで、何かが邪魔するように、全体像は浮かばないのだが。
確か、髪はリオと同じ銀髪だった。
目の色は……赤だっただろうか。
しかしそれならいくらなんでも悪魔の外見の条件が整い過ぎて、母と親しかった神父様が気付くだろう。

リオがあれこれ考えていると、ライリスが声を上げた。
「あった!かなりダイジェストだけど、降魔戦争の年表がある」
「ホント?」
「見せて!」
リオとリディアはめいめいの本を放り出してライリスの傍に駆け寄った。
「ほら、ここ」
ライリスはページを指差し、声に出して読み上げた。
「300年頃より神々の対立が激しくなり、サタンを筆頭にした一派が堕天、自らの姿形を変え、悪魔と呼ばれるようになる。一様の真紅の瞳と細い瞳孔、尖った耳が特徴。危機感を持った神々は自らの力を人々に分け与え、力の源を魔源郷とし、管理者として守護者を置く。一部の神々は自ら地上に下り、地上軍と結託、悪魔の駆逐を誓う。327年、最初の衝突が起こる。賢者マーリンが……」
ライリスが少し言葉を切った。
皆で少し顔を見合わせたが、ライリスは続けた。
「マーリンが、弟子である『導く者』を従えて第一軍を指揮。地上軍の勝利に終わる。二度目の衝突が起きた際、森の民ナハトト族がサタン側に寝返る。頃合いを同じくして、魔源郷に対抗するため、サタンは死の鎌を製造することに成功。情勢がサタン側に傾く。……死の鎌って聞いたことないな。なんなんだろ」
「いいから、続きを聞かせて」
リオが急かした。聞き続けているうちに、何かが徐々にほどけていっているのを感じていて、気が気ではなかったのである。
ライリスははいはい、と言って読むのを再開した。
「鎌の威力の前に、地上軍の敗色が濃くなる。ノートン地方に続いてアーカデルフィア地方が滅ぶ。脱走兵・寝返りが多発し始める。その後、水の守護者、アリス・ラーナーが裏切り、サタン側につく……」
ライリスはまた言葉を切った。
リオもリディアも無言だった。
本から目を離して、ライリスが言った。
「なんだか随分ドロドロだなぁ。英雄がいて神の加護があって、それであっさり勝利なんてことにはならないのか。マーリンって、オーリエイトの師匠本人かな」
「じゃないかしら。オーリィが自分から名乗ってた導く者っていうのも載ってたし。リオ?どうしたの?」
リオはハッと顔を上げた。
ほどけたものの中から母の記憶が蘇ったのだ。
彼女が懐かしそうに、哀しそうに語ってくれた神話。
リオ、と彼女は言っていた。

あなたは、降魔戦争の鍵を握る子なのよ―――。

当然のように、裏切った水の守護者の事も頭に浮かんだ。
なぜか胸が痛む。

リオは言った。
「ねぇ、守護者が一人、裏切ってるんだね。神に選ばれた人なのに」
「所詮、人は人さ。負け戦になりそうだったからさっさと敵の懐に入って保身に走ったんじゃないの?」
ライリスが淡々と言う。
「それにほら、神々はあまり手伝ってくれなかったみたいだし。きっとサタンは元神だから、堕天の時にごっそり同志を連れていかれて、天界じゃ神様不足でてんてこ舞いだったんじゃないの?」
それに、とライリスは悲しげに言った。
「結局、必死になれるのは、ぼくら生きるか死ぬかの地上人だけさ。神様たちはこの世界がなくなったところでどうにかなるわけじゃないし」
「……そうだね」
ライリスは軽く溜め息をつき、言った。
「じゃ、続きを読むよ。水の守護者の裏切りにより、形勢が大きくサタン側の優勢に。レーリア地方、フルクトン地方が続けて水没させられる。翌年、賢者マーリンの決死の活躍により、死の鎌の奪取に成功。再び戦況の均衡が平行を保つことに」
ライリスはふむ、と呟いた。
「これを見てると、死の鎌とやらはとんでもなく大事なアイテムらしいね。魔王の破壊の鎌か……今もどこかにあるのかな」
リオは黙っていた。
またもや別の場面が脳裏に浮かぶ。
母が歌いながら、鎌の事を何かリオに話していた。
変な歌だったが、母の声は綺麗だった。

ライリスが再び読み始めていた。
「……今度は悪魔側から寝返りが出たみたいだよ。かねてからサタンの方針に反発を示していた妹のリリスが、地上軍側に寝返る。ああ、裏切った悪魔ってこれか。導く者は鎌の所有権をリリスに譲渡、サタンの血筋ゆえ鎌を扱う能力を持つと目され……」
リオは途中から目の前が真っ暗になって、ライリスの声が聞こえなくなった。
……リリス。
それは間違いなくリオの母の名だった。
体の芯から衝撃が走り、背筋が凍る。
そんなはず、ない。
だがリリスというのは珍しい名前で、リオも単に偶然の一致だと割り切る自信がなかった。
その上、もしそうだと考えた場合、辻褄に合わない点がほとんどない。
唯一の救いは、これが千年前の出来事だということだけだ。
しかし、悪魔は元は不老不死の神々、サタンの妹だって不老不死ではないのだろうか。
いてもたってもいられず、リオは突如、今もポシェットの中に入っている物の事を思い出して声を上げた。
「ねぇ!」
ライリスは朗読を止めて緑の瞳をリオに向け、リディアも長い黒髪を揺らして「?」という顔でリオを見た。
「あ、あの、あたし思い出したことがあるの。部屋に戻ってちょっと調べてくる」
リオはそのまま部屋を飛び出した。

ライリスとリディアは呆然とその後ろ姿を見送り、不安げにお互いの視線を交わした。
ノアはそんな二人を見上げてじっと観察している。
リディアが呟いた。
「……あの反応、まさか本当にリオが悪魔の子だったりしたのかしら」
「さあ……でも、悪魔のことというより、降魔戦争の話を聞いて動揺してたし」
そこへ、ライリスを呼ぶ声がした。
アーウィンだった。
「お、いたいた。おいライリス、厄介なのがお出ましだぞ。ちょっと来いよ」
ライリスは肩をすくめて立ち上がり、アーウィンについていった。
「ごめんね、リディア、ノア。すぐ戻るから」
リディアは頷いたが、ノアと二人で取り残されると、ひどく不安そうにリオが消えた方を見つめた。




リオはポシェットをひっくりかえして、ノートを掴んだ。
最近はあまりに色んなことがありすぎて、存在すらすっかり忘れていたのだ。
表紙に書かれているのは“リリス”だけ。
中身をパラパラとめくってみたが、白紙だ。
しかし手に取った瞬間から、リオはこのノートに魔法が絡み付いていると直感した。
変な感じがするのだ。
それに、耳元でなにやら低く轟く音が聞こえる気がする。
もっとしっかり聞きたくて、リオは音に集中しようと目を閉じた。

その瞬間、まぶたの裏には映像が浮かんだ。
轟きはときの声で、目の前に広がっているのは王宮の広い部屋ではなくて、黒と銀の鎧や馬、そして血の紅に染まった戦場だった。
(……ノートに絡み付いてる魔法が、日記の内容を映像にして見せてくれてるんだ……)
リオはそう思い当たった。
『第二隊、突撃ー!!』
低くて良く通る声が号令をかけた。
地鳴りのようなときの声が上がり、土埃を上げて兵達が駆けていく。
号令をかけた声に聞き覚えがある、とリオが思ったと同時にリオの視界が動いて後ろに回った。
黒いローブをまとった、三十代半ばの男が立派な珠のついた魔法使いの杖を構えていた。
『マーリン殿、あそこにはアリスがいるんじゃないかしら』
言ったのはリオの視界の持ち主のようだ。
リリスだろう。彼女の視点で日記を見ることになっているようだ。
そして、この人がマーリンか、とリオは内心彼が思ったよりずっと若いことに驚いていた。
ウェーブのかかった麦色の髪をしていて、無精髭をはやした男で、さすが賢者と思わせるような威厳がある人だった。
『仕方あるまい』
彼はリリスに答えた。
声からして、さっきの号令は彼が下していたもののようだ。だから聞き覚えがあったのだ。
『アリスは既に我々の仲間ではない。彼女が自らその道を選んだのだ、情けをかけてどうする』
『だって……悔しくて。同じ志を持っていたはずなのに。マーリン殿は悲しくないのですか、悔しくないのですか?』
『悔しいとも』
彼はふと寂しげな笑みを見せた。
『悔しいし、悲しい。しかしね、リリス……』
『マーリン殿、エレインと呼んでください。リリスという名は好きではないの』
『ああ、すまない、エレイン。我々はそれ以上に、勝たねばならないのだ。あの子をこの手で殺すことになってもな』
『でも』
マーリンは厳しい顔をした。
『エレイン、止めたり連れ戻したりできるなら、あの子は初めから去ってはいまいよ。……グロリアの所に戻りなさい。丘に駐留している。鎌をほったらかしにしてはいけない』
ではこのリリスはサタンの妹のリリスなのだ。
そして……、

“エレイン”

リオはますます凍りついた。
母も、リリスという本名が嫌いで、他の人たちに自分をエレインと呼ばせていた。
……やっぱり偶然にしてはでき過ぎだ。
顔を見れば分かるのに、とリオは思う。
記憶はおぼろげだが、母の顔を見ればそれと分かる自信はあった。
だけど今、リオの視界はリリスのもので、自分では自分が見れない。

また視界が移って、今度は天幕の中になった。
若い、少女と女性の間というような年頃の女がそこにいた。
リオは息を飲んだ。
ちょっと今より髪が長いが、名前を聞いたからもしやと思っていたのだ。
この深紅の巻き毛は間違いない。
『グロリア』
リリスが呼ぶと金色の瞳が振り返った。
『エレイン』
間違いない。オーリエイトだ。
しかし今より年上に見える。
どういうことだろうと考えていると、グロリアが聞いてきた。
『マーリン殿は?』
『平原に向かってる。今度はそっちから兵を入れるみたい』
『……そう』
オーリエイトと同じ、淡々としたしゃべり方だ。
リリスの視界がグロリアに近づく。
『ねぇグロリア、私に鎌が使えると思う?』
『どうかしら。サタンに一番近いのはあなただけれど』
グロリアはリオが見慣れているのと同じようにして眉を寄せた。
『使ってどうするの』
『兄様を封印するのよ』
『いいの?あなたのたった一人の兄弟よ』
『そうだけど……私たちは、個人の感情より理想と信念を通すのよ。だからサタンは私の兄だけれど、憎むべき敵だわ』
グロリアは何も言わなかった。
リリスは手をのばす。近くにあった手鏡を手に取った。
リオは息を呑んだ。
天井が鏡に映る。
そしてすぐに天井は移動し、代わりにリオと同じ銀の髪と、真紅の瞳を映し出した。

(……お母さん!!)

リオは悲鳴をあげそうになった。
そんな。ということは、あたしは。
……サタンの。

『兄様の選んだ色なんて捨てることができたら良いのに。赤い目は嫌いよ。兄様の……あの魔王の妹なんか、なりたくなかったわ』

足元で自分の世界が粉々に砕け散って崩れた音を、リオは聞いた気がした。





最終改訂 2007/06/10