EVER...
chapter:2-story:27
焦りと生きる意味
 

 

「落ち着かないようですね」
声をかけられて、窓辺を行ったり来たりしていたオーリエイトは足を止めた。
「あなたも人のことが言えないのではないかしら」
「……まったくです」
ウィルは弱々しく笑って、近くの椅子に座った。
酷く疲れていた。
リオが心配で仕方ないのに、自分で探しに行けないのがつからった。
そして、自分と違って自由に動けるのに、探しに行こうとしない目の前の少女にも少なからず腹が立っていた。
怒りが頂点に達しない限りは怒るほど冷静になる性格なので、出した声は冷ややかなものになる。
「なぜ、貴女はリオを探しに行かないのですか」
彼女はウィルの声から怒りを読み取ったのか、顔を上げて静かに言った。
「もし私がクローゼラと血の契約をしたら、契約対象はリオにはならないからよ」
ウィルは理解した。
優しく慈愛の深いオーリエイトだが、計算高い部分もあるのだ。
彼女が最も大切に思うのはこの世界そのもの、目的はあくまでも世界を守り、悪魔たちを退けること。
命だって秤にかけられるのだ。
「ごめんなさい」
オーリエイトが突然謝った。
「あなたの希望には応えないわ。私はまだここにいないといけないの」
オーリエイトは目を閉じて言った。
「……たとえば、もしリオを犠牲にして戦争での勝利が勝ち取れるなら、私はリオを犠牲にするわ。あなたでも、リディアでも、……他の誰かでも、同じ。そうするのが私なのよ。だから探しには行かない」
ウィルは黙っていた。
彼女の意思は分かった。
孤高の意思だ。
だがウィルは認めるつもりなどなかった。
昔から反抗と足掻きは得意だ。
立ち上がり、外套を羽織って言う。
「では、私も好きにさせてもらいます」
小さく軽蔑……そして哀れみと同情を込めて。
「私も貴女に謝ります。貴女はリオの件で、自分で下した判断とは言え、自分自身を許しはしないのでしょうね。でも、私も許しません」
オーリエイトはふっと笑った。
嘲りと自嘲と、同属に対する親しみの混じった笑みだった。
「お互い、わがままね」
「まったくです」
ウィルはそのまま部屋を後にした。



ライリスは呆れる思いで目の前の少年を見つめていた。
レインは地図を前に、チェスの駒を動かして何やら画策していた。
戦争に備えた作戦を考えているに違いないのだが、まだ兵を掌握していない今、ライリスの目の前のまで来てこんなことをしているあたり、明らかに「早く軍を動かせ」という無言のプレッシャーをかける意図がうかがえる。
しかし手さばきは見事なものだった。
次から次へと生み出されていく作戦の数々は、どれも緻密で計算しつくされていて、一分の隙もない。
「すごいな」
思わず呟くと、レインがふっと笑った。
相変わらず感情のこもらない笑い方だ。
「見るだけで分かるんだね、僕がどういう作戦を考えているのか」
感心したら感心し返された。
「でも、ぼくは君のやり方、好きじゃないな」
ライリスはレインに近づいた。
レインのことを警戒してはいるが、これから共に戦う者同士、付き合わないわけにもいくまい。
「ほら、さっきもこうやって途中で駒を取り除いたでしょう?捨て駒にするってことだよね」
レインは少しの間黙り、言った。
「だから?」
「捨て駒っていうのは、兵力が有り余っていて初めて成り立つ戦法だよ。そもそも、できるだけ戦力はとっておくべきだ」
「だけど、戦力は使わなければ勝てない」
「そりゃそうだけど、使い捨てはないんじゃない?ぼくはそういうの、嫌だ」
レインはふんと鼻を鳴らした。
「いかにも王族の言いそうな綺麗事だね。犠牲を出さずに戦争するつもりかい?」
ライリスはムカッとした。
「そうじゃなくて。たとえば、ぼくがもし兵士なら、自分を犠牲にしようとしている相手の命令を聞こうという気にはなれないよ。将たる者が部下を守ってこそ、部下は将のために働いてくれるものだ」
「じゃあ、兵士たちに捨て駒にすることを悟られなければいい」
「……君ってつくづくオーリエイトさえ良ければいいんだね」
究極の自己中だ。
自己中心的な頭の良い人間ほど、厄介なものはない。
いや、レインの場合は自分が中心なのではなくオーリエイト中心なのだが。
レインは冷ややかに言った。
「それじゃ、君は全ての人を守るつもり?それは大層なことだね。大層な自信だね」
あまりに皮肉と悪意のこもった言葉だった。

レインはチェスの駒を脇に寄せると、地図をひっくり返した。
裏は升目になっていて、ちょうどチェス盤のようだった。
「自信があるなら、勝負しよう。チェスはミニチュア戦争デモンストレーションのようなものだ。一つも駒を犠牲にせずに勝って見せれば」
「……随分と挑戦的だね」
ライリスはこんな風に挑発されると、負けず嫌いになる性格だった。
チェスについてはど素人だが、そんなことはおかまいなしにレインの向かいに腰を下ろした。
レインはゲーム前に少しの間目を閉じて、勝つまでの手順を全て考えておくらしかった。

そしてゲームは始まった。
ライリスは何度も手を読まれて危うくチェックされそうになり、レインはライリスの意表をつく駒運びに作戦を立て直す羽目になった。
どうやらレインは計算し尽くすタイプで、自分は臨機応変型らしい、とライリスは思った。
どちらにせよ、勝負は互角だった……。





―――生きるって、何なんだろう、とリオは思った。
大切なものを失って、ボロボロになって、なぜ自分はまだ命にしがみついているのだろう。
生きて何をしているのだろう。
いらない存在なのに。
悪魔たちにとっては裏切者の娘であり、魔王に近いくせに何もできない役立たずの娘だ。
そして同時に、魔王に準じる力の潜在が疑われ、魔王を脅かす存在でもある。
地上軍にとっては宿敵サタンの姪であり、悪魔の一味だ。
いらないというより、むしろいると邪魔な存在だ。
それを分かっているのに、訳もなく死にたくない自分は何なんだろう。
ありもしない希望にすがっているのか。

……信じていた。
あの優しい人たちの傍にいて良いのだと。
なのに失ってしまった。
一度受け入れられただけに、いてはいけないと知ったのがショックだった。
やるせなくてリオが膝に顔をうずめた時、ドアが開く音がして、少年の声がした。
「なんだよ、前後不覚に逆戻りか」
皮肉げな声だった。
意気消沈していたリオには食って掛かる気力もなかった。
「……カイン?」
「そうだよ。この間の威勢はどうしたんだ?」
「虚勢だったの」
半分事実だった。
目の前の悪魔たちのやり取りに注意を奪われていたからこそ出せた威勢だった。
カインはやれやれと首を振ってリオに近付いた。
「あんたさ、ここに来るまでに何があったの?そんな顔をしてるやつ、俺、今まで見たことがないよ」
「……大切なものをなくしたら、誰だってこんな顔になるわ」
カインはきょとんとした後、何か分かったように言った。
「つまり、誰か好きな人が死んだのか」
「死んではいないけど……」
「じゃあ何なんだ?」
「傍にいてはいけないと分かってしまったの。あたしが魔王の姪だから」
カインは白けた顔をして、ふうん、と呟いた。
「あんた、すっかり人に染まってるんだな。人を愛して愛されて、それで依存しちゃって『あなたがいないと生きていけない』とかなんとか言い出すんだろ」
カインは床に腰を下ろして吐き捨てた。
「くっだらない。だから誰かが誰かを好きになるなんて、くだらない。あんたもそのくだらないことで、依存を絶ちきれずにいるわけだ」
リオは少し顔を上げたが、黙っていた。
カインは続ける。
「それで、そういうくだらないことで、相手のために死んだり、絶望して自殺したりするんだろ。相手のためだなんて、勘違いも甚だしいよ。人間みたいな自分勝手なやつらが、誰かを愛するなんてできっこないのに」
「……そんなことないわ。そうやって誰かを守ってきた人に失礼よ」
「どうだか。どうせ人間が愛するだなんて、相手を自分と重ねて、自分を哀れむと同時に同情してやるのが関の山だろ」
リオは閉口した。
こんなに『愛』に否定的な言葉は初めて聞いた。
カインは真紅の瞳でリオを見上げて問う。
「あんたも、その人のために死にたいわけ?」
途方もないことを聞いている割にはあまりに軽い口調だった。
「この前の威勢の良さは、死ぬ前の命の最後の輝き?俺を助けたのは自分がすぐにいなくなるから?」
「そんなんじゃない……けど……」
リオは言い淀み、それから呟いた。
「生きてる意味が分からない時があるのは確かだよ。でも、死にたいと思うのと同時に、死ぬなんて絶対嫌だ、生きていたい、とも思うの」
カインは黙り、リオの言ったことを吟味しているようだった。
「……それ、普通の人間も思ってることなら、人間ってフクザツなんだな」
どうやら興味をそそったらしい。
ずっと反抗的なものがちらついていたカインの表情が和らいだ。

そして、彼は顔を上げて言った。
「生きることには意味も理由もないんじゃないの。生きてる、ただそれだけだろ。ないものを求めたって無駄だ」
「……子供のくせにニヒルだね」
「あんたと一つか二つしか違わないよ」
途端にカインは反抗的な目に戻って抗議した。
リオは俯いて、自分の膝頭を見つめた。
「カインは今自分がここにいることをどう思う?」
「考えたこともない。どうも思わない。今生きてる。だからここにいる。それだけ」
「じゃあ、自分の存在が間違っているように思えたら?」
カインは目を瞬いた。
妙なことを聞く、と思ったらしい。
「それならそれでしょうがないんじゃないの。間違ったものがあるから正しいものがあるんだ、って開き直る」
「……開き直る、ね……」
リオは呟いた。
自分の身の上はそれで片付けられるものじゃないと思った。
それを悟ったようにカインが言う。
「楽しくなくても、理由がなくても、資格がなくても生きるしかないだろう?俺だって自分が生きたいのか死にたいのか、考えたこともないし、分からない。今生きてる。だから生き続けるだけだ」
リオは黙っていた。
カインの言葉を咀嚼していた。
「姉ちゃんは何でそんなに悩むんだ?なくしたものを懐かしんで悲しんでたってどうしようもないだろ。生きたいならここで生きればいいじゃないか」
「……そうね」
なんだか慰められてしまったみたいだ。
意外と良い子なのかもしれない、とリオはカインを見つめた。
「ありがとう……少し、重い気持ちが薄らいだ」
「……別に姉ちゃんのために言ったことじゃないし。姉ちゃんなんてどうでもいいし」
「じゃあどうしてここに来たの?それに呼び方が『あんた』から『姉ちゃん』に変わったじゃない」
カインは言葉に詰まり、ひどく乱暴に立ち上がって叫んだ。
「たまたま通りかかっただけだろ!それに名前でなんか呼んでやらねぇよっ!」
そのまま逃げてしまった。

リオは溜め息混じりに呟いた。
「……通りかかっただけで様子を見に来るのは気にかけてた証拠なんじゃないの」
それに、名前より『姉ちゃん』の方がよっぽど親しげな呼び方ではないのか。
やっぱり可愛くないやつだ、とリオは思った。




最終改訂 2007/08/17