EVER...
chapter:2-story:29
善悪
 

 

結局「訓練」に参加したのは、アーウィンとエルトだけだった。
レインは例によって集団行動を外れていたし、ウィルは行方不明だったのだ。きっとまたどこかに情報収集に行っているのだろう。
ライリスはまだ派兵への協力を呼びかけるために奔走しているし、オーリエイトだって忙しくしていた。
リディアとノアも参加したいと言ってきたのだが、リディアは少女だし、ノアは体を張って戦うという概念すら知らない、「超」と「ド」が一緒につくほどの素人二人であるものだから、まずはアーウィンとエルトがクライド・ヘイヴン氏のスパルタ教育の洗礼を受ける羽目になったのだ。

「突きが甘い!それでは隙だらけだ、もっと相手の太刀筋を見極めろ!」
クライドの言葉は本当に容赦が無くて、厳しい将軍を思わせた。
アーウィンとエルト、二人を同時に相手にして、彼は息一つ乱していない。
「げ、限界っす」
まずアーウィンが音を上げて座り込んだ。
「オレは短期瞬発型なんだよ……」
「まったく情けないな。それなら邪魔にならないようにどいていろ」
やっぱりクライドは容赦なかった。
エリオットもだいぶ疲れているようだったが、元来の意地を張る性格のせいか、汗をびっしょりかきながらも、もう一度剣に見立てた棍棒を構えなおした。
「太刀筋だね」
「そうだ。相手の手を読むのが何より大事だ。それから、斬られることを恐れるな。相手は斬ったと思えば油断するし、その一瞬は絶好の隙でもある。絶対に勝たねばならないときは、わざと斬られてその隙に乗じるのも有効な手だ」
そんなことを言われても、エルトは斬られた経験が皆無である。
場合によっては生死を分ける行為を進んでやることを、恐れるなというほうが無理だった。
しかし、努力はしていた。
クライドが棍棒を突き出し、エルトはそれを自分ので受け止めて流す。しかし全く隙無くクライドは次の一撃を出してきた。
とてもかわすことも受け止めることもできないと判断したエルトは抵抗せずに叩かれるままになった。
しかし、あまりに一撃が強すぎて、うっと呻いたまま、教えられたとおり隙に乗じて繰り出そうとした一撃は不発に終わった。
「お兄ちゃん!」
リディアが心配そうに声をかけたので、エルトは手を上げて、大丈夫だということを示した。
クライドがにやりと笑う。
「よく見極めたな。少し良くなってきた」
「今のが実践だったら死んでいたのに、何を言うんだ」
わき腹を押さえつつ、エルトが心底悔しそうに言うと、クライドは朗らかな笑い声を立てていった。
「魔法使いなら、剣一つで生き延びるほどの武術は必要とはしまい。無理して極めることはないさ。――― お前はなかなか根性がありそうだ。……『地』の持つ性質かな。だから鍛えやすいというものだ。さあ、もう一度!」
「……よく続くぜ」
呆れて呟くアーウィンの前、エルトはよく踏ん張っていた。
「リズムを感じろ!突き出した一撃は、次また突くために一度引く必要がある。相手の突きと引きのリズムをつかめ!引いたときの隙が狙い目だ!」
エルトは言われたとおりに、相手の動きをよく観察した。
しかし、クライドには突きと引きの間にすら隙が無いように見える。引いたと思ってこちらが反応するより先に突きが来るのだ。
「……っくっ!」
しかし負けず嫌いなふしのあるエルトは諦めなかった。
必死に受け止めながら、時にはばかばかしい方法で攻撃をかわし、無理に作った隙を狙って思い切りふりかぶる。
クライドは一瞬しまったという顔をしたが、ぎりぎりよけた。
絶対勝てたと思っていたエルトは次の体勢に移ることができず、結局またクライドの一撃をお見舞いされることになった。
「……うっ!!手加減してくださいよ!」
「何の、今のは良かったぞ」
「褒められてる気がしない!」
エルトが噛み付くと、クライドは笑った。
「いや、本当だ。こっちが危うくやられてたからな。だから言ったろう、斬れたと思うと油断をすると。自分が気をつければ済むことだ。さあ、もう一度!」
エルトはがっくりと肩をたれ、さすがに座り込んだ。
「……僕も、もう無理」
ついに意地っ張りのエルトも疲労が臨界点を突破したらしい。
アーウィンが嬉しそうに叫んだ。
「よっしゃ!きゅーけーきゅーけー!」
「お前はさっきから休んでるだろう!」
同時にエルトとクライドの両方から突っ込まれて、アーウィンは首をすくめた。


「すっかり打ち解けてるね」
面白そうに言うレインの声を、オーリエイトは後ろで聞いた。
彼女は室内から外を見ていて会話は聞こえなかったが、友達または親子のようにじゃれあっている彼らの様子ははっきり見えていた。
「あなたは参加しないの?」
聞くとレインはふわりと笑った。
「身のこなしなら、山賊をやっていた頃に身につけたよ」
「……そう」
本来なら思い出したくも無いはずの思い出を笑って話すのは、自分のためだろうかとオーリエイトは思う。
オーリエイトは視線を窓の外に戻した。
「……あなたは、ちっとも馴れ合おうとはしないのね」
「だって、君だけでいい」
あっさり言ってレインはオーリエイトの隣に並んで窓の外を見た。
スパルタ授業に抗議しているのか、エルトとアーウィンが二人がかりでクライドを雪の中に突き倒したところだった。
「ねえオーリエイト。僕は生まれて初めて、どう扱ったらいいのか分からない人に出会ったよ」
「……ライリス?」
「うん。本当に頭がいい。なぜ臣下たちはあの王女を放っておけたんだろうね。僕なら味方につけるか、できないなら抹殺しているのに」
にべも無く言い切ったレインを見上げて、オーリエイトは金の瞳を細めた。
「あなたにとっては、誰もかもが駒なのね」
「君は違うよ」
「たった一人の例外など、言い訳にならないわ」
レインはさらに笑みを深める。いとおしげな視線が、オーリエイトは怖かった。
こんな風に盲目的に慕われているのが怖いのではなくて、彼の行く末が怖かった。あまりに危なっかしく見えて。
「だって、人は誰でも損得で人を見ることがあるだろう?現に、君だってそうじゃないか。僕はたまたま、その対象が多かっただけだよ」
オーリエイトは黙った。
外ではクライドが、二刀流で、一人で二人を相手にしていた。これでもまだ互角の戦いだった。
「レイン、あなたは過激すぎるわ」
「そう?」
「そうよ」
「過激で何がいけない?」
「あなたの過激さは危険だわ。他人をあまりに軽んじすぎてるもの」
レインは涼しい顔だった。そんなもの、という顔をしていた。
全然意に介していないようで、オーリエイトは言葉が相手に届かないもどかしさを感じた。
「君以外の人のことなんて、知ったことじゃないよ。僕は君がよければ全ていい」
「……やめて。嬉しくないわ」
きっぱりはねつけたにもかかわらず、レインには堪えた様子が無い。
オーリエイトはそれに危うさを感じて、かまをかけてみるつもりで言った。
「私に嫌われたくないなら、やめることね」
「……それはつらい言葉だなぁ」
言ってレインは少し拗ねるような表情をした。
「でも、今のような、降魔戦争が始まるようなご時勢なら、僕は嫌われてもいいよ。君の生が何より大事だから」
そうかもしれないと恐れていた事実を、オーリエイトは確信した。
この人は、自我すら自分にささげようとしているのだ。
慄然とする思いだったが、オーリエイトは毅然と頭をあげてレインを睨みつけた。自分にできることは、突っぱね続けることしかない。
受け入れた瞬間に、レインにはもっと恐ろしいことが起きる気がする。
「私のためなら、善悪すら気にしないというの?私は嫌よ。善悪も気にしないような人の気持ちに応えようという気にはなれないわ」
レインはやっぱり笑んでいた。しかしその笑みは、どこか諦めたような冷たさがあった。
「じゃあ、何が善で何が悪なの?境界線はどこ?誰がそれを決めた?」
金の瞳が、淡紫の瞳を睨む。
「屁理屈」
「そう?でも僕はこう思うよ」
少年は歌うように言った。

「そんなものは、存在しない」


******



尋ねられたカインは、始め面食らっていた。
「また変なことを聞くなぁ。あのオバサンになんか言われたの?」
「いいから、答えてよ」
「善か悪かなんて、そんな風に振り分けることはできないんじゃないの」
「じゃあ、正しいか間違ってるか、なら?」
「それも無理だろ」
「……そうよね、そうなんだよね」
リオはため息をついて、ベッドに腰を下ろした。ふんわりと布団がリオを受け止める。
カインは少し考えるようにリオを見つめ、聞いた。
「どうしたの、姉ちゃん。新神に味方する気にでもなったのか」
「しんじん?」
リオが聞き返すと、カインは「ああ」と呟いた。
「あんたらの言う悪魔だよ。敵だからって勝手に“悪”なんてつけやがって、いい迷惑だ」
「…………」
またもや文化の違いだ。
まあ、確かに、目指すところが違うだけで悪者扱いされるのを喜べるはずはない。
「これから新しい世界を創って、新しい世界の神になる予定だから、新神ってわけ。あ、新しい世界のことは分かるか?」
「ベリアルから聞いた」
「ま、俺は興味ないけどね。神とか人とか、新しいとか古いとか。みんな勝手にやってりゃいい」
相変わらずニヒルな子だ。
リオはふと思って聞いてみた。
「仮に新しい世界が本当にできたなら、あなたやあたしはどうなるのかな。一緒に新しい世界に連れて行かれるの?この世界が存在した記憶を抱えながら」
「それを決めるのは姉ちゃんのおじさんだろう。俺が知るかよ」
リオは黙った。薪のはぜる音がした。

世界と人と。
あまりにスケールが違いすぎて、どう比べていいのかも分からない。
けれど幸せに満ちた世界があって、そこで人々が暮らしていけたら、それは本当にすばらしいことだと思えた。
本当にこの世界を守ることが正しいのだろうか。
この世界に生きた人たちの証を消してでも、手に入る幸福があるのなら、新しい世界で生きる人々のために、その犠牲の価値はあるのではないだろうか。
誰もが寂しい、悲しい、苦しい、つらいと涙を流している、こんな世界よりも。

「カイン……カインは、この世界をどう思う?」
「さあ。相当汚いんじゃないの」
「滅んで、欲しい?」
「別にどうでもいい」
カインはリオの顔を覗き込んだ。
「そう聞く姉ちゃんはどうなんだよ」
「……分からないの。だってあたし、ずっとこの世界で生きてた。正しいと思ってた。でも、今は自信がないんだもの。あたしは魔王の姪で、ここにいるべきで、帰れない。そして昔の自分の信条に自信がない。なら、あたしは新神側として存在するべきなんじゃないかなって」
「好きなようにすればいいんじゃないの」
リオはあきれた。
人が本気で悩んでいるときに、何でぞんざいなアドバイスしかしてくれないのだろう。
「あんたって、自分の信念を持ってないの?」
カインは肩をすくめた。
「持ってたって貫ける確証も何も無いだろ。それに俺は俺でしかないから、姉ちゃんの立場からの助言なんてできないし。ただ、俺個人の意見であれば」
カインは妙に確信に満ちた声で言った。
「姉ちゃんはここにいるべきだと思う。俺たちの仲間になって、できることをしていけばいい。どうせ善悪なんて存在しないんだし、それで決めるのはばかげてるよ」
「本当、ニヒルな子」
呟いて、リオは黙り込んだ。
――― 吹っ切るしか、ないよね)
もう二度と戻れない場所に未練を感じてもしょうがない。居場所なら、これから見つけていけばいい。
彼らの行く道を信じることができないなら、リオには共に歩む資格はないのだ。
(ここで、生きるの)
それは酷く寂しいことだったが、唯一の選択だとしか思えなかった。
「ここで、生きていくわ」
声に出して宣言した。
その瞬間だった。

窓の傍で、場所に似合わない楽しげな鳴き声がした。
ピチチ、ピチピチ、ピピピピ。
「鳥だ」
カインが驚いたように言った。
「何で入ってこれたんだろう。これだけ悪魔がたくさんいるのに。苦しいはずなのに」
リオは息もできなくなるほどに胸を詰まらせた。
「ノアの小鳥だ……」
「え?」
間違いなかった。
小鳥が三羽。悪魔の気が蔓延するこの場所で、場違いに愛くるしく、不安そうに小首を傾げている。
それはノアの傍についていた時と寸分違わず、リオの目の前にあった。
リオは窓辺に駆け寄り、窓を開けた。小鳥たちは逃げずに入ってきて、リオの腕にとまり、一斉にさえずった。
それは必死にリオを求めるようで、すがるようで。
「……み、みんなが探してくれているの?」
ノアのように彼らの言葉が分かるわけじゃない。けれど、その意図はあまりに明確に思えて。
信じられなかった。自分の立場を彼らもわかっているはずなのに、なぜ小鳥を送ってきたりしたのだろう。
決めたばかりなのに。
――― ここで生きるのだ、と。
「あたし、帰れない」
リオは喘ぐように言った。
みんなが目の前に現れて、帰ろう、と手を差し伸べてくれたに等しかった。なのに、手を取れない。
「帰れないよ……帰っちゃいけないの。あたし、悪魔なんだよ。分かるでしょ。この世界に疑問を抱いているの。みんなの信念を疑ってるの!」
それでも小鳥たちは、いっそう声を高くしてさえずりつづけた。
リオは必死に首を横に振った。
「だめ……」
「フェンリル!!」
突然、カインの叫び声が上がった。
小鳥たちがあわてて飛び立ったのと同時に、リオが振り返った。
初めてベリアルと会った時の、あのオオカミによく似た魔物が、飛び上がろうと反動をつけるために床に伏せたところだった。
反射的にリオは叫んでいた。
「逃げて!」
しかし、魔物は速かった。
開け放たれた窓から1羽、2羽と逃げ出したが、3羽目が逃げ切れず、大きく開かれた赤い口の中に呑まれた。
赤く小さなしぶきが飛んで、羽根が何枚か舞った。

リオは一部始終を残酷なまでに目に焼き付けてしまって、声も出なかった。
フェンリルは口の周りを太い舌で舐めまわして、満足そうに唸った。
次の瞬間、リオは悲鳴を上げていた。上げ続けた。
「なんてことを――― !」
頬に爪を立てて、叫び続けた。
「ちょっ……姉ちゃん!落ち着けって!たかが鳥じゃないか!」
カインがフェンリルを追い払い、必死にリオをなだめようとしていたが、効き目はなかった。
麻痺したように叫び続けながら、リオは直感していた。

あの小鳥たちは、みんなの象徴だった。
リオ姉ちゃん、と呼んで寄ってきたノアの笑顔が思い出される。
幸せになりたい、人々に幸せであって欲しい、そう願うのは大切な人たちがいるからだ。
そう思っていたのは自分なのに、なぜ忘れてしまえたのだろう。
床に落ちている血しぶきを見て、リオは自分が決定的に、悪魔たちとは違うのだと思った。
世界が汚い?その通り。
でも、汚い世界がなかったら、どうして綺麗なものを綺麗だと思えるのだろう。
幸せにくるまれた世界?何と比べて幸せだと言うのだろう。
幸せなのに、幸せだと分からない世界なんて、汚い世界より数倍はたちが悪い。
そう考えて、リオは悟った。

――― ここは、あたしの居場所じゃない。
ここの人たちについていくことなんてできない。

あたしは、あたしの道を行かなければ。




最終改訂 2007/09/22