EVER...
chapter:2-story:31
始動
 

 

「マジでやんのか……?」
「やる。やるったらやる」
「戻れねえぞ? 転がり始めたボールはなかなか止まらないって言うし。お前はいいのか?」
「これが一番有効な方法だと思うんだ」
 ライリスは譲らなかった。
「今は事後のことを考えてる場合じゃないんだ。大国は大国ゆえの責任があるんだよ」
「……都合よく王女になってら」
 アーウィンはため息をついた。
「それにしても」
 エルトが計画書を見ながら呟く。
「よくこんなの考えたな。……すごい荒療治に見えるんだけど、大丈夫?」
「それくらいでちょうど良いよ。後は国民の王家に対する感情が悪くないことを祈るだけだね」
「アーメン」
 アーウィンが茶化した。それから彼はエルトに言った。
「リディア、今、一日中こもってお祈りしてるんだろ? 計画が上手くいきますようにってのも頼んでもらうか?」
それには本人が答えた。
「構わないけど、神様に届くかどうかは保障できないわよ」
「リディア!」
 シスコンぶりを発揮して、エルトが駆け寄った。それに対してリディアは、
「ノアは?」
 ブラコンぶりを発揮。そのすれ違いっぷりにライリスとアーウィンは顔を合わせて苦笑した。
「書庫で本をあさってるみたいだよ。何も知らないのが恥ずかしいから勉強するんだって。良い子だよね」
 ライリスが答えた。それからふと思いついたように言う。
「そうだ。リディアも手伝って」
「え?」
 きょとんとするリディアを、ライリスは引っ張る。
「そうだよ、若くて可愛い女の子が天使の歌声を披露。これは効果倍増が狙える」
「ちょっと、他人の妹を勝手に……」
 エルトが慌てたが、ライリスはエルトの方を向くと、傾国の笑みを浮かべて片目を瞑ってみせた。当然、エルトは硬直した。
「本人の意思があれば強制とは言わないんだよ、エルト。だから君が何を言ってもリディアがいいって言ってくれればいいんだ」
 リディアは訳が分からない顔をしたが、ライリスの様子を見て何か悟ったようだった。
「ライリス、動く気になったのね」
「うん」
「私が歌えばいいのね。それで手伝えるのね、あなたの計画を」
「うん」
「やるわ」
 リディアが笑顔で言うと、ライリスもとびきりの笑顔を返した。
「ありがとう! ね、エルト、これで本人の意思をとりつけた」
 エルトは妹が簡単に承諾してしまったのとライリスの思い通りにぽんぽんことが運ぶのとでぽかんとし、少しして我に返った。
「あ、あのね……」
「そういうわけでエルト、女の子を一人で出すわけには行かないし、付き添いよろしく」
リディアに付き添っていいといわれればエルトには反撃する要素が無くなり、エルトは開きかけた口を閉じてもぐもぐさせた。
 呆然としていたアーウィンが呟いた。
「……すげぇ、ライリスの本領発揮だ。ってかお前、性格変わってね?」
「受動が能動になっただけでしょう」
「……そうかもしんないけど」

 ライリスは一通りの計画をリディアに説明した。リディアも計画を知って目を点にしていたが、承諾した。何を歌えばいいのか記した紙をしまいながら、リディアはライリスに微笑みかけた。
「ライリス、今、すごく良い顔してるわ。自分で何かをしようとする人の顔。何かをやるっていうのは大事なことよね」
 ライリスはそれに笑顔で応えた。
「うん。この蝶に恥じないようにね」
 言って、自分の左鎖骨を指差した。エルトがそれを見て、わずかに顔を歪ませた。
 出かける準備をしながら、リディアは聞いた。
「オーリィは?」
「まだ計画のことは話してない。……まあ、あちこちと連絡を取り合って忙しいみたいだから、煩わせるつもりは無いよ」
「そうなの」
 マフラーを巻き、リディアは兄とアーウィンに駆け寄った。
「じゃあ行ってきます。上手くやってみせるわ。……ノアをよろしくね」
「うん」
 扉が互いの笑顔を遮った。

 外に出て、ウィルに教えてもらった守りの呪文の穴を抜けて王宮の外に出る。ざくざくと雪を踏みしめながら歩いていると、アーウィンがエルトに声をかけた。
「どした? お出かけは楽しくないと損だぜ」
 エルトはちらりとアーウィンを見て、ため息をついた。気持ちが顔に出ていたようだ、と考えた。
「……みんなが、こんなに動いているのに、僕は何もしてないなって」
 意外な言葉だったのか、アーウィンは少し興味深そうな目をした。
「へえ?」
「だって、僕は結局、何もしてない。何も出来ない。それがすごく嫌だ」
「んー、そんな気にすることか? たまたま今は使えない才能なんだってことじゃね?」
 エルトは半ば感嘆し、半ばあきれた目でアーウィンを見つめた。
「その楽天的な考えはどこからくるんだ?」
「あはは、性格だろ。まあ、ちょっとは意識的な部分もあるけどさ」
 え、とエルトはアーウィンを見つめた。アーウィンはハシバミ色の目をにっと細める。
「俺が徹底的に楽天的なのはさ、悲しいとか、辛いとか苦しいとか、そういう負の感情が苦手だからさ。そういう気分になるのが嫌なら、意識的に楽天的な考えをしようってわけ。だって、どうせ泣くなら悲しくて泣くより、嬉しくて楽しくて泣きたいじゃんか」
「……うらやましいな、そういう考え方が出来るのは」
 アーウィンは雪を蹴り上げた。白い粉が舞う。
「やろうと思えば誰だってできるはずだぜ。嫌なもんは忘れ易いからな。何でもかんでも笑い飛ばしてりゃ、本当に笑い事になるもんさ」
 歌うように楽しげに言って、アーウィンはにっこりと笑った。
「だから楽しもうぜ、ライリスのお手伝いも」
 エルトは少しだけ、笑みを返した。



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「……姉ちゃん、意外とたくましいんだな」
 カインに言われてリオは苦笑した。薪を用意してもらったのだが、カインは扱いが分からないようだったのでリオが作業をしていたのだ。まず「薪」といったら丸太が用意されてしまったのでリオは薪割りから始めなければいけなかった。斧を振りかざしてパキンパキンと丸太を割っていくリオを見てカインが呟いたのが、その言葉だったのだ。
「田舎育ちだし、流浪してた身だからね、あたしは。悪……じゃない、新神だっていつも野宿なんじゃないの?」
「まあね。でも俺たちには神力があるし。そもそも、この世界を創ったのは俺たちだから、自然ってのは滅多なことでは俺たちに牙をむかない」
「……なのに、それを壊そうとするの?」
「俺たちの作品をどうしようが俺たちの勝手だろ」
 作品か、とリオは薪を抱えて天幕に戻りながら思った。悪魔たちにとって、世界とはその程度の価値なのだろうか。
 リオが暖炉に薪をくべ、カインに火をつけてもらった。試しに目を細めてみる。やっぱり魔法が火を構成しているのが見えた。
「カイン」
「あ?」
「魔法って目に見えるものなの?」
「は? 何言ってんだ。放つときは光るから見えることもあるじゃないか」
「他の時には見えない?」
「そりゃそうだろ」
 決定的。つまり、この能力は別に悪魔の力というわけではないのだ。
「ええと、じゃあ魔王なら見えるのかな」
「知らねぇよ。聞いたことない」
 うーん、色々と謎な力だ。リオはもう一度目を細め、天幕全体を見回してみた。天幕全体に魔法がかかっているのが見える。頭の中にふわりと、固定の魔法という言葉が浮かんだ。天幕を支えている魔法なのだろう。
「あなたたちの生活には神力がすっかり浸透してるのね」
「当たり前だろう。俺たちにとっては、人が息をするのと同じくらい、魔法を使うのは自然なことなんだから」

 簡易式のベッドをカインに魔法で広げてもらっていると、ベリアルがリオの天幕に入ってきた。カインを見つけて意地悪く笑う。
「ほう。しっかり“下男”をやっておるではないか」
 カインはいつもよりもずっと反抗的な目でベリアルを睨んだ。
「あんたらジジババは気が利かないもんでね」
 言い捨てると、彼はリオに向かって「また後で」といって天幕を出て行ってしまった。ベリアルはやれやれと首を振り、リオに向き直る。
「何か足りないものはあるか」
「あ……いえ」
 思えば、ベリアルは比較的リオに親切だ。
「いいえ、大丈夫です」
 ベリアルは図りがたい笑みを浮かべた。
「お前はリリスに似ておるな」
 リオは思わず顔をあげてベリアルを見つめた。
「なぜ?」
「我々、新神の中にいて、異質の空気を放つ。そして人間や半端者の心を惹きつける。リリスもそうだった」
 リオは黙っていた。半端ものというのがハーフであるカインへの軽蔑が感じられることに少々むっとした。ベリアルはリオを見つめて聞いた。
「君、リリスのことは?」
「……あまり、覚えていないです」
「そうか」
 ベリアルは言った。リオはのどが渇いたのでお茶を淹れた。するとベリアルが横から手を出し、そのコップを横取りした。
「あの」
「ありがとう」
 リオが抗議しようとしたが遮られた。半分悪魔じゃないなら魔王の姪でも純悪魔に尽くせと言うことだろうか。リオはやれやれと首を振り、仕方なく自分の分を改めて淹れた。
「……どうして母の話をするんですか? あなたたちにとっては裏切り者でしょう」
「まあ、それはそうだが」
 ベリアルはゆっくりカップを回し、すすった。
「ん。君はお茶を淹れるのが上手いのだね。……リリスのことはな、嫌いではないのだよ。信念が違っていただけで、信念を貫こうとした強い意志は我々と同じだ」
 リオは少し黙っていたが、顔を上げていった。
「あなたは柔軟な考え方が出来るんですね」
 ベリアルは驚いたようにリオを見つめ、妖艶に笑った。
「面白いことを言うね。我々がみな頑固者だと思っていたのか?まあ、私はどちらかというとリリスには同情的だったほうだがな。メフィストフェレスはかなり憎んでいるようだったが」
「……母は」
 リオは気になっていたことを聞いた。
「母は、ためらわなかったんでしょうか。仲間だった人たちのところを離れ、自分の居場所を捨てることを」
「それはもちろん、ためらったろうよ」
 ベリアルは即答した。
「サタン様の妹でありながら、いるべき場所を離れて敵の仲間になるのだからね。だが、リリスは自分で決め、自分でそれを選んだのだよ」
 言った後でベリアルは、真紅の鋭い目でリオをぴたりと見据えた。
「君もリリスに習うつもりか? 我々を離反するつもりなら容赦はせぬぞ。我々の制裁は人間のように情にとらわれてぬるくなることはないからな、覚悟しておくがいい」
「……逃げるつもりなんてないわ」
 リオは言ったが、晴れやかな気分になっていた。母はまっすぐだったのだ。自分のいた場所を一人で、そして自分の意思で飛び出した。リオにそこまでの度胸はないけれど。
「どうだかな。お前が我々と距離を置こうとしていることは分かっているのだよ。証拠に、カインに対する態度はあれほど打ち解けているのに、我々に対しては頑なだ」
 リオは母と逆の立場だ。地上軍側を離れて、悪魔側に入った。元いた場所を離れ、敵のもとへ入り込んだ。母とは逆で、リオは自分がそうしたくてやったわけではないし、敵のところへ入ったところで協力したいと言う気はないのだけれど。
「……本当に、逃げるつもりは、ありません」
 けれど、
 ―― ここにいるからこそ、できることだってあるはずだ。




最終改訂 2007/12/21