EVER...
chapter:2-story:32
進展
 

 

 実は王宮に招かれたのです、とその青い髪の詩人は話を始める。
 漆黒の髪が美しい少女が、静かに悲しげに歌を歌う。

 これはある国の、女王と王女の物語、と……




 手紙を受け取ったオーリエイトは、わずかに安心した表情をした。降魔戦争の時代を知るものはもうほんのわずか、これはその一人からの返事だった。
“事態は把握しています。もちろん協力しましょう”
 関わるのはいやだと断られたらどうしようかと思っていたので、ほっとしたのだ。まさか自分ひとりがすべての人を導けるわけではない。切実に、多くの仲間を欲していたところだったのだ。特に必要なのは魔法使い。神の力を受け継ぐ人たち。この返事は貴重な協力者の証だった。
 地図を広げてバツをつけていると、声がした。
「協力者追加?」
 振り返るとレインだった。オーリエイトはかすかに眉をひそめたが、邪険にはしなかった。質問に頷いてみせると、彼は小さく息をつく。哀しげなため息だった。
「結局、君は進むんだね。自分がどうなるか分からないのに」
 オーリエイトは何も言わない。
「僕に、君を止めることはできないのかな」
 オーリエイトはレインと目を合わせた。その視線の強さにレインは力なく笑った。
「……やっぱりね。出来ることなら、僕は君をさらって逃げたかったけれど」
「どこへ逃げると言うの。やらなければいけないことがたくさんあるのに。私は逃げないわ」
「……うん、知ってる」
 レインはしばらく下を向いていたが、さりげなく呟いた。
「皆、君の予想以上に動いてるみたいだよ。アーカデルフィアの下町で、面白い話を聞いたんだ」



 人は、物語というものを好む。事実に基づくと言われると、なおさら興味津津だ。そして、英雄伝と悲劇は最も好まれるものだ。さらに言えば、高貴な方々が題材になるともっと喜ぶ。「ペンは剣より強し」とはよく言ったもので、大衆への影響力の強さもまた、疑いようがない。場合によっては支配者をも揺るがせることができるものなのだ。
 派兵を要求していた王女が近頃大人しくなり、警戒を解きかけていた反王女勢力はさぞかし冷水を浴びせられた心地だっただろう。そして当の王女は、久々に平民の服を着て王宮から抜け出していた。
 元々人形のように、むしろ人形ですら作り出せそうにないほどに整った顔立ちをしているせいで、街を歩けば人にじろじろ見られたものだが、今回はその現象が一層顕著だった。小さな酒屋に足を踏み入れれば、マスターが固まる始末。
「あの、食事をお願いしたいのですが」
 王女、ライリスが声をかけると、マスターはハッとして、やっとライリスを席に案内した。
「いやあ、驚いた。一瞬、王女様が叙事詩から出てきたのかと思ったよ。すみませんね、兄ちゃんなのに勘違いして」
 男装しているからそう思われても無理はない。もともと、勘違いさせるために男装してきたのだから、ライリスは笑うだけにしておいた。
「あの、叙事詩って?」
 空とぼけて聞いてみる。隣のテーブルの客から驚いたような声が上がった。
「兄ちゃん、知らないのか? 最近流行ってるんだぞ! もう巷じゃこの話題で持ちきりなのに」
 思った以上の効果のようだ、とライリスは思いながら、困惑した顔をして見せた。演技は得意なのだ。
「すみません、巷の噂には疎いんです。なにぶん王宮勤めであまり外には出てこないので」
 そしたら、まいた餌に見事に食いついてきた。
「何!?  兄ちゃん、王宮勤めなのか!」
「は、はい」
 周りのテーブルの客がいっせいにこちらを向く。隣の席にいた女性が話しかけてきた。
「ねえ、本当に女王様には、認められない相手との間にできた王女様がいるの?」
 わざと驚いたような顔をして、ライリスは視線をさまよわせる。
「どこでそれを……」
 途端に聞き耳を立てていた人たちがわっと集まってきて、歓喜の叫びを上げ始めた。
「本当だったんだな! まったく、恋路を貫いて何がいけないんだ、ってんだ」
「そうだそうだ、それに何も王女様を隠さなくたっていいじゃないか。おかわいそうに!」
「まったくだ、女王様もお辛かっただろうに」
「王女様もだ。あの吟遊詩人の話によるととてつもなくお美しい方だという話なのに」
 先ほどの女性が身を乗り出して聞いてきた。
「ねえ、坊やみたいに金の髪で緑の眼をしているって本当? 坊やより綺麗なのかしら」
 ライリスは面食らったような顔をした後、すこしはにかむような表情を作った。
「なんだ、皆さん知っていらしたんですね。王女様がいるのは本当ですよ。ぼくより綺麗かどうかは知りませんが、あなたより美しいということはないのでしょう」
「あらあら、お上手」
 女性が頬を赤く染めた。とりあえず、ライリスは皆の反応にほっと一息ついた。思った以上の成功だ。

 その時、店のベルが鳴って寒い風が吹き込んできた。振り返れば、そこには一人の少女。上から下まで真っ黒い装束を着ていて、一目で魔法使いと分かるとんがり帽子を被っていた。そしてその黒によく映える真紅の髪に、きらりと鋭い光を放つ金色の目。
 ライリスは思わず固まった。実はこんな荒療治を勝手に開始したことに怒られるのではないかと思っていたから何も言わなかったのに、早速見つかってしまうとは。店主は少女を迎え、愛想のいい笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい。お食事ですか」
「いいえ、そちらの方と待ち合わせをしているの」
 そういってオーリエイトが示したのはライリスで、みなが一斉にライリスを見る。物言いたげな少女の視線に、女性は慌ててライリスから離れた。あ、誤解をされた。
 店主はちょっとからかうような視線で客たちに呼びかけた。
「ほらほら、若いお二人さんの邪魔をしちゃかわいそうですぞ」
 はあい、と気のいい返事をした客たちは、後でまた話を聞かせてくれ、とライリスに目配せをして席に戻っていった。

 オーリエイトはつかつかとライリスの机に歩み寄ると、腰を下ろし、帽子を脱いだ。
「訂正しなくてもいいの?」
「あ、うん、まあ良いんじゃないの……?」
「そう」
「あの、オーリエイト、どうしてここに……」
「あなたを探しに来たの」
 そこで言葉を途切れさせないでくれ、とライリスはオーリエイトを見つめた。その視線に気づき、オーリエイトは言葉を付け足す。
「レインに聞いたわ、あなたが流布した噂のこと」
「あはは……」
「悪くないと思うわ」
 思いもよらない反応がきて、ライリスは思わずほっと一息をつき、思わず少し大きな声で言った。
「本当?」
 それを聞きつけたマスターはライリスに、よかったなとでも言うような笑みを向けてきた。先ほどの女性もほっとしたように笑っている。どうやら浮気していると勘違いされていたのを許してもらえたと思われているらしい。……皆さん、大きく勘違いしてますよ。
「ただし、少し荒療治であることは否めないわ」
 周りの雰囲気に気づいていないのか、オーリエイトは少し厳しい声で淡々と話を進めた。
「効果のほどには少し期待しているのだけれど。それでね、ライリス。お願いがあるの」
「お願い……?」
「私も、神話の真実を流したいわ」
 ライリスは驚いて目を丸くした。
「え? 大丈夫なの?」
「私が発信源ならクローゼラも何もできないでしょうよ。一人でも多くの人に、本当のことを知ってもらって、心の準備をしておいてもらいたいの。特に降魔戦争のことについて」
「そっか……でも、本当に大丈夫? レインに怒られない?」
「あの人が私を怒れるわけないじゃない」
 ごもっともだ。ライリスは少し苦笑したが、快く言った。
「わかった。アーウィンたちに連絡をとって、流布する内容を追加してもらうよ」
「助かるわ」
 オーリエイトはいつもの分かりにくいものではなくはっきりと微笑み、金の瞳を細めた。


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 移動は毎日続いていた。どうやら北西の方に向かっているようだ。雪がどんどん深くなり、元神々・天使だったはずの集団でも一度だけ雪に阻まれて少しの間立ち往生をすることになったりした。
「どこへ向かっているの?」
 リオが聞くとカインは周りを見て、リオに耳打ちをした。
「俺は知らないってことになってるけど、たまたま立ち聞きしたから教えてやる。北のヒュームストンへ行くんだ」
「……どこ、それ」
「カートラルト王国の南東部だよ」
 リオは目を見開いた。
「カートラルトって……今、あなたたちが攻撃をしている?」
「そう。一つずつ国を潰して制圧していくんだよ。人間たちは間抜けで俺達がもう動き始めてるってことも知らないし、クローゼラが色々と工作してくれたお陰で正しい歴史を知ってる奴もほとんどいない。不意打ちで仕留めていけば楽勝さ。魔源郷がどこにあるのか分からないから、こうやって虱潰しにいこうって作戦。ああ、ちなみに魔源郷ってのはこの世界を支える魔法の、源のことな」
 リオは黙っていた。既にオーリエイトたちが、彼らが動き始めていることにも気付いているし正しい歴史も知っていることに、ほっとしていることは表情に出さないように頑張った。
「ま、最後はショルセンで締めくくりだろうな。それで、見つけた魔源郷を片っ端から破壊すれば、この世界はお陀仏さ」
「……魔源郷を壊したら、守護者たちはどうなるの」
 カインは眉をひそめた。
「そんなの気にしてどうするんだ?」
「なんとなく……気になって」
 あ、そうとカインは興味無さそうに言い、退屈そうな声で言った。
「当然、消えるんだろ。あいつらの存在理由が消えるんだから。光を潰さない限りは世界自体はしばらく保ってられるんだろうけど」
「…………」
 焦りが体中を駆け巡った。これはまずい。ショルセンを潰すことはすなわちライリスの、そして魔源郷の破壊はすなわちアーウィンやエルト、レインそしてクライドの――誰よりウィルの死を意味する。
(止めなきゃ――知らせなきゃ)
 でも、どうやって?リオは絶望的な気分になった。自分はなんて無力な子供だろう。鳥たちはあれから一度も姿を見せていないし、自分は魔王の血しかもたない。魔法の波長が見えるという妙な特殊能力があるのはわかったが、この状況下では甚だ使えない能力だった。
 ――何も、できない?
(そんなの嫌だ)
 強くそう思った。どんな弱者で能力のない者にだって、できることはあるはずだ。考えなければ。

「……姉ちゃん?」
 リオの様子を訝って、カインが声をかけてきた。
「どうした? また人生論でも考えてんのか?」
 相変わらずの皮肉げな声だ。
「何もすることがなかったら、思考の世界に逃げたくもなるのよ」
 リオは言い返し、自分で言ってまた落ち込んだ。することがないのではなくて、できることがないから放っておかれているのだ。
「ねえカイン、あたし本当に何もしなくて良いのかな。一応食べさせてもらってるし、面倒を見てもらってるのに」
「姉ちゃん、魔王の姪のくせに神力ないからなあ。何か強い力でもあれば、みんなの士気を高めるのに役に立っただろうけど、今の姉ちゃんは用無しの役立たずだな。ただの飾り」
「……あんた、可愛げのなさに磨きがかかってない?」
「ふん」
 本当に相変わらずだ。

 リオはため息をついて、移動の準備をしながら周りを見て見た。せめてオーリエイトたちに伝言を届けられるようなものでもあればいいのに。歩きにくい雪道、異形の魔物たちすら、いかにも四苦八苦しているようだった。背にたくさんの荷が積まれているのだから無理はない。リオが少し目を細めれば、荷を支えている魔法の糸が見えた。ぐるぐると巻くように絡み付いている。
(……ほどけそう……)
 なんとはなしにそう思った。
(あそこを少し、引っ張って……)
 イメージすると、何とその通りに糸がほどけた。とたんに魔法が千切れ、支えがなくなった荷が傾いで――
 轟いた音に、近くの者たちがみんな驚いて振り向いた。
「なんだ!?」
「どうした!」
「支えの呪いが……」
「呪いがほどけた?」
 数人がすぐ荷に駆けつけて、呪いをかけなおす。
「呪いがほどけるなんて、珍しいことがあるんだな」
 カインが隣りで呟く。リオは目の前の出来事に目を白黒させていたが、自分が何をしたのかを把握した途端、沸き上がるような嬉しさを感じた。
 あった。
 ……見つけた、と。




最終改訂 2008/01/13