EVER...
chapter:2-story:38
迎えと鎮め
 

 


「あなたがやるとは聞いていませんでしたけれど」
 苦笑と共に言ったウィルに、賛成を示すように皆が頷いた。それに対してライリスは肩をすくめて見せる。
「だって他の誰かに任せたら、絶対軍はぼくのいうことを聞いてくれないよ。大丈夫、兵法は勉強するから。将軍も3人、サポートについてくれる。やれるよ」
 ウィルはやれやれというように肩をすくめた。
「まあ、あなた以外の人がやるよりはマシでしょうけれど」
「いいじゃんか、ライリスにやってもらおうぜ。ライリスの得意分野だろうしさ」
 アーウィンはひどく楽天的な態度で言った。
「まあ、反対というわけではありませんけど。驚いただけです。……本当に、変わりましたね」
「ぼくが?」
 ウィルの呟きにライリスは少し首を傾げて見せた。悪戯っぽい笑顔はどこか得意げだ。
「どこも変わってないよ。ふっ切れただけだよ。やる気の問題だっただけ」
「そうですか」
 ウィルは笑む。
「いいことです」
「ありがとう」
「それでライリス、今後の予定は?」
 エルトが口を挟んだ。
「出発までどれくらいかかりそう?」
「どうだろうなぁ。まず徴兵しないといけないし、それから兵の訓練でしょ。……正式な軍隊は一足先に出す予定だけどね。それでも2週間は最低でも必要だと思う」
 そこでライリスは目の前の仲間たちを見回した。
「君たちはどれくらい手伝ってくれるの?」
「一応、女神が戻ってくるのは当分先だそうだけど……オーリエイト、どうなの?」
 エルトに問われてオーリエイトは短く言った。
「聖者祭までは大丈夫」
「あと1カ月半か……あんまりたいしたことはしてもらえなそうだね」
 ライリスが少し肩を落とすと、エルトが遠慮がちに言った。
「他国の説得に行く際に、説得要員になることぐらいならできると思うけど」
「それだったらぼくが行く方がいい。君たちはどちらかというと証人になってほしいな。……魔法使いとしての戦闘員には?」
「それは無理だよ。カートラルトの国境突破ぐらいなら手伝えるけど、僕たちはあまり動くと契約不履行になる」
 エルトに指摘にライリスは肩をすくめた。
「もう君たちはだいぶ動いてる気がするけど」
「難民救助は別に悪魔たちにたてついてるわけじゃないし、情報収集くらいならグレーゾーンだからね。でも実際に悪魔軍と戦ったらそれはアウトだよ」
「やっぱり早いとこリオに血の契約を解除をしてもらわないと無理か……」
 うーんと唸ったライリスの隣りで、アーウィンがウィルに聞いた。
「なぁ、リオの力なら血の契約って破れんの?」
「さあ、試してみないことには。私も闇の守護者の力については詳しいわけではありませんから。でも、少なくともあなたたちは大丈夫だと思いますよ。私ほど拘束の堅くない契約ですし」
「……一番契約解除をして欲しいのはウィルなんだけどなぁ」
 エルトはがっくりと肩を落とした。ウィルは苦笑する。
「仕方ありません。その時はクローゼラの懐から頑張ってそちらに情報でも流しますよ」

 その時、ノアがノックもせずに部屋に飛び込んで来た。普段、こういう話し合いの席に断りもなしに飛び込む子ではないので、みんなが驚いて振り返る。
 ノアは頬を上気させ、息を切らせて、両手を差し出した。その手の中では小さな小鳥がくるくるとよく回る瞳を輝かせていた。
「リ、リオ姉ちゃんのいばしょがわかった!」
 ノアがそう叫んだので、ウィルを始め、みんなが彼の元に駆け寄った。
「本当ですか、ノア」
「うん。悪魔の一団の中にいる。パトキア山脈に向かってるって。たいしょうは女の悪魔と男の悪魔が一人ずつ、ひとりはベリアルって名前だったって」
「ベリアル?」
 オーリエイトが身を乗り出した。
「知っているわ。間違いないの?」
 うん、とノアは頷き、そして唇を噛み締めると涙を瞳に浮かべた。
「小鳥が一羽、魔物に……」
 悟ったオーリエイトは少年を引き寄せ、慰めるように抱き締めた。そんな動作にすら、離れて見守っていたレインは眉をしかめて不快を示す。
 オーリエイトはノアを放すとクルリと振り向き、静かな声で言った。
「すぐに出発するわ。私がリオを迎えに行く」
「私も行きます」
 ウィルが名乗りを上げた。
「止めても行きますからね。なんならこの場で全員に歪みの魔法をかけてもいいのですよ?」
「おいおい、ウィル……」
 少し呆れたようにアーウィンが呟く。オーリエイトは薄く苦笑した。
「クローゼラと鉢合わせするかもしれないわよ」
「いそうでしたらその場はあなたに任せます。私はただ、ついて行きたいんです。リオを迎えに」
「あの」
 遠慮がちに、しかし強い声で声をかけたのは、戸口に現れたリディアだった。
「私も行くわ」
「リディア!?」
 エルトが驚いたように声を上げる。
「正気か? 悪魔の真っ只中だぞ」
「いいの。それでも行きたいの。お願い、オーリィ。行かせて。リオはきっと自分が戻って来てはいけないのだと思い込んでいるわ。オーリィ、ちゃんと説得する自信あるの?」
 言葉に詰まったオーリエイトに代わってウィルが言った。
「私が説得します」
「説得要員は多くても損はないでしょう?」
「それはそうですが。厳しい道になりますよ?」
「戦争に比べればなんでもないはずだわ。これから私たち、戦場に行くのよ。これくらいの旅ができなかったら、私、ただのお荷物だわ」
「……わかったわ」
 オーリエイトが折れた。
「エルトはいいの?」
「もう好きにしていいよ……こういう時のリディアは言うことを聞かないから」
 苦笑が仲間内から漏れた。
「でもリディア、ノアのことはどうするの?」
 ノアを出されると、リディアはさすがに言葉に詰まったが、深呼吸をしてから、言葉を区切るようにして言った。
「ノアのしたいようにさせるわ。私はノアの姉だけど、主人じゃないもの」
 オーリエイトに問うような視線を向けられたノアは、少し戸惑うような表情をしたが、しっかりした声で言った。
「ぼくは残る。ぼくが行ったらあくまたちに気づかれちゃうし、ぼくはみんなの伝言役をしなきゃ」
 ちゃんと自分の役割を心得ているようだ。リディアは少しだけ落ち込んだような顔をしたが、すぐにしゃんとした。
「じゃあ、荷物をまとめてくるわ」

 部屋を出て行ったリディアを見送り、ウィルが分厚い紙束を取り出した。
「これは私から皆さんへの宿題です。……前回の降魔戦争と、女神に関する資料です。たぶん、オーリエイトが知らないこともたくさん入っています。コピーがないので大切に扱ってくださいね。これはレインに渡しましょう」
 名指しされたレインは目を瞬いた。
「僕?」
「はい。仕事を与えておかないとあなたはとことん輪から外れていようとしそうですからね。とくにオーリエイトがいなくなりますし。あなたへの鎖です」
「……それは、賢いね」
 レインは憮然として言った。
「安全の保障はないよ。知っての通り、僕は人を人と思わない人間だ」
「それはどうでしょう。こちらはオーリエイトを人質に持っているのですよ?」
 にこりと言ったウィルのオッド・アイを見返したレインは、苦い笑みを浮かべ、溜め息をついて、おとなしく資料を受け取った。
「……賢いね」
「ありがとうございます」
「資料って、それ、全部自分で集めたの?」
 エルトが紙束の分厚さをみて、思わずというように問いかけた。ウィルは当たり前だというように首をすくめる。
「でなければ誰が集めてくれるというのです?」
「……努力家だな、ウィルは」
 ウィルは笑っただけだった。

 すぐに、3人は荷物をまとめて、食料を詰めたカバンを背負って再び部屋に帰って来た。オーリエイトはレインから移動呪符を受け取り、裏に自分の名を署名した。グロリア・カーマイン。レインはその名をじっとみつめていた。
「これでとりあえず国境までは行けるわ」
 オーリエイトは呟き、ほんの一瞬、レインの目を見つめたが、何も言わなかった。
 ウィルは教会の誰かが自分を探しに来たらどう対応して欲しいかをライリスたちに伝え、ライリスに言った。
「あなたは特によく資料を読んだ方がいいかと。兵法の勉強になると思います」
「分かった」
 リディアは兄と弟に別れのあいさつをし、抱き締めて、呪文詠唱に入ったオーリエイトにつかまった。
 長い詠唱が終わり、一陣の風が消えた時には、3人の姿はなかった。

 大きく情勢が動き始めたのを、全員が感じ取っていた。

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 手で耳をふさいでも効果はほとんど無かった。竜の怒りの叫びはそれほど強烈だった。身悶えし、足の力が抜けて、リオはその場にへたりこむ。できれば地面を掘ってその穴の中に避難したいほど、身を切るような鋭い叫びだった。隣りのカインも耳をふさいで座り込んでいる。他の悪魔たちも似たり寄ったりだった。頭を割りそうなほどに山に響く、金属のこすれ合うようなけたたましい音の中で、頭を抱えて耐えるしかなかった。
 周りの竜たちが皆叫んでいるというのは、ある意味壮観だった。中には大きく口を開けて炎を吐き出した竜もいた。ベリアルやメフィストフェレスたちがとっさに魔法で盾のような物を作り出していなかったら、リオたちはみんなで仲良く丸焦げになっていただろう。
 丸焦げは免れたものの、炎が自分に向かってくる光景は死を覚悟するのに十分な光景だった。リオはぼんやりと、自分の死期が来たのかもしれないと思った。
 その時、リオは誰かに腕をつかまれた。見るとベリアルが苦しそうな顔をしながら何か叫んでいた。何を言っているのかは聞こえなかったが、読唇術で何とか読めた。
「お前がなんとかしてくれ!」
 そう叫んでいる。リオは仰天して首を振った。彼らに鎮められない竜が自分に鎮められる訳がないと思った。しかしベリアルはさらに言う。
「魔王の姪だろう! 魔物を従えることができるのであろう! その血でなんとかしろ!」
 そんな無茶な。しかしリオが抵抗する前にベリアルはリオを竜たちの前へ押し出した。つんのめったリオは転びそうになりながらなんとか顔を上げる。まるで生け贄に差し出された気分だった。
 竜の王は飛び出したリオに気づいて口をつぐんだ。じっとリオを見つめている。どうしたらいいのか分からず、戸惑ったまま、リオは許しを請う時の礼儀として、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」
 ちらりと視線を上げ、相手の反応を確かめたが、竜王は依然リオを見つめたままだった。リオはどうしよう、とおろおろ周りを見回し、助け舟が渡されなそうだと判断し、どうしようもないのでもう一度深々と頭を下げる。
 すると、徐々に徐々に、竜たちの怒りの声が薄れていった。リオは彼らの声が完全に消えるまで、頭を下げたまま動かなかった。静かになったところで、リオは恐る恐る顔を上げた。たくさんの竜たちが自分に注目している。竜王がくつりと笑った。
「サタンの血縁ではないか。王と呼ばれる者の血縁が頭を下げるか」
 リオは背後で悪魔たちが息を詰めて見守っているのを感じた。リオは焦った。どうすればいいのだろう。すると、竜王が聞いてきた。
「名は」
「あ、えっと、レオリアです」
 竜王がすうっと目を細めた。
 リオは失礼にならないよう、一度礼をしてから言った。
「失礼をいたしました。謝ります。あなたたちの手を欲するあまり、不躾なことをしました。竜の誇りを侮ったこと、お詫び申し上げます」
 竜王は黙っている。
「どうかお怒りをお解きください。あなたたちと争うのは嫌です」
 謝り、許しを請う時の常だが、リオはこの謝罪が受け入れられるかどうか、怖くてたまらなかった。しかし、見ているうちに、赤かった竜たちの瞳が徐々に赤みを失い、もとの黄色が戻ってきた。竜のことをよく知らないリオにも、彼らの怒りが解かれたことが分かった。ほっと溜め息をつく。謙虚って大事だ。
「天の子よ」
 竜王はそう呼びかけた。自分のことかとリオは少々驚いた。……天の子?
「竜は先の降魔戦争にも参加をしなかった。竜は他の種族と交わることを良しとはせぬ」
「はい」
 リオは頷いた。竜王は続けた。
「竜は既に地の生き物なのだ。我々はこの地を失おうとも天に帰ることはできる。だが、竜はそれを望まぬ」
 竜王は口の両端を持ち上げて笑った。得体の知れない笑みだった。
「この世界は、美しき穢れた世界よ」
 リオは神妙に頷いた。価値観の相似に勇気が沸いた。リオと竜達の利害は一致するはずだ。リオに何かできるとすれば、今だ。
「分かっております。竜王殿の決めることに、あたしたちは従います」
 メフィストフェレスがすかさず不満の声を上げた。
「何を! ここまで来ておきながら」
「メフィスト」
 ベリアルが止めた。とは言え、ベリアルも非常に不満そうだった。今の行動は単に竜を刺激することを避けただけなのだろう。リオは首を後ろに向け、彼らを睨んだ。
「今、交渉してるのはあたしです。あたしに任せたのはあなたたちよ」
 二人とも黙ったが、メフィストフェレスは血のような紅の瞳で睨み返して来た。竜王はリオの態度に少々笑みを深める。
「では、決めたぞ、天の子レオリアよ」
 リオは竜王を見上げた。息をつめて次の言葉を待つ。竜王は簡潔に一言だけ言った。
「去れ」
 リオはほっと溜め息をついた。これでまたひとつ、やり遂げた。しかし背後から突き刺さる非難の視線が痛い。悪魔たちは普段感情が少ない分、爆発した時のエネルギーがすごいようだ。背筋に震えが走った。
 不満を隠そうともしない悪魔たちを見たのか、竜王は冷たく笑った。
「レオリアが身を呈して我々の怒りを鎮めたのだ。それを無駄にするでない。これ以上の長居は無用だ、我々がふもとまで送ってよこそう」
 リオには竜王の魔法が自分たちを包むのが見えた。移動の魔法だ。これではメフィストフェレスもベリアルも粘りようがないだろう。
 風景がかき消える寸前、リオは竜王の声を聞いた。リオだけに話しかけたようだった。
「我はお前の母を知っている。サタンの妹のリリスの子。お前は彼女より、さらに多くを背負う娘だな、両天の子よ」

 我に返った時には、山のふもと付近に立っていた。寒くなったし、周りに生える木でそれが分かった。リオは息を吐いた。正直、すごく怖かった。
 その時、肩を鷲掴みにされて、リオは痛みに思わず声を上げた。メフィストフェレスだった。
「どういうつもりだ、レオリア」





最終改訂 2008/05/28