EVER...
chapter:2-story:39
向かい合う
 

 


 早くも総司令官の仕事に追われるようになったライリス以外は、難民たちの相手をしたり教会の仕事をこなす以外、皆ほとんどの時間をウィルの資料を読むことに費やすことになった。よくもこれだけの量の情報を女神の監視の下から集められたなと感心するくらいだ。
「ウィル……ほんと、態度には出さないけどあいつが一番反抗的だよね」
 エルトが紙束を睨みながら呟く。
「昔はあんな性格じゃなかったらしいけど」
「えー、そうなん?」
 アーウィンが言う。文字はあまり読めないというアーウィンは、ソファに寝転がって退屈そうな顔をしながら書面のにらめっこをしていた。分からない所は後でライリスに教えてもらうのだと言う。
「オーリエイトに聞いた話だけどね。小さいころはずっと従順な子だったらしいよ。それがレインが教会に入った1年ぐらい後に、ある日突然暴れたんだって」
「なんだそりゃ」
「泣き喚いて、不公平だ、って叫んでたって。で、クローゼラにすごいお仕置きされたらしいよ。何週間も寝込んだくらい。完治するまで2カ月かかったって」
 アーウィンは絶句し、口をあんぐりと開けた。
「……おっかないな」
「うん。僕はそこまで酷いことされたことはないけど、とにかく今のウィルになったのはそれかららしいよ。僕も何回か、ウィルが叱られたの見たことあるけど」
 エルトは一端言葉を切り、言った。
「あいつ、全然堪えてないみたいだった。平気な顔してたんだ。すごい演技力だよ。辛くないはずないのにさ。絶対屈さないって決めてたんだよ、ウィルは。……あんな強い意志、普通持てない」
「ふうん……」
「まあ、だからクローゼラもウィルのこと、少し持て余し始めてたみたい。それで逆に目を離さなくなったんだけどね。何が何でも閉じ込めておこうとしてた」
「あー、だからか、女神がウィルにご執心だったのは」
「そう」
 エルトはページをめくった。
「一番縛られていながら、一番屈さないんだ」
「……危なっかしいな」
 エルトは頷いた。
「旅先でクローゼラと鉢合わせなきゃいいけど。そんなことになったら、いくら何でも、あれだな、クローゼラならこう言う。『おイタが過ぎるわ』って」
 アーウィンが嫌そうな顔をした。
「いくらババアだからって、そりゃ子供扱いしすぎじゃねぇの?」
「そういう人だよ」
「知ってるけどさ。行き過ぎ」
 エルトは肩をすくめた。

 そこへ、ライリスが入って来た。部屋を見回して彼女は呟く。
「あれ、参加率低いなぁ」
「レインは行方不明。ノアはこれの読み過ぎで眠くなったみたいで、もう布団に入った。昼間もずっとペガサスの通訳してたし」
 エルトの説明を聞き、ライリスは肩をすくめた。
「レイン減点1。後でウィルに言い付けてやろう」
 アーウィンが笑った。

「なんか読めないとこあった?」
 ライリスに聞かれたアーウィンはぱらぱらとページを戻した。
「ここ。これどういう意味だ?」
「ああ、それは魔法言語だから知らなくて当然だよ。こっちは固有名詞だし。合わせると熾天使ウリエルって意味」
「してんし?」
「最高位の天使のこと。サタンも元はこれじゃなかったっけ」
「……天使をこれって言うなよ」
 エルトが突っ込みをいれた。
「それにしても、クローゼラがマーリンの弟子だったなんてね。オーリエイトと姉妹弟子か……」
「ねえ、オーリエイトって何者なんだろう」
 ライリスも二人に交じって書類をめくりながら言った。
「導く者ってそもそもなんなんだろうね。クローゼラが悪魔側に寝返った理由も気になるし」
「オーリエイトって自分の過去のことになると何も話さないからね」
「だな」
 エルトにアーウィンが賛同した。
「だからウィルがわざわざこんなもの集めて来たんだろーな」
 ライリスが少し笑った。
「ぼくは、オーリエイトの、言いたくないって気持ち、分かるけどな」
「え、ライリス、とっくに自分のこと僕たちに話してるじゃないか。まだなにかあるの?」
 ライリスは何も言わなかった。エルトは肩をすくめる。
「いや、言わないってことは言いたくないんだろうけど」
 ライリスは笑った。
「エルトは優しいね」
「……別に」
「そんで素直じゃねーな」
「うるさい」
 ライリスとアーウィンが笑った。

「あ」
 ふとライリスが顔をあげた。
「もうこんな時間か。ごめん、母さんのとこにいかなきゃ」
「……毎日熱心だね」
 エルトが上目使いに言うと、ライリスは肩をすくめて微笑した。
「母さんはぼくがいないとだめだから」
 エルトとアーウィンは不安そうに顔を見合わせた。
「大丈夫」
 ライリスは言う。
「そういう意味じゃないから。ぼくは大丈夫」

 ロウソクを一本頂戴して、ライリスは部屋を出た。本当は明かりがいらないほど、通い慣れていて完璧に覚えている道なのだが。使用人たちしか使わない狭い廊下を抜けて、ライリスは女王の寝室の裏口を開けた。真紅のカーテンを一枚ずつ開いていけば、赤みがかった明るい茶髪をろうそくの炎に透かして、女王は自身の机に向かっていた。仕事が終わらなくて、自室でやっていると見た。
 人の入って来た気配に、女王は顔を上げ、ライリスの姿を見つけた。いっそ愛らしいという形容詞がふさわしいような、若々しく美しい顔立ちの女王は嬉しそうに微笑む。
「ライリス」
 彼女は立ち上がり、娘を迎えた。そっと抱き締めて、呟いた。
「疲れているみたいね。最近忙しいものね。大丈夫?」
「平気。むしろ楽しいくらいだよ」
 ローズ女王はその言葉に笑み、そっとライリスの髪を手に取った。
「わたくし、この髪、とても好きよ……」
 愛しそうに髪をなでる女王に向かって、ライリスはきっぱりと言った。
「ねえ母さん。“私”は父さんじゃないんだよ」
 女王はビクッと手を震わせて、目を見開いた。


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「新神はどんな他の種族にも譲歩したりはせぬのだ。それをお前は竜の言いなりにしおって。新神の誇りを何だと思っている」
 メフィストフェレスの声が耳にじんじんと響いたが、リオももうおとなしく黙ってはいなかった。ここへ来たばかりの頃はおとなしかったから悪魔たちにもおとなしいという印象を植えてしまったかもしれないが、リオは既に絶望することをやめているし、意志をもち、目的を持って動いているのだ。
「黒焼きになるのを防いだのに、叱られなきゃいけないんですか?」
 リオは強気に言い返した。
「そもそも、竜を怒らせたのはあなたじゃないですか。誇りのために死にたかったというならどうぞお好きになさってください。あなたに怒られるいわれはありません」
 メフィストフェレスが怒りで真っ赤になる。そこにベリアルが割って入った。
「メフィスト、もう終わったことだ、よせ」
 メフィストフェレスは振り返り、ベリアルを睨んだ。
「お前はいつも、レオリアの肩を持つ!」
「そうではない」
 ベリアルは冷静だった。
「メフィストフェレス、お前はどうしてそう性急なのだ。お前が竜たちを怒らせたということには私も同意するぞ」
 メフィストフェレスは口を噤んだが、まだ怒っているようだった。
 ベリアルがクルリとリオの方を振り向いた。リオは半歩後じさった。
「さて、レオリア。私も慈悲の女神ではないからね。我々の目的は百も承知であったであろう? ついでにカインにこそこそ色々なことを聞き回っていたようだしね。お前はあくまでも竜たちを鎮めるためにあっさり交渉を諦めたのかえ、それとも意図的に引き下がったのかえ?」
 自身が言った通り、ベリアルは冷酷なのだと、リオはその時初めて実感した。誰より悪魔らしいのが彼女かもしれない。魔王の側近だったという彼女。そして言葉に含まれた意味は明らかだった。リオはいっそ開き直りにも近い境地で、慎重に深呼吸をした後に言った。
「どうとってくれても構いません」
 思ったよりずっと静かで強い声が出た。
「あたしがあなたたちのやり方に賛成していないことこそ、そちらは百も承知なんじゃないですか。……あたしは、この世界で育ちました。大切な人がいた世界です。今も大切な人が生きている世界です。あたしだって死ぬのは嫌だし、自分がサタンの姪だってことはよく承知しています。こちらの味方をしなければいけない時はします。けれど、あたしが自分の意志でそちらの有利なようには動きませんから」
 周りの悪魔たちが怒りに満ちたのを感じてリオは少し怯んだが、真っすぐベリアルとメフィストフェレスを見つめ返していた。
 ベリアルは嘲るように笑った。
「リリスの子はリリスというわけか。……申し訳ない、皆の衆。私は見る目がなかったと見える。既にこの地の穢れに毒された後だったか」
 リオは強い声で言った。
「竜王が言ったことを覚えてますか。穢れがあるからこそ、美しく映えるんです」
「こんな穢れた人間たちのいる世界がか。誰もが自分のことばかり、善意さえ突き詰めれば自分のため。そんな世界、滅んだ方がよいではないか」
「汚い世界だから、好きなの。汚いから、綺麗なの。人は醜いから、身勝手で、わがままで、意地汚く命にしがみつくわ。でも、その必死な生き様が綺麗なのよ」
 ベリアルは目を細めた。
「メフィスト。我々はレオリアを甘く見ていたようだよ」
 口元が冷酷に笑んでいる。リオは少し怖かった。
「どうやら思わぬ危険分子を拾ってしまったようだ。リリスと同じぐらいには油断ならぬ」
「そのようだな」
 メフィストフェレスも、依然激しい目でリオを睨んで言った。
「ベリアル、今度こそ私は強行手段に出るぞ。サタン様の姪だというが、それがなんなのだ。天幕に軟禁し、見張りをつけよう。使い所を見極めて、我々に協力させるのは最低限でよかろう」
 ベリアルは少し考えた。それから、リオを見つめて言った。
「それでよいよ。お前にしては手緩いな、メフィスト」
 ふん、とメフィストフェレスは鼻を鳴らした。
「妥協だ。お前が文句を言うからな」
 ベリアルはふ、と笑った。
「竜はまた別の群を探すとしよう。まずはカートラルトのやつらに合流せねばならぬが……この子を好き勝手に野放しにせぬようにせねば」
 ベリアルは言うとリオの腕をつかんだ。
「私がレオリアを見張ろう。とりあえず、まずは山の上の待機組に失敗の報告と下山令を出さねば。フェンリル」
 狼に似た魔物はいつもベリアルの側に控えている。ベリアルに名を呼ばれると、フェンリルは心得たようにひとつ吠えると疾風のように山を駆け登って行った。
 軟禁。リオはその言葉が示すことに気づいて少し不安になり、聞いてみた。
「あの」
「なんだ」
 返事は氷点下の冷たさだった。これは良い返事は望めそうにない。
「カインとは、会ったりおしゃべりしても……?」
 今更だが、カインがいなければこんな場所耐えられないと思ったのだ。生意気でもニヒルでも可愛くなくても、少なくともリオに親しげに話しかけてくるのはあのハーフの少年だけなのだ。
 ベリアルはちらりとリオを見た。
「だめだと言えばお前にとっては大きなダメージになるのだろうね」
 う。見透かされている。
「さてね、それはお前があの子に妙なことを吹き込んでいないかどうかにもよろう。よく考えておく」
 リオは溜め息をついた。我を張ったことが間違っていたとは思わないが、既に後悔がうっすらと胸に広がり始めていた。





最終改訂 2008/06/12