EVER...
chapter:2-story:40
決着と懐古
 

 


 また雪が降ったので、兵の訓練は休みになった。部屋の中、レインはノアを連れ、小鳥たちの見てきた戦況をノアに通訳してもらい、クライド氏と一緒に地図を見ながら分析をしている。珍しく協力的だ。この前ライリスに「ウィルに言っちゃうよ」と言われたのが効いたようだ。
 アーウィンはレインにもらった呪符とエルトにもらった薬の小瓶を整理し、持ち運びに便利なように、ジャケットの裏にたくさんのポケットを縫い付けていた。針に布をさすのに別に没頭しているわけではなかったが、部屋が広すぎるので、部屋の反対側にいる三人の声は、アーウィンには微かにぼそぼそ聞こえるだけだった。
 その時に、ライリスがアーウィンに近い方の入り口から入ってきた。アーウィンが裁縫道具を広げているのを見て、彼女は目を丸くした。
「……アーウィンの針仕事なんて初めて見た」
「けっこー上手いだろ?」
「うん。意外」
「孤児で独り者だからな。生活面の面倒は自分でみないといけないし」
 ちょきんと糸を切って、手早く糸の始末をした後、アーウィンはライリスを見上げた。
「どうかしたか?」
 ライリスはアーウィンの隣に座り、自分の膝を抱いた。ああ、これはなにか悩んでいるポーズだな、とアーウィンは思った。
「……ぼくは母さんに、ぼくは父さんじゃないって言ってきたよ」
 アーウィンは少しの間黙っていた。別に驚いたというわけではなかった。
「いつ?」
「夕べ」
「それで?」
「ぼくを通して父さんを見るのはやめて欲しいって言った。父さんに依存するのはやめて、父さんがいないと自分自身にすらなれないのはやめて、ちゃんと自分自身を見て欲しい、って言ってきた。母さん、震えて真っ青だった」
「ふーん……」
 アーウィンは呟いた。
「よくやったな」
 ライリスは笑った。
「ありがとう」
 アーウィンはに、と笑う。
「いい傾向だぜ。その調子で暴走しちまえ。オレは止めないから」
「うん。ちゃんとついてきてよね」
「おうよ」
 それからふと、アーウィンは思いついたように聞いてみた。見慣れた木の葉色に瞳が、なぜかひどく昔の記憶と結びついた気がしたのだ。
「なあライリス、オレたちが初めて会った時のことだけどさ」
「うん? あの山の中?」
「オレ、思ったんだけど、それより随分前にも会ったことねぇか?」
 ライリスは眉をひそめた。
「それって、ぼくがまだカートラルトにいた時のこと?」
「や、そんな昔じゃねぇよ。第一、お前が王宮に連れてこられた時、オレはまだ二歳だぜ」
 アーウィンはせっせと出来上がったポケットに薬瓶を押し込みながら言った。
「なんかな、エルトからお前がドレスを着たって聞いて、急に思い出したんだよ。あれがお前だったかどうかは覚えてないけど……お前、昔髪が長くなかったか?」
 ライリスの表情が強張ったが、アーウィンは気にしないことにした。
「まいっか」
 とりあえず諦めておく。言ってもしょうがないと思ったのだ。
「思い出したところでどうにかなるわけじゃないからな。忘れてくれ」
「…………」
 ライリスは黙っていた。
 アーウィンは最後の呪符の一枚までポケットに収めて、達成感と共に「できた!」と言った。ちょっと得意だった。
 ライリスが口を開く。
「アーウィン。聞きたいんだけど」
「あ?」
「ぼくは今まで自分が暮らしてきた環境を大きく変えようと思う。というより、崩そうと思う。正しいか間違ってるかは分からないけど。どう思う?」
「いんじゃねぇの?」
 アーウィンはこだわりなく言った。
「正しいとか間違ってるとか、そんなんじゃねぇんだよ。今の状況が嫌なら動け。全部崩しちまえばいい」
「うん」
 ライリスは安心した顔でいい、おもむろに立ち上がった。
「そうする」

 アーウィンが見ている前で、彼女は部屋を横切った。部屋の反対側へ向かって、まっすぐに。彼女が未だ避けているはずの人物のところだった。やっぱりそういうことか、とアーウィンは思った。
 クライドは娘がこちらに歩いてくるのを見て、少し驚いた顔をした。
「父さん」
 ライリスは初めて、本人に向かって「父さん」と呼びかけた。
「ちょっと、一緒に来てもらえない?」
 真剣な顔をした娘の表情を見つめ、何か決意のような、一歩も引かないものを感じたのだろう、クライドは頷いた。
「ついてきて」
 ライリスはくるりと背を向けると、手招きをした。
 部屋を出て行く二人を見つめて、アーウィンはやれやれと息を吐いた。
「遅ぇっつの。……大変だね、まったく」

 ライリスの父はライリスについて裏路地を抜けていた。彼はこんな通路を知らないだろうから、どこに向かっているのかも分かるまい。螺旋階段を上がり、ライリスはドアを開けた。赤いカーテンのかかった部屋。そのカーテンを持ち上げてライリスは振り返り、「入って」と言った。父は怪訝そうな顔をしたが、入ってきた。カーテンをかき分けて進む。
 母はそこにいた。父もカーテンを潜り抜けた音がし、同時に母が振り返った。
 時が、硬直する一瞬。
 ライリスの両親は互いに目を見開いて、見つめ合っていた。
「クライド?」
「ローズ……」
 ライリスは足の止まった父の背中を押した。
「父さん」
 ライリスは言った。
「ぼくは父さんの子に生まれた。母さんは父さんのことが好きで、ぼくまで生んだ。父さん、背負うなら全部背負って。父さんが守るべき、守護者としての責務があるからと言って、ぼくと母さんにしたことの責任を放り出すのは許さないから」
 クライドはライリスを振り返り、同じ色をしたライリスの目を見つめた。様々な思いが去来しているのが瞳に見えた。ライリスは負けじと見つめ返した。父が目を逸らす。
 ライリスは母にも向き直り、言った。
「母さんも。父さんが戻ってきたとは思わないでね。ぬか喜びになるだけだから。ぼくたち家族はもうずっと家族じゃかった。その時間は取り戻せないから。……ぼくはただ、二人に決着をつけて欲しいんだ」
 そしてライリスは、そっとカーテンをめくって部屋を後にした。

 残されて困り果てた様子のクライドが、ゆっくりローズのほうを向く。彼女はゆっくりと歩いてクライドに近付き、クライドを見上げると、微笑んで背伸びをし、十二年ぶりのキスをした。


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 竜の一件から、リオは毎日、することもなく天幕に閉じこもる羽目になった。カインは三日間現れなかったが、四日目にチラッと顔を見せて、すぐに人目を憚るように消えた。だが六日目になってようやく、リオの天幕に入ってきて、寝台の傍のいすに腰を下ろしてあぐらをかいた。
 リオは嬉しかった。ニヒルで生意気でも、リオにとっては大きな存在だった。
「よかったわ。来るのを禁止されていたりしたら、あたしどうしようかと思ってた」
 カインは心底驚いた顔をした。
「俺が来るの、楽しみにしてたの?」
 珍しく可愛い質問だったが、答えるのはちょっと癪だ。でも、答えてみるのも面白いかもしれないと思って口をあけた。
「まあね。最近可愛いところもあるんだって分かってきたところだし」
 すると、カインはぽかんと口をあけた。そんな風に思われたのはカインにとって初めてらしい。リオは少し首を傾げた。
「もしかして、神様って誰かを好きになったりしないの?」
「や、そういうわけじゃないけど」
 カインは相当戸惑っている。
「うん、そういうわけじゃない。だってそうじゃなかったら俺、こんなところに姉ちゃんに会いに来たりしないし」
 今度はリオが目を丸くする番だった。懐かれてるのかなーとは思っていたが、いっそ憎らしいほど素直じゃない彼がそれを口に出して言うとは思わなかった。カインも口にしたことを後悔したようで、慌てたように言った。
「だからって味方する気はないからなっ! 俺は新神派としての生き方しか知らないんだし、姉ちゃんのために何かする気はないから!」
 別にそんな打算的な考えで仲良くしているわけではないんだけど、とリオは苦笑した。カインがまるで本当の弟のような、一瞬そんな気がした。これはとても幸せな気分だった。
 久々の感覚に、懐かしい人たちのことが鮮烈に思い出された。カインとは似ても似つかない、大人しく素直なノア。何を考えているのか分からない、哀しく冷徹な瞳をしたレイン。強がってばかりで素直なのか強情なのかよくわからないエルト。明るく冗談好きで、楽観的なアーウィン。非凡な才を持った、さっぱりと男の子みたいな性格をしたライリス。
 そして、時に傷つきやすく柔和で穏やかなのに、時に鋭く無慈悲なウィル。金と青のオッド・アイ、漆黒の髪、いつも紳士的な丁寧な口調。切ないくらいに痛みを伴った懐かしさだった。特にウィルのことを考えると悲しかった。自分がウィルをどう思っていたか、伝えることすらできずに、憎むべき敵将の姪として逃げてきてしまった。
「……姉ちゃん? どうかしたのか?」
 カインが心配そうに聞いてきた。怯えたような顔色が混じっているのは、ここに来たばかりのときのリオと、同じ表情をしてしまっていたからかもしれない。
「平気」
 リオは言った。
「カインを見てたらね、昔の仲間のことを思い出してしまっていただけ」
「ああ……姉ちゃんの“大好きな人たち”のことか」
 カインは言い、少し考えるような顔をした後、言った。
「向こうは姉ちゃんを探してるんだろ? この前の小鳥とか」
「そうね。……でも、探してるのはあたしじゃなくて魔王の姪なんだと思う」
 カインは黙った。それから、ポツリと聞いた。
「どんなやつら? 姉ちゃんに似てる?」
「なんであたしに似てるのよ。皆あたしとは別人なのよ」
「いや、同じ考え方、するのかなと思って」
 カインが呟いた。
「だって姉ちゃん、媚びないし、曲がらないし、好きだって言ってくるし。姉ちゃん、変人だ。そいつらも変人なの?」
 なんて失礼な、と思ったが微笑ましいので言うのはやめておいた。代わりに、笑って見せた。
「うん。みんな優しいよ」
「……それって、自分勝手って事だろ」
「そうかな。お互いのことを思い合ってるって事よ」
「好きだから、って理由があるからだろ。理由がなきゃ優しくもできないんだ」
 リオは言葉に詰まった。けれど。
「理由があっても優しくできないよりは、ずっといいと思うわ」
「…………」
 今度はカインが黙る番だった。リオはそんなカインを見て、言った。
「会わせてあげたいな」
「誰を? 俺を? そいつらに?」
 リオは頷いた。
「そしたら分かるよ。この世界が綺麗だってこと」
 カインが顔を上げ、リオと目が合った。真紅の瞳が、ひどく澄んで見えた。ああ、歪んではいるけれど、この子は無垢なんだな、とリオは思った。

 そのとき、召集の合図のラッパが鳴った。カインは弾かれたように立ち上がり、思わずという感じで呟いた。
「ちぇっ、もうやるのかよ」
 リオはその言葉に敏感に反応し、眉根を寄せた。
「やるって何を?」
 カインははっとした。うっかり口を滑らせたことを悔いる様子だ。だがリオは引き下がらなかった。もう一度問う。
「何をやるの?」
「建築というか創作というか……作ってる」
「何を?」
 カインは逃げるように天幕の出口に向かいながら、小さな声で返事をよこした。
「姉ちゃんは知らないほうがいいよ」
 




最終改訂 2008/06/22