EVER...
chapter:2-story:42
計画と戦争の話

 


 ウィルの集めた資料に目を通していたライリスが、ふとレインに聞いた。
「普通の人間を、半永久的に生かす方法はある?」
 レインはライリスのほうを見もせずに答えた。
「あるよ。あるけど、神か太古の強い魔法使いでないとできない」
 ふーん、とライリスは呟き、ぽつりと言った。
「サタンって、グロリアさんをかなりひいきしていたみたいだね」
 レインは黙っていた。ライリスもそれ以上何も言わなかった。全て理解してしまったらしい。
 ライリスはその話題を打ち切ることにしたらしく、資料をおくと、立ち上がって伸びをした。
「そうだ、そろそろ出発の日を決めないといけないんだけど、レインはいつがいいと思う?」
 レインは顔を上げる。
「戦争の準備は整ったのかい?」
 ライリスは肩をすくめた。
「大体ね。それにほら、オーリエイトたちがリオを呼び戻すのに成功しても、悪魔たちが追っ手を差し向けるかもしれない。援護にちょうどいいでしょ?」
「なんだよ、いきなりぶつかんのか。こりゃ、心の準備しとかなきゃな」
 アーウィンが呟く。エリオットがレインを見上げた。
「レインはクローゼラがいつ戻ってくるか、聞いてない?」
 レインは首を横に振った。
「サタンを封印した場所を見つけたらしいってオーリエイトが言っていたけど、だからってずっとそこにとどまるわけでもないだろうからね。そのうち戻ってくるんじゃないかい?」
「そのうち、ね……」
 エルトは肩をすくめた。
「じゃあ僕たちはグラティアをあまり離れないほうがよさそうだね」
 そこでライリスが、ふと気付いたというように聞いた。
「そういえば、君たちはずっと当たり前な顔をしてぼくたちを手伝ってたけど、クローゼラが戻ってきてもまだいられるの?」
 守護者の少年たちは顔を見合わせ、少しの間黙っていた。
「……だめじゃないのかな」
 エルトが控えめに言うと、レインがきっぱりとそれを明確にした。
「だめだよ。だからリオには早く戻ってもらわないといけない」
「え、レイン、もしかしてリオをグラティアに送り込む気?」
 エルトが言うと、レインは当たり前だ、という顔をした。
「他に誰が契約を破れる? リオなら、クローゼラと一対一なら負けない」
 ライリスが呆れたようにレインを見つめた。
「……まあ、最近はリオが帰ってくることに意見しなくなったら、そんなことだろうと思ったけど。君のことだから、どうせもう契約書奪還作戦ぐらい完璧に考えてあるんだろうね」
 レインは答えず、意味深な笑みを見せただけだった。ライリスが聞く。
「リオが戻らなかったらどうする気?」
「戻るさ。ウィルが迎えに行ったんだから」
 それを聞いてアーウィンが首を傾げた。
「なんだそれ。つまりあれか、あの二人って両思いなのか?」
 レインはそれについては答えず、肩をすくめただけだった。
「ウィルは光だよ。闇を引き寄せる力がある。光が目の前にあって、付いていきたくならない闇はいない」
「……概念的過ぎてわかんねぇ」
 アーウィンがぼやいた。
 苦笑しているライリスに、レインが聞く。
「それで、君のご両親はどうするんだい? 風を戦力に入れるかどうかで計画が変わるんだけど」
「知らないよ」
 ライリスは言った。
「ぼくは君みたいに、なんでも自分の思い通りに動くように手配したりしない。父さんがぼくたちについてくるかどうかは、母さんと父さんの問題だと思ってるから」
 レインは眉をひそめた。理解できない様子だった。ライリスはそれに気づいたのか、更に、諭すように言った。
「レイン、世の中は広いんだ。自分以外にも、たくさんの人がいて、たくさんの意思があるんだよ」
 レインはその言葉を聞いて、咀嚼するように黙ってライリスを見つめていた。いつもは微笑みながらまるで聞く耳を貸さずに自分の持論を通すだけなのだから、レインにしては珍しい反応だった。
「……僕は他人にはなれない」
 最終的にレインはそう言った。他人の意思は知ったことではないということだろう。ちょっと考えてくれたものの、やっぱりレインはレインだった。ライリスはやれやれというように首を振り、諦めたようだった。
「だめだね。オーリエイトが言っても無駄なことを、ぼくが言っても意味ないか」
 どうしてこんな生き方をするのか、見てるこちらが辛くなるくらいだ。ライリスはレインをちらりと見ると、少々投げやりに言った。
「もういいよ。君はぼくたちの手にはあまる。好き勝手にしていいよ」
 レインは笑った。
「それはありがたいね。君はできれば敵に回したくない」
「ただし」
 ライリスは鮮烈な木の葉色の瞳に鋭い光を灯した。
「仲間を捨て駒にすることは許さない。いたずらに戦力を囮に使うような時は、ぼくも遠慮せずにいかせてもらうよ」
 レインは肩をすくめた。
「作戦が半分ほどおじゃんになったよ」
「それはよかった」
 ライリスは皮肉っぽく言った。
「ぼくは一応、この国の王標印の持ち主だからね。その分の特権も責務も担う。ショルセン国民をわざと傷つけることは許さない」
 えっ、とエルトが顔を上げた。
「ライリス、王位を継ぐ気になったの?」
 ライリスはうーんといって首を傾げた。
「その気になったというか、どっちつかずが嫌になっただけかな。まあ、ぼくしかいないわけだしね。でも、やるからには徹底的にやるよ」
 ライリスは前に進んでいる。まだ不安定な危うさはあるが、自分の足で進んでいるのだ。本当に前向きに、積極的になった。
 レインが少しだけ、そのライリスを見てうらやましそうな目をしたように見えた。


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 カインは医者を呼ぼうか、と言い出した。暇さえあれば寝る、そして寝言を言う、たまに叫んで飛び起きる、といったリオの生活を気味悪がり、不安になるのも、まあ無理ない話だった。しかしリオは平気だと言い張ったし、実際平気だった。それに、悪魔の医者といわれて、どんな相手か想像するだけで怖かったせいもある。
 なにより、リオは夢が見たかった。この前の夢以来、あまり衝撃的な新事実は得られていないが、それでも母に会えるのが嬉しかったし、グロリアとオーリエイトを重ねて、彼女に会えたような気分になれた。
 それにしても、サタンがグロリアに執着していたというのは驚きだ、とリオは思った。あの夢は衝撃的な内容が多かったが。オーリエイトはその記憶があるのだろうか、と思う。多分、あるのだろう。降魔戦争を「実際に見てきた」と断言するくらいなのだから。
 カインにはそんな事情を打ち明けていないので、彼はリオの具合が悪いのだと思い込んでいるようだった。心配をしているような言葉は一切口にしなかったが、以前より更に頻繁にリオの天幕を訪れるようになっている。最近ではリオが接触しているのはカイン一人で、情報源の不足と孤独とがあいまって、リオは長いこと彼と話し込み、色々聞くようになった。
「ねえ、サタンには恋人はいなかったの?」
 一体サタンがグロリアに抱いていたのは恋情なのか、分からなかったのでこんな聞き方をしてみた。 カインは目を瞬いて、恋人って言い方はちょっと違う気がするけど、と前置きをして言った。
「敵の司令官の一人に執着してたって話は聞いた」
「そう……カインって、降魔戦争には詳しい?」
 カインは首を傾げた。
「降魔戦争? 聖戦のことか?」
 また固有名詞の違い。意思の疎通がしにくいなぁと思いながら、リオは頷いた。
「たぶんそれのこと」
「別に詳しいわけじゃないけどな、サタンへの忠誠心を刷り込む教育とやらで色々聞かされてはいる」
 リオは苦笑した。
「……刷り込みは失敗してるみたいね」
「成功させてたまるか」
 この子は一体どんな幼少期を送ったんだろう。
「それで、カイン、その敵方の司令官って?」
「大賢者マーリンの弟子の一人だって。地上軍には導く者って呼ばれてたらしい」
 グロリアだ。夢は間違いなかったようだ。
「執着って、どんな感じの?」
「よくは知らないけど、こっちの陣営に来るように繰り返し誘ってたってさ。味方はしなくてもいいから側にいろって言ったって噂も聞いた」
 それでは本当にまるでグロリアを好いていたかのようだ。
「……なんで、サタンが敵なんかを」
「知るかよ。なんか水の守護者がこっちの側についたすぐあと、こっちの陣営にその守護者に会うために、導く者が来たことがあるんだって。サタンがそいつに執着するようになったのはその頃らしいから、その時に何かあったんじゃないの。人が人に執着するきっかけは色々あるだろ。理由なんてなかったりもするって聞いたぞ」
 リオは考え込んだ。好き、だったのだろうか。サタンが、グロリアを。そんなサタンは、話に聞いていて想像していた、目標のためにはなんでも切り捨て、盲目的なくらいに真っ直ぐ自分の道を突き進むような人物とはかけ離れているような気がして、リオは少し戸惑った。
「好きだったのかな、その導く者のこと」
 聞いてみたら、カインは不快そうに眉を寄せた。
「サタンが人間を好きになるわけがないだろう。そういうの、一番信じてないタイプのやつだよ、サタンは」
「知ったように言うのね」
「それが俺たちのサタン像だ」
 リオは再び黙った。自分の叔父だというのにリオは彼のことを何も知らない。仮にサタンがカインの言うとおりの人物だったとして、そして、仮にグロリアに何らかの形で愛情を抱いてしまったとして――そしたら、彼にとっては大いに戸惑う状況だったのだろうなと想像した。戸惑うサタンなど想像はできないのだが。
 カインはリオの想像に水をさした。
「人間ってホント、愛とかそういう方面に想像を働かせるの好きだよな」
 まるでリオの考えを読んだかのようだ。
「サタンのは気紛れか、単なる支配欲だろ。愛とかそんなくだらない事にかまけてられるほど、人間みたいにバカじゃないからな」
「……かっわいくない」
 どうしていつも悪ぶりたがるのやら。

 そのまま少し沈黙があり、カインはじっとリオを見つめていた。猫のような瞳孔の紅の瞳が、子供のものとは思えないくらい鋭い光を持っている。
「姉ちゃん、最近やたら聖戦のこととか、俺たちのこととか知りたがるよな」
 ぽつりとそう言われたので、リオは腹を探られる前に先回りした。
「何か都合でも悪いの?」
「別に……」
 カインは呟いて視線を逸らす。年上の功だ。まだ十代前半なのだから、2年の人生経験の差は意外と大きいのだ。リオは微笑んで、カインに言った。
「単なる好奇心よ。安心して」
「嘘だろ」
 カインは責めるような目でリオを見た。
「最近悪夢を見てるんだろ。聖戦関連の夢なんじゃないのか? だから聞くんだろ。無理してないで吐き出せよ。気を遣ってるつもりかもしれないけど、逆にこっちとしては不安になるんだよ」
 それはリオにとって意外な告白だった。心配してくれていたのか。心配してくれているから聞いてきたのか。リオが目を瞬いているうちに、カインは話を続けていた。
「こんな天幕に閉じこもって一歩も外に出ないからだ。なんなら俺がベリアルに交渉してやるよ。せめて外の空気を吸いに行かせてやれって」
 言った後でカインははっと気づいて口を押さえた。ものすごく戸惑った顔をしている。誰かを気遣って声をかけたのは、どうやら今回が初めてのようだ。実際リオも、カインが彼の大嫌いなベリアルに自ら交渉しに行くと言ってくれるほど、自分が慕われているとは思わなかった。
 リオは思わず腕を伸ばし、カインを引き寄せると髪をくしゃくしゃとなでた。
「ありがとう。カインってば可愛い」
 カインは一瞬何が起こったのか分からなかったらしく、目を見開いた。それから火を噴いたように赤くなって飛び退く。
「こここっ、今度やったら二度と姉ちゃんのために口利きなんかしてやらないからな!」
 カインは叫ぶと、なでられたところを押さえながら、逃げるように天幕を駆け出していった。ちょっとなでられたくらいで照れすぎではないだろうか。
 それにしても、さっきのは本当に可愛かったなぁ、とリオはくすりと笑みを漏らし、少し幸せな気分になった。誰かに心配してもらえるという温もり。その相手を大切に思える温もり。あたたかな、温もり。手放したと思っていた。
 圧倒的に、質も量も劣るけれど。今も、ちゃんと手の中にある。握り締めて、リオはまた鮮明に脳裏によみがえったたくさんの笑顔にふたをした。大丈夫。思い出の中にあれば、大丈夫。何より、今はこの手であの笑顔を守れる位置に、自分はいるのだ。
 大丈夫。

 天幕の外からは、連日と同じく、カンカンと金属を打つ音が響き続けていた。



最終改訂 2008/07/29