EVER...
chapter:2-story:47
女神との対峙
 

 


 また眠ってしまっていたらしく、リオが起こされた時は既に真昼だった。目をこすりながら荷車を降りると、鬨の声が聞こえた。くぐもって聞こえるのは、リオが下ろされたのが室内だからだ。石造りの城の内部のようだ。
 リオがきょろきょろしていると、カインが駆けつけてきた。
「姉ちゃん! 首切られてなかったんだな」
 物騒な、と思ったが、カインの顔が見れてリオは嬉しかった。
「良かった、カイン、ここはどこ?」
「カートラルトの王城攻めの拠点だよ。……姉ちゃん、なんてバカなことしたんだよ。なあ、姉ちゃんが闇の守護者って本当か?」
 リオは頷き、溜息をついた。
「サタンの姪といい、闇の守護者といい、なりたいとは思ってないものばっかり」
 カインはリオの腕を引いた。
「そんなことより、姉ちゃん、ショルセンが動いた」
「え?」
 カインはいつもの皮肉気な笑みを浮かべて言った。
「誰かが神話を暴露して、噂にして流したんだ。降魔戦争の話も創世記も流出した。それで、ショルセンの王女が派兵派に一気に支持を集めたんだって。今はその王女が総司令官になって、カートラルトに兵を向けてる」
「ほ、本当に?」
「メフィストフェレスが慌ててたぞ。ベルアルもちょっと目算が狂ったってちょっと動揺してた。面白くなりそうだ」
 本当にこの子は一体誰の味方なのやら。
 カインに呆れると同時に、リオはすごく嬉しかった。ライリスが動いた。自分から動いたんだ。今はさぞかし凛々しい顔をしているだろうと想像する。もう、壊れそうな表情で自分を抱きしめて泣いていたライリスではないのだ。嬉しくて、リオは心の中でがんばって、とエールを送った。一瞬、皆に繋がることができた気がした。
「それとな、姉ちゃん。これは絶対に姉ちゃんに言っとかなきゃいけないと思ったんだけど」
 カインはひとつ息を吸って言った。
「今、この城にクローゼラがいる」
 リオはぎょっとした。
「うそ?」
「本当。引き合わせるってベリアルが言ってたぜ。心の準備、しておけって。地下牢行きはそれから決めるらしい」
 カインはそこまで言うと、目を逸らした。不安と寂しさを、どうしても気取られたくないらしいが、どう見てもバレバレだ。リオは少し微笑んだ。
「あたしがどうなっても、カイン、会いに来てくれるでしょ?」
「姉ちゃんにか? ……冗談っ。何で俺がわざわざ……」
 言いかけたカインは口をつぐみ、拳を握るとリオの胸の上辺りにパンチを入れた。
「痛っ」
 ちょっと強かった。カインは謝らず、ただ呟いた。
「クローゼラにやられるなよ。……待ってろ」
 そしてカインはきびすを返すと、素早く走り去ってしまった。

 ほとんど同時に、案内役と思われる悪魔が現れた。
「レオリア・ラッセン、ベリアル様がお呼びだ」
 リオはその悪魔についていった。通されたのは、石も剥き出しの、寒々しく重々しい雰囲気の部屋だった。ただっ広い部屋に家具は一つもなく、巨大な世界地図のかかった壁の前に三つのいすが用意してあるだけだった。
 そのうち二つが埋まっていた。ベリアルとクローゼラだ。リオはにわかに緊張し始めた。二人並ぶといろいろな意味で怖かった。しかも二人は少し、というか結構距離をとって座っている。相当相容れないんだろうな、と思った。
「おかけ」
 そう言ったのはクローゼラだった。鈴を振ったような、涼やかで愛らしい、甘い声なのに、虚無的で冷たく感じる。リオはその言葉に従い、残されていたいすに座り、膝の上で拳を握った。握った中でじんわりと汗がにじむ。
「お久しぶりね、子鼠ちゃん」
 クローゼラがそう言って笑った。敵意のこもった声には氷のような冷たさがあった。
「目の色を変えたの?」
「……変えられたんです」
「そう。似合わないわね」
 クローゼラは言うと、リオの方に近付いてきた。

 リオは思わず身構える。クローゼラはにっこりと笑い、リオの耳元に口を近付けた。
「あなたが闇の守護者って本当?」
 リオは黙ってクローゼラを見つめ返していた。
「まあ、本当でしょうね。思い起こせば、あなたがそばにいると魔法がうまくいかないことが多かったもの」
 そして笑みの中に、リオへの拒絶と激しい殺意を交ぜた。
「サタン様の姪で、しかも闇の守護者だなんて、あなたったらどうしてそんな大事な役割を一人で持っていってしまうのかしら。やっかいだわ。その上わたくしのウィリアムまで懐柔して」
 クローゼラは独り言のように呟く。
「あの子の今の契約対象、あなたになっているのよ」
 リオは思わず顔を上げた。あまりに素直な反応だったことに気づいて顔をそらしたが遅かった。クローゼラはにっこりと笑い、リオに囁いた。
「ねえ、ウィリアムが今どうしているか、知りたい?」
 リオはクローゼラを見返した。
「……その手にはのらないわ」
「あら、何を言っているの。脅しじゃなくて質問よ」
「嘘ばっかり」
 クローゼラは手を伸ばし、リオの首に手をかけた。その冷たさに、背筋に寒気が走る。
「わたくしがいないから、あの子ったらきっと随分勝手なことをしているのでしょうね。あの子の魂はとても上質だから、もう少し育ててみようと思っていたのだけれど、今すぐ取り出してもいいのよ」
 一瞬瞳を揺らしたリオだったが、すぐに言い返した。
「サタンがまだ復活していないのに?」
「あら、だめよ、叔父様なんだから、ちゃんと様をつけて呼びなさい?」
「……あたしが自分の叔父をどう呼ぼうと、あなたの知ったことじゃないわ」
 クローゼラは気分を害したようだった。一瞬、リオに首にかけられたクローゼラの手に力がこもった。
「その口の利き方も直さなくてはダメね。ねえ、子鼠ちゃん、提案があるのだけれど、わたくしと血の契約をしない?」
 リオは目を瞬いた。
「……あたしの、闇の守護者としての力が欲しいの?」
「そうね」
「いやよ。契約したら、あなたはあたしをすぐに殺して魂だけ取るんでしょう」
「あら、そんなことはしないわ。完全に契約があなたを飲み込むのに一年はかかるもの。少なくとも後一年は生きられるわよ」
 慰めになってない。
「いやよ。あたしはあたしの意志で生きたいもの」
「ふうん。それでは、あなたにはもう、なくしたくないものがないのね?」
 何を言うんだろうとリオは訝ったが、気づいて血の気が引いた。
「……やっぱり脅してる」
「ふふ。やぱりあるんじゃないの。……カイン、かしら?」
 カインを知っているのか。それとも、リオと親しい人のことはもう調べているのか。
 クローゼラは勝利を確信したような笑みで、リオの顔にたっぷり自分の顔を近付けて言った。
「そんなに好きな人がたくさんいるなら、いつまで耐えられるか見ていてあげるわ。そうね、ウィリアムにもこのお仕置きは良く効いたのよ。同じことをしてあげる」
 リオは後退りをした。クローゼラはその反応を見て満足そうに笑う。リオを見つめながら、扉の外に向かって声を張り上げた。
「レオリアの牢を移してちょうだい。北の地下牢に」
 すぐに悪魔が数人入ってきて、リオの腕をがっちりと掴んで連行した。扉が閉まる時に振り返ったが、クローゼラは相変わらず殺意を交ぜた笑みでリオを見つめていた。


 リオが入れられたのは、部屋と部屋が格子で分けられた牢だった。どうやら捕虜を入れる牢のようで、傷ついた様子の人間がたくさんいた。暗くて湿っぽく、どこからともなく呻き声が聞こえてきたり、よどんだ空気に血の臭いが混じっていたりする。
 リオは荒々しい手つきで放り込まれた独房の壁際で丸くなり、これがお仕置きなのだろうかと考えていた。鏡だらけの部屋で一晩中嘲りの言葉を聞かされた、とウィルは言っていたが、これとは違うだろう。
「……寒い」
 暖房もなく日の光もないのだから当然と言えば当然だった。それを補う人肌はもっと望めそうにない。

「お嬢さん?」
 突然声をかけられ、リオは振り返った。隣の牢の人がこちらを見ていた。暗いから見分けはつかないだろうが、目の色が赤いままではいやだな、と思い、一度目を閉じてかけられた魔法を解いてから返事をした。
「何か?」
「本当にお嬢さんなんですね。なぜこんな牢に……」
「……あたし、ちょっと立場が特殊なの」
 リオはそれ以上身の上を明かさなかった。相手の人は少しの間黙っていた。
「カートラルトの人ではないですね。訛りが違う」
「……あなたはカートラルト人ですか」
「はい。カートラルトの宮廷魔法使いです」
 リオは顔をあげた。
「魔法使いさん?」
「はい。暗くて分からないでしょうけど、髪が黄緑色なんです」
「遠目でも魔法使いだとばれて色々苦労しませんでした?」
 相手は少し苦笑したようだった。
「はい。よくわかりましたね。あなたも魔法使いですか?」
「いいえ。……友達に、やっぱり異色の髪をした魔法使いがいるんです」
 ――彼らは、どうしているだろう。
「お名前を伺っても?」
 相手が聞いてきたのでリオは答えた。
「リオです」
「リオさんですか。ご出身は大陸の東の方ですか?」
「はい。リオは愛称で、本当はレオリアっていうんですけど」
「ああ、魔法言語で希望という意味ですね。良い名前です」
 初耳だった。
「そうなんですか?」
「知らなかったのですか。お母様か誰かに名前の由来を聞いたことがなかったのですね」
 聞いたことがないというより、聞けなかったのだが。
「ああ、それと、僕はクイと申します」
「クイ、さん?」
「はい。……こんなところで名乗り合うのもあれですけど、一人でも自分の存在を証明してくれる人を、この世に残しておいていった方がいいですよね」
 あまりに絶望的な希望にリオは言葉を失った。
「クイさん……死ぬんですか?」
「魔力の働きが異常になるような場所を知っていたら、あるいは助けてやろうと言われましたが……とても約束を守ってくれるとは信じられませんね」
 ごもっともだ。
 リオはふと、一つ気になって、クイと名乗る男にきいてみた。
「クイさん、敬語は癖ですか?」
「はあ、まあ。宮廷魔法使いなのだから、下の者に軽く見られないように直せとは言われているのですが……いやですか?」
「ううん、全然」
 リオは首を振った。ウィルの面影が鮮明によみがえってきて、胸が詰まるくらいだった。
「……クイさん。この世に残すなんて言わないで、頑張って生きましょう」
 精一杯、リオは隣人にそう言った。絶望の縁で死を望みながら、それでも生きたいと思うことをリオはよく知っていた。
 クイは何も言わなかった。





最終改訂 2008/10/27