EVER...
chapter:2-story:49
泡沫の希望
 

 


 リオは夢の中でクローゼラに会った。リオは力無く呟いた。
「ここから出して」
「あら、だめよ。まだお仕置きは仕上がっていないの」
 これ以上何があるのだ。リオは頭を抱えた。
「もやめて。お願い、あたしをここから出して。ここにいる人達を、放してあげて」
「じゃあ、もうわたくしの言うことを聞くと約束する?」
「…………」
 リオは答えられなかった。そうか、これがクローゼラのお仕置きなのか。一番つらい方法で相手を追い詰めて、限界まで追い詰めて、そして甘く囁くのだ。従え、と。
どうしよう。リオはもう疲れていた。いっそ従えば、楽になれるのだろうか。
「……いや」
 かろうじて、リオは踏ん張った。楽になるというのが目的ではなかったはずだ。楽にならなくてもいい。だから、自分がすべきことをしっかり完遂することが大事なのだ。従えるわけが、ない。
「いやです」
 クローゼラはきっと、ものすごく不機嫌になっただろう。
「本当にしぶといわね」
 リオは夢うつつに、ただその氷のように冷たい響きの声を聞いていた。
「後悔してももう遅いわよ? あなたが自分で選んだことなのだもの」
 そういい残して、夢は消えた。

 はっと目が覚めると、じめじめした地下牢の床の上だった。ひっきりなしに続いている悲鳴のせいでいつも眠りが浅く、リオは毎回妙な夢にうなされては冷や汗をかいて目が覚めるのだった。既に心身ともに疲労困憊だ。これでは一ヶ月ももっているクイのほうがずっと強い。
 リオは起き上がり、ごしごしと目をこすった。ひときわ高い悲鳴が上がり、思わず肩を震わせる。耳をふさぎたくなったが、ふさげなかった。たぶんこれが、闇を見つめすぎてしまうというリオの性質なのかもしれない。闇だから、闇から目をそらすのが罪のように感じてしまうのだ。
 隣りを見てみると、クイがじっとこちらを見つめていた。今日はなんとなく牢の中がいつもより明るくて、初めてといっていいほど、クイの顔がはっきり見えた。30を少し過ぎたか、30半ばくらいか。子供はまだ小さいだろう。髪は確かに黄緑色、若草の色だった。
「……目の色が、赤ではないのですね」
 クイがそう言った。口をきいてくれるらしい。リオは頷いた。
「あたし、ハーフだし……大した悪魔の力もないから、悪魔の血、薄いみたい」
 こんな言葉で信頼が取り戻せるとは思っていなかったが、なんとなく言い訳してしまった。ダメだな、自分、と思ってリオは自己嫌悪に陥りそうになりながらひざを抱える。言い訳していては誠意なんて伝わらないのに。
 クイはしばらく黙っていたが、しばらくしてリオに質問を始めた。
「自分が魔王の姪だということは最近知ったのですか」
「最近というか、ここ2ヶ月ぐらい」
「それまではどうしていたんですか」
「普通に暮らしてたよ」
「普通、とは悪魔の普通の生活ですか」
「ううん、あなたたちと同じ。あたし、エレクトル出身なの」
「エレクトル……大陸東端のあの国ですか」
 リオは頷いた。クイは思案するように押し黙る。そして、再び口を開いた。
「では、なぜ悪魔の仲間に」
「……拾われたのよ」
「ご両親は?」
「とうの昔に死んじゃった。お父さんのことは覚えてもいない」
 クイは再び黙った。どうやら、リオのことを理解しようとしてくれているらしい。一方的に敵視することは考え直し始めたようだ。リオはそれに気付いて、少し嬉しかった。
「……今まで、どのように暮らしてきたのです? その若さでは一人で暮らすのは大変ではないですか?」
「教会の神父様がよくしてくれていたの。でも、やっぱり死んじゃった。1年ぐらいは物乞いやってたかな。その後、友達に助けられてたんだけど」
「そうなのですか……苦労なさったのですね」
「そうかもしれないわ。……ここにいる人達と比べたらそうでもないんだろうけど。比べちゃったらいけないか。ごめんね」
「いいえ」
 クイは言い、少しの間黙っていた。
「あなたが嘘をついているとは、思えませんね」
 リオは答えなかった。顔を上げ、クイを見返す。黒い瞳が見返してきた。
「魔王の姪だとは思えません」
「血がつながってるからって性格が必ず似るわけじゃないもの。あたしのお母さんは、悪魔たちの中では裏切り者で有名なんだよ」
「……そうなんですか。魔王の兄弟が」
「そう。あたしはこの世界で育った。お母さんもこの世界が好きだったんだと思う。だから、あたしはこの世界に消えて欲しくないんだ」
 クイは頷いた。
「大好きな人達がいる、とも言っていましたね」
「うん。友達。みんなショルセンにいるの。……片思い中の人も」
 告白したリオに、クイはわずかに笑った。
「若いっていいですね」
「うん。だから、諦めない」
 クイは黙った。少しの間リオを見つめて、不思議ですね、と呟く。
「あなたのその姿勢は眩しいと言えるはずなのに、眩しいとは感じません。むしろ、静かで心地がいい」
「そう?」
「ええ。……妻を、思い出しました」
 クイの声に震えがにじんだ。
「会いたい、です。息子たちにも。まだ7歳と5歳なんです」
「……お名前、は」
「シュカとオーシスといいます」
「いい、名前だね」
 はい、と答えたクイは膝を抱き締めて歯を食いしばっているように見えた。
「でも、無事かどうかすら……」
「ねえ、クイさん」
 リオは繰り返した。
「生きよう?」
 クイは黙っていたが、やがて、聞き取りにくい声ながらも、確かに言った。
「はい」


 そしてリオは具体的な策を考え始めた。クイの返事に勇気づけられ、行動に移すことにしたのだ。決意だけあっても策がなければどうしようもない。
 しかし、脱走は不可能に思えた。鍵は普通の鍵と魔法鍵が二重にかけられている上、悪魔たちと片っ端から戦って城の外まで行くのは無謀である。しかもこの牢は地下ではなく地上高い階にあり、地面を掘って脱出、というのも不可能だった。
「悪魔たちが魔法を使う場合なら、あたし、なんとかできるの」
 リオは看守に聞こえないよう、ひそひそとクイに囁いた。
「あたし、魔法を消せるの。10人以上がいっせいに魔法を使ったらさすがに防ぎ切れないかもしれないけど……でも、あたし、魔法に対する絶対防御者だから」
「魔法を消す……? 冗談でしょう。そんな人がいるとは聞いたことありません」
 闇の守護者のことを話してもいいかどうか自信がなかったので、リオは実際に証明することにした。
「クイさん、何か魔法を使ってみて」
「いけません。使った瞬間に看守が感づきます」
「感づかないわ。使うそばから消して見せるから。ね、証明させて」
 ひどく不安そうだったが、クイはおそるおそる手を上げた。手が奮えている。本当は怖くてたまらないのだろう。その手から魔法の波長がほとばしったので、リオはその糸を片っ端から切った。糸が霧散するのが見えた。
 そして、沈黙。
「ほ、本当に何もおきませんね」
 リオは微笑んだ。
「もっと試す?」
「いいえ、あなたを信じます。……驚いた」
「今の、明かりの魔法ね。明かりを灯そうとしたんだね」
「なぜ分かるのですか」
「魔法の波長が見えるの。全部色が違うし、漂い方とかが違うから、見て分かるんだよ」
「すごいですね……」
「そのかわり、あたし、魔力はないの」
「そうなのですか。……魔王の姪なのに」
 リオは苦笑した。
「うん。悪魔たちもそれですごくがっかりしてたみたい」
「とりあえず、魔法の攻撃はこれである程度防げる訳ですね」
「うん。あとは人数の問題かな。このとおり、悪魔の数ってあまり多くないの。みんな魔法が使えるからやっかいなんだけど。魔法さえ封じちゃえば、あとは体力勝負よ」
「つまり」
 クイは不安そうに言った。
「全員を私達が解放して回ると」
「一人解放するごとに手伝ってくれる人も増えるんだから」
「そう簡単には考えない方がいいです。ここは地獄ですから。まずは地獄を脱出したいと一人で逃げ出す者も多いはずです」
「一人じゃ逃げられないわ。だから協力し合うのに」
「それはそうですが、こんな極限状態でそこまで頭が回る者が何人いることか」
 リオは黙り込んだ。
「理想で事は動きませんよ」
「知ってるわよ……」
 小さく呟く。
「理想で事を動かせるのは神様か悪魔たちぐらいだもの」
 クイも黙った。しかしそれは、返す言葉がなかったからという訳ではなかった。
 クイが顔を上げたのに気付いてリオも気配に気付いた。牢の向こうから、ベリアルが歩いて来るのが見えた。メフィストフェレスよりはマシかもしれないが、どちらにしろ悪魔には違いない。クイとリオはささっとお互いから離れた。

 ベリアルが近付いて来たのは、リオの独房ではなかった。隣りのクイの独房だ。リオの血の気が引いた。まさか。
「クイ・ストーバー、出ろ」
 久々に聞くベリアルの凛とした声だった。氷のように冷たい。クイは呆然としていた。希望を持ち始めたところに、突然の呼び出し。死の呼び出し。
 反射的に待って、と叫びそうになり、リオはすんでのところで声を飲み込んだ。
 ――クイと親しくなったことがバレたら、危ないのはきっと彼だ。失ったことがまざまざと蘇る。……神父様。体が震えた。

「また殺すの?」

 消え入りそうな声に、ベリアルが振り向いた。
「お前の知ったことではない。クローゼラのお仕置きが終わるまでそこでおとなしく座っていればよい」
「あたしは人形じゃないっ、あなたたちの作品でもないっ!!」
 リオは叫んだ。こんな仕打ち、卑怯だ。卑怯だ。与えて、奪って、そんなの卑怯だ。自分がやったことよりもっと卑怯だ。
「作品なんかじゃないっ!! もうやめて! 壊すのはやめて! あなたたちは全然創らない! 全然神様じゃない! 最低っ!!」
 ベリアルはちらりとリオを見つめた。ほんの一瞬憐れんだようにも見えたが、その表情ははっきりとみとめられるようになる前に消え、ベリアルもリオに背を向けた。クイを連れて。
 クイは抵抗をしなかった。魂が抜けたような足取りでベリアルについて行く。

 リオは叫んだ。叫んでいないと気が変になりそうだ。こぶしを握って石の壁を叩いた。手がじんと痺れたが、もう一度叩く。そのままずるずると壁に寄りかかってしゃがみこみ、溢れたもので視界がぼやけていくのを見ていた。





最終改訂 2008/11/27