EVER...
chapter:2-story:52
光と闇
 

 


「二人だけで行くのは危険すぎませんか」
 ウィルが言うとオーリエイトは打算的な微笑みを見せた。
「クローゼラだってバカじゃないわ。リオがまだ屈していないなら、私たちがリオとの取引に役立つと知っているはずよ。入っていきなりあの世送りということはないわ」
「ですが、それでは時間との勝負ではないですか」
「仕方ないわよ。大勢で押しかけたらもっとこじれるもの」
「大丈夫よ、ウィル」
 天使の血を引く少女はオーリエイトに目の色を変えてもらいながら言った。
「ちゃんと連れて帰って来るわ。あなたと同じくらいとはいかなくても、私だってすごくリオに帰って来てほしいのよ」
「分かっています」
 だからリディアの同行を許したのだ。彼女の必死さはリオを動かすだろう。いいところを取られてしまうことが、すこしだけ悔しいような気がした。
 その時、ふとこの二人に伝えておこうと思ってウィルは口を開いた。
「あの、どうしても説得が成功しそうにないなら……」
 言いかけてやめた。ほとんど確信に近い事実だが、本人に伝えたほうが良くないだろうか。遠い昔、クローゼラが何気なく口にしていたこと。彼女がウィルは覚えているまいと思っているであろうこと。ウィルはずっと知っていたはずだったのだ。ずっと忘れていただけ。そして、クローゼラの言う“異端の子”がリオだと知って、初めて思い出したこと。
「どうしたの、ウィル?」
 リディアが首を傾げたので、ウィルは笑った。やっぱり彼女たちには教えておこうと思い、自分の考えを二人に伝える。まさか、そんな、と驚く彼女たちに、ウィルは悪魔たちの前ではこのことを言わないように頼んだ。事態を複雑化させるだけだ。
「……前回の魔王の姪の件といい、もう二度目よ。今度からは、そういう大事なことはもう少し早めに教えて頂戴」
 オーリエイトに咎められ、少し苦みを交ぜた笑みを浮かべて、ウィルは精一杯の思いを二人に託した。
「分かりましたよ。……それと、リオに伝えてください。待っています、と」


 しかし待つというのは辛いことだった。ここまで自分の足で歩いて来たのに、と彼はそっと溜め息をつく。分かっている。あそこには女神がいる。悪魔に囲まれて今は彼らよりも神らしい振る舞いをしているに違いない。あそこに閉じ込められたリオが、かつての自分と同じような待遇を受けているのかと思うと戦慄が走った。
「急いでくださいよ……」
 ウィルはそう呟いた。こっちは今にも駆け出そうとする足を必死に抑えているのだ。遠目に城を眺めて、うごめく悪魔たちを一瞥し遠くの鬨の声を耳に拾う。
 遅い。
 何が起きているんだろう、ノアも連れて来て探査役を務めさせれば良かったとまで思い始めた時だった。

 説明しにくい感覚だが、ウィルは魔法が膨大するか収縮するような感覚を覚えた。しかも、それは魔法が人為的に力を加えられた感じだ。同時に、轟音がした。爆発音だ。巨大な火柱が上がる。
「リオ……!?」
 明らかにリオの、魔法を操る力が暴走した現象だ。これだけの力が爆発したということは、彼女にかかっているはずのリリスの封じの呪いは砕け散ったことだろう。まずい。悪魔たちがリオの瞳を見たら、バレてしまっているかもしれない。
 城の半分が吹っ飛ぶほどの大爆発で、爆風がウィルのところにまで届いた。ウィルはもう待たなかった。急いで斜面を駆け降りる。自分はクローゼラ以外と面識はないはずだから、彼女にさえ会わなければ大丈夫なはずだと踏んで、金の方の目の色を青に整えて城の方へ駆け寄った。


**********************


 体中が痛い。いや、痛いのは魂の方か、それとも心か。全部かもしれない。もうどっちでもいい。何も守れなかった。壊れるだけ。全部壊れて粉々になる。
 横たわる闇が心地よすぎて、リオは何も見えないことに感謝をした。人が自分という闇を求める理由が分かった気がする。確かに、心地いい。……でも、寒い。寒くて寂しかった。でもこれでいいのだ。レインに感謝した。あの時神殿で床に叩きつけられていなかったら、気付かないふりを続けていたかもしれない。のうのうと皆の所に居続けていたかもしれない。
「……オ」
 懐かしい温もりに、甘えていたかも。罪を重ねて、皆から傷を隠して、もう大丈夫なんだよと嘘をついて、もっと傷つけて。

「リオっ!」

 突然意識を呼び戻されてリオは目を開けた。自分を呼び戻そうとする強い意志に連れ戻された感じだ。寝かせておいてほしかったのに、と思いながらリオはまた目を閉じた。でも――あったかい。すごくあったかい。泣きたいほどに。
「リオ、目を閉じないでください。まだ何も話していません……リオ、お願いです」
 必死な声に、ようやく覚醒した。……この声。目を開く。予想した通りのオッド・アイはなかったが、覚えている形と、ぴったり重なった。念のために目の色を変えているのかと思い当たる。
「……ウィル?」 
「はい」
 ウィルはほっとしたように言い、リオの頬に手を沿えた。
「よかった。大丈夫ですか? リディアがまだ気を失っていますので、もう少し待っていてください。治療をさせますから。オーリエイトが今、安全な場所を探しに行ってくれています」
 リオは両手で顔を覆った。自分がウィルの腕の中にいることに気付いて、二つの意味でいたたまれない。嬉しい、けれど、こんなのだめだ。
「なんで……なんでウィルが来るの? あたしに近づいたら危ないよ。クローゼラもいるのに」
「クローゼラはいません。少なくともこの近くには。私だって自分の身がかわいいのですよ?」
「……嘘つきね」
 リオが呟くと、ウィルは眉をひそめた。
「どういう意味でしょう」
「自分の身がかわいかったらこんなところに来ないよ」
 ウィルは黙っていたが、口を開いてポツリときいた。
「嬉しくないのですか?」
「嬉しいよ」
 嘘はつけなかった。嬉し涙を隠すために、両手は顔を覆ったまま。
「ありがとう。すごく嬉しい。……あたし、ずっとウィルに会いたかった。誰より会いたかった」
「リオ」
「あたしね」
 リオは涙を拭いて、目を開け、にこりと笑った。今しか言えない。呪いになるかもしれない。けれど、伝えたかった。
「ウィルが好きだよ。大好き。誰よりも好き。神父様よりもお母さんよりも、誰よりも」
 ウィルは目を瞬いて、黙っていた。突然の告白に驚いているようだった。リオは返事をされる前にさらに続けた。
「だからウィルはあたしが手放さなきゃいけないの。呪いをかける前に、壊す前に」
「……私は壊れません」
 ウィルがリオの手を握った。
「光は闇で壊れません。……リオ、あなたは闇の守護者なのですよ」
「うん、知ってる……悪魔たちが教えてくれた」
「では、一緒に来てください。あなたは闇の聖者です。資格が欲しいというなら、十分な資格があります」
 リオは黙った。欲に負けてはいけない。全部自分が壊してしまう。何もかも、自分が守ろうとすればするほど壊してしまう。だから離れたのに。
「だめ……あたしはあたしで、悪魔たちの中で頑張るよ。あたしにできる限りのことをする。悪魔たちのところにいれば、あたしきっと、悪魔たちのものしか壊さなくて済むから」
「だめです。リオ、私の光があなたの闇を打ち消せます。一緒にいた間、あなたが何を壊しましたか。一緒にいれば大丈夫なのですよ」
「そんな保証、ないよ。あたしの魔王の血は本物だもん、ウィルも見たでしょ」
 リオは振り返った。ごうごうと燃え上がる炎。あれが自分の仕業だということくらいは分かる。また、壊した。捕虜たちはどうなっただろう。カインは。
「こんな殺戮しちゃったくらいだよ……」
「あなたは殺していません」
 ウィルがそっと、優しく言った。
「あなたが使ったのは絶対に悪魔の力ではありません。悪魔たちはもう逃げました。捕虜たちならオーリエイトが解放しましたよ。まあ、逃げ道確保の目くらましとして利用しただけのようですが、大方は逃げおおせたでしょう」
「ほ、ほんとうに?」
「ええ」
 リオはほっと息をはき、突然涙がこみあげてきて焦った。
「う……えっ……」
 情けない。こんな甘えたことしかできないなんて。ウィルがそっとリオの髪をなでる。その手つきの優しさが余計に泣けた。リオは嗚咽の間に、途切れ途切れに言った。
「でも、あたしがやったことに、変わりは、ないよ……」
「それは悪魔のせいですよ。あなたは悪魔の放った魔法を止めようとしたのでしょう? 闇の守護者の力が暴走して、魔法を消すのではなく妙な形に乱してしまったのでこうなってしまったのでしょうが、燃えているのはそのせいです。悪魔が火の魔法を使おうとしたからです」
「でも、あたしのせいだよ!」
 リオは叫んだ。力いっぱいウィルの腕を振り払う。それには自分の一部を引き千切るような、痛みの伴った勇気が要った。それでもやらなければいけない。手放さなければ。
「おかしいよ、なんで庇うの? あたしがやったのよ。あたしだよ! どんな言い訳もできない……したくもない。クイさんを死なせた。あたしが殺した。カインもどうなることか……全部あたしなんだから!」
「では」
 ウィルが言った。
「私がすべてを許します。あなたの罪を認めた上で、あなたの代わりに許します。それも受け入れられないのなら、あなたの罪を認めた上で、その罪ごとあなたに来て欲しい。それではいけませんか」
 リオは震えた。何という光。――目が焼かれそう。何もかも見えなくなってしまいそう。
「あたしは……」
 リオは立ち上がり、一歩引いた。ウィルも追うように立ち上がり、一歩進んで来る。
「あたし……やっぱりだめだよ……」
「なぜです。……私は、何もないあなたでもいて欲しいと言いました。言い直しましょうか。何を持っているあなたでも、いて欲しいと」
「ウィル」
「魔王の血を持っていても、関係ありません。そんなにその血を疎ましく思うなら、お教えしましょう。さっきリオが放った力はたいそう強力で、どうやらお母様があなたを守るためにかけた呪いも吹っ飛んでしまったみたいです。その結果、今、あなたの目は何色だと思いますか?」
 唐突な質問にリオは目を瞬いた。まだ燃えている城の方から熱い風が吹き付けて来る。夕暮れと炎の色で、あたりは真っ赤だった。
「……何色、なの?」
 こんなにあの時と似ているのに、目の前の大好きな人は、綺麗な笑顔を見せた。あの時とは、決定的に違う何か。
「悪魔の赤です。そして」
 それは、思いもよらない答え。
「天使の青のグラデーション。どういうことだと思いますか?」
「どうって……オッド・アイ……聖者だから?」
「はい。聖者の証しです。そして、片方がお母様の悪魔の色なら」
「もう片方は、……天使の」
 話の流れから導き出した答えだったが、リオには信じられなかった。しかし、ウィルはリオの疑念を払うように頷いた。
「私がクローゼラと血の契約を交わした時、彼女が異端の子について言っていました。父親は最高位の熾天使だ、と」
 声が出なかった。そうか、それで両天の子なのか、とやっと理解した。二つの天の、旧き神と新しき神の、両天の子。ウィルが一歩踏み出す。リオはもう逃げなかった。
「あなたが選んでいいのです。縛られる必要はありません。だからこそ、お願いします。あなたに側にいて欲しいのです。一緒に、来てください」
 本当に、選んでいいのだろうか。一緒にいて、いいのだろうか。壊さずに済むのだろうか。欲して、くれるのだろうか。
「リオ」
 ウィルの視線は、すがりつくような必死さと、そして熱っぽさを湛えていた。こんな目で見つめられたら。
「私も、あなたが好きなんですよ」
 ああ、もう何も見えない。光しか、見えない。
「泣かないでと、側にいてくれると言ったのは、あなたじゃないですか」
 差し伸ばされた手は、伸ばせば届きそうだ。
「その言葉を」
 あまりに強い光。
「違えないでください」

 側に、いてください。側に、いますから。

 リオは無我夢中になって、地面を蹴ると、ウィルの懐に飛び込んだ。抱き締めてくれる強い力と温もりがあまりに哀しく、そして幸せで、涙があふれる。
 リオは声を上げて泣いた。ウィルはただ静かに、いとおしむように、リオを抱き締めていた。



最終改訂 2008/12/24