EVER...
chapter:2-story:6
光の聖者
 

 

白い街。
最初の印象はそれだった。
眩しいばかりの白い建物の群れだった。
それが目下、延々と続いていた。
ティスティーとは比べ物にならないくらい、大きな街だった。

「うわ……あ……」

人、人、人の群れ。
通りには露店が所狭しと並んでいて、
東の国から輸入されてきた珍しい織物が売られている。
どことなくリオの服に似ていた。
「大きい!」
「ま、王都だしね」
全く感慨なさそうにライリスが言った。
「ショルセンは有史以来最初にできた国なんだ。唯一、神から下された国。ぼくの祖先が、神様に王に任命されて、その証しとしてこの蝶を受け継ぐことになったわけ。神の国の王都なんだから、大きくて当然だよ」
それでも田舎育ちのリオにとってはとんでもない大きさに思えた。
「王宮ってここから見える?」
「少しだけだけど、分からないと思うよ。遠くの金の塔、分かる?」
幾つか金の塔があったので、リオにはライリスがどれを指しているのか分からなかった。
ライリスは手を下ろして首をすくめた。
「まあいいや。君達、王宮まで来るつもり?」
「私は一緒に行くわ」
オーリエイトが言った。
「あなたを送るついでに買いたいものもあるから」
「わかった。ちょうど途中に大聖神殿がある。そこにリオを置いていこう」
「物みたいな言い方」
リオが頬を膨らませると、ライリスは笑ってリオの頭をくしゃくしゃと撫でた。


街中に降りると、喧騒が耳にわんわん響くほどの活気だった。
少しリオは畏縮していたが、好奇心は溢れ出て、目が二つだけでは見たいものの半分も見れない。
一方ライリスもオーリエイトも都会には慣れているらしく、至極落ち着いていた。

しばらく歩いた後、オーリエイトは二人を路地裏に連れて入った。
「私たちは教会関係者じゃないんだから、ウィルに会いたければ正面からじゃ無理でしょう?」らしい。

オーリエイトは裏口の扉を規則的に数回叩いた。
これはウィルと取り決めた暗号らしい。
しばらくして、カチャリと戸が開いた。
開いた隙間から金色の片目が覗いた。
「オーリエイト……どうしたんです?」
ウィル本人だった。
オーリエイトはリオを押し出した。
「お届け物」
「お届けって、オーリエイト……」
「後で迎えにくるから」
さっさと行ってしまった。

ウィルは呆然として彼らの後ろ姿を見送っていた。
リオは気まずくなって言った。
「忙しいなら邪魔しないから、そう言って」
ウィルは首を横に振った。
「邪魔だなんて。帰っていい時間になるまで何をしていようかと思ってたところです」
リオはほっとした。
「よかった」
ウィルは首を傾げた。
「あの……何をしにここへ?」
リオは少し困ってウィルを見上げた。
「特に何も。ウィルに会いに来ただけ」
「私に、ですか?」
ウィルは心底驚いた顔をして、リオを穴が開くほど見つめた。
「ただ、会いに来ただけですか?」
「ごめん……」
「あ、いえ」
ウィルは笑った。嬉し恥ずかしというように。
ただ会いたいから会いに来てくれる者など、今までいなかったに違いない。
「嬉しいです」
その笑顔を見て、リオはすっと気持ちが澄んでいくのを感じた。
なるほど、と思った。

この人は、間違いなく“光”だ。




「ノア君が声を取り戻したそうですね」
言われて、リオは頷いた。
「よかった」
ウィルは嬉しそうに笑って言った。
「気になっていたんです。呪いが解けたんですね」
ウィルがリオを見た。
「あなたのはどうですか」
「解けたような感覚はないし、変わったこともないけど」
そうですか、とウィルは視線を落とした。
「すみません。本当は私が度々会いにいって、よく調べるべきなのに」
「いいのよ」
リオは笑った。
「あたしは不自由してないから。それに、あなたはあまり外に出られないんでしょ?」
ウィルは窓の外を見つめ、溜め息混じりに「ええ」と言った。

「答えたくなかったら答えなくていいんだけど」
リオは前置きしてから言った。
「魂を縛られるって、どういうこと?」
ウィルは少しだけリオを見つめ、苦笑した。
「そこまで聞き及んでいましたか」
「いろんな知識を詰め込んだせいで、何がなんだか分からないくらい」
ウィルは笑った。
「そうですね。魂を縛られるのは、何と言うか」
少し首を傾げて。
「物質的なものではないんです。説明しにくいですけど……体は動けるのに、自分の中の大事なものが鎖でがんじがらめにされている感じでしょうか」
リオが首をひねっているとウィルは困ったように言った。
「すみません、うまく説明できなくて」
リオは首を横に振って、近くにあった椅子に座った。
ウィルも隣りに座った。
白い神官服と真っ黒い髪の色のコントラストが眩しい。

「クローゼラと契約を交わしたとき、私は7才でした」
ウィルが言った。
「血の契約、って知ってますか?契約書に自らの血で署名する契約―― 最も堅い契約です」
震える指で、名を書いた。
「私には両親と、兄が一人いました。署名しないと家族を殺されると思いました。クローゼラにはそれだけの覇気があった」
不意に溜め息をついて。
「でも、結局あれ以来家族には会っていません。彼らを助けて姿を消した私のことを、どう思っているのか」
ウィルは遠くを見つめた。
「例え私がいなくなっても助けたことを喜んでくれていたら、それはそれで悲しいです。助けなくても一緒に死にたかったと言うのであれば、もっと悲しい」
ぽつぽつと、自分の気持ちを吟味するように。。
「家族のことをどう考えたらいいのか、よく分からなくなりました。こんなに想っていたのに、希薄な感情しか浮かびません」
「別にいいんじゃない?」
リオは言った。
「世界って、矛盾だらけなんだって。レインが言ってた」
ウィルはふっと笑った。
「リオは前もそうでしたね」
「え?」
「そうやって、自然な方法で慰めてくれます」
リオはどう言ったらいいのか分からなくて、視線を泳がせた。
ウィルがさらに言う。
「光を注ぎ込むのではなく、闇を危険なものにならないように、私たちに馴染ませてくれます。闇を抱えた人間が切望するそれを、あなたはさり気なく与えることができる」
ウィルはリオを見つめた。
色違いの瞳が綺麗だ。
「オーリエイトやエルトのことを聞きました。あなたは、そういうものを持っているようですね」
「……単に性格なんだと思うけど」
「正直に言います。私が人前で涙を見せたのは、あなたと花園で話したあの夜が初めてでした」
ウィルははにかむように笑った。
「恥ずかしかったです。でも、思わず泣きたくなってしまったんですよ。蝕む闇ではなく、静かに包んでくれる闇を渇望していたら、あなたがそれをくれた」
急に、ウィルにすべてを手放しで褒められている気がして、リオは頬を染めた。
「か、買い被ってるわ」
「あなたがそう思うなら、それで構いませんが」
リオは口を噤んだ。
自分がエルトに言ったのと同じ言葉だった。

それから、はたと気付いてリオは顔を上げて首を傾げた。
「闇って、悪いものだと思ってたけど」
「光と闇に善と悪は当てはまりませんよ。そりゃあ、光は希望であり恵みです。でも、強すぎる光はどうなると思いますか?」
リオは首を傾げた。
「目を焼いてしまう。闇よりずっと攻撃的で荒々しく、危険なんです」
リオは息を呑んだ。
「そう……だね」
そして、彼はその光だ。
「闇はじりじりと人を蝕みます。けれど、適度な闇は見たくないものを隠して、静寂で包んでくれる」
ウィルは遠くを見つめた。
「だから、私はずっと、闇を切望していました」
「光なのに?」
ウィルは頷く。
「光と闇は、相反し合うようで依存し合うものですよ。光は闇があって初めて生まれ、闇は光という定義がないと意味を持たない」
なるほど、とリオは頷いた。
「あなたの光は、強すぎるんだね」
リオが言うと、ウィルはリオを見返した。
「あなた自身を、傷付けてしまうくらいに」
ウィルは少し黙ったあと、頷いた。
「あなたの闇も深いですよ」
言われてリオは目を見開いた。
「あなたを蝕んでしまうくらいに」
瞬間、リオは気付いた。
―― 分かるんだ。
リオが感じ取れるのと同じように、彼もまた、リオの中に歪んでいるものを感じ取れるのだ。
「……じゃあ、あたし達が一緒にいれば、打ち消し合って丁度いいんじゃない?」
ウィルはじっとリオを見た。
「危険ですよ。御互い依存してしまうかもしれない。特定の誰かに執着することは、恋をするのと同じくらい危険です」
「混じり合うんじゃないわ、打ち消し合うのよ」
ウィルは少し黙ったあと、ふっと笑った。

「では……」
試すように。
からかうように。
挑発するように。
そして優しく悲しげで、寂しそうに。

「一緒にいて、くれるのですか」

とくん、と心臓が鳴った。
光だ。
この人は強い光だ。
こんな表情をするなんて。こんな風に笑うなんて。

人が光に恋焦がれる理由を知った気がした。
それに、リオは光を欲していた。
危険でも、攻撃的で荒々しくても、光が欲しかった。
その光が、目の前にある。
どうしてあれほどウィルに会いたかったのか分かった。

―― 依存。

リオはすんでの所で自分を抑えた。苦し紛れに、言い訳を考える。
「クローゼラいなくならないと、無理だよね」
ウィルは俯いた。
「そうですね」
「でも、やっぱり時々会えるといいな」
ウィルはそれを聞いて、目をパチクリすると、今度は悪戯っぽく笑った。
「では、頑張って忍んで行きますよ」
「あなたの方から来れるの?」
「無理なら強行突破で」
リオは慌てた。
「そ、そこまでしなくても」
「平気ですよ、魔法を使えば。契約で魔力を取られたわけではないですし」
「依存は危険なんじゃないの?」
ウィルはふっと表情を消した。
じっと見つめられて、リオは頬が熱を持つのを感じた。
「ウィル?」
ウィルは前髪をかき上げてぽつんと呟いた。
「手遅れみたいです」
「え?」
聞き返すと、ウィルはにっこり笑った。
綺麗な笑顔だった。
「いいえ、気にしないでください」
リオが口を開こうとした時、部屋の戸が叩かれた。
リオとウィルは二人してビクッと震えた。
告げられた言葉に、リオは失神しそうになった。

「聖者様、女神様がお見えです」




最終改訂 2006/03/16