EVER...
chapter:2-story:9

 

空気が澱んできていることには、リオも気がついていた。
それは不快にも感じたし、なぜだか体に馴染んだ感じもする。
不思議な感じだ。

リオがほっとしたことに、
クローゼラはまだリオたちの居場所を見つけていないようだ。
灯台下暗しって本当だったのね、とリオは胸をなで下ろしていた。
正直ビクビクしていたのだ。

クローゼラとの対峙で、リオには一つ意外なことがあった。
クローゼラが自分の顔を知らなかったことである。
丸一年もしぶとく追手を放って、追いかけ続けてきたくせに、直接顔を合わせたクローゼラは、リオを単なる、大神殿への不法侵入者としてしか考えていなかった。
あれほど執着していたリオの顔を知らないとはどういうことだろう。
リオの世界を奪って壊したくせに。
恨みより先に嫌悪が沸いた―――


小屋に引き篭ること丸二週間が過ぎて、そろそろ限界がきた。
まず、出かけないので食料が尽きた。
それに、いくら樹海の真ん中とはいえ、室内に閉じこもっているので息が詰まる。
新鮮な大地の空気が吸いたくて、地を踏み締めて走り回りたくて、もうリオはうずうずしていた。
元来田舎育ちで、自然大好き少女なのである。
だから、買い出しに出るとオーリエイトが言った時、
リオはついていきたい、と珍しく駄々をこねた。
「あなたは駄目」
オーリエイトは厳しかった。
「魔力のないあなたが外に出るのは危険だわ」
リオは食い下がった。
「同じだよ、どこでも。どうせ残ったって一人だもん。
オーリィがあたしの側を離れるなら、どこにいたって変わらないわ」
語気強く言ったあと、リオは縋るようにオーリエイトの袖を掴んだ。
「お願いだよ、あたし息が詰まりそう。外に出たいの。外の空気が吸いたい」
オーリエイトは困惑気味に目を泳がせ、やがて溜め息をついた。
「仕方無いわね。じゃあ水汲みを頼むわ。近くの泉まで。それでもいい?」
外に出れるのだけで十分だった。
リオは顔を輝かせてオーリエイトに抱き付いた。
「うん!ありがとう」
オーリエイトは微かに頬を染めて呟いた。
「リオ、わかってる?あなたって結構甘え上手よ」


足の裏に伝わる地面の感覚が心地いい。
リオは天を仰いで眺めてみた。
相変わらず靄がかかっているが、とにかく嬉しい。
水車小屋が岸辺にある、池と呼べる大きさのこの泉は、
ここで暮らす人達の大事な水源だ。
リオは水を汲み、
池から流れ出している小川まで行って、靴を脱いで水に足を浸した。
冷たさが染みて気持ちいい。
もう秋だから、そろそろこの小川で遊べなくなるな、とぼんやり思った。
この頃一段と冷えてきたのだ。
リオは足を浸したままぼんやりと考えごとをした。
胸いっぱいに吸った空気には、微かに暗黒の臭い。
最近は本当にいろんなことがあったので、考えることが多かった。
エルトの思いを、レインの過去を知って、ライリスの闇を見て。
でも、何より衝撃だったのはやはりクローゼラとの対峙だった。
マーリンと同じくオーリエイトをグロリアと呼んだ彼女。
サタンを必ず復活させると宣言した、女神を名乗る女。
彼女に囚われて、なのにリオに対して「一緒にいてくれるのですか」と言ってあんな笑い方をしたウィル。
ウィルの顔が浮かんだのと同時に目の前で揺れている小さな赤い花が目に入り、
リオは唐突に例の謎々の歌を思い出した。
旋律が良く思い出せないが、歌詞ははっきりと覚えていた。

「暁の空に星ひとつ 海に落ちて波ひとつ
赤い花は地に落ちて 青い花は天を舞う
摘んで刈って 摘んで刈って
最後の星は溶けて消えた
あなたの星はどこにある?
星の鍵のありかには
ひとつふたつと花が咲く」

何気なく歌うと、歌い終わった瞬間、不気味な風が吹き抜けた。

足下から抉るように、最近増えた落ち葉を舞い上げて、
靄さえ散らしながら空へ上っていく。

リオは身震いし、足を水から引き上げ、水を切って靴を履いた。
「……気味悪い……」

小屋までは少し距離があった。
リオはバケツを提げ、急いで小屋に帰ろうとして足を止めた。
どうも見られている気がしてならない。
風がぴたりと止んでいた。

急に影が降りた感じがした。
光が、色が、彩を失う。
泉の岸辺、リオはただ一人ぽつんと立っている。
微かに音が聞こえた。
なんと、リオが歌っていたあの歌だ。

「暁の空に星ひとつ 海に落ちて波ひとつ」

ついでに言えば、覚えたのは歌詞だけらしく、メロディーは目茶苦茶だ。

「赤い花は地に落ちて 青い花は天を舞う」

声はだんだん大きくなる。
金縛りにあったように、リオは動けなかった。
声は四方から聞こえている。包囲されているようだ。

「摘んで刈って 摘んで刈って」

肌身離さずつけている母の形見のお守りが突然熱を持ち始めた。
音もなく、十数人もの悪魔たちが姿を現した。

「最後の星は溶けて消えた」

そして前に進み出たのは、例の黒マントの魔法使いだった。

「あなたの星はどこにある?」

彼は口を開き、笑みを浮かべながら最後の一節を歌った。

「星の鍵のありかには ひとつふたつと花が咲く」

そして、すべてが止まった。
悪魔特有の赤い目が、何対もこちらを見ている。
リオはやはり動けなかった。悪魔たちが力を総動員してリオを縛っているのだ。
「面白い歌だ。うまくできてる。なあ、リオ・ラッセン?」
彼はニヤリと笑った。
「なるほど、女神様がお前にこだわるのはこのためか。聞くからに怪しい歌だ」
「他の人から教えてもらったの!あたしが知ってたものじゃないわ」
リオは主張したが、相手は聞く耳を持たなかった。
「星の鍵のありか、か。人類の鍵のありかというわけだ」
「どういう意味?」
魔法使いは笑っただけだった。
「お生け捕りにしたほうが良さそうだな。もっと情報を持ってるかもしれない」
彼はにんまり笑って輪を抜け、リオの方に歩いてきた。
リオは叫んだ。
「近寄らないで!」
「馬鹿な娘だな。どうして我々がお前を見つけられたと思う?
聖神殿を出た時からずっとつけてたんだ。二週間も前からな。
一緒にいる連中が、なかなか強い魔法使いだというから、
今の今まで手出しできなかったが」
リオは閉口した。
ずっと見張られていたとは思いもしなかった。
クローゼラに顔を見せたせいで警戒されたのだろう。
彼女の手抜かりのなさには驚く。

彼は呪符を取り出して掲げた。
金縛りにあったままのリオは凍りついた。
このままでは攫われる。
無我夢中で、束縛を引き千切ろうと力を振り絞った。

すると、金縛りの裂け目からリオは抜け出すことができた。
間一髪で呪文を避け、リオは体制を崩して倒れた。
一瞬魔法使いは驚いて気をそがれたが、怒りに満ちた表情で再度呪符を掲げた。
避ける余裕はなかった。
――― 3度目)
さすがに心の準備はできていたので、リオは身構えた。
呪文が襲ってきた瞬間、リオに侵入しようとする魔法を全身で拒絶する。
クローゼラの呪文すら拒んだリオにとっては楽勝だった。
視界が晴れ、リオが顔を上げると魔法使いは目を見開き、
悪魔たちからはどよめきが上がった。
「……効かない?」
「まさか」
「こんなことあるはずがない」
リオも眉を少しひそめた。
呪文というものは本人の意思次第で跳ね返せるものだと思っていたが、
どうも勝手が違うようだ。
魔法使いは腹立たしげに叫んだ。
「構わない、どうせ魔力はない!力ずくで捕らえろ」
これはたまったものではない。
どうあっても体力と力の勝負では勝ち目はなかった。

捕まるのを覚悟したその時、感じたことないほどの強力な波動が押し寄せてきた。
余りに強くて、リオは少しだけ侵入を許してしまったが、辛うじて拒んだ。
それでも踏ん張りが効かない。
もう限界だと思った時、波は止んだ。

「……起きてるのですか?」

驚いた声がしてリオは顔を上げた。ウィルだった。
リオは泣きそうになって彼にしがみついた。
「つっ、捕まるかと思った……」
「あなたもろとも気絶させるつもりで放ったのですが」
リオは顔を上げてウィルを見つめた。
驚愕が表情に現れていて、リオは戸惑った。
「……あたし、呪いに強い体質みたいなの」
「では、そのあなたにかかっているのはどんな呪いですか」
それもそうだ、とリオは首を捻った。
「その呪いのせいでこういう体質になったとか?」
「どうでしょう。とにかく、一度小屋に帰りましょう。
大丈夫、私がいますから、やつらに手出しはさせません」

リオは頷き、差し出された手につかまって立ち上がろうとして、失敗した。
「ウィル、立てない」
ウィルはぽかんとした。
「あなたの魔力が強すぎるのよ。足だけやられたみたいなの」
ウィルは溜め息をついて、決まり悪そうにリオを見つめ、言った。
「……失礼しますね」
言うなり、彼はリオを抱き上げた。
「うわっ!」
たまらず真っ赤になったリオがウィルをチラッと見やると、彼は涼しげだった。
「……こういう風に抱き上げられたの、初めてなんですね?」
「悪かったわね、初めてで」
リオは尚も頬を染めたまま、少し力を込めてウィルの胸をたたいた。
彼は小さく「いた」と漏らした。




最終改訂 2006.04.05