EVER...
chapter:3-story:01
この時間を大切に
 

 

 夢の中でリオは思い出していた。封じられていた母との思い出。父のことを幸せそうに、しかし悲しそうに語っていた声。
「もし、あなたがあの人に会うとしたら、きっとそれは戦争の時なのね」
 母はそう言ってリオの髪をなでた。
「でも、きっとあの人は、力になってくれるはずよ。あなたのお父さんだもの」
 母が父の話をする時は難しい話が多くて、ほとんど理解できなかったけれど、リオは父の話を聞くのが好きだった。
「お父さん、あたしに会ってくれるんだね?」
 母は笑って、けれど少し哀れむように、リオを見つめた。
「……会わずに済む方が良いというのは、あなたには酷い話なんでしょうけれどね」


 まぶたに光を感じてリオは目を開けた。朝が来たんだなぁ、とぼんやりと思いながら、リオは眩しさから目を庇うように腕を掲げた。二、三度瞬きをして、自分が寝ている場所が野外でも天幕でも牢でもないことに幸福を感じる。首を回して隣を見ると、リディアがまだ寝息を立てていた。馬車でこんな雑魚寝をするのは初めてで、こんなに近くで一緒に寝るのも初めてだ。呼吸に合わせて規則的に上下する細い肩をしばらく見つめた後、反対側にも首を回してみた。オーリエイトはもう起きているようだ。布団が既に片付けられている。
 リオはゆっくり起き上がり、髪をとかして結ぶと、布団を片付けて着替えた。スカートをパンと叩いてのばし、上にコートを羽織る。そのまま外に出た。既に多くの兵たちが朝餉の用意を始めている。中にウィルたち男性陣を見つけ、リオは彼らに駆け寄った。
「おはよう、みんな」
 みんなはにっこりと笑顔を返してきた。
「おはようございます」
「おっ、おはよ、リオ」
「おはよう。リディアとノアは?」
「まだ寝てる。寝かせておいてあげようよ。馬車の旅って結構疲れるし」
 エルトは頷いた。リオはあたりを見回す。
「オーリィとレインは?」
「ライリスに会いに行っています。そろそろ最初の戦場のようなので」
「そうなんだ……」
 リオは呟き、ウィルの隣りに立つと、その場にしゃがんで、鍋の下で燃える炎を見つめた。戦争か。ここ数日の時間があまりに平和すぎて、自分に戦争に臨む覚悟ができているのかどうか、分からなかった。
「本当は、リオはもうそろそろグラティアに行くべきなんだけどね」
 エルトの言葉にリオは顔を上げた。
「ああ……契約書だね。でも、どこにあるのか、まだ見当がついてないんでしょ?」
「そうなんだよね……特に、ウィルの契約書はきっと僕たちのよりも、もっと厳重に管理されてるだろうし」
 リオはウィルを見上げた。彼は少し苦笑する。
「契約内容も内容ですし、私にはいろいろ前科があってクローゼラに警戒されてますから」
 らしいことだ。リオは立ち上がって、コートの裾についた雪を払った。
「いいよ。あたしが精一杯頑張るから」
「やー、リオの場合、頑張り過ぎんのが問題なんじゃねぇの?」
「そ、そうかな。でも今回はどんなに頑張ったって頑張り過ぎにはならないと思うけど」
「とりあえず無事に戻って来いよ。オレ的頑張り過ぎない範囲はそこまでだぜ」
 アーウィンの言葉にリオは微笑んだ。さりげないが、優しい言葉だった。
「うん。ありがとう、アーウィン」

 ライリスが、戻ってきたオーリエイトとレインにくっついてきたのは、ちょうど朝ごはんができあがろうとしていた時だった。足音を忍ばせてアーウィンの背後から近付き、何も見てない振りをして、という視線を受けてリオは苦笑を漏らすのをこらえた。
「やあ、相棒っ」
 そう言ってライリスは勢いよくアーウィンの肩を組んだ。
「どうあっ」とアーウィンは実に良い驚き方をして、それから顔を輝かせる。
「ライリス! よお、久しぶりだな」
「昨日も会ったじゃないか」
「一時間もここいなかっただろうが。お前、最近やたら真面目だな。少しはサボれよ」
 総司令官にそのアドバイスはどうかと。ライリスは朗らかに、綺麗な声で笑い声を立てて、リオたちが煮込んでいるスープを覗き込んだ。
「良い匂いだねぇ。ぼくも一緒に食べちゃだめ?」
「いいですが……まだ食べていなかったのですか?」
 ウィルが聞き返すとライリスは無邪気に言った。
「みんなと食べれるものは別腹だよ」
 その頃になって、リディアとノアはやっと起きて来た。ノアはまだ寝ぼけ眼で、いつもおとなしいのに殊更口数少なく、軽くリディアのすそをつかんでやってくる。やっぱりこの二人は離れたがらないらしい。リオがちらりとエルトをみると、彼は気にしない表情で二人を迎え入れた。
「遅いよ、二人とも」
「ごめんなさい。布団があんまり気持ち良くて」
 リディアはそう言ってリオの隣に腰を下ろした。ノアは眠さでよろよろした足取りのまま、ちょこんとリディアの膝の上に乗って置物になった。

 そして、そっとリオに声をかけた。
「どう? ウィルと一緒に過ごす時間、ちゃんと取れてる?」
 リオはパッと頬を染めた。
「そういうことを気にしている時分じゃないわ。もう、後三日なんだよ」
「……そうかもしれないわね。後三日だものね」
 悪魔たちとの初戦が、三日後に控えていた。カートラルトを助けるために、王都まで一気に攻めのぼるつもりなのだ。今も、穏やかな朝に似合わず、近くで同じように朝餉を準備する兵士たちの間には沈黙にも似た緊張感が漂っているのだ。
「でも、後三日だからこそ、私、大切な人と過ごす時間を大切にするべきだと思うの」
 リディアはそう言い、身を乗り出して鍋の中身をかき回す。彼女の肩から、漆黒の長い髪が一束滑り落ちた。リディアはそれが鍋に入らないように、ふわりと髪を払う。
「戦争が始まったら、今みたいに、いつもみんな一緒というわけにはいかないわ。だから、精一杯みんなで過ごしたいのよ。……リオも、今の時間を大切にね」
 リオはただ、こくりと頷いた。頷くしかなかった。複雑な気分だったけれど。
 今の時間を大切にするのが、未来があまりに不安定だからだという理屈は分かるものの、その不安定さを直視するのは怖い気がした。意識すればするほど、未来がどんどん不安定になっていく気がしてしまう。
「……絶対、勝とうね」
 ありったけの願いを込めて、リオはそう呟いた。リディアはそっと微笑みを返してくれた。
「ええ」


 朝ごはんは和やかに済み、忙しいライリスは再び総司令部に戻っていった。王宮の女王様から何か報せが届いているようだ。彼女の父は娘の傍にはついていなくて、どちらかというとリオたちの近くにいた。リオは立場の複雑さもあり、リディアとノアと共にオーリエイトの傍にいる。
 守護者たちは軍の準備に従って魔法の手伝いをしていた。一緒にいられる時間は、もう多分少ない、とウィルが言った。
「そろそろ、女神に呼ばれると思います」
 夕刻、彼と一緒に歩きながら、リオはその言葉を聞いていた。
「再会の可能性をあなたに頼るしかないのが少し申し訳ないですけれど」
「ううん。多分、それくらい切羽詰ってた方が、あたしも必死になれるから」
 ウィルはほんの少し首を傾げて、リオに聞いた。
「必死になれないと、不安ですか」
 リオは小さく頷いた。
「必死になれないと、あたし、多分逃げる」
「意外ですね。私たちがここにいるのに?」
「……いるから、必死になれる」
「そうですか。……そうですね」
 ウィルは静かに言った。リオは言い訳のように言った。
「あたしは臆病よ」
「はい」
 ウィルは言う。
「私もです」
 どの言葉も、多分、悪ぶったわけでも甘えたわけでもなく、本音だった。真実、人はみな臆病だから、失くすのが怖くて怖くて、それで必死になる。臆病だから、みんな強いのだ。
「聖者祭がもうすぐだけど、ウィルはその時にグラティアに帰るの?」
 聞くと、ウィルはええ、と言った。
「帰らざるを得ません。私の肩書きの名を冠した祭ですから」
「確かに。ウィルは参加するの?」
「アーカデルフィアでパレードがあります。一年に一度きりの、民衆に姿を表す機会ですよ。守護者たちも一緒です」
「皆行っちゃうんだ……」
「見に来ますか?」
 リオは少し考えたが、首を横に振った。
「いい……なんか、皆にキャーキャー言われるウィルを想像すると嫌だし」
 ウィルは軽く笑い声を立てて、リオを引き寄せた。
「安心して下さい。パレードに出るのは聖者であって、ウィリアム・チェスターではありません」
 リオは遠慮なくウィルの胸に顔をうずめた。
「……ウィルもライリスと同じ」
「え?」
「もうちょっと自分の顔、自覚しようよ」
「……あの?」
「なんでもない」
 周りが顔のいい人間ばかりだと、苦労する。リオは溜め息をついた。両腕をウィルの背中に回して、ぎゅっと力をこめる。
「ありがとう、ウィル」
「なぜです?」
「好きでいてくれて」
 ウィルはリオの頭をなでた。そして腕を回して、抱きしめ返される。
「そう言ってくれて、ありがとうございます、リオ」
 そのウィルの声は、どこか深い思いがこめられていた。好きでいてくれてありがとう。そう言われることが、彼にとって、きっととても嬉しいことなのだ。

 ――この時間を、大切に。
 そう言うリディアの声を思い出した。
 でも、これからの時間を大切にするためには、リオが頑張らないといけないのだ。女神と守護者の契約書。自分にしかできないこと。
 これは十分に、必死になるのに値するものだ。
 ずっと、好きでいてくれてありがとうと、大好きな人に伝えていくために、まず彼らを解放しないといけない。
 リオは離すまいと決意をこめて、腕に力をこめた。


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最終改訂 2009/09/24