EVER...
chapter:3-story:02
太古の魔法
 

 

 正直、戦争が実際に始まらないとリオたちにはすることがない。それでオーリエイトのいる馬車に入り浸っているのだが、ライリスが結構頻繁に訪ねてきた。オーリエイトの今の立場は、ライリスの相談役のようなものだった。前回の降魔戦争を知る者という存在は大きい。
「物資は」
「足りてるよ。武器も十分。それに、補填経路も確保してあるよ」
「気候の問題は」
「大丈夫。カートラルトはショルセンとそんなに変わらないから、兵たちが不調を起こす可能性はないよ。山越えの準備もばっちり」
「じゃあ、大丈夫ね」
「そうみたいだね。よかった」
 相談を終えると、ライリスはあたふたと出て行った。去り際にリオたちに笑顔を置き土産していってくれたが。
「忙しそうだね」
 リオが思わず言うと、リディアも頷く。
「本当。それにしても、ここにこんなに頻繁に出入りして大丈夫かしら」
 リオもそれが気になっていた。一体自分たちは、軍にとって、ショルセン王国にとってどういう位置づけになっているんだろう。
「オーリィ、オーリィは自分が導く者だってことを公表しているの?」
 オーリエイトはちらりとリオを見た。
「……信じてもらえないと思うの」
「ずっと生きているってこと?」
 オーリエイトは頷いた。無理もない。オーリエイトが到底冗談を言ったり嘘をつくような人間でないと知らなければ、リオだって笑っていたかもしれない。千年もの昔、グロリアだった彼女。
「ねぇ、その辺私たちもあまり詳しく知らないわけだけど、話してくれないの?」
 オーリエイトは小さく息を吐いた。
「そうね、話してもいいかもしれないわ」
 リオとリディアは身を乗り出した。オーリエイトが自分のことを話すのは珍しい。
「これは、呪いなの」
 それは少し、意外な内容だった。

 リオは、自分が見た夢で知った降魔戦争の出来事を、オーリエイトや他の人に話していた。ウィルが残した資料で他の仲間たちも、多かれ少なかれ降魔戦争の出来事を知っている。けれど、オーリエイトの身に起こったことは、降魔戦争の後のことなんだそうだ。だから、資料や降魔戦争の話には出てこなかった。
 それまでは、オーリエイトはあくまでも賢者の弟子、導く者、それ以上の何者でもなく、こんな長い間生きる予定でもなかったのだという。
「正確には、ずっと生きているわけでもないわ。リオ、あなたは知っているでしょう。降魔戦争の時、私は……グロリアは、二十歳だったわ」
 リオは思い出しながら頷いた。今のオーリエイトより大人っぽく、髪も長かったグロリア。
「正確には、転生を繰り返しているようなものね。私の場合はとても特殊。死ぬ頃が近づくと……私、子供を身ごもるの」
「は」
 あまりに突出した内容で、リオもリディアも目を点にした。
「もちろん、父親はいないわ。私が身ごもるのは、私自身」
 オーリエイトは俯く。金の瞳が翳った。
「そうやって死期を知ってしまうのよ。記憶はそっくりそのまま受け継がれるわ。魂だけがね」
 なんだかすごく気味の悪いことのように思えて、リオの背筋がぞくりとした。
「それが、呪い……?」
「そう」
 オーリエイトは息を吐くように言う。声は小さかった。
「サタンにかけられた呪い。肉体を保つ必要がないから割合魂への負担は少ないの。クローゼラが自分にかけたのは、不完全なものよ。私の呪いの方が、完全版」
 はあ、としか言葉が漏れない。魔法の奥の深さに感心すべきか、歪さを感じるその呪いの実態に言葉が出なかった。
「……だから、それ、太古の呪いって言ったのね」
 リディアが言うと、オーリエイトは黙って頷いた。
「冥府へ行くことは許さない、ですって」
 ぽつりと言うオーリエイトに、リオはたずねた。
「呪いをかけたサタンが、そう言ったの?」
 オーリエイトは頷いた。
「エレインが彼を封印した時に」
 リオは黙っていた。封印される直前の最後の台詞までグロリアに言及するということは、やはりサタンはそれなりにグロリアに執着があったということだろう。
「……複雑な呪いだね」
「そうね」
「ずっと生きてるのって、辛い?」
「辛いことには、慣れていくわ」
「慣れないものも、有るでしょう?」
 オーリエイトは答えず、リオに微笑みかけた。
「エレインがあなたを『闇』の魂の器に選んだのも分かるわ。あなた、本当に直視しすぎよ」
 リオは口をつぐんだ。また言われてしまった。だって、分かってしまうのだからしょうがない。辛い、悲しい、と叫ぶ魂の声が聞こえる気がするのだ。
「千年……長かったでしょう」
 リディアがそっと呟く。オーリエイトは首を横に振った。
「……長すぎて、短かったわ。時が流れすぎてしまうのは、短いのと同じ。私、時の流れに逆らえなかった。歴史が神話になって消えていくのを止められなかった。おかげでゼロからのスタートになったわ。でなければもう少し、きちんと準備できていたはずなのに……」
 声がかけられなかった。全部見てきた彼女には、彼女にしか分からない現実がある。リオは黙って受け止めていた。

 そして、ふと思って口にした。
「オーリィ? お母さんがあたしを闇の器に選んだ、って言ってたけど、そんなことできるの? 魂は自分で入る体を選ぶんじゃないの? 無理やり入れることなんてできるの?」
 オーリエイトは顔を上げると、いつもの淡々とした口調で言った。
「あなたの身の上を考えるとできるんでしょうね。エレインがあなたを選んで入れたとしか思えないもの。エレインは神だったから方法を知っていたのね」
 それはそうだろう。リオは少し苦い笑みを浮かべた。魔王の姪にして熾天使の子。その上闇の守護者となれば、揃い過ぎだ。明らかに人の手が入っている。
「でも、できるのは守護者の魂だけじゃないかしら」
 オーリエイトはそう付け加えた。
「普通の人の魂では、誰かに移せないってこと?」
「ええ。それに、血の契約が似たようなものだわ」
 オーリエイトは答えて再び口を噤んだ。世界は不思議だ、とリオは思う。魂の存在は確かなはずなのに、誰もその仕組みを知らない。神々と直接対峙したことのあるオーリエイトすら知らない。神々は、本当にこんな複雑な世界の決まりを全て、自分たちで決めていったのだろうか。それにしては、矛盾だらけなのにちゃんと機能しているこの世界は妙にできすぎている気がした。

 リオは自分の手を見た。この体に流れる血。
「あたしって、人の血が一滴も混じってなかったんだね」
「悪魔と天使の子よ。ある意味一番人間らしいかもしれないわ」
 オーリエイトが呟く。そうかもしれない、とリオは笑った。
「人を神様が創ったのなら、どんな気持ちで創ったのかな」
「……なぜ?」
「醜い部分を作ったのは、自分たちもそういう部分が欲しかったからじゃないかって、あたしは思うの」
 リディアは目を瞬き、オーリエイトは黙っていた。
「だから人間は、神様たちの理想形なんじゃないか、って」
「でも、悪魔たちは私たちを嫌っているわ」
 リディアが反論する。リオは頷いた。
「多分、それが悪魔と神や天使たちの違いなのよ。……そう考えると、あたし、神様のほうに近いのかな」
「あなたは人が理想的な姿をしていると思うの?」
 オーリエイトに問われ、リオは首を横に振った。自分の理想は、残念ながら今の人間たちではない。
「思わない。でも、とても好き」
「……それでは、やはりあなたはどちらもだわ。人間よ」
「そうかな。悪魔と天使の中間が、人間なのかな」
「千年彼らを見てきた私には、そう感じられるわ」
 オーリエイトの言葉に、リオは笑んだ。
「オーリエイトがそういうと、説得力あるわ」
 多分、それが母の望んでいたことなのだ。リオが天使であり悪魔であり、そして人間であることが。

「本当に、どうして」
 リオは呟く。レインの言った言葉が脳裏にめぐっていた。
「神様は、この世界を創ったんだろうね」
 光と闇を。愛と、憎しみを。矛盾だらけのように見えて、実は共存していて、表と裏が一体の世界。
「それはたぶん、人が意味もなく生きたいと思うのと、同じことだわ」
 オーリエイトがそう答えた。多分それが正しいのだとリオは思った。


 その日の夕飯が終わった後、リオはレインを探した。一人で彼に面と向かうのは怖かったけれど、他の人を交えてする話でもない気がしたので、ウィルには大丈夫だといってから来た。
「ねえレイン、少し聞きたいことがあるの」
 声をかけられたレインは少し意外そうな顔をした。
「僕に? なに?」
「オーリィのこと。……今日、オーリィがどうやって千年前からずっとこの世にいるのか、聞いたから」
 ああ、とレインはほんの少し、何かの感情がこもった声で呟いた。
「聞いたんだ」
「……レインは、ずっと前から知ってたんだね」
 うん、とレインは頷く。少し誇らしそうにも見えた。
「オーリィに教えてもらったの?」
 聞くと、レインは頷いた。なるほど、誰より先に自分に話してくれたのが嬉しかったのだろう。
「そう……ありがとう」
 リオはそう言い、きびすを返そうとした。聞きたいことは聞いた。ああ、ちょっと緊張した。
 そしたら、レインに呼び止められた。リオはびくりとして振り返る。レインは苦笑した。
「狼の傍にいる子羊みたいな反応だね」
「……その比喩はとっても正しいと思うんだけど」
 リオがぼそりと返すと、レインの笑みがさらに苦くなった。
「君がオーリエイトを危険にさらすだけの存在じゃないって分かったから、もう酷いことはしないよ」
 判断基準の分かりやすいことだ。
「ずいぶんと手のひらを返した態度なのね」
 リオは皮肉を言ったけれど、今度はレインは苦笑しなかった。
「君にとっては、ありがたいことなんじゃないの?」
 そういわれてしまえば返す言葉がない。そりゃあ、レインを敵に回したら怖いし、一応は仲間なんだから敵視されるのは辛いのだから、手のひらを返してくれるのはありがたいが。言葉に詰まって、リオは話を変えることにした。
「あたしに何を言うつもりだったの?」
 自分を呼び止めた真意が分からない。以前の神殿での脅しのようなことをするため、という理由が一番しっくり来るのだが、その可能性は本人がついさっき否定してくれた。予測できないレインの目的だなんて怖い。そう思って身構えていたのだが、ごくごく単純な質問だった。
「僕はただ、君はそれだけ聞きたかったの、って聞きたくて」
「え?」
「それだけ」というのは、レインがオーリエイトの転生の実態を知っていたか、そしてその事実を本人から聞いていたのかというリオの質問のことだろう。
「なんだ、そういうこと。あたしはただ、オーリィが一番最初にレインに話したって言うのを、確かめたかっただけよ」
 レインはリオの答えを聞いて首をかしげた。
「それを聞いて、どうするの」
「……知りたい?」
 上目遣いに見上げてやると、レインは一回目を瞬いた。
「気に喰わないって顔ね」
 リオが言うと、レインはため息をついた。
「隠されると気になるんだよ。……オーリエイトが絡んでないなら、もうどうでもいいよ。聞かない」
 レインはそういってリオに背中を向けた。ちょっと意地悪だったかな、とリオは思ったが、いまさら追いかけて教えてあげることもないだろう。なんとなく、調子に乗ったレインがどういう反応を見せるのか、予測できなくて怖い。
 つまりは、オーリエイトはレインを、それなりに信頼しているということだ。誰より先に、彼に話した。ひょっとして、心のどこかでレインの想いを受け入れているじゃないか、と思ったのだ。……そんな幸せな感情には、ウィルのほうが敏感だろうから、自分で確かめる術はないけれど。




最終改訂 2009/11/12