EVER...
chapter:3-story:04
役割
 

 

 翌朝早いうちに、守護者たちはグラティアに帰っていった。リオは去り際のウィルの微笑をしっかりと目に焼き付けて、必ずあの笑顔を取り返しに行こうと心に誓った。クローゼラなんかに取られてたまるものか。
 彼らの姿が掻き消えると、リオはほうと微かに息をついた。隣のリディアからも吐息の漏れる音がした。リオは彼女と顔を見合わせ、ほんの少し笑った。
「寂しいわね」
 リディアが言う。
「ここ何ヶ月かは幸せだったわ。みんな揃っていて」
「うん……」
 リオは頷いた。
「ねえ、リオ」
 リディアは呟く。
「ライリスは女王で総司令官だし、オーリィには導く者としての知識があるわ。あなたには闇としての力がある。私は――私の役目は、何なのかしら」
 リオは顔を上げ、リディアの横顔を見つめた。彼女はここ数日、ずっとそのことを考えていたようだ。冷たい風に彼女の黒髪が乱れる。
「何でも」
 リオは答えた。
「魔王の姪だって……闇の守護者だって分かる前のあたしは、今のリディアよりずっと無力だったよ。それでも、あたしにできることはやろうと思ってたもの」
 大丈夫だよ、とリオは笑った。
「無力な人なんていないもの。助けてもらってばかりなんてことはないよ。リディアが迎えに来てくれたから、あたしは今ここにいるんだし、エルトだってリディアがいるから頑張れてるんでしょ」
 リディアは微笑んだ。
「リオは、比べないのね」
「え?」
「自分がどれくらいもらって、自分がどれくらい返せたのかとか、どれだけ役に立てたのかとか、他の人と比べないのね」
「……比べて平気でいられるほど、あたしは強くないから」
 リオは俯いて答えた。
「比べたってしょうがない、って自分に言い聞かせてるのよ、あたしは。どうしたってあたしはライリスみたいに頭が良くないし、ウィルみたいに強くもないもの。そしてそれはあたしの努力でどうにかなる類のことじゃないし」
 うん、とリディアは頷いた。少し気が晴れた、と言う顔をしていた。
「ねえリオ、それで私、考えたのだけど、私の血の意味は何なのかしら」
「リディアの血? 天使の?」
 リディアは重々しく頷いた。
「天使の子が、今の時代に、地上軍にいる意味は何なのかしら、って。オーリィは私の血筋のために、私をここにおいてくれているはずなのよ。だったら、私はそれに応えるべきではないのかしら」
「オーリィが何か言ったの?」
「何も。……私が、勝手に思っているだけ」
 リオは口を開きかけて、何を言うべきか迷って、結局閉じた。オーリエイトはリディアに何か期待している。それはリオも認めざるを得なかった。オーリエイトは結構計算高い。悪い言い方をすれば、リディアを利用することを考えているだろう。そしてリディアは、それを承知でそれに応えたいと思っているのだ。
「……何も持たないリディアじゃ駄目なの?」
「え?」
 リオが言うとリディアはきょとんとした。
「何も持たない私?」
「ウィルが言ってくれたことがあるの。あたしが、みんなの傍にいちゃいけないんじゃないかって悩んでいた時に、何も持たないあたしでもいて欲しい、って」
 リディアは微笑んだ。
「それはリオだからだわ。リオとウィルだからよ」
「エルトも同じことを、リディアに言うと思う」
 リディアはうつむく。リオは問いかけた。
「エルトじゃ、足りない?」
「そういうのじゃないわ……そうじゃないわ。お兄ちゃんが私とノアをとても大事に思ってるのは知ってる。全部私たちのためだって知ってるわ。それなのにお兄ちゃんは、私たちのためなのに、何かあると、自分のせいだ、ごめん、って謝るのよ」
 うん、とリオは頷いた。エルトも、一人で背負い込むタイプだ。
「……私、地上軍の一員だもの」
 リディアは呟く。
「守護者の妹だもの。天使の子だもの」
 彼女は空を見上げた。
「なのに、何の役割も無いのよ? 変じゃない。私だって、何かをしたいのに。役割が欲しいの……もらったものを返すに足る役割が」
「欲しい欲しい、ってそればっかり言ってるようじゃ、駄目だよ」
 リオは言った。そこに、そうだね、と声が重なる。驚いて振り返ったら、ライリスだった。
「……聞いてた?」
 リディアが気まずそうにたずねると、ライリスは少し笑って肩をすくめた。
「ぼくじゃ、聞いちゃいけなかった?」
「ううん……でも、なんだか恥ずかしいわ」
「どうして?」
「ライリスは、なんでもできるもの。与える側から見たら、もらってばかりの私の愚痴なんて、ちっぽけに聞こえるでしょう?」
 ライリスは少し笑みを引っ込めた。
「……なんでも、か。ぼくの周りの人の、ぼくへの評価って両極端なんだなぁ」
「あっ、気に障ったなら、ごめんなさい」
 リディアが慌てて言うと、ライリスはすぐに、いつもの笑顔を浮かべて言った。
「ううん。総司令官が弱音を吐いてたら示しがつかないね。ごめん。今のは忘れて」
 それから彼女は、さっき守護者たちが旅立った際に残していった、移動呪符の跡が残る場所を見つめた。
「あーあ、もうみんな帰っちゃったのか。ちょっとアーウィンをからかっておこうと思ったのに」
「からかうって……」
 リディアが苦笑したが、ライリスは真面目に言った。
「ふざけたかったんじゃないよ。元気をもらおうと思ってたんだ。……もうすぐ初戦だから」
 リディアもリオも表情を強張らせた。
 ライリスは、辛気臭い空気を吹き飛ばすように、少しわざとらしくも思えるような華やかな笑みを浮かべた。
「しょうがないか、ぼくらはぼくらで頑張らないとね。あいつに甘えてばかりはいられないな」
「ライリスは、いつもアーウィンに甘えていたの?」
 ちょっと意外な気がしてリオが聞くと、ライリスはんー、と言って首を傾げた。
「と、思ってはいるけど。ああ、でもあいつも甘えてきたから、お互い様かな」
「そんな風に、なりたかったわ」
 リディアが呟いた。
「私と、みんなも」
「リディアは自分が一方的にもらってばかりだと思っているのか」
 ライリスが言い、リディアは頷いてそれを認めた。
「ライリスがさっき言ってた、欲しいって言ってるだけじゃダメって、どういうこと?」
 リディアが問うとライリスは答えた。
「選択肢は自分で作るものだよ、ってこと。人ってさ、目の前にある選択肢からしか選ぼうとしないよね。自分が望む選択肢を、自分で作ればいいのにさ」
「……作れるのは、それこそ力のある人だけではないかしら」
「あったって、作れない人、いるよ」
 リオが口を挟んだ。
「力が邪魔で、本当に欲しい選択肢がつかめない人もいるよ……守護者のみんながそうじゃない」
 リディアは恥じるように頬を押さえた。
「そ、そうね…私ったら、自分のことばかりで」
「ううん、ごめん、責めてるわけじゃないよ、リディア。ただ、力があれば何でもできるっていうのとは、違うと思うのよ。力があれば、それ相応の周りの期待があって、それに応えられないだけで、その人は自分を無力だと思っているかもしれない。リディアと同じくらいに」
 リディアは、少し驚いたように目を瞬いた。リオは続ける。
「だから、どれくらい与えてもらったとか、与えたとか、そんなの、絶対量で考えなくていいんじゃないかな。リディアが自分でやりたいと思ったこと、これならできるって思ったことをすればいいのよ」
「でも、そしたら、それすらわからない私はどうしたらいいの? 私、できることなんてないわ」
 囁くように言ったりディアに、ライリスがあっさりと答えをあげた。
「そんなの、いっぱいあるじゃないか。君の癒しの力で、怪我を治してくれればいい。その歌声で悪魔を退けてくれればいい。そしてぼくらを勇気づけてくれればいい」
「そんな小さなことで……」
「それが大事なんだろう」
 ライリスが言う。
「ぼくが、アーウィンの励ましを欲しがったのと同じだよ」
 リディアは目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。
「……そうね」
「うん」
 ライリスはリオとリディアのほうを向いて、飛び切りの笑顔で笑った。
 リオはしかし、一瞬を見逃さなかった。ライリスの表情を何かがかすめた。おや、と思った。すっかり強くなったと、立ち直ったと思っていたけれど、それはリオの思い違いかもしれない。
 
「ねえ、リオ、リディア。ぼくのところに来ない?」
 ライリスは唐突にそう言った。
「え? ライリスのところって、総司令官のテント?」
 リオが問い返すと、彼女は頷く。
「オーリエイトも呼んだんだ。ここは宿もないしさ、女の子だけだと危ないだろう?」
「でも、総司令官が友人を私情で傍に置くっていうのは……」
 リオが眉を寄せるとライリスはいいんだよ、と気楽に言った。
「天使の子と闇の守護者だし。十分、保護対象だよ。それとも、男の群の中に無防備に寝ていたい? まあ、一応女性兵士もいるけど、彼女たちだって男性とは離れて寝ているよ」
「……お邪魔させていただきます」
「素直でよろしい。実を言うと、ウィルとエルトにも頼まれてるんだ。愛されてるねぇ、二人とも」
 くしゃっと頭をなでられて、リオはちょっと笑った。そして少しどきりとする。ウィルを思うと少し元気になれた。

 リディアと一緒にライリスについていきながら、リオはちょっとライリスに聞いてみた。
「レインはオーリィのことを、ライリスに頼んでいった?」
「いや」
 ライリスは苦笑した。
「他人に任せはしないでしょう、レインは。それに、ぼくに借りを作りたくないんじゃない? どっちにしろ、今だってオーリエイトはぼくの相談役みたいなものだから、近くにいてもらって問題はないだろうけど」
「うーん……」
 オーリエイトがショルセンの重臣たちと仲良くしてたら、それはそれでレインが妬きそうな気がしないでもないのだが。
「ぼくが、みんなに傍にいて欲しいんだよ」
 ライリスはそういった。
「ねえ、ぼくはそんなに強くないよ……リオ、リディア」
 そういわれて、リオもリディアもどきりとしたようにライリスを見た。
「自分でも情けないけど、強くないんだよ。心から信じられる人に、味方だって胸を張っていえる人に、いてほしいんだ。……役割だけじゃ物足りないなんて、ぜいたくだって分かっているんだけどね」
 リディアは目を見開いて、慌てて言った。
「ご、ごめんなさい!」
「え? どうして?」
「ぜいたくを言ったのは私だわ……恵まれているのを罪みたいに感じていたなんて……それをライリスに言うなんて。ごめんなさい」
 恵まれているという罪悪感で役割と責務を欲したリディア。役割と責務を持っているのに、認められず疎まれる身であるライリス。リディアの意を理解したライリスは、少し寂しそうに苦笑した。
「じゃ、傍にいて?」
 ライリスが、あのライリスが、戦争を前におびえているように、リオには見えた。総司令官の衣をまといながら、なんだか脆そうだった。




最終改訂 2010/04/18