EVER...
chapter:3-story:05
賭けと説得
 

 

 ウィリアム、レイン、エリオット、アーウィンの四人がグラティアに戻った翌日、女神がグラティアに帰還した。王宮にいた間もちょくちょくグラティアに帰っていたおかげもあり、城を長い間抜け出していたことを咎められることはなかった。
 彼女はサタンの封印場所を見つけた、と喜んでいて、彼らを咎めることには関心がないようだった――少なくとも、表面上は。アーウィンがよかったな、なんもなくて、と喜んでいる隣で、ウィルは一人、微かな苦笑をもらしていた。彼は女神を良く知らない。

 女神と久々に対面したとき、ウィルは何食わぬ顔でよかったですね、と女神に告げた。ほんの数日前にはすぐ近くにいたことなど、わずかにも顔に出しはしない。しらを切りとおせるならそれに越したことはないのだ。女神はウィリアムを見ると一瞬、笑みを消して、その桃色の瞳でウィルを見つめた。
「何か?」
 ウィルは問う。女神が再び笑った。
「余裕そうね? あなたはサタン様が……ルシファー様が嫌いなのだと思っていたわ。もっと嫌がると思っていたけれど」
「私が彼をどう思おうと、何の影響もありませんから。あなたにも、彼にも、世界にも」
 ルシファー、と女神が言ったことにウィルは内心眉をひそめていた。一方の女神はますます笑みを深めていく。よくない兆候だ。ウィルは警戒を強めた。
「そんなことをいって、あなたはわたしくしの知らないところで諦めないのでしょう。知っているのよ。……わたくしのお仕置きなんて怖くないんだものね、ウィリアムは」
「怖いですよ?」
「嘘おっしゃい」
 一瞬で笑みが消えて、声に含まれる甘さが氷の冷たさに変わった。ウィルは内心、ひやりとする。思った以上に、彼女はサタンの封印場所発見では浮かれていなかったようだ。「おイタが過ぎ」てしまったようだ、とウィルは少し自嘲的な笑みを浮かべた。女神はウィルを睨みながら、ゆっくりと微笑む。
「抜け出したのね」
「何のことです?」
「あなたの契約対象、あの小鼠ちゃんになっているのよ。会っていたのね」
「それがなぜ、抜け出したことに? そもそも、彼女のほうが会いに来ていたのかも知れないですよ」
「ウィリアム」
 彼女はさらに笑む。
「あなたが、惚けたり言い訳するのが上手なのは知っているわ。でもわたくしには通じないわよ」
「……そうですか」
 ウィルは肩をすくめた。女神はウィルの言葉を待っているようだったが、ウィルは口を開かなかった。彼女は詰問だけが目的ではないはずだ。真実、今は抜け出していたことを咎める時ではないのだ。
 実際、忍耐勝負に負けたのは女神のほうだった。彼女が口を開く。
「ウィリアム」
「はい」
「わたくしと戦場に来なさい」
 ついに来た、とウィルは思った。もう野放しにはしないという、女神の宣言だ。
 賭けに出るときが、来た。



 他の三人の守護者たちは、エリオットの部屋に集っていた。薬草の箱や薬瓶が並べられた棚の間で、それぞれ沈黙していた。
 最初に口を開いたのはアーウィンだった。
「早速呼ばれたな、ウィル」
 エルトも頷き、呟いた。
「色々無茶したのがばれないといいんだけど」
「ばれねーかなぁ。まあ、お仕置きはなさそうだけどさ」
「何で言い切れるんだよ」
 アーウィンは腕を組んで机に寄りかかった。
「だってもう戦争だろ。血の契約で縛っている限り、オレらは強制的に悪魔軍だ。こんな戦力、クローゼラが自分から削ぐかよ」
 エルトは言い返した。
「でも、僕らの反抗心はバレバレだろう。反逆の可能性を消すために、ってことも考えられるし――しかも、クローゼラはサタンの封印場所を見つけた。僕らが無事でも、ウィルはサタンへの生贄になっちゃう」
 うげ、とアーウィンは声を漏らした。
「あー……そういや、ウィルがいつか言ってたな、そんなこと。魂をサタンに入れて、光の聖者としての力をサタンに移す気だ、って」
 そこまで言って、アーウィンはちらりと、棚を見ているレインに声をかけた。
「おいこらレイン。お前も話に入って来ーい」
 レインは視線をちらりと上げて溜息をついた。
「うるさいな」
「……てめぇ、オーリィから離れて一日で随分荒んだな」
「大きなお世話だ」
「もう、レイン、言っとくけど、オーリエイトの所に早く帰りたいなら、僕たちと協力したほうが早いんだからね」
 エルトが咎める。
「せめてウィルの救出方法を一緒に考えてよ」
「クローゼラはウィルを殺さないよ」
 レインはきっぱり言い切った。
「彼は、彼女にとってサタンの代わりだから。本物が現れるまで、殺しはしないよ」
「ウィルがサタンの代わり? なんで?」
 アーウィンが目を瞬く。レインは事務的に説明した
「寂しいんじゃないのかい。クローゼラも。好きな相手と千年も離れているんだから。ウィルはいろんな部分でサタンに似てるんだって。……ウィルが気に入られているのはそのせいじゃないの」
「お気に入りっていうけどさぁ、オレには単に、見張るために束縛しているだけに見えるぜ」
 アーウィンが机の上で胡坐をかく。レインは振り返らずに言った。
「お気に入りだよ。じゃなかったらウィルは今頃無事じゃない」
「そ、そうか……」
 エルトが呆れたような溜息をついて呟く。
「……他人に関心がないくせに、使えると思った人間への洞察は鋭いんだね」
 レインは薄い笑みを浮かべて振り返る。
「だから、ウィルは大丈夫だよ。エルト、この薬もらっていい?」
 エルトは眉を寄せた。
「いいけど……何に使うつもり?」
「契約書を探す。契約書がないとリオが来ても意味がないからね」
「レイン!」
 エルトが呼び止めた。立ち去ろうとしていたレインは立ち止まって振り返る。
「一人で行くの?」
 エルトがたずねると、レインは淡々と言った。
「手伝いたければ、好きにしていいよ」
「そうじゃない」
 エルトは首を横に振った。
「最近のレインは、仮面すらかぶらない。愛想笑いすらしない。偽者の仲間すら――演じてくれない。……どうして?」
 レインは一瞬、虚をつかれたように目を瞬いた。それから、笑む。あてつけるような表情だった。
「お望みならいくらでもやってあげるけど、あいにく今は、必要性を感じないな」
「レインが他人に興味がないのは知ってる。でも、僕らは君と同じ、守護者なんだから」
「だから? お互いに望んでなったわけでも、認め合ってなったわけでもない仲間だよ。生まれだけで決まったこの関係に、何の意味があるの?」
「僕はそんな風に思いたくない。君にもそんな風に思って欲しくない」
 レインは笑みを消して黙った。エルトは一言一言、区切るようにして言う。
「教会に入って苦しかったよ。抜け出したくてたまらないよ。でも、守護者として過ごした期間は、僕にとって意味のあるものだったよ。レインは? 何もないの? 僕らの仲間でいた時間は、無駄?」
 レインは答えない。エルトはうつむく。小さく、呟くように言った。
「……もう少し、僕らの守ろうとしている“世界”の内側に、入ってきてはくれないの?」
 レインは目を瞬く。珍しい表情だった。少し驚いたような、そして少し動揺したような。少しの沈黙の後、彼は小さく小さく笑った。
「考えておくよ」

 レインが去った後で、アーウィンが呟いた。
「やるなぁ、エルト。あいつがちょっと聞く耳持ったぜ」
「……持った、のかな」
「持った持った。いつもだったら『でも僕の世界に君たちはいないよ』とかなんとか言い返してるところだからな」
 エルトはそれを聞いて、恨めしげな視線をアーウィンに送った。
「そんなにあいつのことを分かってるなら、少しはお前も何か言えよ」
「オレ、基本、いらん火の粉が降ってるとこには突っ込んでいきたくないんで」
「代わりに僕を火の粉の中に置いてけぼり?」
「頼んだー」
「アーウィン!」
 アーウィンはぺロッと舌を出した。
「そーゆーの苦手なんだよ。リオとかみたいに言葉で説得したりすんの。だから勘弁」
 もう、という様子でエルトは溜息をついた。
「空気が読めるなら行動もしてよ」
「だからできねーんだって」
 エルトはやれやれと首を振り、少し投げやりな調子で、アーウィンに言葉を投げた。
「どうする? 手伝いに行く?」
 アーウィンは頷き、机から飛び降りた。
「やれることはやっとこうぜ。手持ち無沙汰は性にあわねぇんだ」
「ふん」
 二人は部屋を出て、並んでレインの向かった方向へと歩き出した。



「それは、聖者祭が終わった後ですよね?」
 ウィルが確認すると、クローゼラは少し眉をひくりとさせた。
「時期がそんなに大事?」
「いきなり私たちが悪魔軍として姿を現したら、せっかくの各国とのつながりが消えてしまいますよ。彼らは教会が悪魔とつながっていることを知りませんからね」
 クローゼラは正面からウィルを見つめた。ウィルも正面から受け止める。
「また口ごたえ?」
「諫言とは受け取ってもらえないのですね」
「できるわけがないわ。あなたはわたくしのことをそこまで思っていないもの」
 激しい皮肉の笑みが女神の顔に浮かぶ。ウィルはそれでも、微笑を崩さなかった。
「そんなことはありません。あなたの存在感は私の中で非常に大きいですよ」
 嘘では、ない。
「でも、ウィリアム、あなたは」
 クローゼラはずいとウィルに近付いた。桃色なのに氷にように冷たい目で、甘いのに殺気と狂気を含んだ、切なげな声で言う。
「ちっともわたくしの思い通りにならないわ……屈してくれない……わたくしだけのものになってくれない。どうして?」
「あなたのせいですよ?」
「違うわ」
 声が変わった。甘さが飛んで、殺気と狂気だけが残る。
「わたくしのせいじゃないわ。ルシファーさまのときも、グロリアが、あの子ねずみちゃんが、あいつが、あいつらが……!!」
 荒れていく声に、ウィルは一歩クローゼラから離れようとして、彼女に腕を掴まれた。
「逃がさないわよ、ウィリアム?」
 ついさっきの荒れようから一転して、にっこり笑う彼女の姿は寒気が走るようなものだった。ウィルは口を開く。
「申し訳ありませんが、私もサタンになるのはご勘弁願いたいんですよ」
 クローゼラは目を見開く。その瞳に自分が映りはしないことを、ウィルは知っていた。彼女はウィルの名を呼ぶけれど。
「私を見ていないのはあなたのほうです、女神様。私を掴んでどうするんです?」
 おもちゃが思い通りにならない、ちやほやしてもらえない、彼女はそんな、子供の癇癪を起こしているだけだ、とウィルは思う。世界規模なのが、たちの悪いところだ。
「サタンへのプレゼントになる気もしませんね。私は私自身のものです」
 クローゼラはウィルの首を掴んだ。さすがに、ウィルもかすかに表情を歪める。
「今のあなたはわたくしのものよ。あなた自身のものになることはないわ。血の契約があるもの」
「今はそうかもしれませんが」
 ウィルは手を伸ばし、ゆっくりと女神の手を首から引き剥がした。
「私の契約対象の正体にはお気づきなのでしょう?」
 ウィルが微笑む。女神は凍る。
「彼女の能力もご存知なのでしょう? 契約対象に、これ以上あなたにとって不利なものはないでしょうね」
「あなたっ……どこまで知って!?」
「感謝しています、女神様。あなたのおかげで私は強くなれた」
 ウィルは、告白した。決別の告白。
「あなたに抗い続けると決めたおかげで、強くなれたのですよ」
 クローゼラは長いこと、黙ってウィルを見つめていた。

 天窓から光が降り注いでいる。白い内装が目にまぶしく、光はまるで祝福しているかのようだった。

「ふうん……」
 クローゼラは呟く。何かが抜け落ちたかのような、何かが据わったかのような無表情だった。
「あなたは、徹底的にわたくしを見てくれないのね」
 ウィルは黙っていた。言いたいことが通じなかったもどかしさは感じない。彼女はいつだって、こうだったのだから。
 小首を傾げて、彼女は可愛らしく笑った。
「せいぜい抗えばいいわ。どちらにしろわたくしは、あなたを放さないから。……別に気にしないでしょう? あなたはわたくしのお仕置きだって怖くないんだものね?」
 最後の質問は先ほどにもされたものだが、ウィルは微笑とともに、今度は本当のことを言った。
「そうでしょうね」




最終改訂 2009/05/28