EVER...
chapter:3-story:06
初陣
 

 

 オーリエイトは軍服に身を包んでいた。リオは真新しい服を着て、少し戸惑っていた。クライド氏も少し居心地が悪そうだった。
「慣れないな、こういう服は」
 呟いて、彼は飾り紐をつまんでいる。
「俺も軍服じゃいけないのですか、導く者」
「呼びにくいでしょう。オーリエイトでいいわ」
 オーリエイトは言い、黒の上着に袖を通す。
「守護者は守護者の服を。その方がいいわ」
「だが、他の守護者はまだグラティアに……」
「あなたたちは、ここにいる」
 静かに言い切ったオーリエイトにクライドは苦笑し、わかりました、と言った。リオとクライドが着ているのは神官服だった。教会から調達してきたわけではなく、オーリエイトがデザインを教えて、ライリスが仕立ててくれたものである。クライドのは緑色、リオは限りなく黒に近い紫色だった。
「いやがおうにも目立つよね……」
 少々溜め息を交えて言うと、オーリエイトがピシャリと言った。
「それがいやなら、前線には出られないわよ」
 リオは少し唇をとがらせて、自分の神官服を見下ろした。別にいやだというわけではないのだが。……ウィルと、同じ服だ。
「オーリィも前線に?」
 リオが顔を上げて聞くと、オーリエイトは頷いた。
「あなたと一緒に行くわ、リオ」
「よかった……心強いわ」
 ほっとして言うと、オーリエイトはほんの少しだけ微笑んだ。
「クライドさんは一人で大丈夫?」
「補佐の宮廷魔法使いがついているわ」
 クライドは笑った。
「人を使うのはあまり慣れていないんだが、まあ、頑張るさ」

 その時、ライリスがテントに入ってきた。
「おお、皆似合うなぁ」
 いつもの、明るい笑みだった。
「へえ、女性の神官服って生で見るとこんな感じなんだね。趣味は悪くないかもね、クローゼラ」
「なんかそれ聞くと、ちょっとこの服が嫌になるんだけど」
 リオが言うとライリスは声を立てて笑った。それからオーリエイトの方を向く。
「オーリエイト、なるべく連絡をよこしてね」
「分かってるわ」
「父さん」
 ライリスは父と向き合う。出発してから、あまり父娘で会話をしていなかったはずだ。ライリスは微笑んだ。
「がんばろうね」
「ああ」
「うん。それじゃあ」
 ライリスはすっ、と杖を召喚すると、手に握って高らかに言った。
「出陣だ」

 リディアは怪我人の救護班に残ることになった。彼女が進んで選んだ場所だ。ノアは姉のそばにつくことになった。そもそも前線に残るには幼すぎる。彼女たちに声をかけてから、リオはオーリエイトとともにケムエルの背に跨がった。遠く前方でライリスの紫色のマントが翻っている。奇襲狙いなので隊はバラバラだが、その紫色は,離れていても彼女の標である蝶のようで目についた。
 彼女の手がさっと上がる。声は聞こえなかったが、号令をかけたことは確かだった。前方から鬨の声が波のようにおこった。リオも声を張り上げた。ケムエルが飛翔する。リオはオーリエイトの腰にしがみついて、暗い空に舞い上がった。
 ライリスの乗るレミエルはカートラルト王城のほうへ、そしてリオたちはその城下町へと向かう。突然現れた援軍に、城に立て籠もるカートラルト軍から歓声が上がった。ショルセンの国旗を馬具として提げた真っ白いレミエルの姿と、ショルセンの貴色である紫をまとうライリスはさぞかしカートラルト軍の士気を上げ、悪魔軍を動揺させたことだろう。
 彼女の後ろ姿に気を取られていると、オーリエイトが叫んだ。
「リオ、前を見なさい」
 リオは慌てて前を向いた。眼下に広がる街には火の手が上がっていた。空を飛ぶライリスやリオたちは悪魔たちに狙われ易い。火の影から飛んで来た魔法を、リオは手を掲げて消していった。
「あたしは、こういうことをしてればいいのよね?」
 オーリエイトに確かめると、彼女は「ええ」といった。彼女は悪魔の隊列に向かって杖を向けている。
「リオ、覚えておいて。あなたの力は魔法操作よ。魔法を消すだけじゃないわ。戦いながら、力の使い方を覚えていって」
「う、うん」
 魔法使いではないから、呪符や杖を、リオは持てない。能力の狂いは自分自身で直していくしかないのだ。
 空は暗い。天を舞う悪魔たちの数は底知れない。不思議と恐怖は麻痺していた。戦場の独特の高揚感。だがそれが自分で恐ろしかった。リオは頭を振り、余計な考えを振り払って、ひたすら、飛び交う魔法に手を掲げた。



 三日間にわたった初陣は、結果から言えば勝利だった。籠城も限界だったカートラルト王城の解放に成功した。城になだれ込もうとする悪魔軍を追い払い、開城させたのだ。疲弊したカートラルト軍はようやく物資にありついた。ライリスは代表者として、今は城で軍の指揮を執っていた王族と話をしている。
 そして、たくさんの血が流れ、たくさん死んだ。
「少ないわよ」
 オーリエイトはそう言った。リディアがショックを受けた顔をした。
「少ない、って……もうテントは一杯になっていたわ。そしてテントの外では死んだ人が山のように積み重ねられていたのよ」
「少ないのよ」
 オーリエイトは言い切った。厳しい現実をわざとつきつけているようにも聞こえた。リディアはかすかに震え出した。
「私……力、いっぱい使っても間に合わなくて……」
「全ての人を救うつもり?」
「でも、できるだけ助けたいじゃない」
「そうね。でも、力もないのに夢だけ見るの?」
 リディアは口を開いたが、言葉が見つからなかったように口を綴じた。オーリエイトは、ただ淡々とした口調で言う。
「この程度の覚悟はしなさい」
 何も言わず、リディアは天幕を出た。リオは思わず、少しだけ後を追う。彼女が救護テントの方へ行ったのを見て、リオは天幕に戻った。オーリエイトは地図を確認しつつも、戻って来たリオに目を留めた。
「何か言いたいなら言ってちょうだい」
「オーリィ……責められたいの?」
 オーリエイトは一瞬、手を止めて顔を上げた。
「なぜ? あなたは、責めたいの?」
「責めてないから、責められないよ」
 少し意外な言葉だったのかもしれない。オーリエイトは目を瞬いて、そう、と言った。オーリエイトはこれ以上本音を吐き出すつもりはないようだったから、リオは勝手に言うことにした。
「でも、リディアの気持ちも分かるでしょ?」
 彼女は答えない。リオは話し続けた。
「ただ、オーリィには迷いがないんだね」
「そうかしら」
「そう見えるわ」
「……そうね、迷いがあったらここまでこれないわ」
「ねぇ、オーリィ」
 リオは座った。初陣を通して、初めて自分の力を意図的に、人を傷つけることに使って、リオは本当は不安だった。迷っていた。
「この戦争に勝つってどういうこと?」
「え?」
「殺すこと? 多く殺したら勝つの? 残忍な方が勝つの? 勝つって、何?」
 リオの力は魔法操作。飛んで来た魔法を逸らしたり、跳ね返して返り討ちにすることもできた。織り込んである魔法の糸を組み直して他の魔法に変えることさえ可能だった。反則なほど便利な能力だった。目の当たりにした悪魔たちが集中攻撃を仕掛けて来たほどだ。
 便利で強力なほど、不安になる。そして、雪を染め上げた赤に、戦場の高揚感から解かれた後に慄然とした。それは味方の血だけではなかったはずなのに。敵の血だと思っても、どうしようもなく慄然とした。
 殺したら、勝ちなのか。戦争ってそういうことなのか。このまま戦場に居続けたら、きっとそうなってしまう。当初の目的など消えて、ただの殺し合いになる、そんな予感がして怖かった。
「他に方法がないことは、分かっているでしょう」
 オーリエイトが言う。
「殺さなければ、彼らは壊し続ける。人を、世界を。それだけよ」
「だから、あたしたちも壊すのね」
「そうよ」
「…………」
 それだけになってしまうのが、怖かった。だから、せめて。
「この戦いで死んだ悪魔のために泣いたら、オーリィはあたしを軽蔑する?」
 オーリエイトは微笑んだ。
「しないわ」
「よかった」
 リオも微笑んだ。
「オーリィみたいに、揺らがないでいられたらいいのに」
「簡単ではないわよ。私には千年の時間があったのだから」
「そっか……」
 守るために壊す。守るために殺す。守るために――。正しいのだろうか。いや、善悪はこの際関係無いのだ。戦争において、自分たちは絶対に善で、敵は絶対に悪でなければならない。そう思わないといけないのだ。
 ……違う。それは騙しているだけだ。でも、騙すのはこの場合悪いことなのだろうか。
「やっぱり、分からない」
 吐き出すように言うとオーリエイトは呟いた。
「それでもあなたは選んだわ。こちらの陣を」
「うん……」
 境界なんて引けるはずのない、綺麗に二分なんてできるはずのない世界だけれど、それでも境界を引いて二分しなければならない時がある。線は引かれた。リオは選んだ。迷っても道を進むしかないのだ。


「そういうわけじゃないと思うなぁ」
 カートラルト王城に賓客として迎えられているライリスと話をすると、彼女はそういった。リオは目を瞬いた。
「そういうわけじゃない、って?」
「戦争に勝つって、つまり今回の場合は大将を討ち取るって事でしょ?」
 彼女は、部屋に飾られたショルセンの国旗を見上げた。大きく蝶が描かれた旗。彼女の鎖骨の上にも、同じ標がある。
「それと、土地の占領。殺し合いは、守る側と攻める側の究極のやりとりの形だよ。相手を殺してでも守るし、相手を殺してでも奪う。それが戦争の本当の目的じゃない?」
「そ、そっか……」
 リオは少し納得した。
「ちょっと分かった気がする。……あたし、全然知識なかったんだね」
「分かろうとしてるリオは偉いよ。戦争、って聞いただけで、殺しあって勝つことしか頭に残らなくなる人は大勢いる」
「うん」
 リオは頷いた。リオは今、ライリスと二人きりだった。なぜ一人で招待されたのかといえば、カートラルト側が、闇の守護者としてのリオの能力に関心を持ったからだ。戦いでの働きを見て、これはすごい、と思ったらしい。
「君は慣れていないだろうけど」
 ライリスはリオにお茶を出す。身分を鑑みればリオがやるべきなのだが、ライリスはそういうことに頓着しない。
「上の方々はそういう人が多い。守るものが分からなくなってくる。当初の目的なんて、いずれ見えなくなる。戦いが長引くほど、ぼくたちは疲弊するし、どうしてこんなことをしてるんだろう、って思い始めるだろうね」
「千年前から戦ってるはずのオーリィはそう思っていなかったみたいだけど」
「オーリエイトの場合は逆に、時間がありすぎただろう? 当初の目的は霞んでしまったかもしれないけど、どうしてこんなことをしているんだろうっていう問いに自分で答えを見つける時間はあったはずだよ。その結果、揺れなくなったんじゃないかな。あくまで推測だけど」
 リオは黙っていた。少し考えてから、呟いた。
「ウィルに似てる」
「そうなの?」
「ウィルはね、屈さない、ってことにしがみついている感じがするのよ。オーリィもそう、戦争に勝つ、って決心にしがみついている気がする。だから、二人とも揺らがない感じがするんだと思うな」
「なるほど……確かに」
 ライリスは少し瞳を翳らせた。リオは少し首をかしげる。ウィルの話をすると彼女は少し複雑そうな表情をする事が多い。多分昔のライリスをウィルが知っているからだろうけれど、教会と王家はほとんど繋がりがないのだから、そんなに気にすることではないのではないだろうか。
 ライリスはそんなリオの視線に気付かないのか、呟いた。
「戦争でも揺らがないのかな、あの二人は」
「どうだろう。ライリスは、揺らぎそうなの?」
「……殺し合いは、異常で非日常だ。ずっとそんな状況の中にいたら、きっと人は壊れてしまう」
「じゃあ、どうすればいいの」
「なるべく早く、決着をつけるのが一番良いだろうね」
「早く……」
「そう。これは誰にも話してないけど」
 ライリスは少し、悪戯っぽい顔をした。
「ぼくは早くサタンが復活してくれないかな、って思っているよ」
「ええ!?」
 リオは目を瞬いた。前からそうだが、大胆な考えの持ち主だ。
「……もしかして、大将に出てきて欲しいから?」
「そう。だって出てきてくれないと討ち取れないじゃないか。それに、サタンを討ち取らないとこの戦争には勝てない、ってぼくは思ってる」
 それはそうかもしれないけれど。
「いっそ絶対に復活させないようにするとか……」
「無理だよ。クローゼラはもうサタンの封印を解こうと準備してるんだろう? それに、これほどの意思で世界を滅ぼそうとしてるんだから、きっと説得は出来ないだろうし。存在を消すほうがずっと確実」
 リオは苦笑し、それから聞いた。
「なんであたしには話すの?」
「君なら受け入れてくれるから」
「アーウィンでもダメなの?」
「あいつは細かいことを考えないよ。まあ、考えないでくれるほうがありがたい時も多いけど」
 それに、とライリスは続け、リオを見つめた。木の葉色の瞳には、弱音を吐くような色がある。
「リオに聞いてもらった方がいいかな、って思った。サタンは君の叔父さんだし、リオは――なんていうか、覚悟が違う気がする」
「覚悟?」
「もっとどうしようもなくなったら、話を聞いてもらうよ」
 ライリスはそう言って話題を打ち切った。リオは話すように誘導しようかと思ったが、そこまで思いつめているわけではなさそうだったので引き下がった。
「今日はお城に泊まるの?」
 話題を探して結局適当な質問をすると、ライリスは頷いた。
「カートラルトの参戦を取り付けたよ。一緒に戦ってくれるって」
「さすが!」
「ありがとう」
 にっこり笑ったライリスは、既にいつもどおり、華やかで不安などないようだった。
「ノートンとレーリアにも参戦を呼びかけに行くつもり。……王女兼総司令官って、けっこう忙しいや。ぼくはみんなとはしょっちゅう離れ離れになっちゃいそうだなぁ」
「結構寂しがり?」
「寂しがりだよ?」
 冗談めかしてライリスは言ったが、多分本音だっただろう。リオは気付かないふりをしておいた。多分、つつくべきところではない。
「これからどうするの?」
 リオが聞くと、ライリスは肩をすくめた。
「それを明日から将軍たちと話し合うんだ。兵たちには休息が必要だし、少しの間、戦いはなし。……もうすぐ聖者祭だし、いまがいい機会かもよ?」
 リオは頷いた。血の契約の契約書奪還の話だ。――守護者たちから、隠し場所のめぼしをつけてもらって連絡してもらう手はずなのだが、まだ連絡がない。でも、そろそろだろう。
「アーウィンを頼むよ?」
 ライリスが言うので、リオは笑って見せた。
「ウィルがかかってるもん、失敗できないよ」
 大切な人たちが、守りたい人たちがいる。それが戦う理由だ。
 それを、心に刻んだ。迷ったらすぐに道標にできるように。




最終改訂 2010/07/27