02


「おや、依頼が入ったのだね」
 リタが家中のあちこちに、これはどこに片付ける、と書いた紙を張り付けたのに気付いて、師匠のアシュレイがそう言った。放っておくと師匠がこの家をゴミ溜めにしてしまうので、片付けはリタの仕事だ。だからリタはしばらく家を空ける場合には必ず、こういった張り紙を残していく。
「はい。住み込みなので」
 リタは答え、三角帽を深く被った。
 アシュレイは魔女の中では珍しい、男性の魔女だ。力もかなり強く、魔女協会の役員もしていてかなり名が通っている。リタに言わせれば、こんな師匠を役員にして大丈夫なんだろうかと首を傾げたいところなのだが。アシュレイはシャツのボタンも留めないで、そのままソファに腰を下ろして足を組んだ。
「変な仕事じゃあるまいね?」
「……監禁。でも言い値を払ってくれるそうだよ」
「よろしい。しっかり頑張っておいで」
 似た者師弟だ。

 リタの支度ができると、アシュレイは弟子を送り出すために立ち上がった。アシュレイは年齢不詳の美男子といった出立ちで、リタも彼の出身は一切知らない。シャツを一枚羽織っただけというあまりにラフ過ぎな服装をしていても、眠たげな目をしていても、この人がかなりモテる人なのだというから不思議だ。どうやら王族との噂もあるらしい。
「監禁なんて仕事まで請け負えるようになったのだね、リタ。精神的にも成長したものだ」
 アシュレイは揶揄するように言った。リタは師匠を睨んだ。人のトラウマに関することすら平気で言うのがこの師匠なのだ。リタの抗議の視線をむしろ楽しむように笑うと、アシュレイはリタの額にキスをした。
「いってらっしゃい、リタ。お前にエメラルドの祝福があるよう」
「はい。師匠にもガーネットの祝福がありますよう」
 これは魔女同士の挨拶だ。瞳の色の宝石を魔女石にするのが魔女の慣わしなので、挨拶の時には魔法石の祝福を、と言う。アシュレイの髪と瞳は鮮やかな深紅色、ちょうどガーネットの色だ。一方リタの髪は淡いコーラルピンクで、この珍しい髪色が、“毛色が違う”と言われる一因だった。変わった髪色に加えて、瞳はエメラルドの鮮緑色。この容貌は目立つので、三角帽はいつも目深に被っている。

 リタは魔法に使う道具を一揃い入れたトランクと、魔女の杖を片手に馬車に乗り込んだ。わざわざ依頼主が用意してくれたものだ。立派な馬車で、座り心地も良かった。
 御者のおじさんは気の良い人で、依頼主の紳士は、リタの判断に反して実は貴族ではないのだと言った。とても古い家だが、あくまで爵位はなく資産家なのだと言う。でも家柄が由緒あり、貴族との付き合いが多いので、自然と上流階級が身に着いているのだとか。リタはちょっと気が抜けた。絶対貴族だと思っていたのに。
 途中までちゃんと聞いていたのだが、座り心地が良過ぎて、リタはいつの間にか眠り込んでいた。昼頃になって、キットがお腹が空いたと言って起こしてきた。窓の外はすっかり都会風景になっていた。舗装された道路の上をカタカタ走りながら、馬車は高級住宅街へ向かっていく。しばらくしてから、馬車は大きな門を通り抜けた。
御者のおじさんが朗らかにいった。
「アベリストウィス家へようこそ」

 玄関までが、また長かった。そもそも道の脇が森だ。鹿が跳ねているのを見てキットは大騒ぎした。首都の大都会、いくら住宅地とはいえすごい土地の使い方だと思う。どこからこんなスペースを捻出したのやら。御者のおじさんは、うちは特別大きな敷地をもらっているんですよ、と教えてくれた。

 やっとのことで玄関につくと、リタは表情にこそ出さなかったが、内心少し怖じ気つきながら屋敷に入った。いきなり大理石の大広間だ。階段が目の前にあって二階の踊り場へとつながっていて、吹き抜けになったその天井には、きらめくシャンデリア。呆気にとられていると、執事らしき人が迎えてくれた。まだ若く、30代半ばと言ったところか。
「ようこそいらっしゃいました、魔女さま」
 お辞儀されたのでリタも返した。
「私は執事のウィルキンズと申します」
「リタです」
「失礼しました、リタさま。実は旦那様がおられないので、お迎えに上がれないことを詫びたいと申しておりました」
 リタは別に気にしなかった。
「わかりました。仕事場を教えてください」
「いえ、私が案内しましょう」
 執事は手を差し出してリタのトランクを受け取った。運んでくれるらしい。サービスの良さに感心しながらも、リタは違和感を覚えていた。
 静かすぎるのだ。しかしシャンデリアの階段を上がった時、視線を感じたので見てみると、家政婦たちがドアの隙間から爛々とした目を覗かせて覗き見をしている。睨んでいると言ってもいい鋭さの視線だったが、リタが目を向けると、さっとドアを閉められた。なんだか怖かった。
 いくつも部屋を通り抜け、階段を上がり、右に曲がって左に曲がって、リタがもう一人では道に迷って外にも出られないだろうなと考えていると、ようやくウィルキンズは一つの扉の前で立ち止まった。リタは既に息が上がっていた。
 部屋の中に案内されて中に入った瞬間、唐突にウィルキンズが言った。
「リタ様、一言申し上げます」
 リタは目を上げた。執事は怖い顔をしていた。
「私たちはあなたを旦那様の側だと見なし、宣戦布告を致します」

 は?

 リタは目をぱちくりしたが、ウィルキンズはリタが理解していようがいまいがお構いなしだ。
「旦那様の仰せに従うのが執事の勤めなのでしょう。しかし、我々は断固戦うつもりですから。貴女の部屋は、この部屋の隣です」
 ウィルキンズが部屋の隅を指差した。
「旦那様の言う許可区域はあの扉で区切られています。坊っちゃまはあの中です。出入り口はあの扉だけです」
 坊っちゃま?
 リタが聞くより早く、ウィルキンズはさっさとリタに背を向けて出ていってしまった。執事のくせに刺々しいやつだ。

 ――しかし、変な家だ。リタはそう思った。依頼主の紳士と、執事とその仲間たちとは仲が悪いらしい。
これはどうも、仕事の前に少し調べる必要がありそうだ。
 リタは窓辺に寄って下を見てみた。庭園が随分下の方に見え、広大な森と、辛うじて屋敷の柵が見えた。
上を見上げてみると、もう一階だけあるようだ。リタはおや、と思った。上の階は何と言うか――少し奇妙だ。やっぱりこの家は変だ。依頼がそもそも変だったけれど。

「リタ」
 キットが声を掛けてくる。
「この中入って見ようぜ。坊っちゃんとやらの面を拝んでやろう」
 言いながら例の扉をカリカリとひっかいている。リタは帽子とマントを脱いで、今すぐ飛び込みたくなりそうなフカフカのベッドの上に投げた。
「偵察?」
「だってほら、相手は人間と妖精だぜ。どんなやつか見極めといたほうが良いんじゃないの」
 それもそうだね、とリタは呟いた。

 例の扉は壁に溶け込むようにある。見つけられるのを恐れた秘密の花園のようだ。扉には確かに、魔除けがかかっている。リタに言わせれば、こんなもの妖精には効かない、という代物だった。リタはそれをはがし、調べてみた。
「どうだ、リタ?」
 キットの言葉にリタは答える。
「妖精が魔法を使った形跡があるようだよ」
 やっかいな相手になるだろう。リタは意を決して深呼吸をし、気を引き締めて、扉の取手を引いた。