03
扉の向こうは狭い階段だった。上の方から光が差しているから、上に部屋でもあるのだろう。キットはまったく警戒する様子もなく、階段をトントンと上がっていく。リタも後に続いた。この階段は、もともと跳上げ戸になっている場所であるらしく、リタは床から顔を出す格好になった。
予想通り、部屋があった。しかもリタの部屋よりずっと豪華な部屋だ。調度品は全て、装飾も華やかな金が基調で、どこかの王子様の部屋かと思うほど、きちんとしていて広い。しかもこの部屋にもドアがあった。他にも部屋があるらしい。こんな場所に閉じ込められたって監禁とは言わないのではないかとリタが呆れた思いで立っていると、突然キットが叫んだ。
「リタ! 妖精だ!」
リタが振り向くと、黄緑色の、人の手ぐらいの高さの小さな人が、キットに追いかけられて逃げ回っているところだった。一目見て花の妖精だと分かったリタは、それならなぜ飛ばないのだろうと首を傾げた。
「リタ! 突っ立ってないで、捕まえるの手伝え!」
キットが叫びながら妖精に飛び付き、妖精は危ういところで逃れて、きゃっと悲鳴をあげた。
「キット、捕まえなくても……」
リタが言いかけた時、妖精を捕まえそこねたキットがカーテンに突っ込んだ。
キットは必死にカーテンに爪をかけ、カーテンがビリビリと裂けて、キットはそのままブランコの要領で棚に激突。棚に乗っていた、しゃれた小瓶が倒れて、棚の上を転がって床に落ちて割れた。呆気にとられてリタはキットを見つめた。呻いて、キットが弱々しく言う。
「リタ、魔女ならせめて、落ちる前に空中で止めてくれ」
リタが返事をしようと口を開いた時、部屋の戸が開いた。甘やかな青年の声がする。
「フルー、今のはなんだい?」
妖精はぱっと転がるようにして戸口へ駆けて行き、入ってきた人物にパタパタとよじ登った。その時になって、妖精が飛ばない謎が解けた。羽根がないのだ。青年はリタを見て、ひっくり返ってさかさまのキットを見て、それから割れた小瓶を見ておやおや、と呟いた。
「あの猫に追いかけられたのよ!」
妖精は鈴を振ったような声で青年に訴えた。
「それはお前がちょこまか鼠みたいな動きをするからだ。狩猟本能なんだよ」
キットはさかさまのままで答えだ。青年は困ったような笑顔をしてリタを見た。
ウェーブのかかった蜜色の髪の、20歳前後の青年だった。表情は人懐こく親しげで、とても“危険分子”には見えなかった。青年が口を開いた。
「君、新しい家政婦さん?」
「は?」
リタは思わず返した。何も聞いていないのだろうか。
「私は魔女です」
「魔女?」
青年は驚いたように目を見開く。彼の肩に座っている妖精がきょっとしたように肩を震わせた。しかし青年は単に興味を持っただけのようだ。
「へぇ、だからいつもの人と服が違うのか。魔女はみんなそういう服を着るのかい?」
「はあ、まあ」
ふぅん、と青年は呟いた。
「ねぇ、これからこの家で働くんだろう? 生地代を出してあげるから、新しいのを仕立ててみないかい?」
「は?」
「女の子がそんなに色気のない服を着てたら、せっかくの美人が台無しだ。もっとこう、肌を見せて……」
「魔女に一体何を求めてるんですか」
リタは彼に対する第一印象など吹き飛んでしまった。なんだか変な人だ。青年は屈託なく笑う。
「魔女だって女の子だろう? 女の子は可愛くなくちゃ」
悪かったね可愛くなくて。
「せっかく綺麗な髪色をしてるんだから、それに合う色がいいよ。白とか薄い青なんか映えると思うけど、どうだい?」
「勝手に話を進めないでください」
青年は何か言おうとしたが、妖精に耳をひっぱられた。
「なんだい、フルー?」
「相手は魔女なんだから気をつけなさいよ。あの男、いよいよ本気であたしたちをここから出さないつもりだわ」
青年はハッとしたようにリタを見て、難しい顔をした。妖精はさらに言う。
「ほら、あの髪の色。力の強い魔女よ。今のあたしじゃ敵わないわ」
「そう言わないでくれ、フルー。何か方法を考えるから」
ようやく復活したキットがリタの方に飛び乗って、気まずそうに青年を見た。
「リタ、俺が割ったあの瓶、高級品だと思うか?」
「そんなに高価じゃないよ。気にしなくていいから」
答えたのは青年だった。リタもキットも驚いた。魔女でもないのに、なぜキットの言葉がわかるのだろう。しかも、猫に話しかけるのに抵抗はない様子だ。髪と同じ蜜色の瞳でリタを見つめている。人を惹きつける、甘い蜜の色。
青年は聞いた。
「君、名前は?」
「……リタ」
「その相棒は?」
「キット(子猫)」
安直、と妖精がつぶやいたので、キットは彼女を睨みつけて、わざと舌なめずりをした。一口でキットのお腹に収まりそうな妖精は大慌てで青年の飴色の髪の中に隠れる。青年はそれを見て、可笑しそうに声を立てて笑った。それから、リタに向かって言った。
「自己紹介がまだだったね。この妖精はフルーエリン。僕はフルーって呼んでる」
妖精は顔だけを出して、ちょこんとお辞儀をするとまた引っ込んだ。青年は自分を指差して言った。
「で、僕がジェレミー。ジェレミー・アベリストウィスだ」