04


 ジェレミーの暮らす最上階は、どうやら特別な区域であるらしかった。奇妙な歪んだ魔法が漂っていることに、リタは気付いた。リタは試しに鍵かけ魔法を例の扉に施してみたが、ジェレミーは難なく破って、アフタヌーンティーの時間になると、なぜかリタの部屋に現れた。

「リタ。ケーキが二つも届けられたんだ。一緒にどう?」
 なれなれしい笑顔を睨みつけて、リタは聞いた。
「どうやって出てきたんですか」
「大丈夫、この階から下には行かないから」
 言って、リタの座っている、テーブルを挟んで反対側のいすを指差した。
「座ってもいいかい?」
「……どうぞ」
 ジェレミーの背後で、キットがじっと彼の肩を見つめていた。黄緑色の髪の妖精は、そそくさとジェレミーの髪の中に隠れた。リタはジェレミーに差し出されたケーキには手をつけず、じっとジェレミーを見上げる。
「なんのつもりですか、ミスター・アスベトウィリス」
「アベリストウィスだよ。それに、どうせならジェレミーと呼んでほしいな。一人では寂しいから下りてきた。だめかい?」
「……サー。私はあなたの友人ではありません。言ってみれば囚人と看守のようなものなのですよ」
「僕は何の罪も犯してないよ」
「物の例えです。揚げ足を取らないでください」
 ジェレミーは困ったような顔をした。
「やっぱり魔女ともなると、なかなか打ち解けてくれないね」
「接客業ではありませんから」
 リタはお茶だけ飲むことにした。普段ならとても手が出ない高級ブランドだ。それからもう一度聞いた。
「どうやって出てきたんですか」
 ジェレミーは諦めたように言った。
「フルーが開けてくれた」
「羽根のない妖精にそこまでの力があるとは思えません」
 ジェレミーはカップを置き、とろりとした中に星のような金色がきらめく蜜色の目で、正面からリタを見つめた。
「詳しいな」
「魔女ですから」
 ジェレミーの髪から顔だけ出して、フルーエリンがジェレミーに囁いた。
「だから魔女にかかわるのは止したほうが良いって言ったのよ。ほら、早速秘密を一つ明かさなきゃいけなくなったじゃない」
「まあ、いいさ。リタなら話しても大丈夫だよ」
「……どこにそんな根拠あるのよ」
 ジェレミーはリタを見て笑いかけた。
「予感ってやつ」
 リタは軽く睨み返した。色仕掛けでもする気だろうか。

 するとキットが突然テーブルの上に飛び乗ってきた。
「おい、サー。俺の声が聞こえてるんだろう」
「聞こえるよ」
 キットは金色の目を細くした。
「なあ、お前も魔女じゃないのか」
 唐突なキットの言葉に、ジェレミーは目を瞬く。
「男は魔女とは言わないんじゃないかい?」
 キットはふんと鼻を鳴らした。
「男でも魔女っていうんだよ。数は少ないけどいないわけじゃない。そのちっこいのに何も聞かなかったのか?」
 キットに目を向けられたフルーエリンは、慌ててまたジェレミーの髪に潜った。リタはキットの言葉を聞いてなるほどと思った。
「そうですね、魔女なら私のまじないを破ることも可能ですし」
 ジェレミーは思案し、ただ一言、「僕は魔女じゃない」と言った。
「フルーの力が強いだけさ。この家の守護妖精だから」
 守護妖精、とリタは反芻した。それではこの家は“妖精付き(フェイ・ファミリア)”なのか。科学技術が古い魔女や妖精たちを追いやり始めたこの時代に、まだ残っているとは驚いた。
「それじゃ……妖精の羽根はどうしたのですか」
 フルーエリンが声だけで答えた。
「もがれたのよ」
 キットがぎょっとして言った。
「え、もぐって、ぶちってか?」
「気持ち悪い言い方しないでちょうだい」
 鈴を振るような声が、嫌悪を混ぜて、ジェレミーの髪の中からした。
「たしかにぶちっとやられたけど。あんたにはわからないでしょうね。手足をもがれるよりずっと痛いと思うわよ。妖精の魔力は羽根に宿るしね。背中から真っ二つに裂けるかと思ったんだから」
 リタはさすがにえぐい話に眉をひそめた。魔女だからカエルやらコウモリやらを解剖するのは日常茶飯時なのだが、人の形をした妖精となると話は違う。ますます目の前のケーキに手がつかなくなってしまった。
「……誰にやられたんですか」
「あんたの雇主よ、魔女」
 フルーが恨みを込めた声で答える。ジェレミーが口を挟んだ。
「まあまあ、フルー。お茶の席にそういう話は良くないよ。しかも、レディーの前だ」
「あたしだってレディーよ」
「人じゃないだろう」
 ジェレミーは相手をほっとさせるような優しい表情をリタに向けて、言った。
「そういうわけだ。納得したかい?」
 リタは黙っていて、肯定も否定もしなかった。納得しないでもないが、まだ引っ掛かりが残る。だが確実に、依頼主への不信感は星が一つ増えた。この家の事情は思ったより複雑らしい。

 ジェレミーは自分のケーキにフォークを刺して、フルーエリンに聞いた。
「フルーもいるかい?」
 フルーエリンのいまいましそうな声がした。
「その猫のいるところでは安心できないわよ。少しだけ残してくれる? 部屋で食べるわ」
「オーケー」
 それからジェレミーはリタを見る。
「食べないの?」
「……食べます」
 リタはケーキに手をつけた。ジェレミーのあの笑顔を見た後なら、平気で食べれそうな気がした。ならば無料でもらえる物はもらっておくべきだ。クリームの香りと、やわらかくて甘い食感が口の中に広がる。口の中でとろけていく感触は、普段なら決して味わうことのないものだ。
 リタは軟化しそうな態度を引き締めて、一番聞きたかったことを聞いてみた。
「あなたはどうして、監禁されているんです?」
 ジェレミーは薄い笑みを浮かべた。
「それは教えられないね」