08


「ジェレミー様とお出かけするそうですね」
 ある日手紙用の紙をもらいに行ったら、ウィルキンズにそう言われた。リタは頷いた。
「取引しただけです。勘違いしないでください」
 念のため釘も刺しておく。ウィルキンズは複雑そうな顔をした。
「旦那様にはどうおっしゃるつもりですか」
「その旦那様とやらも、一朝一夕では成功しない仕事だと分かっていますよ。だから私は住み込みなんです」
 ウィルキンズは黙り、小さく礼をしてからドアを閉めた。これまた待遇アップだ。この屋敷の人間は誰でもジェレミーに甘いらしい。

 部屋に戻り、ドアを開けると、キットが座っていた。
「取って喰っちゃだめか?」
 何の脈絡もなくそう言われた。見てみると、カーテンの上の方に黄緑色のがへばりついている。なるほど、猫にカーテンは登れない。
「そ、その猫をどっかにやってくれない?」
 フルーエリンが言った。
「散歩してきて」
 リタが言うと、やれやれと残念そうにキットは頭を垂れた。
「分かったよ。妖精の代わりにスズメでもとってくるさ」

 キットが部屋を出て行くのを確認すると、フルーエリンはやっと安心して、カーテンをするすると降りてきた。
「ああ、よかった。ねぇ魔女、あなたとゆっくり話をしてみたかったのよ」
 妖精はリタの足元でリタを見上げた。話がしにくいので、リタはしゃがむ。
「なんでしょう」
「別にどうってことはないのよ。ただちょっと、腹をわって話したいだけ」
 フルーエリンはつんと顔を上げた。
「ねえ、あなた妖精界へ行ったことある?」
 唐突な質問は、いかにも気まぐれな傾向のある、妖精らしい質問だった。リタは初めて、まともにフルーエリンを観察した。何せ体が小さいし、いつもジェレミーの髪の中に隠れているので、顔が判別できた試しがない。
フルーエリンは草のような黄緑色の髪をしていて、花の妖精らしい若草の色だった。とても可愛らしい少女の顔をしていて、おとぎ話に出てくるような、友好的な妖精の典型に見えた。
「……ありませんけど」
 リタが答えると、フルーエリンはそう、と呟いてちょっと肩をすくめた。
「まあいいわ。本題に入るとね、あたしの羽根を取り戻してくれる気は無い?」
 これはまた唐突な取引だ。
「魔女は同時に成立する依頼でないと、2つ以上の仕事を請けません」
「つまり、あたしの羽根を取り戻したら、今のあなたのジェレミーを監禁するって仕事がやりにくいから……」
「お断りします」
「そうよねぇ……」
 やっぱりダメかと言う表情でフルーエリンは肩を落とした。
「じゃあジェレミーを助けてあげてって言っても、無駄よね」
「はい」
「あの子、いい子よ。この家の当主なのよ」
「………」
「ダメ?」
「ダメです」
 あーあ、とフルーエリンは大げさにため息をついた。
「あんたってガード堅いわね。普通の女の子なら、そろそろジェレミーにすっかり心を開いてるわよ」
「はあ」
「ジェレミーってほら、人懐こいし優しいし。ちょっと気まぐれで強引なところもあるけど、おおらかで誰にもに好かれるタイプよ。今までの家政婦さんだったら、2週間もあればすっかりあの子に入れ込んでいたのに」
「ようは、女たらしでは」
「あのねぇ。あの子は全然そういうつもりがないし、素でやっているの。それでもみんなに好かれるのよ。みんながあの子の自由を望んでる」
「無意識なら余計に危ないのでは」
 妖精はむっとしたように腕を組んだ。
「あんたって鉄の女だわ」
「はあ……」
 相変わらずリタの反応がパッとしないので、気が長いとは言いがたい妖精としては、諦めの境地に達してしまったのだろう、フルーエリンは興味をなくしたように手を振った。
「もういいわ。とりあえず、3日以上あの子を閉じ込めないであげて。後悔するのはあなたよ」
 リタは思わず眉を寄せた。
「なぜ」
「あら、妖精のプライベートに踏み込むのはタブーだって知らないの?」
「ジェレミーのプライベートであって、あなたのではないです」
「ジェレミーはあたしの主人よ。だから、あたしのプライベートも同然。とにかく教えられないの」
 秘密の多い家だな、とリタは思った。フェイ・ファミリアにしても多すぎる。フルーエリンはリタを見上げて睨みつけた。
「とにかく、あんたがあたしたちに協力する気が無いって分かったから、あたし、あんたに宣戦布告するわ。勝負ね。あたしは必ずジェレミーを自由にしてあげるんだから。あんたの報酬なんてくそ食らえよ」
「そうですか」
 どう挑発しても冷めた返事しか返ってこないので、フルーエリンは虚勢を張ってふん、と背中を反り返らせた。

 リタは立ち上がった。窓の外を見れば、広大な庭。さぞかしたくさんの妖精が住んでいることだろう。
だからこその広大な敷地を持つことを許されるのだと思い当たった。
 ふと、リタは聞いてみた。
「あなたの羽根は“旦那様”が持っているのですか」
 フルーエリンは意外そうにリタを見上げた。
「あら? 気が変わった?」
「別に」
「あ、そう……」
 フルーエリンは少し肩を落とす。
「まあ、うん、多分“旦那様”が持ってると思うわよ。あの人だって、アベリストウィスの守護妖精に弱々しくあって欲しくないはずだもの。ジェレミーさえ片付けられれば、羽根は返してくれると思うわ。もっとも、あたしはあの人が主人だなんてまっぴらだけど」
「そうですか」
 リタは呟いた。
「片付ける、って、殺すって意味ですか」
「まさか。あの臆病者にそんなことできるわけないわよ。でも……そうね、この世から消すようなものかしら。ジェレミー自身は無傷だけど」
 フルーエリンは伺うようにリタを見つめる。リタは窓の外を眺めて、眉を寄せて考えていた。

 この世からは消えるのに、死んだことにはならない。それに無傷のまま。
 奇妙な最上階、もがれた守護妖精の羽根、当主の幽閉。……ジェレミーという青年。

 奇妙なつながりの、謎、謎、そして謎。
 これはどうやら、もう一度あの紳士と、きちんと話してみる必要がありそうだとリタは思った。