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 上機嫌で降りてきたジェレミーと、その後ろをパタパタついていくリタの姿に、途中で会う女中たち皆が皆、驚いて、手に持っていた洗濯ものやら花やらをバタバタと床に落としていった。

 リタは正直、まだ少し寝ぼけ眼だった。ジェレミーはものすごく元気だ。彼は玄関にいた掃除のおばさんや郵便配達員にも朗らかに挨拶をして、表玄関から外に出た。
「気持ちいいなぁ。ね、リタ?」
 ジェレミーは嬉しそうに言う。リタの返事はあくびだった。ジェレミーは構わず、広大な庭の中に足を踏み入れた。リタはそれについていった。
 木漏れ日の中を進みながらも、ジェレミーは話しかけてくる。
「フェイ・ファミリアの話をしてあげようか、リタ? 妖精つきって言われる通り妖精と関わりが深いんだけどね。人間の一族と妖精の一族どうしで、取引を交わした家のことだって知ってた?」
「はあ」
「人は妖精たちを、知らずのうちに追い詰めてる。特に産業革命のこの頃は、妖精たちが住む場所が減るばかりだ。そんな妖精たちの保護を約束する代わり、妖精は魔力や珍しい草花を提供して、一族の守護になるんだ」
「ふうん」
 パッとしないリタの返事にも、ジェレミーはめげる様子がない。
「この庭なんかは、都会での貴重な住処でね。リタは妖精が見えるんだよね?」
「魔女だから」
「みてごらん」
 ジェレミーは足下を指差した。
「妖精の寝床。蜘蛛の巣みたいなやつ、わかる?」
 リタの目が覚めた。稀少材料その1。
「もらってもよい?」
「いいよ。妖精は毎日寝床を変えるらしいから。……なにかの材料になるのかい?」
「惚れ薬の」
「へえ!」
 ジェレミーは驚いた顔をした。
「惚れ薬って本当にあるんだ」
「一瓶1000ニルク」
 ジェレミーは苦笑した。
「商売上手だね、リタは。でもちょっと高いなぁ」
 それはそうだ。普通の労働者の2年分の給料だ。とても払える金額ではない。しかも効き目は1ヶ月間だけなのだ。乱用の恐れの大きい薬は相場が高いのである。
「飲ませたい人でもいるのか?」
 リタが慎重に妖精の寝床を取り外しながら聞くと、ジェレミーは肩をすくめた。
「別に。ちょっと物珍しいだけさ」
 リタが材料用ポシェットに寝床をしまうと、ジェレミーは何かを見つけてかがんだ。
「リンドウだ」
 小さな紫色の花が咲いていた。
「リンドウが実は薬草だって知ってた?」
「私は魔女なのだよ」
 リタは言った。
「そこのゲンノショウコも薬草だよ」
「ああ、知ってる! ドッグリーフはネトルに触ったときの薬になるし、そこのオナモミも薬草だね。花が咲いているときに根っこから丸ごと抜いて、天日で乾燥させて煎じて飲むと風邪とか頭痛とか、リューマチにも効くんだよね」
 リタは首を傾げた。
「……詳しいのだね」
 ジェレミーは微笑みながら言った。
「父に、よく教えてもらったんだ」
 優しい笑みだった。

 リタは、失礼な質問かもと思いつつ聞いてみた。
「ジェレミー、お母さんは?」
「おっとー」
 ジェレミーはおどけるように両手を挙げて降参のポーズを取った。
「勘弁、勘弁。その話はちょっとね。一応まだ健在なんだけど、うちの沽券にかかわる問題なんで」
 リタは眉をひそめた。
「……だから監禁?」
 あはは、とジェレミーは呑気に笑った。
「そうなんだよね。母親がね、ちょっと。とんでもないスキャンダルなんだけど、とらえようによってはうちの株が上がることにもなるんだけどなぁ」
「?」
 リタは煙に巻かれた気分になった。なんだなんだ、わけの分からない。ジェレミーは有無を言わせない笑顔で言った。
「さて、この話題はここまでだ。……ちょっとしゃべりすぎたかな。リタは? 両親はいる?」
 リタは渋面を作った。
「いない」
「あ、そうなんだ……じゃあ、身内は師匠だけ?」
「……身内と呼べるかどうか」
「だって身内だろう? 一緒に住んでいるんだから」
「……一緒に住んでいれば身内なのか」
 ジェレミーは肩をすくめた。
「僕はそう思っているけど。ところで、修行に出てる魔女は皆親元を離れるんだって?」
「はあ、まあ」
 なんとも次々に話題を見つけてくれる人だ。ジェレミーは感心した表情をした。
「大変だね。リタの師匠のアシュレイはどんな人なんだい?」
 リタの頭の中に深紅の髪と目をした師匠の姿が浮かび上がって、にやりと魔女笑いを浮かべた。
「……魔女」
 一言で言うなら本当にそうだ。骨の髄まで魔女。あらゆる意味で魔女。ジェレミーは苦笑した。
「リタ、説明になってないよ」
「だから、魔女。職業も性格も魔女」
「性格も? 怖い人なのかい?」
「厄介な人」
 ジェレミーは笑い声を立てた。朗らかで、それでいて木立の静寂を乱さない、柔らかで明るい声。
「師匠のことをそんな風に言うんだね。リタといると退屈しないな」
 リタは思わずジェレミーを見上げた。そんな風に言われたのは生まれて初めてだった。いつもなら自分か喋るたび、相手は困惑する。自分では、全部言いたいことを伝えたつもりになっているから自分も困惑する。最近になってやっと、口数も少なく、反応も少なく、自分ほど愛想の悪い人間も珍しいと、はっきりとではなくても自覚が出てきたところなのに。それなのに、退屈しないというのは本当だろうか。
「ジェレミーは変わっている」
「えっと、ほめ言葉?」
 リタが頷くと、ジェレミーはにっこり笑い、紳士的にお辞儀をした。
「お褒めに預かり、光栄です」