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 リタは手紙を出した。拝啓、リチャード・アベリストウィス様。例の雇い主の“旦那様”である。アベリストウィスの綴りを二回間違えた。厄介な名字だ。仕事がなかなか成功しないから、会って色々と聞きたい事があるという内容だった。
 ジェレミーは確実に、監禁相手としては厄介千万な人だった。リタに取り入るための作戦なのかどうかは知らないが、いくら愛想のない態度で接してもにこにこと楽しそうに話しかけてくるし、フルーエリンの魔力も衰える気配がない。そもそも情報が少なすぎるのだ、とリタは思った。せめてジェレミーの弱みぐらい教えてほしい。リタは仕事状況報告の手紙と一緒にその手紙を入れて、いつもの女中に郵便局まで行くように頼んだ。

 部屋に戻ると、今日もジェレミーはリタの部屋にいた。
「やあ、リタ。18時間ぶり」
 にっこり笑ってそう挨拶した。リタはため息をつき、その笑顔に向かって聞いた。
「……また“フルーが開けてくれた”なのか?」
「まあね。それよりリタ、使ってない香水を見つけたんだけどいらないかい?」
 いつもながら提案が唐突だ。
「……今は遠慮しておく。思ったのだが、サーは……」
「あ、言ったね、リタ。キスの覚悟はいいかい?」
「ジェレミーは!」
「よろしい」
 ああもう、調子が狂う。
「ジェレミーは、部屋から出て来て何をしているのだ?」
「どういう意味だい?」
 ジェレミーは飲んでいた紅茶のカップを置いた。その動作を見てリタは敏感に反応した。これは何かありそうだ。
「あなたは出てきたと思えば、何をするでもなく私と話して、すぐに部屋に戻る。外に用がないならずっと中にいれば良いし、出て来れるならずっと出ていればいい。なのにどちらもしない」
 彼のそういうところが、気紛れな性格とあいまって、彼が何を考えているのか全くわからない。ジェレミーは笑っていなかった。真剣にリタの話を聞いていた。リタは続けた。一度にこんなにしゃべるのは久しぶりだ。
「召使いたちもジェレミーも、私を味方にしたいようだが、意図が分からない。あなたは実質、監禁されていない。自由であろう? なぜあの部屋にいるのだ?」
 ジェレミーは少しの間黙っていた。
「……答えられないなぁ」
少し緊張しているようだが、悠々とマイペースに紅茶に口をつける。
「ヒントならね、全部が一つの理由に帰結するってことだよ。僕が監禁される訳も、リチャードが僕を忌む訳も」
 ジェレミーは空になったカップをテーブルに置いた。
「それに、僕は別に君を味方につけようとは思っていないよ。もちろん、敵にはなりたくないけど。どちらかというと、手伝ってくれなくてもいいから放棄してほしい、の方かな」
 それはリタにとっても意外な答えだった。
「ではなぜ毎日私のところへ来る? 説得でないのなら。話し相手なら女中たちがいるのであろう?」
「うーん、なんでだろうね」
 のんびりとジェレミーは言った。微笑がその顔に戻る。
「君が僕の出会ったことのない類の人だから、かな。魔女なんていまどき珍しいし、僕はフルー以外に、リタほど物をずけずけ言う人に会ったことがない。質問も探りも正面から入れてきてくれる。安心できるんだよ」
 リタは目を瞬いた。もしかして、ほめられているのだろうか? まともに人と付き合ったことのない生活をしてきていたので、これはなかなか動揺を誘われることだった。それを言うならリタだって、リタにこんなことを言ってくるジェレミーのような人は初めてなのだ。
「ジェレミーの考え方はわけが分からない」
「変わり者って言いたいんだろう? 否定しないね。自覚はある」
 ジェレミーは楽しそうに笑いながら言った。
 リタは首をかしげた。そもそも、こんなに悠々とした彼は、ちっとも監禁されるべきの人に思えないと思ったのだ。
「ジェレミーは当主になりたいのか?」
「ん? どうして聞くの?」
「だって、権力やお金に執着があるようには見えない。フェイ・ファミリアの当主にならなくても、どこでも自由に生きていけそうに見える」
 ジェレミーは声を立てて笑った。リタはちょっと腹が立った。何がおかしいんだ。真剣に話しているのに。ジェレミーはポットから紅茶を注ぎながら言った。
「そうだねぇ。なれなれって言ってくる人たちがいるから」
「…………?」
 誰かに後押しをされていると言うことだろうか。
「一応言っておくけど、その人たちに脅されているわけじゃないよ。一応前当主の実の息子だし、順番にいけば僕が当主になるしかない。僕は確かに気まぐれかもしれないけど、その責務を放り出すほど無責任でもないからね」
「……へぇ」
「あ、信じてないね、リタ。本当だよ。このとおり人とコミュニケーションをするのは好きだし、人と接する仕事がしたいから本当に当主は良い仕事だと思っているんだよ。性格的にも知識的にも、あの神経質なリチャードより自分がやった方が、この家もうまくいくと思ったってことさ。なかなかやりがいのある仕事だと思うし」
 それからジェレミーは、うーんとうなって頭をかいた。
「またしゃべり過ぎたかな。嘘をつけないのは辛いな」
 そしておもむろに立ち上がった。

「本当は今日は、ある所に案内してあげようと思って来たんだ。もう他に質問がないなら、一緒に来ないかい?」
 リタは頷いた。肝心の監禁の仕事は機能していないし、今のところ対策も見つからないし、やることはなくて暇だし、今聞いた話は後でゆっくり考えればいい。とりあえずジェレミーの提案には反対しない、という教訓を生かすことにした。

 ジェレミーのあとについていくと、ずいぶん歩いた。似たような扉、似たような曲がり角、似たような装飾でどうやって部屋を見分けているんだろうと思っているうちに、小さな扉の前に案内された。
「たぶんリタには気に入ってもらえると思うよ」
 ジェレミーは悪戯めいた笑みを浮かべて扉を開けた。中は真っ暗だ。開け放った扉から入る光だけでは、床に敷かれた絨毯が見えるだけ。ジェレミーが部屋に入り、入り口近くの壁をまさぐり、何かを押した。ぽーん、と澄んだ音がして、わさわさと妖精たちの気配がする。次の瞬間、外からの光をさえぎっていた分厚いカーテンが開け放たれた。妖精たちが開けてくれたらしい。
 こじんまりしているが、程よく広い部屋。そして、壁にはびっしりと本が並んでいた。リタが近づいてみてみると、薬草や幻獣、ルーン文字や占星術の本が並んでいる。反対側の壁にはたくさんの引き出しがあって、それぞれにラベルが張ってあった。トウダイグサ、カミツレ、ジギタリス、ハマビシ、ヒレハリソウ……薬草の数々だ。しかも「コウモリの羽」「イモリの干物」「ネズミの尻尾」などのラベルが張ってある引き出しまである。ハッとして見てみれば、部屋の中央には立派な鍋があった。試験管にフラスコまで完備。
「これって……」
 驚いたリタはジェレミーを振り返る。彼は相変わらずニコニコしているだけだった。ちょっと不安になって聞いてみた。
「私のために新しく作ったなんていわないでくれ」
「はは、そう言えたらカッコいいんだけどね」
 ジェレミーは部屋を見渡す。
「昔、僕の祖父の代に魔女を雇っていたことがあるらしいんだ。ここはその人の仕事場。僕も昨日フルーと話してて、初めて教えてもらったんだけどね」
 ジェレミーはリタに笑いかけた。
「気に入ったなら、好きなだけ見てていいよ。使える物は勝手に使って構わないから」
 そういうとジェレミーは部屋を出て行こうとした。リタは慌てて呼び止めた。
「ジェレミー」
「うん?」
 リタは迷ったが、結局プライドは自分の中に押し込んで、言うことにした。
「……一人じゃ迷う。置いていかないで」
 悔しいが、道には弱いのである。ジェレミーはちょっと驚いたように目を瞬いたが、笑って頷いてくれた。