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 リタはよく、ジェレミーの教えてくれた部屋に籠るようになった。リタの所によく遊びにくるジェレミーも必然的に魔女の部屋によく訪れるようになった。厨房からは近いので、女中たちはアフタヌーンティーの準備をするのが楽になったに違いない。リタはちょっとだけ、前よりちゃんとした返事をジェレミーにするようになっていた。部屋を使わせてくれる、せめてものお礼。もっとも、ジェレミーはリタの返事の多さにかかわらず話しかけてくるのだが。

 リタは新しい薬の研究に没頭していた。錬金術の一種で、金ではないが、別の物質を堅い石に変える薬だ。薬草がいけないのか鉱物がけないのか呪文がいけないのか、とにかくうまくいかない。どの材料もちゃんと性質を良く把握した上で混ぜているはずなのに。
「こりゃあ……使えそうな薬ではあるな」
 試しにかけてみた椅子からシロツメクサが大量ににょきにょき生え出したのを見て、キットが言った。
「どうせなら魚が生える薬を作ってくれよ、リタ」
「からかうなら次の実験台にするよ」
「おい……リタ、お前やっぱり師匠の弟子だな」
 それはそうだ。いやでも育ててくれたのは師匠なのだし。リタは、魔女としての生き方しか知らないのだから。
「魔女って薬しか作らないのかい? 箒で空を飛んだりとか、何かを変身させてしまうとか、しないのかい?」
 近くの椅子に座ってのんびりと本を読んでいたジェレミーは、いつの間にか本を下ろしてリタを観察していた。本なら部屋で読めばいいのに、ジェレミーはやたらリタの所に来たがる。変な人だと思ったが、リタも追い返しはしなかった。
「……私はまだ駆け出しの魔女だから。薬が一番、失敗がなくて効果が確実なのだよ。箒で空を飛ぶことはあまりしない。都会だとすぐ工場の煙にぶつかるのでね」
「じゃあ、田舎の魔女なら飛ぶんだ」
「たぶん」
「いいなあ」
 ジェレミーは心底羨ましそうな顔をした。
「妖精も魔女も、みんな飛べるんだよね。僕もいつか飛んでみたいなぁ」
 飛んでいるところを想像でもしているのか、ジェレミーは少しの間、目を閉じた。
「変身は? よく昔話にあるだろう? 魔女にカエルや獣に変えられた、王子や王女の話」
「高度な魔法になるね。魔法をかける人が悪意を持ってやるのなら、黒魔術として禁止されている」
「ふうん」
 ジェレミーは意外そうに言った。
「魔女も結構、制約が多いんだ」
「制約がないと、人を傷つける魔女が出る。そういう魔女がいると、まっとうな魔女まで白い目で見られて迫害される」
「…………」
 ジェレミーは黙ってリタを見つめていた。

 リタは作り直した薬に、今度は蛇の目玉を二つ加えた。途端に薬は黒い煙を輪状にぼっと吐き出した。
「…………」
 リタはもう疲れてしまって、鍋を睨むしかなかった。
「……一応実験してみたら?」
 ジェレミーが気遣わしげに言う。言われるまま、杓子にすくってさっきの椅子にかけてみた。じゅっという音と共に、椅子は炭になった。キットはそれを見て笑い出した。
「おやおや……」
 ジェレミーも苦笑する。仕方ないのでリタは諦め、明日また別の材料で試そう、と考えた。

 片付けを始めると、ジェレミーが聞いた。
「上に戻るかい?」
 リタが頷くと、ジェレミーも立ち上がった。リタは片付けの手を止めてジェレミーを見た。
「……私が戻ると言うとジェレミーも戻るの?」
「え? だめ?」
「真似っ子」
 うーん、とジェレミーは頭を掻いた。
「そういう訳じゃないんだけど。……邪魔なら言ってくれればいいのに」
「そういう訳じゃ……」
 リタは諦めた。良くない癖だ。相手の行動にいちいち理由を付けないと気が済まないのだ。ジェレミーはきっと、始終リタにくっついているのに理由なんてないのだ。勝手に不審がったり奇妙に思っているのは自分なのだ。

「ジェレミーはいつもそうなの?」
 リタは気になって聞いてみた。
「え? 何がだい?」
「理由もなく行動して、気の向くままに生きているの?」
「……そう見える?」
 リタは頷いた。ジェレミーは笑って、ふと窓の外を見て遠い目をした。
「そうだねぇ。理由もなく生きている人間の典型かもね」
 少し自嘲気味の声だった。リタは首を傾げた。
「でも、ジェレミーはいつも楽しそうだ」
「楽しいよ」
 ジェレミーは言って、リタに向かって笑いかけた。
「楽しいよ。なんでも楽しく感じてしまうから、時々退屈になるんだ」
 リタにはその意味は図りかねた。手元に目を落として、片付けを再開する。この人は一体、どんな生活を送ってきたのだろう。その笑顔に空虚なものが隠れているなんて、今日までちっとも知らなかった。
 でも、とジェレミーは続けた。
「でも、そもそも生きることに理由なんてないと思うから。理由なんてつけていたら自分の命に失礼だと思わないかい?」
 そういうものなのだろうか、とリタは少し首を傾げた。

「リタはどうなんだい? 毎日が楽しいかい?」
 ジェレミーの問いに、リタは返事ができなかった。
「わからない」
 毎日起きて、薬草の世話をして、朝御飯を作って、師匠を叩き起こして御飯を食べて片付けをして。そんな生活を楽しいとかつまらないとか、感じたことはなかった。だからいつも楽しそうで、次々とやることを見つけてくるジェレミーを見て、なぜこんな生き方ができるのだろう、と思っていたのだ。
「そっかぁ。分かんないか。まあ、退屈よりかは楽しい方が良いに決まっているんだから、生きるってのは楽しんだほうが勝ちだと思うよ」
 ジェレミーはいつものマイペースな表情に戻って言った。

「そうだ、明日は一緒に厨房に行かないかい? 料理を教わりに行くんだ。リタもおいでよ」
「遠慮する」
 リタは即答した。睨みつけるような女中たちの視線を思い出したのだ。しかしジェレミーはやっぱり諦めなかった。というより勝手に話を進めた。
「リタはフルーツは何が好き? 明日はフルーツポンチを教わるんだ。コックにまで簡単なのから始めなさいって言われてしまってね。オーブンを焦げだらけにしたのがいけなかったみたいだな。そうだ、魔法みたいに汚れが落ちる魔女の洗剤とかないのかい? あるなら売ってくれないかい?」
「行かぬと言っている」
「リタ」
「やだ」
「じゃあリタの部屋で作るよ」
「迷惑」
「パイナップルは好き? チェリーも入れようか」
「部屋に鍵の魔法をかける」
「じゃあフルーにも来てもらわなきゃなぁ」
 敗北。リタがうなだれたのを見てジェレミーはにっこりした。
「8時に起こし行くね」
「……任せる」
 仕事がはかどる日は遠そうだった。