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 約束(?)どおり、リタは翌朝の8時にジェレミーに起こされ、9時前には厨房に引っ張っていかれた。
 ジェレミーが自己申告したとおり、彼の料理に関する不器用さは相当のものだった。フルーツを切れと言われるとめった切りにする。シロップを作ろうとすれば間違えて塩を入れ、やっと砂糖を入れるかと思えば入れ過ぎて水より砂糖の方が多くなる。まったく、厨房には家政婦たちの悲鳴が絶えなかった。
「坊ちゃま、お酒の種類が間違ってます! そんな強いのは料理には使いませんよ!」
「ちょっと坊ちゃま! なんでオリーブ油を出すんですか! これはデザートですよぅ!」
「坊ちゃま、キウイの皮だけ削いでください! 果肉が全部こそげ落とされてるではありませんか!」
「坊ちゃま、ナイフを振り回さないでください!! 刺されますよぉぉ!」
 そんなこんなで、大変のなんの。一過程ごとにジェレミーは何かをやらかすのであった。
「魔女さん!」
 ついに一人の女中がリタに泣き付いた。
「せめて包丁で坊ちゃまが誰かを刺さないように、まじないをかけてくださいぃ!」
 さながら戦場のようだった。
「……だそうだよ、ジェレミー。すこしは慎重にやってくれ」
 リタが言うと、砂糖の粒を鼻先に付け、イチゴの汁で真っ赤な手をしたジェレミーは「えー」と声を上げた。
「一生懸命やっているよ」
 リタは溜め息をついた。この惨状では師匠よりひどい。
「ジェレミーは色々なことに気を取られ過ぎる。目の端に映った物が気になって、目の前の物に集中できないみたいだ」
 リタは言った。ジェレミーは困ったように首を傾げる。
「……そうかなあ」
「だから気紛れだと言われるのだよ」
「だって、どうすればいいというんだい?」
「そもそも、料理なんてするからいけない。そんなことをせずとも、やってくれる人は大勢いるのでは」
 ジェレミーは拗ねた顔をした。
「そんなこと言っても、リタ、僕が当主になれるかどうかは、今のところ君にかかっているんだよ。なれなければ、僕はアベリストウィス家を出て自炊するしかないじゃないか」
「……じゃあ、早く自炊をしてくれる女房を見つけるのだね」
 ジェレミーはなるほど、という顔をした。
「そっか。リタ、料理できる? なら立候補しないかい?」
「坊ちゃま!」
 女中たちは悲鳴を上げたし、リタはさっと頬を赤らめた。
「冗談じゃない、幼女趣味め」
「あれ、リタっていくつ?」
「15ぐらい」
「じゃあ5つ違いだね。十分いけるよ」
「脱線させるな」
 ジェレミーのマイペースには永遠に勝てないのかもしれない。

 リタはやれやれと首を振って、提案してみた。このままでは女中やコックがあまりにも可哀想だ。
「どうしてもやるというなら、いらないものには目を向けないほうが良さそうだね。魔法を使っても?」
 唯一顔見知りのシャーリーに問うと、彼女はギョッとしたように飛び上がった。
「え? あっはいっ」
 とっさに答えてしまったようで、あっと口を押さえる。リタは彼女を睨みつける女中頭を無視し、その返事を女中代表としての返事として受けとり、杖を取り出すと、エメラルドのついた杖先で魔方陣を描いた。描きながら呪文を唱えて、最後に魔方陣の真ん中をトンと一突きする。その瞬間、ぽんと音がして、厨房にあった鍋も油も釜も塩の瓶も、みんな見えなくなった。
「魔女さん……まさか消したんじゃないでしょうね」
 コックが緊張したように聞いてきたので、リタは淡々と答えた。
「見えなくしただけです。あとで呪いの代金はきっちり請求させてもらいますね」

 どうやらリタの推理は当たっていたようで、おかげでジェレミーの奇行はだいぶ減った。お皿への盛り付けが完了した時には歓声が上がり、泣き出す女中まで出た始末。なぜかフルーツポンチ・パーティをすることになって、一同は一階の屋外にあるテラスにテーブルを持ち出して、昼間からワインを取り出すことになった。とっくにお昼を回っていたので、当然昼食付。薬草に詳しいリタが少し口出しをした結果、随分と香りのいい料理の数々となった。
 使用人も混ぜての賑やかな昼食になった。こんな人がたくさんの集まりはリタには初めての経験で、ちょっと怖かったのでジェレミーのそばにいた。
「……この家にはこんなにたくさんの使用人がいたのだね」
 いつも怖いくらい静かだから、ちょっと驚きだ。
「まあね」
 ジェレミーはワインのせいで、いつもよりさらに上機嫌らしい。
「当主問題では僕派の人達だから、いつもはみんな、動かないことでリチャードに対抗してるんだよ」
「……私はちゃんと仕事を成功させるから」
「おやおや」
 ジェレミーは笑った。
「それじゃあ僕はここにいられなくなってしまうねぇ」
「早く女房を見つけておいた方がよいのでは?」
「だからさ、リタ、立候補しない?」
「だから、冗談じゃない。前にも軽薄な男は嫌いと言った」
「残念だなあ。リタなら信頼できそうなのに」
 何気ないジェレミーの一言だったが、リタはその言葉に、戸惑いとともに嬉しさを感じた。だけれど、ジェレミーを監禁するために雇われた魔女として、立場上なんとなく後ろめたくて、それをごまかすように、リタはワインを煽った。

「豪快に飲むのですな、魔女さま」
 落ち着いた声がして見てみると、執事のウィルキンズだった。
「やあ、トーマス!」
 ジェレミーは朗らかに声をかけた。
「どうだい、楽しんでいるかい?」
「はい、坊っちゃま。成長なされましたな、一つ菓子作りに成功なされたではありませんか。……魔女さまのおかげですな」
「全くだね。リタは本当に素敵な女の子だよ」
 リタはワインに咳き込んだ。
「ああ、大丈夫かい、リタ?」
 誰のせいだと思ってるんだ、とリタはジェレミーを睨んだ。ウィルキンズが苦笑した。
「坊っちゃま、そういう言葉はレディー方だけにおっしゃるものですよ」
 ジェレミーは不思議そうな顔をする。
「リタだって立派なレディーじゃないか」
 やれやれ、とウィルキンズは苦笑した。
「そのようなお気がないのでしたら、お慎みなさいませ。素で褒め言葉を言えるのは良いことですが、勘違いを誘っては困ります。現に坊っちゃまは多くの前科がありますからね」
「ああ……」
 ジェレミーは申し訳なさそうな顔をして黙った。
「そうだね。僕は悪い男だ」
 そういえば、と思ってリタが見てみると、特に若い女中たちが頻繁にこちらを見る。しかもジェレミーのそばにいるリタには嫉妬混じりの視線で。フルーエリンの言っていた「2週間もすると、女中は皆ジェレミーに惚れる」説はまんざら嘘でもないらしい。
「坊っちゃまは気紛れでいらっしゃいますが、決して惚れっぽくはないのですから。軽率な発言は禁物ですよ」
「わかったよ、トーマス。気をつける」

 ジェレミーが神妙に頷いたのと同時に、女中たちから声がかかった。
「ジェレミーさま、トランプをやりませんか?」
「いいね、やろうか!」
 ジェレミーはすぐ返事をしてリタを振り返った。
「行こう、リタ」
「……見てる。ルールが分からない」
「じゃあ、やりながら説明してあげるよ。行こう」
 ジェレミーは先に歩いていった。

 ウィルキンズの声が背後からかかる。
「妙に気に入られておりますな」
 感嘆とも皮肉ともとれるような声だった。リタは無視して、ジェレミーの背中を追いかけた。