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 旦那様こと、リチャード・アベリストウィスから、リタへの返事が届いた。用事で屋敷の近くに帰るから、話をしても良いとのことだった。指定された日付は今日のもので、場所は少し遠くのレストランだった。その旨をジェレミーに伝えると、上の監禁部屋でフルーエリンとチェスをしていた彼は、いってらっしゃいと朗らかにリタを送り出した。

 マントを被り、玄関まで降りた時、リタは女中のシャーリーに呼び止められた。
「魔女さん。旦那様と話をしに行くとか」
 リタは頷いた。
「何か?」
 聞くと彼女はごくりと唾を呑んで言った。
「坊っちゃまの味方になってはくれないのですか」
 リタは少しの間、黙っていた。
「それを見極めるために行くんです」
 そう言うと、彼女は必死の表情で訴えた。
「ジェレミー様は人を見る目がおありですから、ジェレミー様が信頼し、気に入った方が悪い方であるはずがないと信じておりますね」
「信じるのはあなたの勝手だが、判断を下すのは私」
 リタは淡々と言うと、軽く礼をして扉の外に出た。
 ジェレミーが自分を信頼? 懐かれたイコール信頼されている、と結論付けるのは単純すぎではないだろうか。それに、彼は誰にだって親しげだ。自分が特別なわけじゃないのだ。

 用意された馬車に乗り込み、馬車は林の中を駆け抜けた。屋敷に入って以来、初めてアベリストウィスの門を出たことになる。門を一歩出ればそこは都会で、貴族御用達であろう店が軒を連ねていた。なんとなく外を見ていて、リタはジェレミーが実は結構おしゃれなのだと気付いた。店先のマネキンが彼と同じような服を着ているのだから、そう考えて良いはずだ。
 人の多い通りを走り抜けて、いかにも高級そうなレストランの前で馬車は止まった。リタは馬車を降りて、レストランに入った。ものすごく場違いな気がしてならなかった。魔女服を着ているせいか、ボーイが面食らった顔でリタを見つめる。
「お嬢様、どなたかとお約束でも?」
 はなから客とは見られていないわけだ。
「リチャード・アベリストウィス」
 言うと、ボーイは納得した顔をした。
「こちらです」

 彼は昼前のがらんとした店の、隅の方にいた。リタが礼をすると、彼も少し頭を下げた。
「リタ殿、かけてください」
 勧められるまま座って、リタは単刀直入に切り出した。社交辞令から始まる会話は、魔女の性には合わない。
「ジェレミーが何者なのか、教えてもらえませんか」
 リチャードは目を瞬いて、時間稼ぎをするようにワインを飲んだ。
「どういうことですかな」
「フルーエリンの弱みか、あるいは彼の弱みを教えてください。純粋に魔力だけで勝負するには、少し無理があります」
「……そんなに手ごわい相手ですか」
「相手は守護妖精ですよ。ひとつの家族を丸々守れるほどの、魔力を持つ妖精です」
「それとジェレミーとが、どういう関係なのでしょう」
 あくまでもはぐらかすつもりか、とリタは紳士を睨みつけた。

「あなたのしていることの正当性に、私は疑いを持っているのです」
「それは……」
「いくら無所属で、自分を罰する協会がないとはいえ、今後自分の身に罪状が及ぶような事柄に手を出したくはありません」
 アベリストウィス氏は黙り込んだ。苦渋の顔で悩んだ後、顔を上げて言った。
「魔女さん、これは信じてください。ジェレミーは決して、当主にふさわしくはありません」
 穏やかだが、一生懸命な声だ。
「ご存じかどうかは知りませんが、伯父には――先代当主には、正式な妻がいなかったのですよ」
「でも、認知はされているのでしょう」
 リタがすかさず返す。リチャードも言い返した。
「ですが、その母親が問題なのです!」
 ……これは、ジェレミーが自分で言った通りだ。リタは聞いた。
「では、母親とは誰なのですか」
 彼はすっかり口を真一文字に結んでしまった。少し蒼白な顔をして、言う。
「言えません。家の沽券に関わりますから」
 なぜ、とリタはもどかしさを噛み締めた。なぜ話せないんだ。
 リチャードは責めるような目でリタを見つめた。
「魔女というのは客のプライベートには踏み込まないものだと聞きましたが? ジェレミーに興味があるのですか? あなたまで、ジェレミーが好きだと言い出すのですか」
 リタは驚いて否定しようとしたが、リチャードはそれを遮った。
「そんなにジェレミーは、皆が皆に味方されるのに値する者ですか? マイペースで子供っぽくて気紛れで素の女たらしで、母親に問題がなくても本人に問題があるではありませんか」
 後半には確かにと頷かずにはいられないような気がしたが、味方されるに値するかどうかと聞かれると、リタの正直な気持ちでは、値するという結論が出た。だから迷いが生じているし、不安なのだ。リタにだってリタの正義感がある。普通の人より鈍いのかもしれないし、同じ人とはいえ、魔女という特殊な人種だからずれているかもしれないけれど、自分なりの良心がある。そしてジェレミーという青年は、誰にも優しくて、監禁されていても朗らかで、ちょっと強引だけど、結果的にリタが被害を被ったことは一度もない。裏で何を企んでいるかは分からないけれど、少なくとも誰も傷つけない。必死に誰かを“世の中から消そう”としている誰かさんよりは、値すると思った。

「あなたはジェレミーを知らない」
 思わず口をついて出てきた言葉は、リタ自身にとっても意外なものだった。
「彼は自分が当主になった方が、あなたより上手くいくと言っていました。今のままでは、私はそれに頷くしかありません」
 リチャードはむっとしたようだった。
「嘘だ! 私は必死に家の繁栄を考えているのですぞ! あんな小僧に劣るわけがない! ジェレミーに任せたら、バランスが取れなくなります。家が崩壊します!」
「バランス? 崩壊?」
 リチャードはリタの問い返しに、またしても言葉を詰まらせた。そして、突然切羽詰まった顔をしてリタの方に身を乗り出した。
「……お願いします、魔女様。ジェレミーは当主になってはいけません。あなただけが頼りなのです……どうか三日以上、あいつを閉じ込めてください。一生のご恩として覚えさせていただきますから!」
 リタは目の前に迫ったリチャードの顔を避けてのけ反り、後ろのいすにぶつかってしまった。ここまで必死に言われると、リタも口をつぐむしかなかった。しかしなんて大袈裟な人だろう。アベリストウィスは変人だらけだ、と思いながら、リタはとんがり帽子を被り直した。
「……ジェレミーのお母さんは何者なのか、やっぱり教えてもらえませんか」
「申し訳ありませんが、それだけは。魔女様、なにとぞ、どうにかしてもらえますよう」
「……わかりました」
 リタは溜め息をついて立ち上がった。
「引き続き努力はしましょう。ジェレミーの弱みか何かは知らないのですか」
「……閉じ込められたり自由を奪われるのをひどく嫌がることぐらいしか、知りませんが」
 弱みを利用して閉じ込めたいのに、それでは意味がない。
「いいです、自分流に頑張ります」
 リタは言って、目の前のお茶を飲み干した。おごってもらえるものは、ありがたくもらっておくべきだ。リチャードは再度、頭を下げた。
「お願いします」


 店を出ながらリタはまた溜め息をついた。自分がジェレミーに味方し始めていることに、今日気付いた。なんだかんだ言って、好意で接してもらえて、かまってもらえるのは悪い気がしないのである。しかし、魔女の契約は簡単に破って良いものではない。それにリチャードは、あんなにリタに頼っているのだ。
 悩みながら馬車に揺られ、リタはふとひっかかりを覚えた。

“どうか三日以上、あいつを閉じ込めてください”

 ……三日。フルーエリンは何と言った?

“三日以上あの子を閉じ込めないであげて”

 三日。三日すると何かジェレミーに不利なことが起きるというのだろうか。
「……さて」
 どうしたものか。任務遂行か、まずは彼らの秘密を暴くか。

 思いの他、難しい仕事を承諾しまったな、とリタは今更ながら思っていた。