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 外出当日はなんとなく落ち着かなくて、リタは夕方まで“魔女の部屋”に引きこもって、ひたすら魔方陣の練習をしたり、薬の研究をしていた。なんとか気を紛らわせようとしていたのだが、いっこうに気が逸れない。しかもガラスを見るたびに、そこに映る真新しい魔女服を着た自分に気付いて、今夜いよいよ、本来魔女が裏方に徹するはずの社交界に、客として行くのだと思い出してしまうのだ。だからリタはなるべくガラスや静かな水面を見ないようにして、魔女の仕事に没頭しようとしていた。
 準備のためにリタを呼びにきた女中は、ぶつぶつ言いながら奇妙な記号を書いているリタを見てかなりびびったようだった。魔法を行使している真っ最中に見えたらしい。
「あっあのっ、魔女様?」
 リタは顔を上げて彼女を見つめた。彼女は緊張の面持ちで言った。
「坊ちゃまがお呼びです」
 あー、来てしまった。リタは溜め息をついて立上がり、キットに言った。
「留守番を頼む、キット」
「えーっ、俺は連れていかないのか?」
「オペラなのだよ? 猫が入れるわけがない」
「じゃあリタが俺に魔法をかけて、人間にしてくれたり……」
「そこまで苦労してキットの望みを叶えたいとは思わぬ」
「ちぇっ、パートナーにつれない魔女だな。本当はジェレミーと二人きりで出かけたいだけじゃないのか?」
「……キット。試作薬を飲ます」
「すいません何でもありませんリタがそんなこと考えるわけありません」
 女中にはキットの言葉が聞こえないから、彼女の目には、リタが猫に向かって独り言を言うような恐ろしく不可思議な人物に映ったことだろう。リタが片付けをして部屋を出てくると、彼女は失礼にならないぎりぎりの距離まで後退りをした。
「どっ、どうぞ」
 これが、魔女が魔女たる由縁だ、とリタは思いながら部屋に戻った。変人、不気味、不可思議、得体が知れなくて恐ろしい。なのにジェレミーは一体何を考えているのやら。自分も自分だ。なんでそんなジェレミーに付き合うことにしてしまったのだろう。まあ、監禁に失敗しているのだから、せめて監視しておくのは悪くないのだが。

 部屋では例のドレスが待っていて、シャーリーが支度を手伝ってくれることになった。ジェレミーが平気な顔で着替えを見ていようとしているのを無理やり追い出し、生まれて初めてコルセットにウエストを締め付けられながら、リタは棒につかまっていた。必死にふんばるリタに、必死に締め付けるシャーリー。
「どう、ですかっ」
 シャーリーが聞くのでリタは答えた。
「そろそろ、息がっ、できなく、なりそうです……」
「そうじゃ、なくてっ」
 シャーリーがコルセットの紐を結び始めた。もう少し緩めてほしいものだ。
「坊っちゃまのことですよ。私の推測はやっぱり外れなのですか?」
「……当たっていても外れていても、結果に変わりはない」
「そんなことありません。リタ様が監禁を放棄しさえすれば、旦那様も諦めます」
 ……名前を呼んでくれた。リタは少し狼狽したが、それでも言い切った。
「魔女は魔女でしか有り得ないのだよ」
 シャーリーは黙って、ドレスのジッパーをしめた。それから、櫛を手にとってリタの髪をまとめ始めた。こういうふうに世話されることにはあまり慣れていないが、かといって社交界にふさわしい格好がどういうものだかも分からないので、シャーリーに任せるしかなかった。シャーリーがてきぱきと髪をいじりながら、思い出したように言った。
「坊っちゃまから特別にお達しがあったので、髪はお団子に致しますね」
「…………」
 その言葉に、リタの指が少し震えた。なぜ、ジェレミーのことを仕事と割り切ることに罪の意識を覚えるのだろう。リタの髪はあっと言う間にセットされ、最後は装身具をつける段になった。自分の魔法石であり、守護石でもあるエメラルドをリタはつけたかった。それでシャーリーに言ってみたら、本当に探し出してきてくれた。丸い形の、少し大きめのペンダント。これで準備完了だ。
 シャーリーは少し離れてリタを眺め、自分の作品に満足そうに頷いた。
「とってもお似合いです。坊っちゃまのセンスは間違っていませんね!」
 リタは何とも言えない困惑した気分でシャーリーを見つめ返した。その時、コンコンとノックがあった。
「リタ、シャーリー、もう待ちくたびれたよ。入ってもいいかい?」
 ジェレミーだ。シャーリーがすぐに「どうぞ」と返事をする。入ってきたジェレミーは、リタを一目見るなり足を止めた。
「うわぁ……まいったなぁ」
 やっぱり魔女が、こんなヒラヒラのドレスを着たって、似合うわけないのだと思って恥ずかしさで俯いていると、ジェレミーはそっとリタの前に跪いた。
「すごく可愛いよ、リタ。想像以上、ほんと。シャーリーの腕は確かだね」
 シャーリーが嬉しそうに言った。
「素材が良かったのですよ。リタ様ももともと見目良い方ですし、ドレスも絶妙でした。私は少し手を加えたにすぎませんわ」
 待て待て、二人とも絶賛大好評? 何かの間違いではないのだろうか。疑わしそうな表情を見て取って、ジェレミーは大まじめな顔をした。
「本当だよ、リタ。とても可愛いし、よく似合ってる。僕は嘘をつかないから、本当だよ」
「嘘はつかなくても冗談は言うだろう」
「おやおやリタ、なぜ信じられないんだい? おいで」
 ジェレミーはリタの手を取り、鏡の前に連れて行った。
「自分で見てごらん」
 残念ながらリタはおしゃれに関する興味が乏しく、はたしてこれが可愛いのかどうかは分からなかったが、それでも確かに綺麗に化粧をし、髪を結い、ドレスを身にまとった自分の姿は全く違和感のないものだった。少しだけ、胸がドキドキする。非日常に向かおうとしているのを実感した。
「納得した? 可愛いし、似合ってるだろう?」
「……違和感はない」
「よしっ」
 曖昧な返事を全く意に介さず、ジェレミー張り切った様子でリタに手を差し出した。とても楽しそうで、期待に満ちていて、ちょっと上がっている様子で頬が上気している。
「では参りましょう、レディー・リタ」
「…………」
 その、初めて女の子と出かける少年のような様子に少し呆れた顔をしながらも、リタは彼の手を取った。自分自身もどこか頬が熱い気がした。

 さて、出発だ。