18


 馬車が都会のガス灯の間を駆け抜けていく。舗装された道路の石の上を通過する規則的な揺れに揺られて、明るく光の灯った商店街を抜けた。郊外に住む、田舎育ちと言ってもいいリタにとっては、大きな塔や建物、何も彼もが圧巻だった。
 時たま、「魔女やってます」の看板もいくつか見かけた。必ず、どこの魔女協会に所属しているのかが看板の下の方に書き添えられている。さすがに首都は人口が多い分、魔法の需要も多いのかもしれない。薬草店や鉱物店もあるのに気付いて、リタは急いでその場所を頭に叩き入れた。アベリストウィス邸からはそう遠くない。後で絶対に来よう。
「ジェレミー」
 リタは声をかけた。
「何だい?」
「オペラが終わった後って、談笑の時間とかがあるのだろうか」
「そうだね、普通あるね。上流階級の人達は社交が大好きだから」
 リタは大嫌いだ。
「出るつもり?」
「うーん、リタが嫌って言うなら一緒に帰るよ。うら若い女の子に夜の道を歩かせるわけにはいかないし」
「魔女だから平気だ」
「自信過剰は良くないよ、リタ。魔法だって万能なわけじゃないだろう。だから黙って送られなよ」
どうしてもアベリストウィス邸に帰るまでは一人になれないようだと悟ったリタは、仕方無く正直に言った。
「……寄り道をしたいのだよ」
「え? どこへ?」
「魔法薬材料店。さっき見つけた。一般人は入らない方が良いと思う」
「じゃあ付き合うよ。早く帰らないといけないわけでもないし」
 入らない方が良いという忠告は無視された。リタがジト目で睨むと、ジェレミーはくすりと笑った。
「僕を引き離してどうするんだい? 僕を監視できなくなるじゃないか」
「……ジェレミーは一体どういうつもりなのだ。逃げたいのか、逃げたくないのか」
「そりゃ、自由になれれば嬉しいけど、僕は何も逃げることばかり考えているわけじゃないし。リタといるのが楽しいから、それだけ」
 本当にマイペースな人だ。
 リタは聞いてみた。
「どこが楽しいのだ、こんな無愛想でヘンテコな魔女」
「無愛想? ヘンテコ? どこが?」
 ジェレミーが意外そうに言った。
「確かにリタは表情が乏しいし口数も少ないけど、反応がないわけじゃないし、ヘンテコでも何でもないじゃないか。自分の意思も信念も持った、柔軟性もある立派な魔女だ」
「本気で言っているのか?」
 というか、リタがジェレミーに対して柔軟なのはジェレミーがあまりに強引だからだ。
「言ったろう、僕は嘘をつかない」
「あくまでも自己申告だろう」
「本当だって。そういうふうにできてるんだ」
 どこにそんな人間がいると言うのだ。

 馬車はゴトゴトと走り続け、中心街に入ると、街の様子は一層華やかで幻想的になった。興味のないふりを続けることは難しくて、リタはジェレミーの建物解説に不本意ながら耳を傾けながら、窓の外をずっと見ていた。
「あそこが、貸し本屋。最近できたばかりだよ。で、あの通りの向こうが駅。リタは汽車に乗ったことある? ないのか。今度田舎に行くときにでも連れて行ってあげるよ。その時に乗るから……」
 こんな調子だった。
 やがて、ジェレミーが白い建物を指差した。
「あれだよ、リタ」

 先に馬車を降りたジェレミーにエスコートされながら、リタも建物の前に下り立ち、しゃれた階段を上った。大きさはそれほど大きくないものの、上品で落ち着いた建物だ。入口でチケットをあらためられ、ジェレミーが係員に差し出した。
「アベリストウィス様。ごゆっくりお楽しみください」
 無事、審査通過。しかしよく噛まずにアベリストウィスを読めたものだ。あの係員はなかなか偉い。
 ジェレミーはリタに腕を差し出し、リタはためらいながらも、つかまっておいたほうが自然な状況なのだろうと思って、その腕に手をかけた。

 会場の扉の前ではたくさんの人が開場を待っていた。一般人もいれば、あきらかに貴族と思しき人達もいる。
「混んでいるねぇ」
 ジェレミーがのんびりと言った。
「どうだい、リタ? 緊張してる?」
「大丈夫」
 リタは答えた。実際、慣れない雰囲気だが、注目されているわけではないので緊張はしない。――少なくとも、警戒せざるをえないような状況ではない。師匠に拾われる前ならこんな風には思えなかっただろうけど、今ならそう思える。

「ジェレミーじゃないかい?」
 突然、そう声がかかった。二人が振り返ると、ジェレミーと同じくらいの年の青年がこちらをじっと見ていた。
「ああ、やっぱりジェレミーだ! 久しぶり!」
 青年が嬉しそうに言うと、ジェレミーもぱっと顔を輝かせた。
「ニール! ニールじゃないか! どうしてここへ?君も自分の邸宅に役者を呼ばず、庶民に混じってオペラを見に来るのか」
 ニールと呼ばれた青年は笑った。
「おやおや、貴族でも最近は懐の事情が芳しくないことは、君だって良く知ってるだろう」
「それでなのかい?」
「はは、まあ、半分は、妹がどうしてもまた愛の妙薬を見たいってダダをこねたんだけど、今、この近くで上演してるのがここしかなかっただけなんだけど。……ところで、さっきから気になっているんだが、そちらのレディーは?」
 ジェレミーは後ろで相手の青年を注意深く観察していたリタを前に引っ張り出した。
「リタっていうんだ。ちょっとうちに住み込んでる子だよ。今日は僕がちょっと強引に連れ出してきた」
「……強引っていう自覚があったのか」
 リタがぼぞっと突っ込んだが、ジェレミーはいつのもように流した。
「まあ、僕の監視役みたいなものだけどね。でも、良い子だよ」
 ニール青年は少し笑顔を引っ込めた。
「そうか、そういえば君は今、リチャードに最上階に閉じ込められているんじゃなかったのか? どうやって抜け出してきたんだ?」
「フルーが鍵を開けて出してくれるんだよ」
「へぇ……そうか」
 フルーと言って通じている。リタは一体誰なんだろうと思いながら青年を見つめた。
 ニールは少しリタを気にするようにちらりと見やりながら言った。
「リチャードが魔女を雇ったって人伝に聞いたけど、本当か?」
「まあね。というか、この子だよ、その魔女さん」
「は?」
 ニールは驚いた顔をしてリタを見つめた。
「嘘だろう。本気かよ。ジェレミー、お前が変人だとは知ってたけど、ここまでとは思わなかったぞ。自分を監禁しに来たやつと仲良くオペラに来るだなんて、一体どこの頭のねじが吹っ飛んだんだ?」
「酷い言いようだなぁ」
「お前がマイペース過ぎるんだっ」
 リタは内心、激しく頷いて同調した。なんとなく、ものすごくこのニールという青年に親近感が沸いた。しかしやっぱりジェレミーはのんきだった。
「大丈夫だって。この通り僕は傷ひとつないし、リタには酷いことなんて何一つされてないし、本当にリタは良い子なんだよ」
「良い人かどうかと敵かどうかは別の話だろう。まったく、お前は何にでも懐くんだな。連続殺人鬼を連れて来て、この人は良い人なんだと力説し始めたって驚かないぞ、僕は」
「……私は殺人鬼と同列か」
「あっ、いや、すみません、そういうつもりじゃなくて」
 リタの呟きに、ニールは慌てて言った。
「でも、監禁相手がジェレミーで苦労しているでしょうね。振り回されてばかりでしょう」
「はい」
「えーっ、リタ、もう少し返事をするときに遠慮してくれよ」
「遠慮の余地がない」
 ニール青年が笑った。
「なかなか言いますね、魔女さん。リタさんでしたっけ、どこの魔女協会に所属しているんですか?」
リタはちょっと迷ったが、胸を張って答えた。
「無所属です」
「えっ……」
 ニール、ちょっと固まった。
「そ、そっか、リチャードにとってはその方が都合が良いからな……ええと、姓を伺っても?」
 リタはどうしようかと思ったが、正直に答えた。
「ありません。名乗る必要がある時は、ベッセマー、と」
「ベッセマー? アシュレイ・ベッセマーのお弟子さんなのか?」
 ニールは再度、驚いた顔をした。
「今日、アシュレイをこの会場で見かけましたよ」
「え」
 リタはぎょっとしてニールを見つめ返した。ニールが説明する。
「ボックス席にいましたから、要人の招待を受けているのでしょう。知りませんでしたか?」
 マジですか。
 リタは吃驚して、まず最初に、今すぐ帰りたいと強く思った。