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正直、せっかくのオペラも、本来できる半分ぐらいしか集中できなかった。
リタとジェレミーはニールに招かれて、賓客用のボックス席に入れてもらってしまった。彼の妹は舞台に集中しきっていて、まったくリタ達に構わなかった。
オペラはなかなかに面白かった。外国語なので理解できない部分も多々有ったが、呪文を操る魔女というのは言語に長けているものなのである。大まかなあらすじはちゃんと理解できた。
簡単なあらすじはこうだ。
ネモリーノ青年は美しいアディーナを想っているけど、彼女は魯鈍で弱気なネモリーノにすげない。ある日村外れに宿営しているベルコーレ軍曹が行軍を率いて登場、彼はアディーナに一目惚れしてしまう。
恋敵登場に焦ったネモリーノは、怪しげな薬売りドルカマーラから「イゾルデの使ったという妙薬」を求め、ドルカマーラはワインを「秘薬」として彼に法外な高値で売りつけた。
早速飲んだネモリーノは酒の勢いで気が大きくなり、アディーナの前でも大きな態度をとる。プライドを傷つけられたアディーナはネモリーノへの当てつけから、やってきたベルコーレの求婚を受け入れてしまう。そしてベルコーレに進軍命令が出て、急遽その晩アディーナと婚礼を挙げることになった。
流石の彼女も躊躇するが事の行きがかり上それを受け入れようとする。しかしいざ、婚姻の署名となると彼女はためらって夜まで待ってくれる様に頼んだ。このチャンスにネモリーノはまた妙薬を欲しがるが金がなく、仕方なく彼は恋敵ベルコーレの部隊に入隊して、給料を前借りして秘薬を購入したその頃ネモリーノの伯父が死んで、残った巨額の遺産はネモリーノがすべて相続するという噂のせいで、娘たちは玉の輿を狙ってネモリーノをちやほやする。酔いから醒めた彼は村一番の人気者になっていてびっくりし、妙薬の効目だと思い込む。
遺産のことを知らないアディーナはその様子を見て、誰かにネモリーノを取られてしまわないかと不安になって、ドルカマーラに相談すると、彼はネモリーノが愛の妙薬を買ったことや兵士になった理由を話すので、ネモリーノの真心を知ったアディーナは深く感動した。ネモリーノもこの様子を遠くから見ていて、目に涙を浮かべるアディーナの様子から彼女の本心を知る。アディーナはベルコーレから入隊契約書を買い戻し、二人ははっきりと互いの愛を確かめ合い、こうして結ばれた2人を村人は祝福した。
結構ご都合主義な、荒唐無稽な話だったが、軽快で楽しげで、ほのぼのとした雰囲気は、腕の良い御者に馬車を操ってもらっているような安心感の中で見ることができた。いかにもジェレミーの好きそうなタイプの話だとリタは思った。
劇中の間幕で少し言葉を交わす間に、ニールはリタに対してだいぶ打ち解けてきた。
「リタさん、魔女業って、依頼がない時は何やっているんですか」
「薬を作って薬屋に売ったり、あとは研究」
「研究って?」
「新しい呪文とか術式とか薬とか」
「へぇ。そういえば、僕の知っている人に自分のお抱えの魔女を持っている人がいますよ」
「たまにそういう魔女もいますね」
「普通は雇われないんですか?」
「ええ」
こんな感じで話しているうちにニールは当初の偏見を捨てたようだ。リタは師匠が一体どこにいるのか気になって、気が気ではなかったが、ニールの質問に答えられないほど上の空ではなかった。
劇が終わると、ニールはジェレミーと話し出した。リタは人の多さに辟易(へきえき)してその場を離れた。
少し静かなところで落ち着いたあと、帰って来るとニールとジェレミーが話しているのが聞こえた。
「いっそ諦めた方が良くないか? 今は自力で頑張ってるみたいだけど、これでアシュレイに助言でも求められてみろ、君は本当にあの部屋に閉じ込められっぱなしになるぞ」
「今のところ大丈夫だよ。リタが動いていないうちに、何とかしてリチャードのところに忍び込めないかと思うんだ。フルーの羽根さえ取り戻せば、一件落着さ」
リタは耳をそば立てた。これは絶対盗み聞きする価値がある。ニールが溜め息をついた。
「リチャードの諦めが良いならいいけどね。結構、潔癖症なんだろう? 君の身の上を容認するとは思えない。必死になられたどうする?」
「必死って……」
「あの魔女さんだよ。守護妖精に対抗するなら絶対彼女が巻き込まれる。彼女と守護妖精が戦うことになるんだぞ」
「…………」
ジェレミーが黙った。少しの沈黙のあと、ジェレミーはどこか空虚な声で言った。
「その時は、おとなしく諦めるさ。リチャードがしぶとくないことを祈るね」
ニールも少しの間黙り、半信半疑といった調子で言った。
「もしかしてジェレミー、あの魔女さんに気があるのか?」
「え? まさか。そんなんじゃないよ」
「でもわざわざオペラに連れてきたり対決を避けようとしたり……確かに悪い魔女じゃないみたいだけど」
ジェレミーが軽く笑ったのが聞こえた。
「うん、とても良い子だよ。ちょっとニヒルなところがあったりするけどお人好しだったりね。可愛い女の子だよ。恋愛感情とは違うけど、そばにいてくれると楽しいし、大変な闘いになるなら巻き込みたくないんだ」
「ジェレミーってわけの分からない奴だなぁ」
ニールはつくづくというように呟いた。リタはまた内心同意した。やっぱりニールとは馬が合いそうだ。
「でも、お前の場合の諦めって、つまりはあの部屋に閉じ込められるままになるってことだろう?」
沈黙がおりる。
重く深刻な空気が感じられて、リタは息をつめてカーテンの向こうの会話に耳をすませた。
「そうだねぇ……」
ジェレミーが言う。
「まあ、しょうがないよ。たぶん、死にはしないと思うし。……所詮僕は、いてはいけない異質だって事なんだろうね」
「死なないって言っても、あくまでたぶんだろう。誓約破りは高くつくんじゃないのかい?」
「うん……この世には帰ってこれなくなるかもね。彼女の一存次第ではあるけど、十中八九、連れ戻される」
彼女?連れ戻される?リタはジェレミーの次の一言を待った。
「どんな未来でも、僕は受け止めるよ」
「……肝心な時だけはひどく受け身だね。いつもの強引さを発揮すべき時に、紳士になってどうするんだ」
ニールの声が言った時、リタは突然肩を叩かれた。
誰かに盗み聞きを見つかったのかと思って、ぎょっとして振り返り、相手の顔を見て全力ダッシュで逃げたくなった。
「師匠……」
アシュレイ・ベッセマーはからかうような声でリタに言った。
「盗み聞きをするような弟子に育てた覚えはないのだが」
「別にあなたから教育というものを受けた記憶はない」
リタが呻いて返すと、アシュレイはニヤリと魔女笑いをした。
「ならばお前のその魔法は誰に教わったというのだ?」
「師匠の本に」
あながち間違っていないのでアシュレイはむっとした顔をした。
「恩知らずの弟子なのだねぇ。せっかく拾ってここまで育ててやったのに。ところで、仕事を放棄して男とオペラだなんて、リタらしくないではないか」
見てたのか、とリタは半ば絶望的に思った。きっとこの先一年はネタにされるに違いない。
「別に放棄してはいないです。仕事で来たのだよ」
「ほう? 何でまた?」
「ビジネス上の付き合い」
自棄っぱちに答えるとアシュレイは案の定、バカにしたように笑った。
「ほう? で、収穫は?」
「あなたが邪魔していなければもっと仕事成功のための情報が聞けたはずだった」
アシュレイはおや、と眉をひそめ、カーテンを少しめくってボックス席を覗いた。
「情報って……呆れた。リタ、もしかして監禁相手とオペラに来たのか?」
「……来たくて来たわけじゃない。取引したのだ」
「金髪の方?」
「琥珀色の方」
ニールからジェレミーに視線を移したアシュレイは急に真剣な表情になった。
「……魔力があるようだが」
え、と思ってリタは顔を上げた。
「師匠、そんなはずは」
「特殊な魔力だが確かにあるようだよ。これは……」
アシュレイは溜め息をつきながらカーテンを閉めた。
「やっかいな仕事を背負ったようだねぇ、リタ」