20


 アシュレイはいつになく真剣な顔で言った。
「リタ、お前はまず仕事を遂行すべきか考えるべきだよ」
「師匠?」
 リタは焦った。
「何か分かったのですか。どういう事……」
「リタ、魔女は一人で頑張るものだ」
「でも何も分からないのです。ジェレミーは特殊な身の上のようなのだが、逃げてばかりで質問に答えてくれない」
「……さっきからジェレミー、と呼んでいるが、名前で呼び合う仲なのか?」
 突然話題を逸らされてリタは黙った。
「……違う。そう呼べと言われただけ」
「で、そう言われるほど慕われているわけか」
「ジェレミーは誰にでも懐く」
「そんなはずはないのだよ。お前が好意を返さない限り、彼は必ずお前を見限るのだ。それをしないのは、リタが内心、彼に味方しているからに他ならない」
 とびきり意地悪な顔をしてアシュレイは笑った。
「お前も仕事が上手くいってない割にはまんざらでもなさそうだし?まあ年頃だから無理はないが。感情に流されて魔女の恥さらしにならぬようにな」
「師匠」
 リタは既に怒っていた。
「そんなんじゃない。私は仕事を成功させたくて、盗み聞きなんて汚い真似までしているのに」
「自分の気持ちが怖いからだろう。おとなしく認めたほうが楽だよ」
「違う」
 こういうところが師匠の嫌なところだ。ニヤニヤ笑って人をからかって、絶対に放してくれない。怒っても効果は皆無で、しかもムキになって度が過ぎた反撃をしてしまうと、逆ギレされて酷い目に遭うのだ。慎重に言葉を選びながら、リタは言った。
「私は無所属だ。身も、心も。どこにだって誰にだって属しはしない」
「人は誰だって一人では生きられない。完全に無所属だなんて無理なのだよ」
 アシュレイは笑い、踵を返してバサリとマントを翻した。胸元のガーネットがキラリと深い赤を反射する。
「まあ、難しい相手には変わりないのだがね。せいぜい頑張りたまえ、わが弟子よ。……仕事も恋もね」
 違うと言っているのに。ああもう、慣れないことを言われると狼狽して仕方がない。結局ジェレミーの身元についての情報はもらえなかったし。本当に嫌な師匠だ。一刻も早く独立して開業したい。

 リタはまたカーテンの向こうに耳をすませたが、随分の空白の時間のせいで会話についていけなかった。
「……の方でフェイ・ファミリアの力を借りたいってさ」
 ニールが言っている。だいぶ和やかな話題に移っているようで、ジェレミーも明るく返していた。
「無事当主になれたらって返事をしてくれ」
「頼むよ、はとこの縁でさ」
 はとこだったのか。リタは意外に思ったが、どうもこの先、有用な情報を得るのは難しそうだった。
 リタは意を決して、足音もしないのに突然現れる不自然さを回避するため、数歩戻ってから自然な足音を響かせて席に向かい、カーテンを開けた。ジェレミーとニールはこちらを向いていて、笑った。
「やあ、お帰り、リタ。気分は大丈夫?」
 ジェレミーがにこやかに話しかけてくる。ジェレミーの顔を見たら、さっきの会話のせいかリタはどぎまぎしてしまって、頷くことしかできなかった。
 ニールがちらりと周りを見回して言った。
「エメリナはまたどこかのお嬢さんと話し込んで帰ってこないみたいだな。どうする、ジェレミー? 帰るかい?」
 ジェレミーはリタを見上げた。
「どうする、リタ?」
 リタは少し考えた。結論として、これ以上師匠がいつ現れるか分からない場所にいたくないと思った。今度ジェレミーといるのが見つかったら、それこそ10年は笑いのネタだ。
「……帰ろう」
「よし。じゃあ失礼するよ、ニール」
「ああ、待って」
 ニールはリタの手を取った。
「魔女さん、一つだけ話があるんだ」
 何、とリタが顔を上げるとニールが耳打ちをしてきた。
「ジェレミーの母親は屋敷の中にいるよ」
 突然のヒントにリタは思わずニールを見つめ返した。
「彼が君にとって憎からず思える相手なら、助けてやってほしい」
 ここでも“憎からず思う”と言われるか。
「私は魔女ですから」
 曖昧な返事を返しながら、果たして自分の気持ちはどうなんだろう、とリタは考えた。
 恋愛感情か否かはともかく、好きだということは認めよう。けれど、どうしても何かが違う気がする。ジェレミーは好きだ。けど、好きというのは一緒にいてなんとなく気持ちが弾むというだけだ。きっと、単に他の人とは違うというだけなのではないだろうか。どちらにしろ微妙な気持ちだった。

 ジェレミーについて、リタは大理石の階段を降りて会場を出た。まだ多くの人々が場内に残って話し込んでいて、ジェレミーはちょっぴり名残惜しそうだったが残ろうとは言わなかった。
「さて、リタ、寄り道したいんだっけ?」
「……本当に一人で行けるから、ついてこなくてもよい」
「行くよ。心配だし、魔女の店なんて興味あるし」
 ジェレミーは馬車を見つけると、また手を引いてリタを先に馬車に乗せた。完璧にレディーの扱いをされることに戸惑いを覚えるが、悪い気はしなかった。ジェレミーも馬車に乗り込み、リタが覚えておいた店の通りの名前を伝えると、馬車が出た。

「それにしても、ニールに会えるなんてなぁ。びっくりしたよ」
 ジェレミーが言うのでリタはふと疑惑が浮かんだ。
「申し合わせていたんじゃなかろうね?」
 ジェレミーはすねたような顔をした。
「僕はそんなに信用がないのかい? 誓って偶然だよ。ニールの家は貴族だし、まあまあ財産もあるから本来なら公共のオペラに行くより役者を家に呼んでしまう」
「だから、逆に怪しい」
「本当だってば。まいったな、最近はだいぶ信用されてきたと思ってたのに」
 リタは傷ついたようなジェレミーの表情に、師匠の言葉を思い出した。彼は好意を好意で返すが、こちからが好意を返さなければ見限る。慌てたリタは言った。
「すまない。怒らないでくれ」
「怒ってないよ」
 ジェレミーは少し驚いたように言い、それから楽しそうに笑んだ。
「これくらいでリタを嫌いになったりしないから大丈夫だよ」
 慌てたリタは、天の邪鬼にも言ってしまった。
「別にそんなこと心配してない」
「えーっ」
 ジェレミーは笑って言った。
「嘘つき」
 リタはむっとして、ぷいと顔を背けた。

 ジェレミーはそんなリタを見て笑いながら、のんびりと言う。
「それにしても、どうせならリタのお師匠さんに会ってみたかったなぁ。オペラに来てたんだろう?」
 リタは迷った末に言った。
「……会った」
「え? 何? 会ったの?」
 ジェレミーは目を見開く。
「だったら紹介してくれれば良いのに」
「知り合わないほうが身のためなのだよ」
 リタは大真面目で言った。
 それから、カマをかけるつもりで言ってみた。
「師匠はジェレミーを見たと言っていた。ジェレミーには魔力があるって」
 途端、ジェレミーの笑顔が引っ込んだ。
「……君の師匠には魔力が見えるのかい?」
「感じられる」
 さあ、どう出る。リタが息を詰めていると、ジェレミーは溜め息をついた。両手をおなかの前で組んで、ゆったりと座席にもたれる。
「なんだか遅かれ早かれ身元がバレそうだなぁ。リタ、早いとこ諦めない? お互いのためにはそれが一番なんだけど」
「断る」
「どうしても?」
「私は魔女だから」
「そっか」
 ジェレミーはやっぱり笑みを浮かべたまま、夜の街を見つめていた。

 まもなく馬車は止まった。御者がドアを開ける。
「こちらでしょうか、お嬢様」
 なんて似合わない呼びかけだと思いながら、リタは頷いた。
「降りよう、ジェレミー」