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 店内はかなり暗く、ろうそくの匂いと薬草や動物の干物の匂いが混じり合って、奇妙な独特の香りが部屋に充満していた。
 上級魔法薬の材料は大抵奥にあるので、リタはずんずん店の奥に入っていった。
「おや、ここはご令嬢が来るような場所ではありませんよ」
 店員が慌ててリタに声をかける。
「彼女は魔女だよ」
 ジェレミーが言ったが、店員はさらに確認を取りたがった。
「では、どちらの魔女協会にご所属ですか」
「無所属です」
 リタが言うと店員の顔が強張った。
「うちはまっとうな店ですから、禁止物は取り扱っていませんよ」
「失敬な。私だってまっとうな魔女です」
「し、しかし……」
 リタは溜め息をついた。都会の薬屋は田舎のより厳しい。
「リタ・ベッセマー」
「はい? ベッセマー?」
「私の名前」
 店員は目を見開いた。
「あのアシュレイの弟子ですか」
 さすがに師匠は名前が通っている。そう言えばアシュレイの弟子は無所属だとか、とぶつぶつ呟いて、店員はころっと態度を変えて「ごゆっくり」と言うとカウンターに戻った。
 ジェレミーがリタに囁いた。
「あの人、リタのことも知ってるんだね」
 リタは頷いた。
「有名な魔女の弟子が無所属じゃ、噂にもなるのだよ」
「ふうん……ねぇ、前から思ってたんだけど、リタはどうして無所属にこだわるの?」
 リタは少しの沈黙のあと、ぽつりと答えた。
「誰にも、何にも、どんな形であれ支配されたくないから」
 ジェレミーはリタの声色に首を傾げた。
「なんか恐怖観念みたいだね」
「……そうかもしれない」

 魔法薬棚を眺めていたジェレミーがあっと声を漏らした。
「ベッセマーの、って書いてある」
「師匠の作った薬だろうよ」
 リタもつられて、その四角い薬瓶を見上げて説明した。ジェレミーは瓶の上の文字を読んで目を見開いた。
「王立魔女協会所属!? かなり偉い魔女なんじゃないかい?」
「しかも幹事の一人なのだよ」
「うわあ」
「人事が狂っていただけであろう」
 ジェレミーは苦笑した。
「師匠をそんなに悪く言ってはいけないよ」
「甘い。ジェレミーは師匠を知らないのだ」
 リタは値段と質を吟味しながら、慎重に材料を選んだ。
 コウモリの目玉、高すぎ。しかも何の種類のコウモリかが書いていない。トカゲの干物はなかなか良い値段だ。良く使うから買っておいて損はない。
「妖精の塗り薬なんかも売ってるよ」
 ジェレミーが少し離れたところで声を上げた。リタは薬草を吟味しながら答えた。
「魔女には必要ない」
「なんで?」
「そんなもの塗らなくても魔女には妖精が見える。それは妖精を見たがる一般人向けの薬」
「そっか」
 ジェレミーは瓶を棚に戻した。
「リタは普段からよくこういう店には来るのかい?」
 リタは首を横に振った。
「普段は自家栽培」
「へえ。大変だね」
「のんびり平和で気持ちよいよ」
 ジェレミーは笑った。
「いいねぇ」
「ジェレミーだってのんびり平和に暮らしているではないか」
「まあ、今はね」
 リタは薬草の重さを量っていた秤から目をジェレミーに移した。
「昔は違ったのか?」
「うーん」
 ジェレミーは少し困ったように笑いながら言葉を濁す。
「十二になるまではまあまあ平和だったけどね。父に認知されてからはもうドロドロの世界さ」
 ジェレミーは鉱物の棚の前で足を止めた。
「ああ、エメラルドの原石だ。リタの杖にもついてるよね」
「私の魔法石だから」
 リタは答え、さりげなく言った。
「家督争いはそんなに必死になることなのか」
「必死になるね。そう教育されてるのさ。お家大事、血脈大事。かく言う僕もなんとなくその雰囲気に流されちゃったところがあるし」
「面倒臭いのだね」
「まったくだね」
 ジェレミーは言いながら、蜜色の石を手にとった。
「これは琥珀だね。虫が入ってるやつは置いてないのかな」
 まったく、すぐに話題を変えてしまうんだから。リタも鉱物の棚へ行って、めぼしいものを物色し始めた。
「あまり薬には使わないから置いていないと思う。コガネムシか蜘蛛が閉じ込められているなら別だが」
「ふぅん」
 リタは琥珀を見つめた。
「ジェレミーの色だね」
「え? 僕の?」
 リタは頷いた。
「蜂蜜みたいな色。髪も目も」
 ジェレミーはふうんと呟きながら、琥珀をランプの光にかざした。
「魔女って誰でも自分の石を持ってるのかい?」
 リタは何が聞きたいんだろうと思いながらも頷いた。するとジェレミーは琥珀を元の場所に置くと、くるりとリタに向き直って言った。
「ちょっとここを出るよ。すぐ戻ってくるから」
 そして相変わらずリタの返事も待たずに店の扉から出ていってしまった。

 どうしようもないので一人で店内を回ることにした。
 鍋、いらない。試験管、まだいらない。本、高い。それでも何か仕事に役立ちそうな情報があれば、とパラパラと立ち読みをしてみた。監禁の魔法……目に見えない壁を張る事はできるけれど、フルーエリンに破られてしまうだろう。魔法ではどうしようもない状態を作り上げないといけない。
 頭脳戦か、とリタは溜め息をついた。正直、苦手分野だ。まあ、師匠と年がら年中、色々な意味で闘っているので知恵は回るほうなのだが。
 そもそも、まず本当にこのまま職務遂行して良いのだろうか。それにジェレミーは一体何者なのだろう。ドレスを見せにいった日、扉の向こうで彼はフルーエリンの手助けをしているような発言をしていた。彼は自分が魔女ではないと言ったけれど、魔力を持っているのは確かだ。それはどういうことだろう。
 師匠は意地が悪くて彼の正体を教えてくれないし、自分はまだかけだしの魔女。相手は魔力を持った変わり者の青年とフェイ・ファミリアの守護妖精。
 ……魔力。
 リタはふと思い付いた。魔力があるなら、ジェレミーも魔法石を持つ資格があるかもしれない。魔法石は魔女のシンボルであり、力の媒体でもある。石と魔女には深い繋がりがあり、魔法薬にも自分の魔法石の粉末を入れると効果が出やすくなるのだ。ならばジェレミーの魔法石はきっと琥珀だ。琥珀を買っておいて損はないだろう。リタは鉱物の棚に戻ると、ジェレミーがさっき見ていた琥珀をつかんでカウンターに向かった。

「ベッセマー様、お会計ですか」
 店員に問われてリタは頷いた。値段を計算してもらい、値切り交渉をする。都会だと物価が高い上になかなか値切ってくれないらしい。それでも節約したい一心で粘りに粘ったら店員さんは折れてくれた。「ここまで粘る方には初めて会いました」と店員は疲れた顔で言った。

 店員がリタの買ったものを紙袋に詰めていると、ジェレミーが戻ってきた。
「どこへ行っていたのだ」
 リタはぶすっとして聞いた。
「近くの宝石店さ」
 ジェレミーは答えて箱を取り出した。
「探してたものにぴったりのがあって運が良かったよ。君にあげようと思って」
 彼がにっこり笑って差し出した箱の中身はブローチだった。ツタをモチーフにした、エメラルドの葉っぱと琥珀の実というデザイン。ろうそくの明かりの下でもすごく綺麗で、思わず見入ってしまう。
「ちなみにお揃いで僕も同じデザインのネクタイピン買ったよ。君のエメラルドと僕の琥珀」
 差し出された箱をリタはほとんど自然に受け取っていた。
「……ありがとう」
 荷物の包装が終わった店員がおずおずと聞いた。
「あのぅ、お二人様は恋人なのですか」
「え? まさか。ただちょっと、リタは僕にとって特別な人だから」
 微妙な言い方だな、と思いつつもリタはまんざらではなかった。リタが何も言わないでいるとジェレミーが嬉しそうに言った。
「あ、嫌がらなかった!」
「嫌がって欲しいのか?」
「めっそうもない」
 リタが店員から袋を受け取ろうとすると、ジェレミーが横から袋をかっさらった。
「僕が持つよ」
「……よいよ」
「いいから」
「でも」
「さあ、行こう」
 いつも人の意見を聞かないんだから。溜め息をつきながらリタは店員に挨拶をした。
「どうも」
「いいえ。ありがとうございました」
 そしてジェレミーの待つ馬車へ向かう。

 手に持った箱の存在を意識していると、ブローチの宝石をはぎ取って薬に使おうかと、一瞬魔女らしい考えが浮かんだ。
 でも。
「……やめた」
 これは“ちょっと特別な人”からの贈り物だから、とっておこう。