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 いよいよジェレミーを助けるか否か、その選択が難しいことになってきた。
 リタは片一方の意見だけに流されるような人間ではなかった。ジェレミーが苦労をしたのは確かだろう。けれどジェレミー自身がアベリストウィス家の抱える問題だとなると、同情だけで動くわけにはいかないのだ。
 リタは本気で悩み始めた。どうしても判断材料が不足しているから、ジェレミーの身の上を探らなければならない。
だが、どこから情報を手に入れれば良いのだろう。

 そんなことを色々考えながらリタが例の魔女部屋で先日買ったものの整理をしていると、ジェレミーがやってきた。その襟元に琥珀とエメラルドのネクタイピンがついていた。リタはちらりとそれに目を留め、恥ずかしいから、自分も襟の下にブローチをつけていることがばれませんようにと思った。
「やあリタ、おはよう。……って時間でもないか。何してるんだい?」
「整理整頓」
 リタは鉱石を用途別に仕分けしていた。それを見たジェレミーが言った。
「魔女って鉱石に詳しいんだよね。こういうのは何に使うの?」
「……主に薬に。連ねて魔除けにしたりもする」
「へえ。リタの、ええと……魔法石だっけ? エメラルドだよね。エメラルドはどんな用途があるんだい?」
「治癒系の魔法に。ヒーリング効果が高いから」
「妖精も好む?」
「さあ。緑色だから好むかもしれない。でも気難しい石だから」
「そうなんだ」
「一度手に入れたら他人に渡してはいけないそうだ」
「ふうん……ねぇ、じゃあ琥珀は?」
「生命力を高めたり、伝達能力の向上に」
「おやおや、結構、性格に合ってるんだねぇ」
 リタはローズクオーツを恋愛関係の薬の箱に入れながら聞いた。
「ジェレミーは魔法に興味があるのか」
 んー、とジェレミーはいつもの間延びした声を出した。
「まあ無いと言えば嘘になるね。君のお師匠さんが見破ったとおり、僕には魔力があるし」
 リタは手を止めてジェレミーを見上げた。彼はリタの視線を捕らえて、ただただにこりとする。
「ねぇ、魔法石を手に入れれば、魔女になれるのかい?」
「……簡単なことではないよ。妖精の宿った石でないといけないから」
「ええ?」
「魔法はもともと、人が持つような力じゃない。妖精のものだ」
 リタは自分の魔法石をつまみみ上げて、窓から差し込む光にかざした。
「たまたま妖精の力を持って生まれたのが、魔女」
 リタは目を閉じた。この石を手に入れた時を思い出す。
 2週間近く一人で石だらけの山に放置された。普通、魔法石探しは師匠が付き添うものなのに、アシュレイは面倒くさいとリタを一人で行かせたのだ。師匠との生活の中でのトラウマのひとつである。
 でも、石に宿る精霊との契約は忘れられない。

“リタ・ベッセマーを魔女として伴侶と認める”

 力の強い石に宿ったばかりの、人と交渉する力すらあるかどうか怪しい精霊なのだが、その声はリタにもはっきり聞こえた。これで立派に魔女として認められる安堵感と、とりあえず飢餓から逃れられるという安堵感と、また師匠の元で暮らすのだという妙な哀愁が入り混じった気持ちになったことを覚えている。

「別に魔女は魔法石がなくても魔法が使えるのだが、魔法石があることで、精霊の力を借りることができるし、なにより力をコントロールしやすくなるのだよ」
 リタが言うと、ジェレミーはちょっとがっかりしたように言った。
「じゃあ、もともと自力で魔法が使えない僕は、魔法石を手に入れても無駄ってことか」
 リタは頷いた。
「魔法を使いたいのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。僕にはフルーがいるし」
 では何のために、とリタは首を傾げたが何も聞かなかった。

 ジェレミーは机の上でリタのすることを見ていたキットの耳の後ろを掻き始めた。
「あ、そこそこ」
 キットは気持ち良さそうに目を閉じる。
「んー、サー、猫の扱いに慣れてるな」
 ジェレミーは笑った。
「まあね。猫は妖精と近い生き物だし。ニールのとこにも二匹いてね、良く世話を任されてたよ」
「世話を?」
 そんなに頻繁にニールの家に行っていたのか。リタが訝った内容を悟ってか、ジェレミーは肩をすくめた。
「何年か前まで、僕はニールの家に預けられてたんだ」
 リタは黙った。例の誘拐監禁事件の後に預けられた家というのはニールの家だったのか。
「……ジェレミーは前に、自由が好きだと言ったね」
「え? うん、言ったね。なんだい唐突に」
 ジェレミーに唐突と言われる筋合いはない。
「ジェレミーは閉じ込められるのが嫌いなのか」
「そりゃあねぇ。真っ暗なのは嫌いだよ。一人でいることはもっと嫌いだけど」
 誰かに酷く傷つけられた後でもそう思えるのだろうか。
「……私は一人の方が好きだ」
「え? なんで? 寂しくない?」
「だって、傷つけられるよりは一人の方が良い」
 その言葉を聞いて、ジェレミーは一瞬目を丸くした。少し考えるように首を傾げ、そっかぁ、と呟く。
「リタも苦労したんだね、小さい頃に」
 彼は笑った。
「どうりでなかなか打ち解けてくれなかったわけだ」
 ぽんぽんとキットの頭を撫でて、ジェレミーは言った。
「僕も一時期、すごく人間不信になったんだ。それでニールのとこに預けられて、誰も僕に優しくしてくれなくてね」
 何がおかしいのか、くすくすと笑う。
「ニールだけはエメリナを引き連れて……ニールの妹さんなんだけど、いつも遊ぼうって言ってくれてね。やっと元の自分に戻れて、そしたら周りの人も僕に優しくしてくれるようになったんだ」
 だから、とジェレミーは言った。
「結構自分次第なんだよ、人間関係って」
「……でも」
 リタは言った。
「例えば相手のほうが絶対的権力を持っていて、力でも敵わなくて、それで相手が自分を傷つけたくてたまらなかったら?」
「そういう人ばかりの世界じゃないって自分に言い聞かせるんだ」
 リタは黙って聞いていた。信じられないほど、前向きで明るくて楽天的な答えだった。
「……理想論だ」
「でも僕はそれで上手くいってるよ」
「それはジェレミーが上流階級だからだ」
「そうなのかなぁ、そうかもね。でも僕だって認知される前は金持ちじゃなかったんだよ」
「…………」
 それはそうだった。
 リタはパチンと鉱物入れのふたを閉めると、ジェレミーを見上げた。
「ジェレミーは自分が良い当主になれると思う?」
 ジェレミーは考えなかった。聞かれるとすぐに、当たり前のように答えた。
「なれると思う。楽しく生きられれば良いや、ってそればかりだったけれど、やっぱり必要とされているなら応えたいんだよ。知ってるかい?人が生きようと思える最大の要素は、誰かに必要とされてるって感じることなんだって。だから僕は当主になる。妖精と人々の橋渡し役にね」
 ジェレミーはリタに向かって笑った。
「それにやっぱり自分にぴったりだと思うし。話すのも得意だし、交渉も得意だしね。だから妖精たちには感謝してるんだ。僕に将来の夢をくれた。……自分の人生を、フェイ・ファミリアに生まれた定めに流されてるだけだと思わないで、こういう風に考えることにしたんだ」
「……そうか」
 どうしよう。リタは考え込んだ。
 だって彼はこんなに前向きに夢を語っている。笑って自分を見ている。……敵のはずの自分に。
 ――魔女の務めより、情をとるべきか。しかし、リタがそれを決心するところまで強くないのも事実だった。

 だって、私には。
 魔女業しか、ないのに。