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 魔法薬の研究が佳境に入っていた。先日買ったカエルの心臓が効いたようだ。リタはゆっくり小鍋の中身をかき回しながら呪文を唱え、ぐっつり煮立った銀色の液体からのぼる湯気の摩訶不思議な形容しがたい臭いを嗅いでいた。
「なんか上手くいった感じか?」
 キットに尋ねられてリタは首をすくめた。
「まだ分からぬよ。だからまだ動かないでくれ」
「はいはい」
 猫が傍にいると魔法は成功しやすいのだ。
 頃合かなと思い、リタは火を止めた。おたまで薬をすくい、試験管に移してスポイトで取り、緊張の面持ちでいすにかけた。ぽんと音がすると、いすは灰色の物体に変わる。石になったのだろうかと触ってみた。
 ……スポンジだった。
 溜め息をつきつつ失敗作の材料と手順をメモするリタにキットが言った。
「まあまあ、シロツメグサからは大分進歩したじゃないか。もう石化薬に近いぞ」
「まあね」
 リタは短く返した。
 キットはちらりと部屋を見回し、ドアの方を見た。
「今日はサーが来ないな」
「フルーエリンとゆっくり話すことでもあるのだろう。キットがいるとあの妖精は出てこないから」
「……俺のせいか」
「そう」
 キットはふんと鼻を鳴らし、小さな鍋の中身を瓶に詰めているリタを見つめた。
「保存か?」
「使えなくはなさそうだし」
「まあな。……ところで仕事遂行のめどは立ったのか?」
 リタは黙った。
「……キットにはジェレミーの正体、見えるか」
「頼るなよ、リタ。俺はただの猫だ。魔法に影響を与えることはできても使えないんだぞ」
「……知ってる」
 じゃあ聞くなよ、とキットは呟く。そして聞いた。
「リタ、やっぱり迷ってんのか。坊っちゃんに情が移ったか」
 そういう言い方をされるとリタはなんとなく嫌だった。依頼主に落ち度が見つからない今、情に左右されて仕事を放棄するなんて魔女失格だ。そんなのは嫌だ。魔女業は師匠に拾われてから自分が得た、たった一つの自分のものなのに。自分が自分でいられる、たった一つの。
「……はぁ」
 リタは溜め息をついた。迷いを晴らすにはどうすれば良いのだろう。

 その時、バタバタと誰かが駆けてくる足音がした。ジェレミーかと思ったが違った。シャーリーだった。
「リタさんリタさん!」
 何事かと目を丸くしていると、彼女はリタの腕をつかんで引っ張っていく。
「旦那様がお呼びです!」
「誰が?」
「旦那様です! お近くまで来られたからお寄りになったそうです。お話しをしたいとか」
 あーあ、とリタは走りながら天を仰いだ。ややこしくなりそうだ。

 リチャード・アベリストウィスは庭のテラスでお茶を飲んでいた。リタが到着すると、向かいの椅子を指差して「かけてください」と言う。リタが言う通りにすると、彼は単刀直入に言った。
「あいつをどうにかできるめどは立ちましたでしょうか」
「……いえ」
 リタも真正直に返した。
「やはりこれがまっとうな依頼だと信じることができないのです」
「……」
 彼はがっかりした顔をし、溜め息をついて両手で額を覆った。
「魔女様……本当にあなたはあいつに情が移っていないのですか。いないのでしたら、どうか本気になってください」
「今の私は本気ではないと?」
「赤の魔女アシュレイの弟子が、羽根を失った妖精に手こずるなんておかしいではないですか!」
 彼は必死に言う。リタも言い返した。
「フルーエリンが特別なのではないかと思う。実際に何回も鍵の魔法を破られました」
「それは……」
 彼は言い淀む。
「では、ジェレミーとあの妖精を引き離してください」
 リタは眉をひそめた。
「なぜ?」
「それは、その……あいつは、妖精に影響を与えますから」
 はっとリタは思い出した。ジェレミーは魔力を持っている。そしていつかドレスが届いたことを知らせに行った時、扉の内側でジェレミーはフルーエリンが扉を開けるのをを手伝っているようだった。
 もしかしてジェレミーが、フルーエリンに魔力を提供しているのだろうか。普通、魔力というのは他人に譲渡できるものではないけれど、これしか考えられない。
「ジェレミーは特殊な魔力を持っているんですね」
 リタが言うと、リチャードは驚いた顔をして言葉に詰まった。当たったようだ。
「彼は誰なんです」
「……言えません」
「なら、私は自分で推理しますよ」
「…………」
 彼は良いとも悪いとも言わなかった。とりあえずひとつ謎が解けた。なぜフルーエリンの魔力が強いのか。
「その上で、私は仕事を遂行するかどうか決めます」
「あいつは……」
 リチャード・アベリストウィスは言った。
「あいつは、異質です。そもそもいてはいけない者です。当主になるなんてとんでもない。それに、魔女様、私は――」
 彼は押し殺した声で言った。
「妖精の羽根を、もう処分しましたから。ジェレミーに起死回生の機会はもうありません」
 リタは黙り込んだ。何を考えているんだ、この人は。それでは守護妖精が役割を果たせなくなるではないか。
「……フェイ・ファミリア崩壊ですよ」
「ジェレミーに当主を任せるくらいなら、そちらの方がマシです」
 そんな過激な手段に出るくらい、ジェレミーの身の上は異常なのだろうか。

 リタが思案していると、彼はリタに小さな声で言った。
「頼みますよ、魔女様。時間が無いので失礼します。盗み聞いている輩もいるようですし」
 え、とリタが目を瞬いているとリチャードは上を向いて声を上げた。
「趣味が悪いぞ、引っ込んでいろ」
 なんと上からジェレミーが顔を出していた。見つかった彼は一瞬、あ、と言う顔をしたが、すぐに笑顔になって手を振る。
「やあ、リチャード、わが従兄。久しぶりだね! 中には寄っていかないのかい?」
「お前と同じ屋根の下にはいたくない」
「酷いなぁ。ねぇ、リタと何を話していたんだい? すごく小声で話すから全然聞こえなくて」
「誰が教えるか」
 えー、とジェレミーは笑いながら声を上げ、リタのほうを向いた。
「後で教えてくれるかい、リタ?」
「……私の立場を分かっているのか」
 リタは呆れて返した。
「分かってるよ。僕を監禁するために雇われた魔女さん。でも教えてくれたって良いだろう?」
「内容によるだろう」
「つれないなぁ」
 彼はまた笑ったが、誰かに呼ばれたのか、窓の中に向かって振り向き、誰かと話した。そしてまだリタとリチャードを見下ろして言った。
「リタ、お茶の時間だ。上がっておいで」
 そして引っ込んだ。
 ああもう、バカ、と怒鳴るより先にリチャードがこちらを非難のまなざしで見つめた。
「ジェレミーといつもアフタヌーン・ティーをご一緒しているのですか」
「……ええ、まあ」
 否定したって信じてもらえそうにないので、リタは認めた。もしリタの立場を悪くする言葉だと分かっていて言ったなら許さないぞ、とジェレミーを恨んだ。
「ご存知のとおり、言い出すと聞かないので付き合っているまでです」
 まあ真実なのでそう言っておくと、リチャードもしぶしぶ納得した。
「……そうですね」
 彼は茶器を置くと立ち上がった。
「では、これで本当に失礼します。次に会う時は成功報酬を渡すときだと願っています」
 さりげなくプレッシャーをかけていった。

 リタはため息をついて天を仰いだ。本当にどうすれば。
 見上げた視界にさっきまでジェレミーがいた窓が目に入り、例の奇妙な最上階に視線を移してみた。
 そうだ、最上階。ジェレミーが暮らすあの場所に、何かあるもしれない。明日、どうにかジェレミーをあそこからおびき出して、忍び込んでみよう。