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 リタは生まれてすぐに捨てられた。理由は知らない。経済的理由か、魔力があったからだろう。
 どういう経緯で旅芸人の男に拾われたのかも覚えていない。物心ついた頃には、もう魔法を披露してお金を稼がされていた。他の捨て子たちと一緒に、仕事のない時は馬車に荷物のように押し込められていた。今思えば、その無関心な扱いは、異常な関心よりもまだ良かった。

 いつだったか、旅芸人は別の男にリタを売ろうとした。男は魔力のある子供を探していて、リタがひどく気に入ったのだった。彼ははなからリタを買う金を旅芸人に払うつもりはなかったらしく、手を銃で打ち抜いて、リタを抱えて逃げ去った。
 彼は怪しげな組織のトップで、黒魔術のようなことをやっていて、魔法を崇拝していた。そしてリタに歪んだ執着をした。魔法が使えるリタを重宝して支配したがり、逆に嫉妬から虐待することもあった。どちらにしろリタを自分の所有物にしたがり、そしてそれは成功していた。リタは彼を恐れていたし、言うことはなんでも聞いた。小さな部屋がリタの部屋で、外に出るのが許されるのは怪しげな儀式の時だけと決まっていた。
 しかし、彼の組織が何をしていたかはリタには良く分からなかったが、どうやらついに事件を起こしたらしく、王立魔女協会が強制捜査にきたのだ。

 そしてリタは救出された。捜査に来た協会の役員の中に、アシュレイがいた。彼はリタの魔力の強さを見込んで、協会に引取りを申し出た。そしてリタは彼の弟子になったのだ。


 アベリストウィスの屋敷から帰って来た晩、リタは家に入る前から嫌な予感がした。
「師匠……この臭いは」
「ん? ああ、腐る前に食材を使ってしまおうと思ったのだが……」
 リタは溜め息をついた。
「焦がしたのを放置したのだね」
 アシュレイは、料理下手ならジェレミーに引けを取らないのだ。
「後始末のために私を連れ戻したのだと言うなら怒ります」
「あー……まあ、それも半分くらいはあるかもしれぬ」
 半分もあるのか。

 懐かしの家に入ると、アシュレイの黒猫が駆け寄ってきた。
「アシュレイ! お帰り。弟子は連れて帰ったみたいね」
「ただいま、エボニー」
 師匠は飛び付いてきた猫を両手を広げて抱き留めた。見ていたリタはぽつりと呟いた。
「同じだ」
「何?」
「このシチュエーション。初めてこの家に来た時と」
 アシュレイは少し思案し、「そうなのか?」と聞いた。
「良く覚えているね」
「アシュレイが忘れっぽいだけでしょ。初めて弟子ができたって喜んでたくせに」
「そうだったか?」
 エボニーの指摘をアシュレイははぐらかした。
「とりあえず、落ち着いたら働いてくれ、リタ」
 それが昔の古傷を掘り起こされて参っている弟子にかける言葉なのだろうかと、リタは深く溜め息をついた。

 自分はまったく働く様子なく、ソファに腰を下ろしてくつろぎ始めたアシュレイは、ただただ弟子を見つめていた。その視線を感じつつ、リタはいすに座って窓から見える庭の様子を眺めていた。
 さすがに薬草を枯らすほど無責任ではないらしく、庭の手入れだけはしてあるようだ。
「師匠」
「ん?」
「私がここに来たばかりの頃、師匠は私に好き勝手にして良いと言ったね」
「ああ」
「私は途方に暮れて、逆に何もできなかった」
「そうだったな」
 アシュレイは頷いた。
「まあ、お前がいた状況を考えれば当然であろう。何もかもあの男の言う通りに動いてきたのに、突然好きにして良いと言われたら、戸惑うに決まっている」
「……私は、魔女になって生まれ変わったと思っていた」
 リタはぽつりと言った。
「誰かの言いなりになる私じゃない、自分のことは自分で決める私になると誓った」
「そうだな。無所属を選ぶほどその信念を徹底するとは思わなかったが」
「……やるからには徹底したい性格なのだよ」
「知っている」
 アシュレイは笑った。
「私とは正反対だからな」

「師匠、私は怖い」
 リタは弱音を吐いた。どんなに無慈悲なお仕置をされたことがあっても、放任されたことがあっても、唯一甘えられるのが師匠だけなのは分かっていた。それに、よくよく考えればそれがリタの自律を助けたとも言えるのだし。……荒療治過ぎることは否めないが。
「ジェレミーに同情していく自分が怖い。魔女らしくなくなるのが怖い。束縛されるのも怖い。……“ただの女の子”に戻るのが怖い」
「まったくリタは弱虫だな」
 やはりというか、簡単には慰めてくれなかった。
「人であるより先に魔女であるやつがおるか」
「でも、私は、“魔女である私”があるから今までやってこれたのだよ」
「本当にそうか?辞めてみたことがないのに何故そう言えるのだ?」
 リタは反論できなかった。
「お前は無所属なのではなかったのか。支配されるのがイヤなのではなかったのか。だったら魔女という職業に支配されるのは良いのか?」
 はっ、とリタはアシュレイを見つめた。突然怖くなった。逃れたと思っていたのに、まだ捕まったままだったのだろうか……?リタは俯いてしばらく考えていたが、やがて静かながら強い声で言った。
「これは支配なんかじゃない。魔女になる、というのは私自身の選択だ。だから支配されているわけじゃない」
 うーむ、とアシュレイは唸った。認めざるをえないようだ。
「随分と物事を考えるようになったではないか。あの坊やのおかげか」
 ちょっと不機嫌そうだ。
「とにかくリタは色々とこだわり過ぎなのだよ。あの坊やのように気楽に生きろ」
「……ジェレミーはかなり極端な例では」
「そうか? では私のように気楽に生きるとよいよ」
「師匠も極端な例だよ」
「何を言う、これがまっとうな魔女スタイルだ」
「……それは知らなかった。てっきり師匠は協会から尻を叩かれるほどアブノーマルな魔女だと」
 アシュレイがにやり、とおどろおどろしい空気を混ぜた魔女笑いを浮かべた。リタはしまったと思った。逆鱗に触れたようだ。
「リタ? 私の我慢強さを試しているのか?」
「すみません何でもないです夕飯作ります」
 早口に言ってリタはキッチンに逃れた。

 ナプキンをマスク替わりに顔に巻いて臭いを防ぎながら、ぬめぬめした得体の知れない物体のこびりついた鍋やフライパンを魔法で庭の井戸脇まで動かした(とてもじゃないが手で触りたくなかったので)そういえば魔法薬の道具をアベリストウィス邸に忘れてきた、と思いながら、仕方がないので汚れ落としの薬を師匠の薬棚からくすねる。水を張った鍋とフライパンにその薬を落とすだけなのに、なんで片付けぐらいしないんだろうと師匠を恨みながら、リタは汚れが浮いてくるのを見つめていた。
「アシュレイもアシュレイなりに気を遣っているのよ」
 いつの間にかエボニーが井戸の縁に座ってこちらを見ていた。リタは彼女を見上げて言った。
「……それは分かるが、表し方がもっとあるのでは」
「まあねぇ。あの人も愛情表現の下手な人だから」
 エボニーは優雅に地面に下り立った。
「キットの坊やはあなたをちゃんと慰めてくれないの?」
「あいつは単純バカだから、そんな気遣いはできぬよ」
「……否定できないわね」
 エボニーは溜め息をついた。
「前から思っていたのだけど、あなたはどうしてアシュレイのしゃべり方を真似ているの?」
 リタはごしごしと鍋をタワシでこすりながら言った。
「……これが魔女のしゃべり方だと思っていたのだよ。そして気がついたら抜けなくなっていた」
「あらまあ」
 エボニーは少し笑って言った。
「まあ、落ち着いてきたみたいで良かったわ。なんだかんだ言って、アシュレイはあなたの救いだったのね」
「師匠じゃなくて、魔女業だよ」
「あらあら、アシュレイが聞いたら泣くわよ」
「……泣くより脅されそうだが」
 そうかもね、とエボニーは笑った。
「そしてそれがアシュレイのへたくそな愛情表現なのよ」
 リタは少し笑って、庭の風景を眺めた。薄暗い牢にいる男のことを思い出しても、落ち着いたままでいられた。
この場所がある限り、きっと自分は大丈夫だと思えた。