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 のんびりと田舎道を歩きながら、ニールは言った。
「ジェレミーは僕の幼なじみでね」
 懐かしそうな声色だ。
「よく自宅の庭で一緒に駆けずり回ったよ。ジェレミーは妖精が見えるし仲が良いから、いつもいろいろ妖精の話をしてくれたよ」
 リタはただ黙って聞いていた。
「あいつは本当に妖精の事をよく知ってる。まあ、当然と言えば当然なんだけどね。……リタさん、あなたはもうリチャードとジェレミー、どちらを手伝うのか決めた?」
「……いいえ」
 リタは答えた。
「今考えている所です」
「そうか。でもジェレミーを助けたいと思ってる?」
 リタは黙っていた。魔女としての答えはノー、だかリタとしての答えはイエスだ。
 ニールは少し苦笑して言った。
「僕が口出しする事じゃないか。……ジェレミー自身がまだ君に教えていないなら僕から教える権利は無いんだけど、せめてヒントにと思って、教えたい事があるんだ」
 リタは足を止めて、ニールを見上げた。
「ヒント?」
「そう。ジェレミーの性格を良く考えてごらん、ってこと。一番大きな特徴を。あいつはね、リタさん、悠長な所は父親譲りだけど、かなりお母さん似なんだ」
「ジェレミーのお母さんを知っているのか」
 リタは少し驚いて言った。ニールは意味深に頷いた。
「知ってる。あなたも多分、会ったことがあるんじゃないかな」
「私も?」
「オペラでの別れ際に言ったでしょう。ジェレミーの母親はあの屋敷にいるって」
 リタは黙り込み、じっと考えて、ハッと気付いた。突然閃いた考えに、全身を打たれた。
「ジェレミーは……」

 その時、誰かがニールを呼んだ。見覚えのある少女が馬に横乗りで駆けてきた。
「ニールお兄様、おば様が呼んでいらっしゃるわ。……あら、魔女?」
 ニールはあーと言葉を濁した。
「ほら、エメリナ、愛の妙薬を見に行った時に会っただろう。ジェレミーの連れだった子だよ」
「あ……え?」
 少女は驚いたように目を丸くした。
「あなた、魔女なの!? ジェレミーったら、魔女を連れてきていたの!」
「エメリナ、失礼だよ」
「そ、そうね……とにかく、お兄様、もう戻らないと。お昼に遅れてしまうわ」
「そうだな。……では、リタさん、またの機会に。分かったようだしね」
 ニールは軽くシルクハットを手に礼をすると、また馬に跨がって道を走り去って行った。

 リタはその場で踵を返した。分かった。ジェレミーの身の上。

 彼は――人と、妖精の子だ。

 何もかもこれで説明がつく。魔力を持つのはそのせい、当主になれないのもそのせい。気まぐれな性格も妖精譲り、それに妖精ならごまんと屋敷にいる。どこかで彼の母親に会ったりしてるのかもしれない。本人が自己申告していた、嘘がつけないという性質も妖精のものだ。
 全ては一つのことに帰結するってことだよ、とジェレミーは言っていた。これだ。ジェレミーは妖精の子なのだ。

 リタは木のアーチの小道を駆け上り、入り口の門に体当たりして小屋の中に転がり込んだ。アシュレイは目を丸くしてリタを見つめた。
「リタ……どうしたのだ?」
 リタは息を切らしながら言った。
「師匠、ジェレミーは……妖精の子なんですね」
 アシュレイは目を瞬き、やれやれというように首を振った。
「やっと分かったのか。しかしリタ、そんなに慌てることでもなかろう」
「慌てることだ」
 リタは反論した。
「フェイ・ファミリアの次期当主が妖精の子だなんて、そんなの大スキャンダルではないか」
 アシュレイは肩をすくめる。
「だろうね。だが、魔女の知ったことではない」
 リタは黙った。アシュレイの言う通りだ。だがこれはリタの仕事にとって大きな要素なのだ。
「……ジェレミーは、このことは受け止めようによっては、アベリストウィス家のプラスになると言っていた」
「そうか? まあ、妖精と付き合いやすくはなるだろうがね。だか、フェイ・ファミリアがそれではいけないのだよ。あくまでもフェイ・ファミリアは人と妖精の契約だ。どちらかに力が偏っては崩れてしまう」
「…………」
 それはリタにもよく分かっていた。だから衝撃的だったのだ。

 リチャードが正しかった。ジェレミーが当主になるのはちょっと危ない。彼は妖精に近過ぎる。彼が誘拐そして監禁された時も、妖精たちが怒り狂って大暴れしたと聞いた。それが良い例だったのだ。妖精たちはジェレミーに、人と妖精としての適度な関係を越えた慕い方をしている。

 アシュレイは面白そうにリタを見つめた。
「さて、我が弟子よ。どうする?」

 リタは焦りを鎮めようと、アシュレイの問いには答えずに庭に出た。キットが追いかけてきた。
「マジかよ、リタ。サーは妖精の子供なのか」
 リタは頷くしかなかった。
 いや、まだ結論を急いではいけない。妖精と人をつなぐフェイ・ファミリア、ジェレミーはリタより多くを知っているはずだ。リタが分かることなんてジェレミーにも分かる。でもジェレミーは、それでも自分が当主になるべきだと言っていた。ジェレミーに詳しいことを聞かなければ。

 リタはリビングに戻り、アシュレイに言った。
「師匠。アベリストウィスの屋敷に戻りたい」
 アシュレイはちらりとリタを見ただけだった。
「それより昼飯を作ってくれ」
「師匠……!」
「焦るものではないよ、リタ。先方に連絡もしていないし、どうせ今から行っても着くのは夜ではないか」
 リタを本人にすら断りなく拉致するように連れ帰ってきた師匠が、連絡云々を語る筋合いは無いだろうに。リタは仕方なく自分をどうにか落ち着けてキッチンに向かった。

 フライパンを握っているとぐるぐる回っていた考えが鎮まっていった。周りのことにも気が回るようになった。だんだん冷える季節になってきたみたいだ。そろそろ食べ物が長持ちし始める頃だ。

 昨日の残り物を温め、新しく有り合わせの野菜でスープを作って、皿を並べて昼食を取り始めると、アシュレイが言った。
「明日、リタが戻るとフクロウを送っておいた」
「……はい」
「お前の仕事だがね、リタ、お前の判断でよいと思うよ」
 リタは顔を上げた。
「師匠、意見がころころ変わっているのでは」
「そんなことはない。前に言ったのはあくまでも私の個人的な意見だよ」
 アシュレイはにやりと魔女笑いをした。
「お前は無所属だからね、私の言うことをきく必要はない」
「………」
「この件はひどく微妙な問題のようだからね。あの坊やも悪い子ではないようだし。女王から認可さえもらってしまえばどんな身の上だろうと当主は当主だ」
「ジェレミーを女王の所に連れていけと?」
「だからそれはお前の判断」
 アシュレイはフォークをリタに向かって指した。
「だが、よく覚えておきなさい、リタ。妖精は人とも魔女とも違う。付き合うには覚悟が必要だ」
 リタは俯き、スープをすくって口に入れた。リチャードの言葉が脳裏で反芻した。

 ……妖精の羽根はもう処分した。ジェレミーに挽回のチャンスはない。

 そして……ジェレミーは、当主になってはいけない。