32
ジェレミーはしかし、いつもの生活リズムをキープした。朝にはリタと一緒に朝食をとったし、リタが魔女部屋にこもって実験を始めると何事もなかったかのようについてきた。
しばらくはいつものように無関心を装っていたリタだったが、ついに我慢できなくなって聞いた。
「話し合いの結果はどうなったのだ?」
「誰と? ああ、フルーとの?」
リタが頷くと、ジェレミーは肩をすくめた。
「フルーも怒ってたよ。それから絶望的になってた。もう二度と自分で魔力を持てないんだ、って」
リタは俯いた。少し同情したが、リタにはどうもしてやれない。
「リタは? リチャードからの返事は来た?」
リタは頷いた。それ以上リタが何も言わないのでジェレミーが聞いた。
「なんて書いてあった?」
「ついに見破られましたか、だそうだ。それから、話し合いは三日後がいい、と」
「僕もついていったらダメかな」
「この上話し合いで解決するつもりなのか」
「そうじゃないけど。向こうがどんな意見だろうと、とりあえずこっちの考えを主張したいだけだよ」
「それなら手紙を書けばよいではないか」
「読まずに焼き捨てられるのがオチ」
「…………」
確かに。
「ダメかなぁ」
「……別に構わぬが、なるべく口出ししない方がいいかもしれない」
「それじゃ行く意味がないじゃないか」
「しかし今までのリチャード・アベリストウィスの反応を見ていると、ジェレミーが出てくると余計にこじれそうだよ」
「……それは……ちょっと否定できないかも」
ジェレミーはうなだれた。
「じゃあ、いいよ。隣の部屋で聞き耳を立てていてもいい?」
「リチャード・アベリストウィスに聞いてくれ」
「……しょうがないか。じゃあ、とりあえずついていくだけついて行ってみる」
そこまで来たいのか。だがジェレミーもやると決めたからには頑固になる節があるので、リタもつべこべ言わなかった。とりあえず連れていくことにはした。
魔法薬は徐々に完成品に近付いていた。以前失敗作で生えてきたシロツメクサを入れてみたらなんだかそれっぽいのが出来上がったのだ。いまいち脆くて、少し強く触るとボロボロ落ちてしまうくらいの石だったが、とにかく物を石に変えることには成功した。達成の日は近いと感じて、リタは嬉しかった。
そして三日後、リタはジェレミーと一緒に馬車に乗り込んだ。リチャードがよこした馬車の御者はジェレミーも来ると聞いてかなり渋っていたが、どうにかジェレミー本人が持ち前の強引さで彼を説き伏せた。
リチャード・アベリストウィスの家は、アベリストウィス本家の屋敷から一番遠い市街地にあった。本家とまではいかないものの、かなり大きい家だ。儲かってるんだなぁと思いつつ、リタは呼び鈴を鳴らした。取り次ぎ係にジェレミーもいる旨を伝え、リチャードの返事を待つ。予想通り、彼は断固ジェレミーの立ち入りを拒否した。
「それじゃあ、うちはあくまでフェイ・ファミリアなんだってことを伝えておいて」
ジェレミーはガッカリした顔をしながらそう言った。
リタは馬車で待っていると言うジェレミーを置いて、一人で屋敷に入った。
玄関がやはり広くて、シャンデリアがキラキラ光っている。リタは客間に通された。座り心地の良いいすに、暖炉。それらを呆れる思いで眺めていると、リチャードはすぐに来た。
何かご用でしょうか、と聞いた彼にリタは言った。
「決定を下しに来ました」
リチャードは一瞬沈黙した。その後、静かに聞いた。
「では、そのために何が知りたいのですか」
「あなたがジェレミーが当主になることに反対するのは良く分かる。しかしあなたの正当性はやはり疑問です」
リチャードが何も言わないので、リタは続けた。
「あの家を継いで、あなたはどうするつもりなのですか」
「……どういう意味ですかな」
「妖精を知らない者がフェイ・ファミリアを担えるとは思えません」
「魔女殿」
リチャードは言った。
「今の時代がどういう時代だか、お分かりですかな」
「……工業化の」
リタが言うとリチャードは大きく頷いた。
「妖精を信じる者も少なくなってきた今、フェイ・ファミリアなどという制度に未来はあると思いますか?」
「ではますます、なんのために継ぐのです」
リチャードは言った。
「家のためです。アベリストウィスのためです。他にどんな理由があるでしょうか。社交界の大切さを知らないジェレミーが当主などになったら、家はたちまち没落します。貿易などで富を蓄える方が、アベリストウィスを繁栄に導くのにはずっと良い方法です」
「それはつまり、もう魔法は今の世には用なしだということですか」
魔女にそう言われた彼は、うっと言葉を詰まらせた。
「……そういう意味ではございません。私とて、今あなた様の魔法の恩恵に預かろうとしているのですし、科学がどれほど発達しても魔法に追いつけないところはあるでしょう。私はただ、フェイ・ファミリアにこだわる必要はないということです。実際、妖精たちがジェレミーに対して過保護なのは否めない事実です。ジェレミーが何か酷い目にあった際、彼らが暴走したこともあるのですよ」
それは聞き及んでいたので、リタは何も言えなかった。
「取引相手に同じことが起きたらどうしますか。今ジェレミーを当主にしていざこざが起きるのを見過ごすくらいなら、フェイ・ファミリアの肩書きを捨てて、普通のジェントリとして家を立て直すほうがマシです。私は純粋に、家の繁栄を思うためなのです」
リタは黙った。それから、ぽつりと言った。
「ジェレミーが言っていました」
「……何と?」
「アベリストウィスはあくまでもフェイ・ファミリアだと」
リタはさらに付け足した。
「アベリストウィスはフェイファ・ミリアだからこそ成り立ってきた家なのだと、ジェレミーは言っていたのだと思います。女王にフェイ・ファミリアとしての認可を受け、妖精と関わってきたからこそ、今のアベリストウィスがあるのだ、と」
リチャードは言葉に詰まった。
「……では、あなたはジェレミーにつくのですか」
リタは首を横に振った。
「分かりません。どちらを選んでも、良い結果にならない気がします」
リチャードはリタを見つめた。
「あなたは魔女ですよね? 我々の家の利益を考慮しなくても結構です。これは私とジェレミーの問題です。あなたには関係のないことではありませんか。アベリストウィスをどうしたいのですか?」
リタは言葉を失った。
「何をしておられるのですか、魔女様。私が間違っているわけでもジェレミーが間違っているわけでもないと思うなら……あなたの仕事が成功しても、あなたの評判には傷が付かないなら、何を迷っておられるのです?」
リタは俯いた。
その通りだ。リタは魔女だ。この男から依頼を受けて、契約した。もし依頼を放棄した場合の代償はあまりに大きい。……立派な魔女になるという、目標にしていた未来の、実現がどれだけ困難になることか。魔女業を失うことを考えると、リタは怖くて仕方がなかった。
……では、ジェレミーを失うことは?
それも嫌だ。それは確かな気持ちだった。けれど……ジェレミーが新しい世界を教えてくれたのは確かだけれど、リタは元いた世界を捨ててまで、その世界に入る気はない。魔女の世界は、どうしたってリタの根底なのだ。その上、リタはリチャードの言い分にも納得せざるを得ない。リタだってフルーエリンの彼に対する過保護っぷりを見てきた。彼が妖精たちを御すことができるのか、それがまた疑問だ。
やはりこれしかないのか、とリタは考えた。
「分かりました」
リタは身を切る思いで決断した。
「依頼を遂行しましょう。私は魔女ですから、確固たる理由なく契約を破りはしません」
「それはよかった」
リチャードはほっとしたようだった。
「お早めに、お願いします。私が妖精の羽根を処分したことをジェレミーが知ったのでしたら、何か行動を起こすかもしれませんから」
リタはわずかに頷いた。
挨拶をして席を立ち、またただっ広い玄関を通って戻る。玄関前に停まった馬車の中からジェレミーは御者と話をしていた。もう打ち解けているようだ。しかし御者はリタを見つけると慌ててドアを開けて礼をした。
「魔女様、お戻りで」
「リタ!」
ジェレミーも言った。
「お帰り。どうだった?」
リタは何も言わず、馬車に乗り込んでドアを閉めた。すぐに御者は馬を駆る。ジェレミーは笑顔を引っ込めてリタを不安そうに見つめた。
「……リタ?」
「私は大丈夫だ」
リタは言った。ジェレミーがリタの顔を覗き込む。
「本当に? 具合が悪そうだけど。話し合いはどうだった? どうするか決めた?」
「……微妙、だ」
リタは曖昧な返事で逃げた。
窓の外の華やかな世界を見つめて、罪悪感を押し込めるように自分に言い聞かせた。これは魔女の世界ではない。……自分がいるべき場所ではない。だから、この決断は正しいのだ、と。
―――やはり、所詮、魔女は魔女でしかないのだ。