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 ジェレミーは意外とそういうのに鋭いらしい。リタは無意識だったが、ジェレミーはリタの様子が少し違うのに気付いたようだ。なんだか初めて会った頃みたいにツンツンしてるよ、とリタは言われた。リタはただ、気分がすぐれないのだとだけ言った。だから放っておいてほしい、と。これ以上ジェレミーに深入りしたらまずい。だが不本意ながら、いつもちょっかいばかり出してくるジェレミーがいないと、逆に研究に集中できなかった。

 1日で三度目の爆発を起こした日、キットが呆れたように言った。
「おい、どうしたんだ? リタらしくないぞ。そんなに上の空になるくらいサーにゾッコンなら、なんで依頼を遂行しようとするんだよ」
「ゾッコンなんかじゃない」
 リタはじろりとキットを睨んだ。
「変な言い方をするでないよ。ただ単に罪悪感を拭えぬだけだ」
「……そうかよ。でも、どうやってサーを閉じ込めるつもりなんだ?」
 リタは言葉に詰まった。
「……方法は、これから考える」
「これからかよ。いつになったら見つかるんだ」
「さあ」
「おいっ」
 リタは薬草を刻む手を止めて呟いた。
「……永遠に見付けたくないのかもしれない」
 キットは黙っていた。軽く尻尾を振って、耳をひくひくと動かす。それからリタの肩に飛び乗って言った。
「そりゃ無理な話だぜ。リタが動かなけりゃ、いずれサーか旦那が動く。それに、妖精だっている。現状維持なんてできないぞ。現実ってのは妖精みたいに気まぐれだからな」
「…………」
 リタもそれは分かっていた。その現実から逃げるように、無言で調薬に集中する。

 カエルの心臓を2つ入れ、コウモリの爪とヒレハリソウのみじん切りを振りかけた。それから、エメラルドの粉末を少しだけ入れる。仕上げに呪文。
 その時、ジェレミーがノックもせずに入ってきた。
「リタ!」
 むぐっ、とリタは呪文を唱え損ねて、中途半端に呪いがかかってしまった薬はむくむくと嫌な臭いのする煙を上げ始めた。
「あ、ごめん」
 ジェレミーが気付いて、バツが悪そうに言った。リタは溜め息をつきながら火を止めて、失敗作を捨てた。
「何なのだ、一体」
「いや、別に。ただ、魔法のことで聞きたいことがあって」
 リタは眉を寄せた。なんだ、急に。
「今日、領地の一つに住んでいる人から手紙が届いてね、魔法での悪戯に困ってるらしいんだけど、どうも妖精のしわざとは思えないんだ。見てもらえるかな」
 リタは目を瞬き、少しの間沈黙してから言った。
「相談料金は払ってもらうよ」
「いくら?」
「0.7ニルク」
「よし、後でトーマスに出すように言っておくよ」
 あっさり払うのか。妙な所で欲のない人だ。
 リタは手紙を受け取り、ざっと目を通した。確かに妖精ではなさそうだ。
「魔女の悪戯かもしれない」
 リタが言うと、ジェレミーはずいっと顔を近付けてきた。
「やっぱりそう思う? 妖精が使いそうな魔法っぽくはなかったからさ、そうなると魔女しかいないなぁと思ってたんだけど」
「だろうね」
「ありがとう。魔法関係で相談できる人間ってリタだけだから助かった」
 ジェレミーはそう言って笑った。リタはその笑顔を見上げて言った。
「しっかり領主の仕事をしているのだね」
 ジェレミーは当たり前、という顔で笑った。
「そりゃそうだよ。リチャードもやってるけど、本家の屋敷をこうして僕が占領してるからね、仕事の半分くらいが勝手に舞い込んで来るんだ」
「……今までジェレミーが仕事をしている場面など見たことが無いが」
「だって、今までだって一日中一緒にいたことはなかっただろう? 上に籠ってる時間は大抵仕事をしてたんだよ。フルーとしゃべってばっかりいると思ってたの?」
「…………」
 リタは黙った。
「あ、図星か」
「……ジェレミーはあまり真面目そうには見えないし」
「うわ、酷いな」
 言いながらも顔は笑っていた。

 リタは黙って一から薬を作り直し始めていた。テキパキと材料を混ぜながら言った。
「用が済んだなら一人にしてはくれまいか。集中できないのだよ」
「……冷たいなぁ」
 ジェレミーの声は少し本気で傷ついていて、そして少し怒っていた。リタはハッとして目を上げた。ジェレミーは手紙を折り畳んで封筒にしまっていた。怒った顔をしてはいなかったが、いつもの微笑みもない。リタはひどく不安になりながら、それでも謝れなかった。謝ってそれでジェレミーの心を繋いだって、すぐにおじゃんになるのだから。

 ジェレミーはふと顔を上げて言った。
「リタは依頼が片付いたら出ていく?」
 鋭い質問にリタは一瞬固まりそうになった。だが、魔女が動揺を表情に出してはその名が廃るというものだ。……リタは魔女だ。そうであることに決めたのだ。
「そうだね」
 リタが言うと、ジェレミーは更に質問した。
「もし片付かなかったら?」
「それでもいずれ出ていく」
 ここは、リタの家ではないのだから。
「……リタ」
「何だ?」
「君は僕をどう思ってるんだい?」
 リタは一瞬間をおいた。
「なぜ?」
「僕はリタが僕に打ち解けてくれている自信があったんだよ。少なくても、大抵の人よりはね。でも、最近自信がなくなってきた」
「だから?」
「……僕を閉じ込めるつもり?」
 リタはジェレミーを正面から見つめた。蜂蜜のような、琥珀色の瞳と髪。のんきに笑って、気紛れに色んなことを思い付いてはリタを強引に引っ張っていっていたジェレミー。だけど今の彼の表情は真剣で、静かで、リタは常々子供っぽいと思っていたジェレミーが初めて自分より五つも上の大人なのだと気付かされた。
 リタは息を吸い込み、言った。
「……契約破棄はできない」
 ジェレミーは黙っていた。黙ってリタを見つめ、厳しい表情をして、それから諦めと虚しさの混じった表情に変わって溜め息をついた。
それから、いつもとは程遠い、ウキウキとした様子が微塵も感じられない声で思い付きを言った。
「例えばさ、僕が相続権を放棄して屋敷を去ったら、君は僕の敵にはならない?」
 はなからリタの良い返事は期待していないようで、そしてリタの答えは確かに良いものではなかった。
「……契約はジェレミーを“閉じ込める”ことなのだよ。それに」
 リタは言い切った。
「私たちは、始めから仲間でもなんでもなかったはずだ。最初から、敵だったのだよ」
 ジェレミーは俯き、黙り込んで、リタが薬を完成させていく様を見つめていた。
「……僕はリタにとって、仕事相手でしかないわけか」
「……魔女の契約は、そういうことで揺らぐようなものではないのだよ」
 ジェレミーは黙り、やがて「また明日」と言って部屋から去った。

 キットはしっぽを揺らしてリタに言った。
「サーにあなたを閉じ込めるつもりです、って、なんでそんな真正直に言うんだよ。不意打ちの方が絶対成功するのに」
「……妖精に嘘をついたら復讐が恐ろしいし」
「サーは人間だぞ」
「半分はね」
 キットがひげをそよがせながら言った。
「どうすんだよ。ますます仕事がやりにくくなったじゃないか」
「……どうにかする」
 やれやれとキットは首を振った。

 リタはとりあえず薬に集中した。さっきと同じ手順で、下ごしらえの済んだ材料を入れていく。呪文を唱えてぐつぐつ煮て、仕上げにハーブとエメラルドをひとつまみ。できた。
 リタは完成した薬を椅子にかけてみた。しゅるっと音がして、椅子は石に変わった。
「あ、成功か?」
 キットが興奮して身を乗り出す。リタはトンカチを探し出してきて、思い切り後ろ手に振りかぶると、勢い良く振り下ろした。ガツンと鈍い音がして、わずかに石のかけらが飛んだが、ひび一つ入っていない。リタは振り返って言った。
「成功だ、キット」
「やったな!」
 キットは喜んで宙返りをした。リタも少し誇らしくなって胸を張った。
 が、その瞬間に閃いた。
 思い付いて、しまった。

 使える……ジェレミーを閉じ込めるのに。方法を見付けてしまった。

 急に俯いたリタに、キットは心配そうに声をかけた。
「リタ?どうした?」
 リタは言った。
「キット、頼みがある」
 キットは目を瞬いた。リタの頼みだなんて、一体なんだろうという顔だ。
「……ジェレミーを閉じ込めるの協力をして欲しい」
 長引けばそれだけ、もっと深入りしてしまって決心が揺らぐのがオチだ。

 だったら、すぐに決行するまでだ。