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「驚いたよ、空から砂やら箒の形をした石が降ってくるものだから。まあ、おかげでリタに気付けたんだけどね」
 言われて見て見れば、粉々に砕けた箒の成れの果てが近くの道端に転がっていた。これが空から降ってくることの危険性に気付いて、リタは慌てた。
「誰かに当たったりしなかったか?」
「うん? それは大丈夫。きれいに歩行者のいないところに落ちたよ。あともう5歩速く進んでいたら僕があの世行きだったろうけど」
「……すまない」
「あ、いや、リタを責めてるんじゃなくて。……そういえば、これが落ちた時、ものすごい音がしたのに周りの人が誰も気付いてなかったなぁ」
「…………」
 ということはやはり、ここはティターニアが作り出した幻の中なのだ。
 考え込んだリタの後ろで、アシュレイに再会したリチャードも彼(彼女?)に相談をもちかけていた。
「あいつと街を歩いていた時に、通行人を捕まえて出口はどこなのかと聞いたのですが、人それぞれだから頑張って探せとしか言われなかったのです。これはどういう意味でしょう」
「ふむ……」
 アシュレイも考え込んでいる。腕を組むとその腕の上にちょうど豊満な胸が乗り、なんとも蠱惑的だ。

 アシュレイを見ていたジェレミーは、心底称賛する眼差しをした。
「本当に奇麗な人だねぇ、お師匠さん」
 リタは額を押さえてうなり、訂正を試みた。
「ジェレミー、ああは見えるが師匠はおと……」
「リタ、まだ勝負が終わっていない。続きをやろう」
 クルリと振り向いたアシュレイが華麗にリタの話を遮った。
「今、わざと遮りましたね」
「はて、何の言いがかりなのやら。勝負しようと言っているだけだ」
「……この勝負どおり先に迷宮を出た方が勝ちでよいのでは」
「それよりリタ、俺の魔法を解いてくれないか。自分からおいしそうなネズミのにおいがするのは非常に複雑なんだけど」
 ねずみの姿のままでリタの方によじ登ったキットが哀れっぽく言った。
「キットは黙っていろ」
「何で! 俺は巻き添えを食らった被害者なのにー」
「魔女様、そんなことより早く出口を……」
 リチャードが声をかけた。
「何を言う。独立試験は魔女にとって重要な過程なのだよ。邪魔をするでない」
 しかしアシュレイに一蹴された。
「さて、リタ、勝負をしなさい」
「……勝負とは命令されてするものではないと思うのだが」
「では負けを認めるのか」
「嫌です」
 即答したリタに、アシュレイはそれでこそ我が弟子、と魔女笑いを投げかけた。サクランボ色の唇が本当に美しい、まさに赤の魔女だ。またアシュレイを見つめ始めたジェレミーの視線を遮るように立ちはだかって、リタは言った。
「でも魔力の勝負では明らかに私に勝ち目はない。魔力の勝負はもう嫌だ」
「では何で勝負するというのだ」
「今ここでここから出る方法を……出口が先に分かった方を勝者にしよう。それなら魔法の知識も使うし……」
「僕らをちゃんと手伝うことにもなるし?」
 ジェレミーが後ろから付け足してくれた。アシュレイは少し考えて頷いた。
「知能戦か。よかろう。とりあえずここがティターニア女王が作り出した幻の世界であることには間違い無さそうだな」
「でも、どうして私たちをばらばらに飛ばしたんだろうか」
 リタは腕を組んで、その他にも気になったことを言ってみた。
「……魔女は魔女で、依頼人は依頼人でセットにしたのには、何かに理由があるのだろうか」
「そうだな。全員バラけさせなかった」
「出口はたくさんあるが、人それぞれだということは、一応正解と不正解があるのだろうが……」

「あ」
 魔女二人が唸っていた後ろで、ジェレミーが突然声を上げた。
「分かった」
「え」
「え!?」
「マジか」
「おやおや」
 全員が驚きと共にジェレミーを振り向く。彼は本当に、たまたま思いついたという顔だった。一人で納得して手をぽんと打っている。
「あー、人それぞれってそういうことか。うん、多分間違いないな。リタ、おいで」
「は、はあ」
 混乱しつつもジェレミーに駆け寄ろうとしたリタに、リチャードが慌てて遮るように立ちはだかった。
「待て。こんな負けは認めないぞ! それに、この勝負は魔女様方の勝負でもある。どちらかが考えつくまで残っていろ。でなければ説明してから去れ」
「いや、でも説明しちゃったらそっちも出口が分かっちゃうじゃないか」
「ならば出口まで競争だ」
「そういう類いの出口じゃないんだよ。それより……」
 ジェレミーはリチャードに向き直り、真剣な眼差しで彼を見つめた。リチャードは嫌な予感がしたのか、眉をひそめて一歩下がった。
「リチャード、僕たちも決着を付けないかい? あなたはそうやって勝つか負けるかの話し合いにはのってくるのに、肝心の、お互いを理解するための話し合いを避けてばかりだ」
 この期に及んで話し合いで解決するのを諦めていなかったのか、とリタは半ば呆れてジェレミーを見上げた。大した平和主義者だ。リチャードはジェレミーの指摘にも、黙ったままで返事をしなかった。
「ねえ、話そうよ。どうしてそこまで徹底的に僕を避けるんだい?」
「…………」
「おーい、リチャード? もしもーし。そんなに僕が怖い? 大丈夫、魔力はあっても僕は使えないんだから」
「……それでも、お前は妖精の子だろう」
 初めて返事をしてくれたのが嬉しいのか、ジェレミーはにっこりと笑った。
「やっと話してくれたね。……僕は人間だよ。自分で人間になるのを選んだんだ。誰がなんと言おうと僕は人間」
「しかし実情は違う。妖精達は明らかにお前に過保護だ」
「うーん、確かにフルーはちょっとね」
「他のもだ。お前が妖精の血を引いている限り、お前がいくら人の姿をしていたって関係ない。……目を潰されたあの子の気持ちはどうなる」
 するとジェレミーは笑顔を消して、俯いた。
「まあ、僕を酷い目に遭わせたのが原因なんだから責任は君たちにもあると一言言っておくけど、あの時は確かに、フルーたちがやりすぎたね。僕も認める。だからあの子には今でも援助をしているんだよ。これからもしていくつもりだし、二度とあんなことが起きないように努力する。当主として当然のことだ」
 リチャードは黙って聞いていた。ジェレミーは顔を上げて、少し非難を混ぜた表情で彼を見る。
「それに、リチャード、それを言ったら羽根をもがれたフルーの気持ちはどうなるんだい? フルーの一族は、族長の力の源を奪われたんだよ。こんな報復のし合いなんて、絶対無益だよ。バランスが大事なんだ」
「そのバランスを崩すのが、お前という存在なのだろう」
「あ、そういえばリチャードは聞いてなかったのか。僕は全部捨てることにしたんだよ」
「……え?」
「だから、全部捨てる」
 宣言するジェレミーの表情はやはり晴れやかだった。
「フルーたち一族から受けていた加護は、フルーたちを見る力とか、他の妖精の力も一緒に捨てることにした。これで僕は、完全に人間だろう?」
「……お前、母親すら捨てるのか。故郷も一緒に」
 ジェレミーは一瞬目を瞬き、それから破顔した。
「リチャードは優しいんだねぇ。僕の悪い噂を広めて追い出すとか、汚い手で追い出すとかをしないで、“監禁”にしたのはそういうこと? 僕が親も故郷もなくさないから」
 リチャードは一瞬言葉に詰まったが、すぐに怒鳴り返した。
「何を言う。ただ単に完璧にこの世からいなくなってもらいたかっただけだ!」
「まあ、いいけどね。でもリチャード、君が僕の当主継承に反対していたのは、僕が相応しくないと思っていたからだろう?」
「……そうだが」
「なら、相応しくない要因が取り除かれれば、問題ないってことだよね」
「…………」
 リチャードは押し黙り、しばらくしてから頭を抱えた。
「だからお前と話したくなかったんだ……あの手この手で丸め込んで……」
「ほら、この能力は交渉とかにも使えるってことだし」
 すかさず何でもかんでもアピールポイントに変えてしまうジェレミーの発想に、リチャードはさらに頭を抱えた。視線をさまよわせて、なおも抵抗を試みる。
「だが……あれだ、お前、ずっと妖精との取引だけで家を導いていく気か」
「それは難しいだろうけど、そんなことを言ったらリチャード、君は妖精たちとのフェイ・ファミリアとの契約を破棄する方法を知っているのかい?」
「……それは」
「じゃあ、こうしよう。お互い得意分野と不得意分野があるんだ、仕事を分担しよう。従兄弟同士なんだし、しっかり協力し合わなきゃ。だろう? 僕が妖精がらみを担当する。君は社交界担当だ。もちろん僕も社交界には顔を出すつもりだけど。でも、当主は僕にやらせて欲しい」
 まだ悩んでいるらしいリチャードに、ジェレミーは手を差し出した。
「アベリストウィスはフェイ・ファミリアだ。制度そのものがなくなったりしない限り、ね」
 そして華やかな笑みを浮かべる。

「あなたが誇りに思うそのアベリストウィスの名を、僕に任せてください」

 しばらくその手を睨んでいたリチャードは、おもむろに口を開いた。
「分担なんだな?」
「うん。でも当主は僕ね」
「いいだろう」
 リチャードがジェレミーの手を握った。
「肩書きはくれてやる。ただし、また何か昔のようなことがおきる兆候があったらすぐにでも引きずり下ろすぞ」
「どうぞご遠慮なく。でもそのときは、僕が自分で降りると思うよ」
 ジェレミーは笑顔で言った。
「ありがとう、リチャード」
 アベリストウィス家の家督争いがここに終結したのだった。

 ずっとやり取りを見ていたアシュレイが口を開いてポツリと言った。
「この場合はお前と私、どちらの勝ちなのだ?」
「引き分けというのはいかがでしょう……」
 リタが控えめに提案してみる。アシュレイは不満のようだった。むしろ引き分けで終わってくれた方がありがたいので、リタはアシュレイの返事を聞く前に急いでジェレミーに聞いた。
「それで、ジェレミー、出口というのは……」
「うん? ああ、聞けば分かるよ」
 ジェレミーはリタの手を握り、高らかに宣言した。
「ティターニア女王、出口を、リタを見つけました」
 リタがその言葉に驚いてジェレミーを見上げたのと、二人が光に包まれるのは同時だった。