夕虹を呼ぶ歌
第三話



 ティシェリとリーメルは宿に入り、暗い廊下を通って、少年の案内する部屋に入った。小綺麗な部屋で、楽器がたくさん置いてある。荷物は最低限だけで、いかにも旅人の部屋だった。

 少年は二人を椅子に座らせ、飲み物はいるかと聞いた。押しかけたのはこちらなのに、貴重な水までもらっては、とリーメルもティシェリも慌てたが、少年は何も言わずにコップに水を注いで二人に渡した。二人は恐縮しながらカップを受け取った。
「……僕、追っかけのファンができたのは初めてだ」
 少年は独り言のようにぼそっと呟いた。ティシェリとリーメルは顔を見合わせた。
 リーメルが促すような視線を送ってくるので、ティシェリは思い切って声をかけてみた。
「あの、私はティシェリっていいます。ティーシェって呼んでください。こっちはリーメル。あなたの名前はなんていうの?」
 少年は少し首を傾けた。
「……エヴァイル」
「エヴァイルね。愛称はないの?」
 エヴァイルは少し考え込んだ。
「……『坊』?」
「はい?」
 ティシェリとリーメルはそろって聞き返した。

 その時、扉が開いて一人の青年が顔を出した。彼は部屋に入ってこようとしたが、部屋の中を見て固まった。
「……、エヴァイル、何をやってんだ?」
 エヴァイルは少しほっとした顔になった。
「ルーベン。ティシェリさんとリーメルさんだよ」
「紹介してる場合じゃないだろ。どっから連れてきたんだ?」
「街で声をかけられて……」
 花と春の歓楽の街で“声をかける”が何を意味するのかは大体決まっている。ルーベンは驚きのあまりのけ反った。
「エヴァイル、お前、女の子のデリバリーサービスなんて頼んだのか!?」
 いよいよ誤解をされてしまって、リーメルが慌てて、ティシェリと二人で彼らの演奏を聞き、どうしても一度会って話をしたいと言い出した経緯を話した。話し終わると、ルーベンはようやく納得し、落ち着いた。

「なんだ、そういうことなら歓迎だ」
 言って彼は人の良さそうな、朗らかな笑みを浮かべた。
「エヴァイルはあまり人と接さないんで、ちょいと無愛想で困ってたところだ。仲良くしてやってくれ。おい、坊。話すときはもうちょっと事情が分かるように話せよ」
 エヴァイルはつんとそっぽを向いた。ティシェリは少し笑い、そしてようやく理解してエヴァイルを振り向いた。
「ねぇエヴァイル、“坊”なんていうのは愛称とはいわないわ」
「……そう?」
 エヴァイルは少し戸惑った表情を見せた。やっと少し会話が成り立ってきたので、ティシェリは話を続けてみた。
「ねぇ、エヴァイルは今いくつなの?」
「16……ぐらい」
 エヴァイルは曖昧にいった。
「その楽器、なんていう名前?」
「フィドル」
「どれくらいフィドルをやってるの?」
「物心ついた時から」
「私、本当にあなたのフィドルが好きよ。あんな風に弾く人、初めて会ったわ。音が踊ってるみたいで、風に命が通ったみたいで」
 フィドルの話をすると、エヴァイルが初めて笑みを見せた。ちょっとはにかんだような、素敵な笑顔だった。
「ティシェリは音楽が好きなんだね」
 エヴァイルの方から話しかけてきたのはこれが初めて。ティシェリは一瞬、心が躍り上がってしまって、口が滑った。
「そうよ。私、歌うたいなの」
 ルーベンが興味を示して身を乗り出した。
「へえ、君達、楽団員? どこのだい? 見に行きたいな」
 あ、とティシェリはまずいと思った。実は自分が次期巫女だと教えてしまったら、郷を持たない彼らにとっては印象が良いとは言えないだろう。リーメルがすかさず、さらりとフォローした。
「まだ裏方だから、実際に演奏に出てるわけじゃないのよ。来てもらっても、私たちは出ていけないわ」
「そうか……残念だな」
 どうやら信じてくれたようだ。

 安心したのか、リーメルは逆に質問した。
「ねぇ、あなたたち、旅人なら色々な郷を渡ってきたんでしょう? 他の郷って、やっぱりこことは違うものなの?」
 リーメルが聞くと、ルーベンとエヴァイルは顔を見合わせて、少し苦い顔をした。ルーベンが先に口を開く。
「実は俺たち、どの郷にもあまり長い間は立ち寄ってないんだ。まあ、色々な郷を見てきたことは確かだけどな」
 エヴァイルもぽつぽつと言った。
「そもそも外郷人は二週間しか入郷できないし……うん、でも、この郷は今まで見た中でもかなり大きい方かな」
「華やか、でしょう?」
 ティシェリが言うと、エヴァイルは頷いた。
「でも、華やかすぎて道に迷いそうで、外に出るのもちょっと抵抗があるんだ」
 ティシェリはそれを聞いて少し頬を膨らませた。
「あら、この郷には綺麗な所がたくさんあるのに。それじゃ、どこも見た事ないの?」
「……神殿は遠くからチラッと」
 ティシェリは身を乗り出した。リーメルがあーあ、と天を仰いだ。この、小鳥のように飛び回る次期巫女が、次に何を言い出すか悟ってしまったのだ。

「ねぇ、私が道案内してあげましょうか」



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